水俣病は実は何も解決していないのです!

原一男水俣曼荼羅

 

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強烈な映画を撮り続ける原一男監督は拍子中するほど穏やかでユーモラスな方です。

 


制作年数なんと20年!(編集だけで5年かかったそうです)、上映時間6時間を超える超大作ドキュメンタリー。


2021年に、フレデリック・ワイズマン『ボストン市庁舎』という、コレまた大作のドキュメンタリーが公開されていましたけども、コチラは4時間半です。


それを遥かに超える大作というのは、さすがにたじろいでしまいますが、かの『ゆきゆきて、神軍』を撮った原一男監督ですから、やはり、何かあると思い、思い切って見に行きました。


映画は三部構成になっており、それぞれが「水俣病とは何か」「水俣病の歴史」「水俣裁判、そして人間讃歌」という内容でそれぞれがおおよそ2時間なので、まあ、行って仕舞えば、封切り映画を3本連続で見ているようなものなので、まあ、頑張れば見れますよ(笑)


マーベルコミックの映画化は大変膨大な数で、今なお増え続けてますけども、いどれともこれも上映時間時間が140-60部くらいありますが、コレを3本見るよりも遥かにラクではないのですか。


閑話休題


本作はかつて土本典昭監督が作ったような、かなり強面な水俣病に関するドキュメンタリー映画ではなく、むしろ、メインとなっているのは、水俣病患者たちの日常生活であるところに特徴があります。

 

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日本のドキュメンタリー映画の巨人の1人、土本典昭


とはいえ、国や熊本県の責任問題を描いていないわけではないです。

 

しかし、それはこの作品の10%にも満たないものです。


第一部はほとんどの方にとって衝撃であろうと思われますが、実は水俣病は国が作った判定基準がそもそも間違ったまま、2000年代まで放置されていた。という事実が明らかにされます。


しかし、熊本大学医学部教授浴野成生(えきのしげお)と二宮正助手(当時)らによって、水俣病は大脳皮質がメチル水銀によって破壊された事による、感覚障害である。という論文が発表された事により、国の水俣病の認定基準が根底が覆ってしまいます。

 

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浴野教授の飄々としたキャラクターは実に印象に残ります。


不勉強は私は、この事実すらわかっていなかったんですね。


水俣病と言いますと、かの、天才写真家、ユージーン・スミスが作った衝撃の写真集『MINAMATA』のイメージですよね。

 

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天才写真家、ユージーン・スミス。

 

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学校の教科書にすら掲載された、『MINAMATA』の衝撃的な写真!よくも悪くも水俣病のイメージを作ってしまいました。


手足が震え、身体が捩れてしまっている人々の痛々しいまでの姿です。


しかし、それは水俣病の激症患者の姿であり、それは患者の一部でしかないんです。


大半の水俣病患者というのは、外見ではわからないのです。


しかし、視野狭窄聴覚障害味覚障害がなどが大脳皮質の損傷箇所やその損傷の程度によっていろいろな程度になっております。


幼少期に水俣病になってしまった人は、その感覚障害が当たり前のものとして生きており、気がつかないままになっている人も未だにいる可能性があります。


脳の損傷は本人が気が付かないところがコワイですね。。

 

旧厚生省が水俣病患者の認定基準から、この人々は全員漏れてしまい、要するに、水俣病患者のほとんどは認定されてきませんでした。


このことが患者やその家族たちを激怒させたのは必然であり、それを撮影していたのがユージーン・スミスであり(彼もこの撮影で大怪我を負い、写真家としての活動を断念せざるを得ない程でした)、土本典昭の映画でした。


よって、この2つの作品から湧き上がる凄まじい怒りは、そこにあるわけですね。


本作の強みは、環境省(現在、水俣病の管轄は環境省です)やってました熊本県を大混乱させるという、とてつもない事をしでかしてしまった、浴野教授が、実に飄々とした方であり、様々な批難や中傷を受けていながらも、当人はいつもニコニコとしながら、淡々と研究を続けているところです。


コレは助手である今井さんにも言えることでして、たんなる酔っぱらいオヤジと化している姿も映っております(笑)


第二部は、水俣病の歴史がメインでして、何と、原監督みずから水中カメラを持って、水俣湾に潜って撮影し、現在の様子を見せたりと、相変わらず無茶な事をしています(笑)

 

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福島第一原発のドラム缶と何が違うのでしょうか。。

 


メチル水銀不知火海に放出した、チッソは、汚染された海底のヘドロをかき出し、それをドラム缶に封じ込め、水俣湾の埋め立て地にそのドラム缶を埋めているんです。


漏洩しないように、周囲を外壁に覆っていますが、腐敗防止のためのアルミニウムはもうボロボロです。


県はこの事実に向き合っているようには見えません。


メチル水銀の毒性は埋めることで特に弱まったりはしません。。


第二部はメインとなる男性の患者さんをすえながら、水俣病の歴史が明らかにされるのですが、この患者さんの明るいキャラクターが実に楽しいです。

 

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この夫妻の歴史もまた、とても味わい深いです。

 

土本典昭ドキュメンタリー映画NHK水俣病が社会問題化し始めた頃に作られた番組の問題点も指摘されています。


第3部は、なんと、女性患者の恋愛遍歴が明らかにされていくという、まさに、原一男の独断場を描きつつ、最高裁での勝訴判決を受けての環境省、そして、熊本県県知事椛島郁夫との交渉という、いわば、クライマックスを描いていくのですが、コレはネタバレでも何でもなく、事実なので書きますが、水俣病問題は現在まで何の解決もしていないという、冷酷な事実が突きつけられますが、この映画の凄さは、それでも患者たちは明るく生きていく姿を映しているところですね。

