手塚治虫オマージュが込められた室町時代のロッキーホラーショー!

湯浅政明『犬王』

 

 

なんなのだ、この大傑作は!


とにかく浴びるように映画館で見るべし!

 

スマホで見るなど論外です。


「浴びる」事でまずは全身を感動させ、然る後にディテールを確認するためにサントラやDVDで隅々までチェックする。


コレが本作を見るための作法であり、それ以外はないのです!


さて。


犬王ですが、実は実在の人物なのですね。


能楽の祖とされる、観阿弥世阿弥が活躍した、室町時代初期に活躍した、天才猿楽師なのですが、じつは彼の演目は全て散逸してしまったため、どのような演舞をしていたのか、実はまったくわかりません。

 


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足利義満はアニメ『一休さん』とはエラく風貌が違います。

 

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義満の寵愛を受ける、世阿弥

 


要するに、どういう人物だったのか、よくわからない人なんです。


コレを大胆にロックオペラとして作り上げたのが本作なのです。


室町時代の京都を舞台とした、『ロッキーホラーショー』なのですよ、コレは!


そして、本作には、もう1人の主人公がおりまして、それが琵琶法師の友魚(ともな)です。


なので、タイトルとしては、『犬王と友魚』でもよいのですが(実際、そういう内容です)、敢えてそうしていないんだと思います。


ご覧になった方はすぐに気がついたと思いますが、犬王のモデルは手塚治虫の『どろろ』です。

 

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失われた身体を取り戻すために戦う百鬼丸は、『ベルセルク』のガッツにも影響を与えました。


どろろの主人公、百鬼丸は、戦国時代の父親の野望実現のために、肉体のほとんどを悪霊に奪われてしまったという設定になっており、義手や義足をつけて、悪霊たちを倒す事にもとの身体を一つずつ取り戻していくお話しになっていますが、犬王もまた、天下一の猿楽師となるために、悪魔と契約をし、息子の肉体を与えてしまいました。


その結果、まるで怪物のような存在として生まれてしまうのです。


百鬼丸の基本設定と全く同じですね。


しかし、全く違うのは、犬王は踊りの奥義を身につける事によって、身体がもとに戻っていくというところなんです。


つまり、異形の肉体を持った猿楽師。という設定を大胆に作り出しているんです。

 

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犬王には始めは脚すらまともな長さがありませんでした。


コレに対してもう一方の主人公、友魚は、あの平家が滅亡し、安徳天皇三種の神器が海に沈んだ壇ノ浦で生活している、いわば、漁民兼トレジャーハンターの一族の子です。


しかし、とある人物から失われた三種の神器の1つ、草薙剣の捜索を命じられ、言われるがままに父と協力して見つけるのですが(案外簡単に見つかるんですけども・笑)、その剣の持つ霊力によって父親は死んでしまい、友魚は失明してしまいます。


こうして、友魚は琵琶法師として生きていく事となり、諸国を放浪しながら、師匠の谷一とともに平家物語を歌うようになり、やがて、京都までやってきます。


谷一は、京都の琵琶法師の座である、「覚一座」に所属しており、友魚もこの座の一員として認められて、友一(ともいち)と名乗るようになります。

 

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友魚はやがて、斬新な平家物語を歌う、ほとんどロックスターへと変貌していきます。

 

この、友魚が何度か名前が変わっていくの事がお話しの重要な伏線になっていますが、ネタバレになりますので深くは立ち入りません(煩わしいので、友魚で統一します)。


怪物として生まれたため、父からも彼の座の一員からも疎んぜられていた、犬王は、持ち前の並外れたバイタリティで無手勝流に踊りを身につけていくのですが、やがて、勝手に犬王の猿楽を踊るようになります。

 

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犬王の奇抜な演舞は本作の見せ場です!


その内容な奇しくも平家物語なのでした。


この主人公の二人には、平家側についた武士たちの無念の霊たちを見る事ができ、2人の音楽や踊りは、この霊たちを成仏させるために行うものなんですね。

 

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しかし、その踊りや音楽が完全に70年代のハードロックであり、犬王の動き、マイケル・ジャクソンだったり、チェコスロヴァキアの体操選手のヴェラ・チャフラフスカ、ひいては、日本でも長年上演されている、ピーター・パンであったり(文献には、犬王は天女の舞が得意であったとあり、そこから拡大解釈した演出ではないかと思います)、もう破天荒の極みなのですね(笑)。


従来の芸能を打ち破る二人の天才の爆発が、このお話の最大の見どころであり、湯浅政明の見事な演出、そして、大友良英の驚くほどの王道ロックな音楽、そして、犬王を演じるアヴちゃんと友魚を演じる森山未來の歌の素晴らしさにとにかく圧倒されっぱなしです!

