原一男『水俣曼荼羅』
強烈な映画を撮り続ける原一男監督は拍子中するほど穏やかでユーモラスな方です。
制作年数なんと20年!(編集だけで5年かかったそうです)、上映時間6時間を超える超大作ドキュメンタリー。
2021年に、フレデリック・ワイズマン『ボストン市庁舎』という、コレまた大作のドキュメンタリーが公開されていましたけども、コチラは4時間半です。
それを遥かに超える大作というのは、さすがにたじろいでしまいますが、かの『ゆきゆきて、神軍』を撮った原一男監督ですから、やはり、何かあると思い、思い切って見に行きました。
映画は三部構成になっており、それぞれが「水俣病とは何か」「水俣病の歴史」「水俣裁判、そして人間讃歌」という内容でそれぞれがおおよそ2時間なので、まあ、行って仕舞えば、封切り映画を3本連続で見ているようなものなので、まあ、頑張れば見れますよ(笑)
マーベルコミックの映画化は大変膨大な数で、今なお増え続けてますけども、いどれともこれも上映時間時間が140-60部くらいありますが、コレを3本見るよりも遥かにラクではないのですか。
閑話休題。
本作はかつて土本典昭監督が作ったような、かなり強面な水俣病に関するドキュメンタリー映画ではなく、むしろ、メインとなっているのは、水俣病患者たちの日常生活であるところに特徴があります。
日本のドキュメンタリー映画の巨人の1人、土本典昭。
とはいえ、国や熊本県の責任問題を描いていないわけではないです。
しかし、それはこの作品の10%にも満たないものです。
第一部はほとんどの方にとって衝撃であろうと思われますが、実は水俣病は国が作った判定基準がそもそも間違ったまま、2000年代まで放置されていた。という事実が明らかにされます。
しかし、熊本大学医学部教授浴野成生(えきのしげお)と二宮正助手(当時)らによって、水俣病は大脳皮質がメチル水銀によって破壊された事による、感覚障害である。という論文が発表された事により、国の水俣病の認定基準が根底が覆ってしまいます。
浴野教授の飄々としたキャラクターは実に印象に残ります。
不勉強は私は、この事実すらわかっていなかったんですね。
水俣病と言いますと、かの、天才写真家、ユージーン・スミスが作った衝撃の写真集『MINAMATA』のイメージですよね。
天才写真家、ユージーン・スミス。
学校の教科書にすら掲載された、『MINAMATA』の衝撃的な写真!よくも悪くも水俣病のイメージを作ってしまいました。
手足が震え、身体が捩れてしまっている人々の痛々しいまでの姿です。
しかし、それは水俣病の激症患者の姿であり、それは患者の一部でしかないんです。
大半の水俣病患者というのは、外見ではわからないのです。
しかし、視野狭窄や聴覚障害、味覚障害がなどが大脳皮質の損傷箇所やその損傷の程度によっていろいろな程度になっております。
幼少期に水俣病になってしまった人は、その感覚障害が当たり前のものとして生きており、気がつかないままになっている人も未だにいる可能性があります。
脳の損傷は本人が気が付かないところがコワイですね。。
旧厚生省が水俣病患者の認定基準から、この人々は全員漏れてしまい、要するに、水俣病患者のほとんどは認定されてきませんでした。
このことが患者やその家族たちを激怒させたのは必然であり、それを撮影していたのがユージーン・スミスであり(彼もこの撮影で大怪我を負い、写真家としての活動を断念せざるを得ない程でした)、土本典昭の映画でした。
よって、この2つの作品から湧き上がる凄まじい怒りは、そこにあるわけですね。
本作の強みは、環境省(現在、水俣病の管轄は環境省です)やってました熊本県を大混乱させるという、とてつもない事をしでかしてしまった、浴野教授が、実に飄々とした方であり、様々な批難や中傷を受けていながらも、当人はいつもニコニコとしながら、淡々と研究を続けているところです。