 

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彼女の男性に惚れっぽく、明るく生きる姿はホントに素晴らしいです。


国は浴野論文で根拠を失い、反論すればするほど論理が破綻している事が明らかになる事を恐れ、水俣病認定を求める裁判で、呆気なく「認定します」と宣言したり、補償金払うので、もう訴訟はやめてくださいね.としたり(実際、コレで多くの人は訴訟団から離脱してしまいます。たかだか1人当たり210万円です)、裁判それ自体を無効にするという、呆気に取られる戦術を取ったり、先代の天皇皇后を水俣市に訪問させ、患者と面談させたり、更に浴野論文を認めた上で、やはり認定しないという方式で、水俣病の風化と忘却を促進させております。

 

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環境大臣として小池百合子が患者たちと向き合うのが実は本作の冒頭です。

 

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熊本県知事、潮谷義子。頑として国の水俣政策を変えるための尽力をしませんでした。。

 

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ラスボス感満点の現熊本知事、蒲島郁夫。口では水俣病認定を進めると言ってますが、現実は冷酷に申請のほとんどを却下しています。


本来、このような人々を救うのが国会議員の仕事なのですが、本作で救済に動いている国会議員は全く出てこない所に驚きを隠せませんね。。


本作を見るには、1日潰す覚悟です見なくてはなりませんが(DVDの発売はプロデューサーが営業しているようですけども、未定です)、それに見合うものがある傑作だと思います。

 

 

追記

本作で一番衝撃を受けた発言を残しておきます。

一度映画館で見ただけなので、記憶違いがあるかと思いますが、そのままのせます。

 

「大脳皮質が破壊され、視覚や聴覚に障害があるという事はどういう事でしょうか。それは認識に問題が起きるという事です。なぜなら、人間は感覚器からの情報を大脳皮質に伝える事でものごとを認識しているからです。もし、認識に問題がある人々か多くなったらどういう事になりますか。それはコミュニケーションに問題が起きますね。コミュニケーションに問題があるという事は相互理解ができなくなる。相互理解ができなくなれば、戦争が始まります。デモクラシーが成り立ちません。水俣病の本質はそこにあります」

 

「美味しいものを食べてもわからなくなる。つまり、水俣病は人間から文化を奪っているんです」

 

 

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アメリカの伝説的人物のエピソード1をアニメ化!

レミ・シャイエ『カラミテイ』

 


コレは驚きました!


とにかく、何の予備知識もなしに映画館に行くことをオススメしたい。


なので、見たい人はコレは見てから読んでくださいね。


いいですかな?

 

 

 

では、続けます。


フランスとデンマークの合作映画の西部劇しかも、アニメ作品。というもので、まず、コレがハードル高いです。


日本人はジブリがディズニーしか、デカい興行収入はないものと決めこんでいるフシがあり、この映画の宣伝も、あんまり頑張ってませんし、東京都ですら公開している映画館が少ないですね。


いやいや。


この作品、めちゃくちゃ、西部劇なんですよね。


本場のアメリカ以上、そして、実写作品以上に西部劇でして、ストーリーにフレンチなアレンジはむしろないです。


が、絵作りがたまげるんです。


日本のアニメの美学である、ドンドン背景も作画も動画めちゃ細かくなっていくという、マキシマミズムを線画で追求していく美学と完全に真逆でして、まず、線が人物にも背景もにもなくて、色による境界のみで表現するんです。

 

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この空気や雰囲気までもを掴み取る映像美!


昔、プレイステーションのゲームで『パラッパラッパー』というのがありましたけども、あれがもっと精工でリアリズムになったようなデザインなんですね。


この日本人好みではない絵作りが、難関かもですねえ。


しかしですね、この映画の背景の、ほとんどポスト印象派の、アンリ・ルソーとかの影響を受けた色使いで、アメリカの中西部の大平原の広大さと澄み切った空気感を表現している場面をワンシーンでも見たら、間違えなく圧倒されるでしょうね。

 

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全編西部劇を実写で見ているような構図!アニメ見ている事を忘れてしまいます。

 


とにかく、全シーンが絵画のように美しく、ほとんど実写のキャメラワークと構図でアニメーションが進行しているいくのには、正直、度肝を抜かれました。


フランスのアニメーションの技師は、もう、とんでもない水準です。


やっぱりですね、19-20世紀にかけての絵画の積み重ねがフランスのアート、ファッション、デザイン、そして、映画に遺憾なく発揮されていて、そのセンスは未だに世界のトップクラスなんですなあ。


機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』の絵も驚くべきものがありますが、センス・オブ・ワンダーが違うんですよねえ。。


テレンス・マリックの奇跡の傑作『天国の日々』の美しさと言ったら、映画史に残るものですが、それをちょっと思い起こさせる驚異的な美しさなんですけども、もっと驚くのは、先ほどの手法で描かれたアニメーションが実に絶妙にマッチしているんですね。


キャラクターと背景がここまで見事に溶け合っている作品は、ちょっと思いつかないですね。


さて。


肝心のお話しですが、コレがまた良くできてまして。


まず、主人公の選び方が絶妙ですね。


19世紀中頃から20世紀初頭に実在した、「カラミティ・ジェーン」と呼ばれた女性のお話しでして、ワイアット・アープやビリー・ザ・キッドほどの西部劇の大スターとして使われてはいないのですが、ハリウッド映画でも何回か登場してくるようなキャラクターなんです。

 

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お父さんが大怪我をしてしまう事が、「カラミティ」を生み出す原因となります。

 