 

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アヴちゃんという稀有な存在なくして、本作は成立しなかったでしょう!

 


一見、破天荒な設定のお話なのですが、時代考証は驚くほど精緻に行われていて、絵や美術の素晴らしさにはとにかく驚きます。

 

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室町の庶民の描き方の丁寧さには驚きます!

 


この世界観に一切手抜きのないところに、犬王や友魚の飛躍が荒唐無稽とならない秘訣があるのでしょう。


この二人の評判はやがて足利義満の知るところとなり、このお話はやがて、「政治と芸能」という、古くて新しい問題に向かっていきます。


本作が大変な傑作に高められるのは、やはり、この問題に正面から挑んでいるからであり、それは、今日の日本に於いても抜き難い問題である事を私たちに、犬王と友魚を通じて突きつけられているからですね。

 


この2人の対照的な生き様は、手塚治虫の傑作『火の鳥 鳳凰編』にも通じるものを私は感じました。

 

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茜丸と我王の対象的な生き方を通じて、「表現とは何か?」を描き切った『火の鳥鳳凰編』。

 


一方は名のみ残り、もう一方は名すら残らない。という、この残酷さ。


100分にも満たない長さでこの物語を描ききったのは、見事だと思います。

 

 

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2人の友情は永遠破滅です!

 

 

 

 

 

 

 

 

おじさん達の涙腺を刺激しまくるまさかの痛快作!

ジョセフ・コシンスキートップガン マーヴェリック』

 

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まさかの続編がとうとう公開です!

 


この作品の続編を望んでいた人はほとんどいなかったと思いますし、やる必然性もほとんど感じなかったです。


正直なところ言いまして、トム・クルーズが続編を作りたいと考えているのがメディアから伝わって来たとか、「はぁ?」とか思えなかったです。


しかしながら、「これ、かなりよい」という感想がネット上で結構出てきましてですね、コレは行ったどういう事なのか?と思いまして、たまたま時間があって見に行きましたら、予想を遥かに超える痛快作なのですよ、コレが!


まだ公開したばかりなので、内容に深く立ち入るような事を書くつもりはございませんが、前作を遥かに超える作品であると言って良いと思いました。


トップガン』と言えば、アメリカ海軍の全面協力による、ホンモノの戦闘機を用いたものすごいアクションがウリな訳ですが、それが現在の撮影技術を使って、もっとすごいものを提供している事は保障いたします。

 

そして、コレを映画館で見るだけで、充分に元が取れます。


しかし、私が感銘を受けたのは、実はそこではありません。


トム・クルーズは、良くも悪くも本作によって、世界的な知名度を得たわけですけども、その後の彼が目指していたのは、なんと、アカデミー賞でした。


が、それは残念ながら、彼の力量不足が如何ともし難いものがあり、叶える事はできませんでした。


そこで彼が目指したのは、内面を持たない記号的な役割を持つ主人公です。


「記号的役割」というと、なんだか悪い意味のように聞こえるかも知れませんが、そうではないのです。


記号的。であると言うのは、誰でもないということであり、それはいい同時に誰でもあると言う事なんですね。


つまり、観客が移入できるキャラクターなんです。


例えば、『トップガン』に出演したヴァル・キルマー演じるアイスは、トム・クルーズ演じるマーヴェリックのよきライヴァルを演じておりますが、彼を主人公にしてしまうと、見る側は感情移入しにくいんです。

 

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ヴァル・キルマー演じるアイスなくして『トップガン』は考えられないでしょう。


ヴァル・キルマーは大変素晴らしい役者であり、いろんな役を演じる事のできる人ですけども、内面がシッカリとありすぎるわけです(それが悪いと言ってるのではないですよ、念のためですな)。

 

クルーズは、いつの時点かはわかりませんが、アクションスターとして記号の役割を果たしていこう、画面では、ひたすら「アクションする記号」であろうとする事を極め、それはやがて、バスター・キートンジャッキー・チェンのような、スタントなしで驚くべきアクションをこなす、イーサン・ハントという、マンガのような超人を生み出すに至ったわけです(なんと、すでに2023年に新作公開が決まっております)。

 

バスター・キートンという、サイレント期に大活躍した喜劇俳優は、もっぱら、その驚異的な身体能力を駆使して、とてつもない作品を作り出していましたが、よく考えると、その内面がまるでない存在を演じていました。

 

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時代を経るごとにその評価を高めている感すらある、バスター・キートン