コレは助手である今井さんにも言えることでして、たんなる酔っぱらいオヤジと化している姿も映っております(笑)
第二部は、水俣病の歴史がメインでして、何と、原監督みずから水中カメラを持って、水俣湾に潜って撮影し、現在の様子を見せたりと、相変わらず無茶な事をしています(笑)
福島第一原発のドラム缶と何が違うのでしょうか。。
メチル水銀を不知火海に放出した、チッソは、汚染された海底のヘドロをかき出し、それをドラム缶に封じ込め、水俣湾の埋め立て地にそのドラム缶を埋めているんです。
漏洩しないように、周囲を外壁に覆っていますが、腐敗防止のためのアルミニウムはもうボロボロです。
県はこの事実に向き合っているようには見えません。
メチル水銀の毒性は埋めることで特に弱まったりはしません。。
第二部はメインとなる男性の患者さんをすえながら、水俣病の歴史が明らかにされるのですが、この患者さんの明るいキャラクターが実に楽しいです。
この夫妻の歴史もまた、とても味わい深いです。
土本典昭のドキュメンタリー映画やNHKが水俣病が社会問題化し始めた頃に作られた番組の問題点も指摘されています。
第3部は、なんと、女性患者の恋愛遍歴が明らかにされていくという、まさに、原一男の独断場を描きつつ、最高裁での勝訴判決を受けての環境省、そして、熊本県県知事椛島郁夫との交渉という、いわば、クライマックスを描いていくのですが、コレはネタバレでも何でもなく、事実なので書きますが、水俣病問題は現在まで何の解決もしていないという、冷酷な事実が突きつけられますが、この映画の凄さは、それでも患者たちは明るく生きていく姿を映しているところですね。
彼女の男性に惚れっぽく、明るく生きる姿はホントに素晴らしいです。
国は浴野論文で根拠を失い、反論すればするほど論理が破綻している事が明らかになる事を恐れ、水俣病認定を求める裁判で、呆気なく「認定します」と宣言したり、補償金払うので、もう訴訟はやめてくださいね.としたり(実際、コレで多くの人は訴訟団から離脱してしまいます。たかだか1人当たり210万円です)、裁判それ自体を無効にするという、呆気に取られる戦術を取ったり、先代の天皇皇后を水俣市に訪問させ、患者と面談させたり、更に浴野論文を認めた上で、やはり認定しないという方式で、水俣病の風化と忘却を促進させております。
環境大臣として小池百合子が患者たちと向き合うのが実は本作の冒頭です。
元熊本県知事、潮谷義子。頑として国の水俣政策を変えるための尽力をしませんでした。。
ラスボス感満点の現熊本知事、蒲島郁夫。口では水俣病認定を進めると言ってますが、現実は冷酷に申請のほとんどを却下しています。
本来、このような人々を救うのが国会議員の仕事なのですが、本作で救済に動いている国会議員は全く出てこない所に驚きを隠せませんね。。
本作を見るには、1日潰す覚悟です見なくてはなりませんが(DVDの発売はプロデューサーが営業しているようですけども、未定です)、それに見合うものがある傑作だと思います。
追記
本作で一番衝撃を受けた発言を残しておきます。
一度映画館で見ただけなので、記憶違いがあるかと思いますが、そのままのせます。
「大脳皮質が破壊され、視覚や聴覚に障害があるという事はどういう事でしょうか。それは認識に問題が起きるという事です。なぜなら、人間は感覚器からの情報を大脳皮質に伝える事でものごとを認識しているからです。もし、認識に問題がある人々か多くなったらどういう事になりますか。それはコミュニケーションに問題が起きますね。コミュニケーションに問題があるという事は相互理解ができなくなる。相互理解ができなくなれば、戦争が始まります。デモクラシーが成り立ちません。水俣病の本質はそこにあります」
「美味しいものを食べてもわからなくなる。つまり、水俣病は人間から文化を奪っているんです」