なぜ、彼女か有名なのかと言いますと、晩年に自伝を書いて出版し、一般にかなり流布したところが大きいんですが、この自伝は大変問題がありまして、後で色々な研究者が事実関係を調べていきますと、相当なホラ話しとものすごく話しを盛っていたり、事実関係が明らかにおかしかったりするところが満載でして(笑)、実像がよくわからない人ではあるんですね。

 

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コレが実在のカラミティー・ジェインこと、マーサ・ジェイン・キャナリ。


そういうところが、日本の講談で有名な河内山宗俊なんかに似てます。


河内山宗俊も、江戸時代の家斉の時代に実在した、江戸城に勤務していた人物で、かなりの悪党だったようなのですけも、逮捕されて裁判を受ける前に死んでしまった事で、後の人々が勝手な妄想を膨らませて、いつの間にか、義賊みたいな人物に改変されてしまいました。


天才山中貞雄の現存する作品に『河内山宗俊』がありますが、コレも講談の内容に基づいた映画で、大変な傑作です。


この映画は、アニメーションという事で、見る対象が小学校高学年くらいを想定した作りですので、カラミテイ・ジェーンの年齢が12歳くらいになっているんですね。

 

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つまり、「カラミテイ・ジェーンはいかにして誕生したのか?」という映画になっているところが巧みであり、大人が見ても全く遜色ないというか、些かも子ども騙しな所が一切ないところに、私は監督や制作スタッフの志の高さを感じました。


できるだけ映画館でご覧になる事をオススメします。

 

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前作と合わせて一作の頓知バイオレンスホラー!

ロド・サヤゲス『Don’t Breathe 2』


高畑勲の伝説的名作、『アルプスの少女ハイジ』(以下、『ハイジ』)のとりわけ第一部とも言える「アルムおんじ編」は、メインキャラクターが、主人公のハイジ、そして祖父のアルムおんじ、羊飼いのペーターしかいない、極端にミニマルな作品でした。

 

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本作の主人公となぜか共通の多い、アルムおんじ。


高畑監督は、さすがに、これで一話約は25分のアニメがもたないと思い、おんじの飼っているセント・バーナードのヨーゼフ、子やぎのゆきちゃん、小鳥のピッチーという動物を巧みに使ってましたが、それでも大変なミニマリズムです。


実はですね、この続編の冒頭は見事なまでに『ハイジ』なんですよ。


舞台はまたしてもスッカリ荒廃しきったデトロイト


100万ドルをかっぱらわれた、元ネイヴィー・シールズの盲目のじいさん、愛犬シャドウ、そして、なぜか女の子と暮らしています。

 

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フェニックスという少女は一体何者なのか。

 


周囲には人が住んでおらず、ほぼゴーストタウンであり、隔絶した生活をしています(厳密に言うと女の子はそうでないですが)。

 

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「盲目のボルボ西郷」は奇妙ながらも幸せな生活をしておりました。


家族構成がハイジと全く同じであり、じいさんには過去に何やらいわくありげ。


しかも、じいさんが学校教育を拒絶しているのも同じです。


『ハイジ』では、山の下にある、デルフリ村の牧師がおんじの不信心ぶりとハイジを学校に行かせようとしない事を心配して、ワザワザ山の上までやって来て、おんじは渋々ハイジをペーターも行っている学校に行かせるようになります。


実は、実際のアメリカでも、義務教育を拒絶している人々はわずかですが、数パーセントいるようなんです。


その理由のほとんどは、学校教育では聖書に基づかない教育を行なっているから。というものでして、つまり、そのほとんどが宗教保守の人々なんですね。


ここまで徹底した宗教保守はアメリカでもさすがに少数派ですが、宗教保守が白人の中に結構多い事は、ブッシュJr.政権(2001-2009)、トランプ政権(2017-2021)(ともに共和党)が証明していますよね。


『ハイジ』では、宗教の問題は意識的に避けており、本作でもその問題は出てきませんけども、外観上、宗教保守の生活や価値観とほぼ同じであり、恐らく、意図的にそのようなシチュエーションを作っているのではないかと思います。


とですね、ロド・サヤゲスとフェデ・アルバレス(第1作目の監督です)が果たして『ハイジ』を意識して脚本を書いたのかは定かではありませんが(笑)、本作の序盤は、「デトロイトおんじ」(笑)と女の子、わんこの「幸せな生活」が展開していくんですね。


しかし、前作見た人はおかしいと思うわけです。


アレッ?なんなのこの子は?


デトロイトおんじには、家族なんていたっけ?というか、家族が欲しくて相当無茶な事をしていなかったっけ?という素朴な疑問が湧き起こります。


で、この素朴な疑問がこの話のテーマであり、この映画の特徴ですが、一挙にお話しのテイストがかなりドギツいバイオレンス映画に変貌します。

 

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前作は、アホなティーンたちがデトロイトおんじの実態を知らずに空き巣として侵入してしまった事で、酷い目に遭ってしまうという、これまた、実は襲撃した方が被害者になっていくという、劇的な価値観のひっくり返しが面白い作品でしたが、今回も、そこが見せ所です。

 

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盲目のジョン・マクレーンでもありますね!