現在の映画のようなキャメラワークも編集技術もない映画に於いても、すごいと思わせる映画を見せるためには、必要以上に危険なアクションをしないとすごさが伝わりません。


バスター・キートンのスタントマンを用いないアクションは、一歩間違うと死んでしまうような危険なものばかりですけども、それをあの独特な無表情で何という事もないような感じでこなしております。


「すごいアクションをこなす、内面ない存在」というのは、実は、トム・クルーズが演じでいるキャラクターと同じですよね。


『ミッション・インポッシブル』のイーサン・ハントのアクションはあまりにも凄すぎて、最早リアリティが失われており、それを平然と行う彼の内面はよくわからず、匿名の存在をなのですね。


極端な事を言えば、ダーク・ボガードやマガリ・ノエルでは、イーサン・ハントにはなり得ないんですね(笑)。


そして、ジャッキー・チェンです。

 

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カンフー映画にコミカルな要素を導入したジャッキーの功績はあまりにも多いですね。


1970年代に数多くのカンフー映画の主演をこなした後、自らの作家としてのエゴを示し始めてからの諸作品のジャッキーはどの映画でもジャッキー・チェンという、陽気で正義感の強い、やや直情径行のあるキャラを演じていて、そこにはあの驚異的としか言いようのない、カンフーアクションにキートン的な危険なアクションを3次元に発展させて繰り広げているのですが、このコミカルと凄絶がないまぜになったようなアクションを誰よりも正統的に継承しているのが、トム・クルーズなのですね。

 

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プロジェクトA』はその後のジャッキー・チェンを決定づけた傑作です。


彼はスターでありながら、ジャッキーのそれと同じ意味で作家になったのだと思います。


ジャッキーがアクションとともに得意とするのが、コテコテとしか言いようのない、時には古いアメリカ映画をそのまんまパクったようなドタバタコメディです。


私はジャッキーのアクションと同じくくらいにこの肉感的な、人種や国籍、文化などの要素に余り左右されないコメディ作家である事は、とても重要な要素だと思うのですが、本作はその要素が幾つも出てくるのですね。


トップガン』ってそんなドタバタコメディみたいなノリでいいのか?と思うくらいに不安になるのですが(笑)、とにかく面白いので、そんな事はもうどうでも良くなってしまうのです。


この問答無用の演出力は、恐らくはトム・クルーズのアイディアだと思う思われます(本作の実質的な監督はトム・クルーズなのでしょう)。

 

この発見こそが私の最大の驚きでしたね。


戦闘アクションでビックリさせ、コメディて笑わせたら、後残るは泣かせるという要素が残るのですが、コレもちゃんとあるのです。

 

そこがこの作品に深みを与えているのであり、これだけの月日を経ての続編である事の必然性を与えています。


最早、『トップガン』は古典的作品でありますから、盛大にネタバレさせても問題ないと思いますが、重要な登場人物にグースという、マーヴェリックの相棒が出てきますが、彼は戦闘機のトラブルによって不慮の死を遂げています。

 

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グースとマーヴェリック。このコンビの話が今回の最大の伏線です。


実はその息子がトップガンの一員として、マーヴェリックのにも姿を現すことになるのですが、その当時シーンが実にうまいですね。


えっ、あの時ピアノに座ってはしゃいていたあの子がこんなになったの?というのもビックリなのですが、グースに驚くほど似ています。


このグースの息子、ルースターとのドラマが実はメインドラマになっています。


あたかも、黒澤明作品における、志村喬三船敏郎のような、「父」と「子」のドラマが展開するんですよ。


この辺は前作を見た人にはかなりたまらないものがあると思います。


ここは、ライアン・クーグラークリード』が、まさかの傑作であったという事と軌を一にするものがありますね。


そして、もう一つトップガンおじさん達の涙腺を刺激しまくるヴァル・キルマーの出演です。


どこでどのように出てくるのかは言いませんが、大変重要なシーンで出てくるんですね。


こういうドラマ部分が薄味で軽薄にすぎるところが前作の最大の欠点であったと思いますが(故にヒットしたのだと思いますけど)、今回の話には、トム・クルーズの人間的な深みがキチンと織り込まれていて、見ていて驚きました。


誰でもない人(つまり誰でもある人)を演じ続けた、ハリウッドスター、ジェイムズ・スチュアートに並んだ。とまでは言いませんが、トム・クルーズが肉体的人衰えた後に目指すべきものが何であるのかが、見えてきた気が私にはしました。


トップガン』に過多であった、フジテレビのトレンディドラマが継承したであろう薄っぺらいチャラさや、エアコンが効いてないのでは?としか思えないシズル感は程よく本作にも継承されていて、オールドファンをちゃんと安心させる配慮をしているのもさすがだなあと思いました。

 

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本論では言及しませんでしたが、ジェリファー・コネリーがはバツグンに素晴らしいです!


見ていて初めて気がついたのですが、『トップガン』二部作は、いずれもジェリー・ブラッカイマーがプロデューサーなのであり、そう言われてみれば、彼のイズムがものすごく貫かれている作品だよね。という事にも気がつきました。


最後に。


中国からのクレームでポスターから消えた日の丸と青天白日旗満地紅旗が入った、マーヴェリックのジャケットを思い切り大写しにする映像を敢えて映画の中に入れているのは、アメリカ海軍の全面協力で製作されているという、本作の性格を考えると、現在のアメリカの対中政策を考える上でも見逃してはならないでしょう(そこには日の丸も存在します)。


それは公開時期とアメリカ大統領のタイミングかピッタリ合っている事が偶然ではないという事からも容易に想像されます(前作もレーガン政権におけるたいソ連政策を反映した国策映画であると側面が濃厚です)。


とにかく、本作は映画館で見なくてはほとんど意味をなしません(スマホで見る等問題外です)。


是非とも映画館でご覧ください。


特に前作を見なくても充分に楽しめるつくりになっていますので、ご安心を。

 

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2022年、なんでスパークスが急に注目を浴びているのか?

レオス・カラックス『アネット』、

エドガー・ライトスパークス・ブラザーズ』

 

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現在のスパークスのお二人。左が兄のロン、右が弟のラッセルのメイルズ兄弟です。この2人を不動のメンバーとするのがスパークスです。


スパークスというロックバンド、というか、メイルズ兄弟によるユニットをご存じだろうか?


実は未だに日本のロックファンには、知る人ぞ知る存在なのかもしれないですね。


2022年時点で、ほぼ50年、休止する事なく活動し続けている、脅威のユニットなのですが、その次々と作風を変えていくあり方が、なかなか実体が掴みづらかったのか、なかなか日本では紹介されてこなかったように思います。


日本では、熱狂的なスパークスのファンである、岸野雄一さんが編集された当時の最新作、『Hello, Young Lovers』までの紹介を行った本が出ていましたが、現在な入手が困難です(私はこの頃の来日公演で初めて彼らの音楽を知りました)。

 

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あらゆるカテゴリーで説明できない岸野雄一さんもまた、スパークスの熱烈なファンです。

 

 

そんな彼らが関与、または出演している映画が、2022年の日本で相次いで公開となったのは、ホントに驚きでした。


『アネット』は、音楽と脚本を担当してしており、コレを監督したのが、レオス・カラックスであるのも驚きです。

 

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寡作なカラックス監督が、スパークスと組んでミュージカルを作るというのは全く予想だにしませんでした(注、ネットに答えがありました・笑)。


およそ、スパークスとカラックスが結びつく点はほとんど見いだせないですから(注、前作『ホーリーモーターズ』でスパークスの音楽を使っていたのでした!すみません!カラックス、やはりすきだったんですね、スパークスが)。


コレは大丈夫なのか?無茶苦茶なことになってやしないだろうか?とかなり不安でしたが、劇場で見てそれは杞憂である事がわかりました。


結論から申し上げれば、コレはまごう事なきスパークスによるミュージカル映画であり、現場監督はカラックスというもので、カラックスは相当にエゴの強い監督だと思いますが、本作はメイルズ兄弟の脚本と作詞、作曲、編曲を活かす事に徹しきっている事が見ていてわかります。


スパークスの企画にカラックスが心底感銘を受けのでしょうね。


お話しの筋は極めてシンプルで、過激な芸風のスタンダップ・コメディアンのヘンリー(アダム・ドライヴァー)と世界的ソプラノ歌手のアン(マリオン・コティヤール)の間に生まれた子どもがアネットなのですが、ヘンリーは、気分屋で酒癖の悪い男であり『天才型にありがちな事ですが)、やがてコメディアンとしての人気に翳りが出てきます。

 

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ヘンリーとアン。

 

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ヘンリー・マケンリーの過激なスタンダップ・コメディは必見です!