 


主人公は怪物的に強いじいさんであり、それは本作でも全く変わりませんけども、盲目であるという事が、前作は襲撃する若者たちにむしろディスアドバンテージになっていましたが、今回は主人公が不意にガチ襲撃を受けますので(なぜ襲撃されるのかは、映画館で!)、盲目である事の不利がむしろ全面に出てきまして、立場がここでも逆転していて、前作と本作がちょうど鏡のような関係になっているのも、脚本の書いている2人がそれぞれ監督しているという、あり方からも伺えます。


ただ、デトロイトおんじが怪物的に強い事だけを見せてしまうと、『座頭市』のようになってしまいまして、コレはコレで面白い訳ですが、盲目で相手を銃撃できるというのは、一体どういう事なのか、そして、それはどうやって可能なのか?に非常にこだわって描いているのは、アクションというものをまた新しく更新しているのだと思います。


続編にありがちな、製作費を5倍にしました!的な見せ方を一切しないのも見事です。

 


恐らく、更に続編が制作されるものと思いますが、また、新しい映画的な快楽を開拓してくれる事を期待します!

 

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彼に真の幸せは訪れるのでしょうか。

 

 

2021年のベスト3に確実に入る痛快作!

ジェームズ・ガン『The Suicide Squad』

 

 

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前回のは無かったことにしてね!という痛快作!


最高でした!


100億円かけたトロマ映画ですね(笑)。


舌禍事件でディズニーをクビになってしまったジェームズ・ガンを救ったのは、なんと、DCコミックを映画化している、ワーナーでした。

 

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マーヴェルからDC への移籍は驚きです!


ワーナーは、ガンに対して、「どのキャラクターを使ってもいいし、これまでの作品とのつながりも考えなくてもよいので、好きなように撮っていいです」という破格の条件を提示しました。


で、彼が選んだのか、失敗作であった、「スーサイド・スクアット」の作り直しでした。


どうして、ワザワザ火中の栗を。という不安がよぎりましたし、私も期待してませんでした。


しかし、見た人たちの、絶賛がジワジワとネットで伝わってくるんですよ。


コレは見に行った方がよいな。という自分のカンを信じましたら、これが大当たり。


2021年ベスト3に確実に入る痛快作でした。


ストーリーはごくごくシンプルでして、カリブ海にある、とある独裁国家があります。


島国で一族支配している。という、まあ、キューバですね(笑)。


この一族がある兄弟(明らかに兄はフィデル・カストロです)に皆殺しにされ、彼らが実権を握ってしまいました。


ここで、とんでもない兵器を長年開発していた事が判明しました(ズバリ、キューバ危機のアナロジーです)。

 

 

この施設を破壊せよ!というミッションがアメリカのCIAなのか、国務省なのかよくわからん組織(最後まで一体なんなのかわからない政府機関ですね)から、極悪犯罪者達に与えられます。

 

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この人たちがスーサイド・スクワットの上司なのですが、普通の人たちにしか見えないです。黒人のおばちゃんがリーダーです(笑)

 


報酬はたったの10年の減刑であり、刑期がそれを遥かに上回る連中だけで構成される決死隊、即ち、スーサイド・スクワッドによって、行われる事になったんですね。


選抜されたメンバーは拒否する事はできません。


なぜなら、全員、アタマに超小型爆弾が埋め込まれまして、逃げようとしたり、命令違反しようとすると、司令室から爆破ボタンを押して、メンバーを即死できるんです(アメリカがやっている工作を隠蔽できるという利点もあるわけですね)。


社会のはみ出し者たちが協力し合って、あるミッションを遂行する。という映画はアメリカ映画には伝統的に存在してまして、ロバート・オルドリッチ特攻大作戦』とか、それこそ、人気テレビシリーズの『特攻野郎Aチーム』はその最たるものだと思いますが、本作はそういうアメリカのある種の王道を踏まえているんですね。


この無茶なミッションを指示する、よくわからん国家機関のメンバーのヘッポコさと計画や人選の杜撰さが、なんともC級映画のノリでして(笑)、結果として現場にほぼ丸投げなんです(逆にいうと、現場の創意工夫が大変な事になるという事への伏線です)。


要するに選抜されたメンバーは否応なしにやらざるを得ず、アメリカ政府にはその後の瑕疵はなし。という、現実にもよくある構図であり(笑)、コレが映画の冒頭でいきなり始まります。


いきなり無茶な作戦が映画開始とともにスタートし、見る側を一気にジャックするんです。

 

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いきなり作戦が始まります(笑)

 

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ハーレイ・クインたちは上陸しますががが。

 


ええ?なんなのこれ?え?え?と思っているうちにドンパチが始まってしまうという。


で、この部隊がいきなり壊滅的な状況になるんですね(ものすげえ血みどろシーンです・笑)


えっ?どういう事?と軽くめまいを起こしていますと、「数日前」となり、前述の経緯がいい調子で説明され、実は2チーム送り込まれていて、1つのチームは 初めから捨て駒なんですよね(笑)


アメリカ政治のハードコアな日常ですね(笑)。みたいな酷さを実にサクサクとした演出で見せるのが、ガン監督のうまさです。


この、「〇日前」とか「〇時間前」みたいな時間の遡りは、タランティーノが結構得意とする手法であり、源流はセルジオ・レオーネでしょうけども、コレを実に効果的に用いるんです。


捨て駒隊がほぼ壊滅した後の(ハーレイ・クインはコッチにいます)、本チャンメンバーの潜入が描かれていくんですけども、コレは映画館で是非見てください。

 

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こっちが本命のスーサイド・スクワットです!このイケでないデザインセンスが素晴らしい!

 


もう、おもしろいのなんのって(笑)!


スーサイド・スクワッドのメンバーでなんといっても素晴らしいのはサメちゃんで(あだ名とかではないですよ。ホントにサメが歩いているんです!)、声を、ななんと、シルヴェスター・スタローンが担当しております!

 

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SoftBankのCMにおける北大路欣也が、スタローンなのです!