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世界的なソプラノ歌手、アン。

 


夫婦の仲も悪くなっていくのですが、ヨリを戻すために、ヨットで一家は船旅に出ます。

 

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ある日、アンはヘンリーが6人の女性にテレビで告発される夢を見ます。「ヘンリー8世の6人の妻」を暗示していますね。


しかし、嵐に見舞われた日にまたしても飲んだくれてしまうヘンリーは、不可抗力でアンをヨットから突き落としてしまい、殺してしまいます。


ヘンリーとアネットのみがなんとか救命ボートで脱出するのですが。。という、ところまではネタバレさせても問題ないところです。


ミュージカルですから、お話しのスジはさほど複雑でもなく、メインの登場人物はヘンリー、アン、アネット、そしてここではどこでどう絡んでくるのか説明しなかった、アンの伴奏者で指揮者(サイモン・ヘルバーグ)しかいません。

 

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指揮者がどう話に絡んでくるのかは見てのお楽しみに。

 


このシンプル極まりないお話を極上にしているのが、なんと言っても、スパークスの音楽なのですね。


スパークスはカリフォルニア出身のロンとラッセルのメールズ兄弟を不動のメンバーとするバンドでして、アメリカではあまり芳しい評価が得られず(初めはハーフネルソンというバンド名でした)、イギリスに渡ってから評価が高まり、主にヨーロッパで評価されました。


ヨーロッパで評価されたアメリカ人のミュージシャン。というのは、別にスパークスが初めてではありませんが(ジミ・ヘンドリクスやウォーカー・ブラザーズが先行しておりますよね)、彼らはアメリカでの評価よりもヨーロッパでの評価が今でも高く、ヘタをすると、イギリス人のバンドと勘違いされているくらいなのです。


その毒のあるユーモア、ラッセルの驚異的な音域を活用した、ロンの作曲、美男子のヴォーカルとまるでアドルフ・ヒトラーのような風貌のキーボード奏者という、不思議なキャラで、時にグラム・ロックのようないでたちになったり、パンクに接近したり、テクノポップになったりと、ものすごい振幅で音楽が変貌していくので、アメリカの西海岸のロックバンドとは思えなかったのでしょう。


アメリカのロックが持つマッチョさが一貫して欠如しているのも、イギリスのバンドと思われやすいのかもしれません。


しかし、本作の舞台はロサンジェレスであり、セリフも英語のミュージカルです。


皮肉な事に、監督はフランス人なのに、フランス映画っぽくないという捻れが起きてもいます(笑)


こういう一筋縄ではいかない彼らの魅力をバンドの演奏とアダム・ドライヴァーらメインキャストによるヴォーカル、フルオーケストラによって見事に表現されています。


スパークスの音楽の魅力に、ラッセル・メールズのヴォーカルは欠かせませんが、なんと、彼が歌わなくてもスパークスらしさが些かも失われていない事にも驚きます。


スパークスはついに、スティーリー・ダンのようなユニットとしても機能してしまう可能性すら持っている事を示しており、未だに変貌しつづけ、新しい事に挑み続けているのが凄いですね。

 

しかも、音楽が今もってフレッシュであるという事です。


実は、メイルズ兄弟は大の映画好きで、UCLAに通っている時、ロンは映画制作を行っているほどです。


実は1970年代にフランスの巨匠、ジャック・タチの映画の音楽を担当するという企画が持ち上がったのですが、これはタチが健康上の問題で降板した事で立ち消えとなっていました。


ティム・バートンが監督する、日本の漫画を原作とする映画の音楽を担当する企画には、かなりの年月を費やしたのですが、結局、バートン監督が降板し、企画自体がなくなってしまいます。


メールズ兄弟はスタジオで曲作りに取り組んでいたのですが、この間、スパークスとしての活動がほとんどなく、アルバムが6年間も出ていないという、多作であった彼らが味わった、唯一の低迷期が実は映画の仕事でした。


『アネット』はまさに満を持して持ち込んだ企画で、遂にそれが大爆発した痛快事であり、カラックスにとっても大変な傑作を撮る事になりました。


スパークスの奔放なイメージを更に増幅させるような驚きの映像は、カラックスとスパークスが殊の外相性が良かった事を示しております。


このお話しは登場人物が、史実の人物をモデルとしております。


主人公のヘンリーは、恐らくはイングランド王、ヘンリー8世をモデルとしたキャラクターです。


ヘンリー8世には6人の妻がいたのですが、離婚を繰り返し、2番目の妻、アン・ブーリンは処刑されています。


夫ヘンリーが妻アンをを殺す。という、『アネット』の前半のエピソードは、明らかにヘンリー8世アン・ブーリンの処刑をイメージしているのですね。


そして生まれて来た子どもの名前がアネット。というのも、意味深です。


実はアネットはマリオネットとして表現されています。

 

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なぜマリオネットなのか?