 


このサメちゃんは、アヴェンジャーズにおけるハルク的なポジションですが、人肉が好きなので、メンバーすら食いそうになるんです(笑)


で、しばしば、このサメちゃんのお食事シーンが出てくるんですよね。


「いただきまーす!」という感じでアタマからがぶりんちょとあっという間に人間1人食べてしまうんで、残酷さみたいなものがどこかに飛んでいってしまって、どこか滑稽ですらあります。

 

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いただきマンモス!


この役に立ってるんだからいないんだかわからないトボけた人喰いザメは本作の助演男優賞でしょう。


で、肝心の主人公である、マーゴット・ロビー演じるハーレイ・クインは、捨て駒グループのして独裁国家側の捕虜になってしまっているので、しばらく活躍がないんですが、中盤から出てきまして、見事な大活躍場面が用意されております。

 

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ホントにいろんな役ができる人ですよね。


が、ハーレイ・クインは全体としてはそんなにオレがオレが的には出てこなくて、基本はチームプレイの中で、いわば、『大脱走』における、スティーヴ・マクイン(そういえば、こっちも「クイン」ですね)としての役割に徹しています。


それにしても、マーゴット・ロビーという役者はすごいです。


ご存知のように大変なルックスとスタイルの持ち主で、もっとそれをアピールする役を演じてもいいのですが、『アイ、トーニャ』ではトーニャ・ハーディングを演じ、FOXテレビのセクハラ問題を取り上げた『スキャンダル』では助演女優賞にノミネートされるなどの、演技派として活躍していて、トーニャ・ハーディングシャロン・テイトを演じている人が同一人物と思えないほどです。

 

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 あの有名なシーンをマーゴット・ロビーが再現!

 

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かと思ったら、シャロン・テイト


そんな彼女が、ジョーカーの恋人という設定である、DCコミックのキャラクターである、殺人鬼、ハーレィ・クインを結構なアクションまで平然とこなし、タランティーノ『ワンス〜』では、天使的な役どころである、シャロン・テイトを演じてもいるわけですね。


あのルックスで性格俳優というのは、新しいあり方です。


それと、コレはどうしても特筆しておきたいのは、ガン監督のトロマ愛ですよね。


一部のマニアの間で熱狂的な人気を誇る、『悪魔の毒々モンスター』などのC級どころか、D級、E級映画を量産して、トロマムーヴィーを熱狂的に愛している方のようで、作品全体に漂う低予算映画への偏愛ぶりが、タランティーノよりも更に駄菓子感が剥き出しな形で提示されます。

 

ハーレイ・クインのデザインは、先行する作品で既に決まっているので、余り変更はできませんが、それ以外のメンバーのほぼ意図的にやっている、ダサいデザインはおよそハイバジェットなハリウッド映画とは思えません。

 

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ピースメイカー。見た目通りのマッチョキャラ!


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特殊な機械を使ってネズミを操ります!


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このおじさんがスーサイド・スクワッドのリーダーです!武器のエキスパートです!


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おかんに改造されてしまった、かわいそうなおっさんなのでした!


監督のトロマ愛が爆発するのはネタバレなので、言えませんが、やはり、終盤でしょうね。


散々カネかけて、ラストはそれですか?というね(笑)


余りにも豪快にくだらなくて、映画館で大笑いしました(笑)


コレは映画館で味わっていただきたいですなあ。


しかも、アメリカの悪行が暴かれていく事にもなっていき、それがお話しの核心部分になっていきます。


また、不意なキャメラの寄りと引きが頻出しますけども、アレは明らかに1970-80年代にイタリアで乱作された、いわゆる、「ユーロクライム」で多用された手法でして、予算がないので、グーンと顔に寄りまくるアングルを使っていたんですが(全体を見せなくていいので、お金を節約できるんですが、伯爵様であるルキーノ・ヴィスコンティも結構多用していました)、明らかにそれを意識したもので、当然ですが、現在の最新鋭の機材でやってますから、チープさは微塵もないです。


ユーロクライムとの関連でいえば、使われているサントラの素晴らしさと言ったらないですね(ユーロクライムのサントラのマニアは結構います)。


コレも「タランティーノ以後」という事はたしかに言えるんですけども、より若くてフレッシュ感覚ですね。


とにかく、本作は、映画館でゲラゲラ笑いながら見るのが一番ですし、それが一番の感染対策かもです。しらんけど!

 

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説明上省きましたが、このアタマにボルトが刺さっているおじさん、シンカーが、「スターフィッシュ計画」を独裁国家で進めていた人です!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川島雄三の大傑作!必見です!!

川島雄三『喜劇とんかつ一代』

 

 

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タイトルの豚のドアップからしてもう面白いです!

 


いやー、コレはもう最高でした!


平凡なタイトルからは想像もつかないような大傑作です。


登場人物の人間関係がやたらと複雑ですが、見ていてそれで訳がわからなくなってはきません。


近いものを言うと、ジャン・ルノワールゲームの規則』とかロバート・オルトトマン『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H』みたいに登場人物が多くてせわしないドタバタ喜劇です。


川島雄三というと、『幕末太陽伝』がつとに有名で、コレも登場人物がとても多い、ドタバタ喜劇ですが、こちらは居直り佐平次を演じるフランキー堺の驚異的なバイタリティ(しかし、彼は結核を患っているという設定です)であり、彼が物語を掻き回す中心になります。


それ故に物語として、整理されやすいですし、今見てもすごいテンポですけども、見やすいです。


が、本作は一応主役はとんかつ屋「とんQ」の主人を演じる森繁久彌だと思いますが、彼を中心に見た、登場人物たちの複雑な人間関係がこのお話の面白さになっているので、文章にするとどうしても煩わしいですが、少々お付き合いを。


コレを事前に読んでおくと、映画が見やすくなりますので(笑)。


「とんQ」の主人、森繁久彌は、上野動物園の近くにあるフランス料理店「青龍軒」(上野精養軒をもじったギャグでしょうが、フランス料理店というよりは中華料理店なのがすでにおかしいです・(笑))のシェフを演じる加東大介が、いずれシェフを継がせようとしているほど腕のある料理人でしたが、ある事を理由に店を辞め、とんかつ屋を開業します。

 

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ティールでスンマソン!森繁久彌淡島千景、芸者役の水谷八重子(メロンという名前です・笑)


更に厄介な事に、淡島千景演じる奥さんは加東大介の妹なんです。


で、この家に転がり込んでいるのが、加東大介の息子のフランキーのなのですが、彼はフランス料理をやるのがイヤで3年前に家を飛び出しています。


フランキーには恋人がいまして、コレが団令子なのですが、彼の父親は森繁久彌とんかつ屋さんに豚肉を精肉し、卸している業者なんです(山茶花究が演じてるいます)。

 

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ティールですが、メインキャストがズラッと出ているので、お得なスティールです!


コレ以外にも、フランキー堺の母違いの兄が三木のり平クロレラ研究をしてます)、日本文化を研究している(?)フランス人を岡田真澄、フランキー界が上手いこと秘書になった不動産会社の社長の増田喜頓などなど、とにかく可笑しいひとつばかりが出てくるんですね(笑)

 

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クロレラ研究を自宅で行う、三木のり平1964東京大会の前なんですね(笑)


で、昔の日本映画がお好きなだと、このキャスティング、森繁久彌主演の『社長シリーズ』のメインキャストがかなり重複してますよね?


本作を制作したのは、東京映画という、東宝の子会社でして、実は、『社長シリーズ』を作っていたのは、この会社でした。


なので、本作のキャスティングがかなり重複しているんです。


と、前置きが相当長くてなってしまいましたが(笑)、この社長シリーズのメインキャストをうまく流用して、川島雄三は、完全に自分の世界に作り変えてしまったのが、本作であり、川島の代表作の一つと言っても大袈裟ではない傑作です。

 


という事は映画史に残る作品なんですよね。


冒頭の「豚供養」からして、もうおかしく、森繁久彌加東大介の頑固くらべ、フランキー堺の、植木等とも違う巧みな世渡り、三木のり平クロレラを初めとする奇天烈な発明を使ったギャグなどなど、とにかく、ノンストップで展開する、現代の『フィガロの結婚』とも言えるお話です。

 

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ホントにあるのかどうか知りませんが、冒頭の豚供養のシーンで森繁と加東の確執が明らかにされます。


私、見ていてつくづく思うのは、コメディというのは、ホントに難しいと思うんです。


東宝ゴジラや若大将と並ぶドル箱シリーズであった、『社長シリーズ』は、現在の私にはちょっとたタルいんです。


同時に、子供の頃に衝撃を受けまくっていた、フジテレビの伝説的な番組『オレたち!ひょうきん族』の面白さを、現在の若い人に伝えるのは、とても難しいと思います。


総じてフジテレビのお笑い番組は、時代との結びつきが強すぎて、10年経つともうくすんだような感じになり、当時に感じたキレはもうないんですね。


コレは『社長シリーズ』にも同じ事が言えるのでしょうが、こちらは、ノスタルジーで見ることができる側面があります。


川島雄三作品は当時の風俗をふんだん入っているのですが(川島は大変な新しもの好きでした)、そういう部分はやはりくすんで見えますけども、肝心の話しや演出が今もってものすごいスピードとパワーを感じてしまいます。


コレは川島が、時代と寝ていない。という事を意味するのだと思います。


結婚狂想曲と頑固オヤジの意地の張り合い。というのは、古今東西どこにでもあり、恐らくは人類の歴史というのは、この2つでできているのではないかとすら言えるわけですが(笑)、ココを話の骨格にシッカリとすえ、それを映画を見る人が混乱しないギリギリのBPMと編集を設定して見せる。という方針が明確なのだと思います。

 

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森繁、加東、淡島の確執と意地の張り合いが話しをややこしくしております。


こういう事は作風はまるで違いますけども、エルンスト・ルビッチビリー・ワイルダーにも言えるでしょう。

 


兎にも角にも、全盛期を迎えての突然の死は余りにも残念ですが、遺された作品群は異様なまでに充実している、川島雄三の最後から2番目のタフガキならぬ傑作を是非ともご覧ください!

 

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ラストはいい感じで全部丸くおさまり、ミュージカルになって終わります!ギャフン!

 

 

 

川島雄三の余りにも早すぎた怪作!必見!

川島雄三『グラマ島の誘惑』

 


噂にはすごいと聞いてましたが、ここまですごい作品だったとは。というのが、見終わった後の率直な感想です。


1959年にこんなものすごい映画を撮っていた、川島雄三には、改めて畏敬の念を持ちましたね。


皇族の将校か乗っている軍船が故障のために、太平洋上の島、グラマ島に漂着したのですが、事もあろうに、彼らとその部下、従軍慰安婦、戦死未亡人、従軍記者を残して、兵士たちが軍船で島を脱出してしまいました。


しかも、その船はアメリカの戦闘機に撃沈されてしまい、彼ら彼女らはグラマ島に完全に取り残され、日本に帰る術を失ってしまった。という、ほとんどSFのような極端な設定なんですね(笑)


しかも、この皇族の兄弟が森繁久彌フランキー堺なんですよ(笑)

 

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グラマ島に取り残された2人の皇族。

 


『社長シリーズ』の面白い2人なんですよね。


まあ、悪い映画ですよ、どう考えても(笑)