 


つまり、「アネット」とは、「アンのマリオネット」である事を意味していると思います。

 

そして、「ヘンリーのマリオネット」でもある。


その事を表現するために、アネットはマリオネットなんですね。


話しのスジはシンプルなのですが、その少ない登場人物を使って表現される重層的なテクストが単なる知的な操作ではなく、物語の核と巧みに結びついている所に、この作品の脚本の素晴らしさを思わざるを得ません。


単に音楽が素晴らしい映画なのではなく、脚本が素晴らしい作品なのだという事は強調しておく必要があります。


メイルズ兄弟がカメオ出演しているのも嬉しいです。

 

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なんと、いきなり冒頭にメイルズ兄弟がカメオ出演します。


さて、そんな現在絶好調のスパークスの現在までの歩みを丁寧に追ったドキュメンタリーが日本では同時に公開されているというのも痛快事です。

 

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監督はスパークスの熱烈なファンである、エドガー・ライトです。


劇場最新作は私には不満の出来でしたけども、このドキュメンタリーは掛け値なしに素晴らしいですね。

 

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全編がスパークス愛に満ちているのはいうまでもありませんが、単にバンザイ!バンザイ!とするだけの作品ではなく、なぜ、アメリカの西海岸出身の兄弟でありながら、ヨーロッパでは大人気なのに、アメリカでは今一つ人気がなく、日本では未だにほとんど知られていない(レコード会社の皆さま、頑張りが足りませぬ!)事から始まり、では、何が彼らの魅力なのか?を実に丁寧に解明していくんですね。

 

メイルズ兄弟のみならず、歴代のバンド参加者、そして、スパークスファンを自認するミュージシャン、挙句の果てにはライト監督自らも出演し、彼らのアルバムをすべて検証していくという、ある意味、王道中の王道をやっているのですが、同じ事をやり続ける事を拒否するスパークスは、もうそれだけで波瀾万丈です。

 

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スパークスの代表作の1つ、『Big Beat』。ジャケットが秀逸なのもスパークスの特徴です。


驚く事にスパークスには、ロックミュージシャンにありがちなドラック、アルコール、セックス・スキャンダルが皆無であり、彼らの人生のほとんどは、音楽に注がれているのですね。


しかも、それはプリンスのような息が詰まるようなストイシズムではなく、実に淡々とした歩みであり、気が付いたら、とてつもない大山河になっていました!という凄さなんですね。


そういうお二人なので、ドラマティックな劇映画にはなり得ないのが、彼らの唯一の欠点(?)なのでしょう。


しかし、作り上げられた、泣き笑いの極上のポップス山脈に人生の波瀾万丈が全て注ぎ込まれているのであり、よって、実生活は実に慎ましくならざるを得ないんです(映画でも出てきますが、ものすごく規則正しく生活していて、無知なワーカホリックもないようです)。


この2作を見ることで、「スパークスとは何か?」という事が一挙にわかると思いますので、どちらもご覧になる事を強くオススメします!


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スパークスはこんなに大人気なのです!

 

 

 

ようやく日本でも全国公開となりました!

ロベール・ブレッソン湖のランスロ

 

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いきなりこんな殺伐とした映像の連続で始まります!

 

12世紀後半の詩人、クレティアン・ド・トロワによる『ランスロまたは荷車の騎士』という中世の物語詩を主な原作とする、孤高の映画監督、ロベール・ブレッソンの1974年の作品。


ランスロ。は日本だと馴染みがないですが、要するに、アーサー王と円卓の騎士で1番有名な騎士のランスロットのフランス読みですね。

 

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正面向いてるのが、円卓の騎士の一人、ランスロです。


アーサー王についての文学作品はイングランドウェールズ、フランス、ドイツなどに様々見られまして、ものすごく研究されていますが、この辺の煩雑な話は割愛します。


本作は、聖杯(新約聖書に出てくる、キリストの最後の晩餐で使われたとされる杯の事。東方正教会にはない)の探索を、円卓の騎士たちが創作したが、見つからず、アーサー王(ここではアルチュール王になります)の城に戻ってきてからの後日談です。


この映画は最初に上記の簡単な説明をするだけ、他の説明は一切ないまま進むので、この後日談を全く知らない人にはかなりとっつき難いです。


この点が本作を見る上で、日本人にはかなり不利かもしれません。


よって、事前にWikipediaなどである程度、調べてから見たほうがよいかもしれません。


ネタバレというか、もう、西ヨーロッパ諸国にはもう、牛若丸と弁慶の五条大橋の出会いみたいなものなので、フランスではもうネタバレ全開なのですが(笑)、この映画は、そんな話を、ブレッソンが作ったらどんな事になるのか?がミソなのです。


円卓の騎士ランスロはアルチュール王の王妃、グィネヴィアとの不倫物語と、同じく円卓の騎士モルドレッドの裏切りと反乱を、たったの90分弱で描きます。

 

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現在のアメリカで作ったら、2時間半になりそうな大作ですが、この短さがブレッソンです。


冒頭の騎士同士の闘いのリアリズム。

 

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甲冑のカシャカシャとする音、ものすごいスプラッターが示され、あのロマンティークなアーサー王物語ではないのが、ものの数分で示され、サントラらしいものはタイトルクレジットのみです。


ホントに甲冑を着て戦うという事、そして甲冑をつけて動き回るという事はどういう事なのかをトコトン見せ、そのリアリズムの追求の仕方がもはやコントにすら見えてこなくもないですが、ブレッソンは笑わせようとしている気は微塵もないと思います。

 

役者たちを快活に絶対に動かさない。という意志すら感じます。


この作品の最大の特徴は音響効果の使い方ですね。


前述の甲冑の音、騎乗した騎乗の模擬戦手のバグパイプの合図、時間を知らせる鐘の音、突然の嵐の夜のドアのガタガタとする音。


サントラがほとんどないので、こういう音がものすごく際立ち、作品のリズムになっていて、それ自体が音楽にすら思えます。


そして、ブレッソンが得意する手のアップの多様、騎乗するシーンを何度も反復したり、騎士が落馬してしまい、森を走り回る馬のショットを何度も割り込ませたりと、コレまた不思議なリズム感が編集によって生まれ、コレまた音楽的です。

 

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ランスロの愛の証である指輪を探す、王妃。


つまり、本作は、音楽が欠落しているのに、とても音楽的なのです。


というか、もうほとんどそれだけを見せている作品と言えなくもないですね。


メインキャストがほとんど甲冑を身につけたまんま、常に身体の動きが独特なのも、見ていてとても不思議な感覚を与えます。


およそ、歴史劇を見るという、例えば、ルキーノ・ヴィスコンティなどの絢爛な世界を堪能するというものとは全く真逆の美意識であり、デレク・ベイリーらが1960年後半から始めた、即興音楽のような趣すらあるように思います。

恐ろしく呆気なく終わるのも、一切の神話的な要素を拒否する


ブレッソンの精神的師匠である、カール・テオドール・ドライヤー『裁かるるジャンヌ』と合わせて見たいです。

 

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ココから多少はアクションがあるのか?と思わせてたら、呆気なく完。

 

 

ベン・アフレックのあのラストシーンを表情!必見です!!

ガス・ヴァン・サント『グッド・ウィル・ハンティング』

 

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主人公のウィル(Will)があのような環境で良い意志(Good Will)を得る(Hunt)のは難しい。というダブルミーニングのタイトルです。

 


ガス・ヴァン・サント監督は、どうも題材が苦手で見ていませんでした。


あと、ロビン・ウィリアムズが出演者するという事は、感動作!みたいな方向に安易に向かいがちで、どうもイヤだったんですね。


しかし、本作は、マット・デーモン、ベン・アフレック自らが脚本を書いてコレを映画会社に売り込み、出演まで勝ち取った。という経緯を後から知り、是非とも見てみたくなったんです。


で、見てみると、やっぱり、感動作なんですけども、脚本が実にうまいですね。


本作の重要なキャラクターである、心理学者ショーン・マグワイアを演じるロビン・ウィリアムズの登場のさせ方です。


主人公、ウィル・ハンティングは、とてつもない数学の才能を持ちながらも、掃除夫や解体業のような事をやり、傷害事件を何度も繰り返すような人間なのです。

 

彼の仕事場である、MITの黒板にフィールズ賞を受賞した、ランボー教授が掲示板に書いた、数学の難問がいつの間にか解かれていたのですが、コレを書いたのがウィルである事を知るんですね。

 

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数学視野すら手玉に取ってしまう、脅威の子、ウィル・ハンティング。


しかし、ウィルはまたしても暴行事件で警察に逮捕されていたんです。


ランボー教授は、彼の才能を惜しみ、身元を引き受け、週に2回、研究室に来て日常を報告する事と、週1回のセラピーを受ける事を条件としました。

 

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ウィルの才能に気づく、ランボー教授。


実際、ウィルの才能はとてつもなく、もはやランボー教授すら超えていました。


しかしながら、問題はセラピーを受けさせても、そのものすごい頭脳を使って、決してセラピストが内面に入ってこれないように守っているんですね。


遂にランボー教授は、同じ大学の同期で心理学者のマグワイアに久しぶりに会い、「コイツはとんでもない奴なのだが、人間的に問題がありすぎる。なんとかしてくれないか」と頼むのです。

 

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ランボーマグワイアにはかなり長い確執がありました。コレもこのお話のテーマです。