兄弟の部下が桂小金治ですしね(笑)


当然の如く、ハッキリとは示されませんけども、森繁久彌演じる香椎宮為久は、恐らく、昭和天皇の仕種をかなりマネしているように思います。


見ていてハラハラしますね、ホントに(笑)


弟の為永は比較的マトモな思考の持ち主ですが、兄ともども浮世離れしているのは同じです。


コレだけでも現在はBS,CS等でも放映が困難なのですけども、更に困難にさせるのは、従軍慰安婦に沖縄出身者がおり、しかも、知的障害がある役なんですね。


コレを、なんと、宮城まり子が演じていますね。

 

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白黒でスンマソン!宣材用の写真ですね。

 


彼女は敬虔なクリスチャンとして、大変な人気がありながら、1960年代末には芸能活動を一切辞めてしまい、「ねむの木学園」の創立、運営に生涯を捧げた人です。


また、お話の途中でグラマ島の原住民と称する男が出てくるですが、コレを三橋美智也が演じてまして、まあ、要するに、アダモちゃんなんですね。

 

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まさか、三橋美智也が「アダモちゃん」とは。。

 


という、二重にも三重にも物議を醸しすぎる設定は今日ではテレビでの放映はほぼ不可能であると思います。


しかし、コレが『鬼滅の刃』のケタ外れの大ヒットによって、東宝に大変な収益が入ったためなのでしょう、東宝が入手困難だったり、初DVD化のソフトをかなり発売してくれまして、その中に本作があったんですね。


よって、ようやく、容易に見ることが可能となったんです。


さて。


この、女性だらけとなった島なのですが、森繁親王は、いつものライフスタイルを一向に変える事なく、慰安婦たちを召使いにしてこき使うんですね。

 

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それを本人はなんとも思わない。

 

しかも、事もあろうに子供まで作ってしまうんですね(笑)。


もうギリギリですよ、コレは。


従軍記者の2人は、何の疑いもなく皇族よ2人を給仕する姿をおかしいと思い、一切関与しようとしません。


慰安婦の1人を演じる、轟夕起子(!)が、帝国軍人のマチズモ剥き出しのキャラである、桂小金治と同棲生活のような事をしたり、非常に歪な社会が形成されていくのを、あえてリアリティ薄いコメディタッチで描いているのが、かえって異様でして、今村昌平『神々の深き欲望』の先駆のようなものを見ているような感じですね。


また、戦争未亡人役が八千草薫であるのも唖然としますね(笑)


しかし、本作はこういうブラックユーもたっぷりな島の生活を、描く事に主眼があるのではなく、問題は後半なのです。


どう森繁やフランキーたちが生還したのかの説明は一切省きますが、この作品は、戦後、すなわち、この映画が撮られた1959年の現在を描いているところに実は核心があります。


当時は米ソの冷戦が、核兵器の開発競争という、不毛な方向に発展し、それはやがて、「キューバ危機」にまで発展してしまうのですが(コレが21世紀になっても未だに続くアメリカのキューバへの敵視政策の原因です)、日本においても、1954年にアメリカ軍の太平洋上での水爆実験の際に、遠洋マグロ漁のために出港していた、第五福竜丸の乗組員が知らずに水爆実験によって生じた放射線を大量に浴びてしまったという事件がありました外交問題にまで発展しましたが(アメリカ政府は賠償金を払った事で一切の責任を負わない事を日本政府と合意しました)。


本多猪四郎ゴジラ』が制作された背景ともなった、第五福竜丸事件ですが、川島雄三もまた、この事件を踏まえて本作を作ったと思われます。

 

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言わずと知れた、『ゴジ』の第1作です。

 


スタンリー・キューブリックの凍りつくような傑作、『博士の異常な愛情』が公開されたのが1964年ですけども、それよりも5年前に、こんな破壊力満点の映画を作っていた川島雄三は、やはり、恐るべき監督と言えます。

 

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本年のベストと言える傑作!なのだがががが!

スパイク・リー『デイヴィッド・バーンのアメリカン・ユートピア

 


本作は2018年に発表された、デイヴィッド・バーンのアルバム、『American Utopia』のいくつかのライブの様子を撮影した作品です。


ただし、ライブの模様を撮りました。的なラフなものでは決してなく、相当に用意周到な準備のもとに作成されたもので、もともとのライブも、バーン以下、ミュージシャンやダンサー、照明などなど、相当なリハーサルがなされた、近年稀に見るような完成度を誇るライヴであり、それを撮影するために、用意周到な準備がスパイク・リーとバーン双方によってきめ細やかになされたものである事は、完成された作品を見るに、想像に固くないです。


率直に言って、一体、どうやって演奏し、しかも、機材トラブルもなく音がアウトプットされているのか、どうやって撮影しているのだろう?と思われるようなシーンの連発で、まずその技術のすごさに驚いてしまいました。


というのも、ライヴには、当然ながら演奏するための機材が多く持ち込まれるのですが、それらに一切配線がないのです。


要するに、すべて、ワイアレスで繋がっているのですが、それは必然があってやっています。


バーンは、「ライヴというのものは、何を見にきているのだろう?」と今回のツアーをするにあたって考えたらしいのですが、彼の結論は「人を見に来ているのだ」というシンプルなものでした。


なので、それ以外の要素はすべてステージから消してしまおう。と考え、まず、楽器やPAがステージから消え、ミュージシャンたちも全員同じ色の衣装を来て、ステージを自由自在に動けるようにしました。

 

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パッと見ると、ロックのライヴに見えません。

 


ドラムセットすら解体し、この人はスネア、この人はバスドラ、この人はパーカッションと、打楽器群をまるでニューオリンズセカンドラインのように分担して、身体に固定して動き回れるようにしているんです。

 

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キーボードもそうしています。


コレによって、ミュージシャンがステージを目一杯使って動き回るのですが、その動きはすべて事前に決められたもので、驚くほど統率が取れています。

 

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こうなるとステージ上には、全く何もなく、色も単色で、ステージの背後に簾状のカーテンがあるだけです。


コレも重要でして、コレまた極めて計算されて動き回るミュージシャンの動きにピッタリと合わせた照明の演出が寸分違わず行われるのです。

 

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このすべてが完全に計算され尽くした演出には、正直、唖然としっぱなしでした。


しかも、演奏もバーン以下、誰一人としてよたっているひとがおらず、鉄壁の演奏です。


バーンのヴォーカルは、アルバムでのものよりも遥かに若々しく、力強いのに驚きます。


アルバムのバーンは、ある意味、年相応のヴォーカルでして、それはそれでしみじみとした味わいがあって私はとても好きなのですが、ライヴでのバーンの声の張りは、まるで、トーキング・ヘッズの頃のようであり、出来のよいものをチョイスしているとは言え、コレだけ計算しつくしたライヴでは曲順はそうやすやすと変えられないでしょうから、後半では声が出なくなってくるのかと思いきや、一切そういう場面が無いのです!


Protools などでピッチは修正はしていると思いますが、コレは驚異でした。


また、レコ発ライヴなので、新作をメインとしたライヴなのですが、トーキング・ヘッズの初期から現在まで満遍なく選ばれた曲の演奏に全くバラつきがらなくまるでこのライヴのためにすべて作曲されたようにアレンジされている事にも驚きました。

 

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トーキング・ヘッズと言えば、『Remain in Light』がオススメです!


ほとんど観客を写さず、ステージを映すことに徹したキャメラワークも素晴らしいですね。


観客は映画館にいる皆さんであるという事であり、殊更見せる必要ないという徹底したものです。

 

それにしても、バーンとスパイク・リーというのは、2人のこれまでのキャリアを考えるとともにニューヨークを拠点にしている事くらいしか共通点は見出せません。

 

バーンはニューヨークのミュージシャンらしく、恐らくは民主党支持者でしょうし、ライヴ内でも、若い人たちが選挙(とりわけ、州の選挙)に投票する事の大切さを訴える場面があるものの、彼の音楽はそれほどダイレクトに政治や社会へのメッセージを伝えるようなものではない事は、トーキング・ヘッズ時代から一貫しているような気がします。

 

コレに対して、常にアメリカ(とりわけ白人優位社会である事に対してですが)への怒りを常に作品の中でぶつけている、スパイク・リーは、水と油であるように思えます。

 

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近作『ブラック・クランズマン』は久々の快作でした。


しかしながら、リーはバーンの計算され尽くした世界を非常に的確に撮影するという仕事に徹しきっていて、ある意味、彼の作品の中で最も職人的な仕事に徹しきっています。


が、しかしながら、やはり、スパイク・リースパイク・リーでして(笑)、どうしてもBLMを無理くりねじ込んでくるんですね。

 

私は映画に政治的メッセージを込めるな。というつもりはありませんが、バーンの極めて穏健的な政治姿勢と、普段のリーの言動はどうやっても折り合いがつくとは思えません。


バーンとしては、スパイク・リーを起用するという事は、BLMをダイレクトかつ強烈に押し込んでくる事は折り込み済みだったと思います。


バーン自身もライヴ内で「私自身も変革しなくてはならない」と言って、ある曲をカヴァーするのですが、それは明らかに全体の流れを悪くしており、リーが後で撮影した絵も、とても違和感がありました。


本作の最大の社会的メッセージは、「私はスコットランド人で、アメリカに帰化しました。そして、バンドのメンバーは、カナダ人やフランス人、ブラジル人と外国人ばかりです。彼ら彼女らがいなければ、このバンドは成立しません」というものであり、明らかにトランプ大統領の移民排斥への批判を行なっているんですね。


当然ながら、ここにはBLMへの批判が包含されているはずなのです。


彼は黒人だけでなく、ありとあらゆるマイノリティへの寛容の精神を訴えているわけです。


そんな移民国家アメリカを「Utiopia」とすら呼んでいるバーンの音楽に、殊更、BLMのダイレクトなメッセージを込める意味は私には必要ないと思いました。


私には、とてもワザとらしく、薄っぺらいものに感じてしまいましたし、コレがアナタの望んでいたのものなのですか?とリーには言いたくなります。


リーに言いたいのは、映画というのは、政治的プロパガンダではないのではないですか?そんな程度の低いものですが、映画というのは。という事なのです。


彼の怒りは、アメリカという国のありようを見ていれば、イヤというほとわかりますし、私たちアジア系の人間が一部の白人たちから向けられる眼差しもまた同じである事であるも知っています。


それでも、私は映画人としての彼が時折映画の中でやってしまう事は容認しがたいものがあります。


些か個人的な怒りが過ぎましたが、以上の点を除けば、信じがたいクオリティの作品であり、しかも、映画館で体験する事こそが最良の経験と思われるのです。


客観的に言って、本作はスパイク・リー最高傑作と言ってよく、ジョナサン・デミを世界的に有名な監督に押し上げた、ライブ映画の傑作、『ストップ・メイキング・センス』と双璧と言ってよいのではないかと思います。  


とにかく、映画館で上映されているのでしたら、万難を拝して見るべき作品であると思います。

 

 

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本作を出したレーベルが「todo mundo」なのを、リーはもう少し考えるべきです。