ここでようやくロビン・ウィリアムズが登場するんです。


ウィルは「コイツもうまいことやってカウンセリングなんてさせまい」と、彼が描いた絵を揶揄し始め、そこから「アンタの奥さんは不倫でもしたのか?それが絵に表れているのではないか」とやり始めると、マグワイアはいきなりウィルのクビを押さえつけ、


「今度、妻の事を言ったら、殺すからな!」


と激怒するという、およそ、カウンセラーと患者の出会いではありません。


本作のユニークなところは、問題児の設定が桁外れの才能を持った青年であるのと、この手に負えないモンスターのカウンセリングをするのが、妻を病気で亡くしてしまい、そこから立ち直る事ができていない心理学者との交流と同時進行で、ランボー教授がなんとかマトモな企業に就職させ、そのとてつもない才能を活かそうと、前のめりになっている事と、相変わらずのウィルの悪友たちとの交流、そして、MITに通っているイギリス人の女性との恋愛を巧みにリンクさせながら、展開していく事ですね。

 

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父親の遺産を相続し、MITに留学した、スカイラー。


ウィルの悪友を演じるのが、共に脚本を書いたベン・アフレックで、アイルランド系の労働者階級を見事に演じております。

 

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ベン・アフレック演じるチャッキーがなかなかいいですね。


特にラストシーンの彼の嬉しさと寂しさが入り混じったような、なんとも複雑な表情は、私は全編のベストです。


過去の麻薬とアルコールへの依存がアカデミー賞の会員から問題視され、なかなか受賞できなかったロビン・ウィリアムズは、とうとう本作で助演男優賞となりました。

 

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この2人の交流を丁寧に描いていていきます。それはマグワイアにとってのセラピーでもありました。


この心理学者の役はウィリアムズ以外はちょっと考えられず、ウィルのよき「父親」でした。


この作品で、これまで無名であった、マット・デイモンベン・アフレックは一挙に注目される事となり、今ではハリウッドスターです。


ガス・ヴァン・サントの、どうも陰鬱になりがちな作風が、この2人の無名俳優の脚本とロビン・ウィリアムズ、そして、恋人役のミニー・ドライヴァーという素晴らしいキャスティングによって、非常に前向きな作品となったのも好ましいと思います。

 

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ハウス・オブ・イヌガミ!

市川崑犬神家の一族

 

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エヴァンゲリオン』でも使われた、おなじみの文字組みです。

 


コレほど、もうすっかり見た気になってしまう古典は現在ないでしょうね(古典というのは、そういうモンですけど)。


しかし、実際に見てみると、あのスケキヨ。と認知されている、あの不気味なマスクをした男は、実はスケキヨではない(正確にはスケキヨであったりなかったりしている)事がわかったり、猿蔵と珠世の関係が、その後、富野由悠季ザブングル』のファットマンとエルチにそのまんま引用されているとか、戦争のドサクサで巨万の富を築いた、かなりロクでもない一族であった事などなど(あと、あの『エヴァンゲリオン』にそのまんま引用された有名な遺体発見シーンなどなど)、やはり、発見も多く、日本のさまざまなカルチャーに引用されまくった、日本映画の金字塔ですね。

 

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ゴールデンカムイ』の「頭巾ちゃん」こと、ヴァシリーは、明らかに「スケキヨ」から着想を得ています(映画を見ないと、コレは分からないですが)。

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説明不要の引用ですね。

 

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意外と指摘されていない、珠世、猿蔵とエルチ、ファットマン。

 


石坂浩二演じる金田一耕助像はもはや決定的ですね。

 

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この出立ちは、後の金田一耕助を決定づけました。石坂浩二もTBSのスターから映画スターになりました。


古典的名作。とされる映画はたくさんありますけども、後世の引用度の高さ、見てないのにあたかも見た気になってしまう感の高さから言えば、黒澤明溝口健二小津安二郎という日本映画の三傑を遥かに超えるポップさをたたえており、その点において、リドリー・スコットブレードランナー』と並ぶ現在における古典の双璧かもしれません。


市川崑は、1960年代に大映に於いて文芸の傑作を次々と撮りまくり、増村保造と並ぶ大映の看板でしたが、経営の悪化に伴い大映は1971年に倒産し、市川監督もフリーランスとなります。

 

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ありし日の市川崑

 


そんな彼の一大方針転換となったのが、本作ですね。


犬神家の遺産をめぐる連続殺人事件は、グッチ家の転落を描いた『ハウス・オブ・グッチ』よりも遥かにゲスで(笑)、ベタなまでに醜く、そして何より面白いです。

 

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犬神佐兵衛の莫大な遺産の相続は、特異なものであった!

 

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犬神家の人々!


市川監督は、あの華麗なテクニックを駆使し、エンタメ作品を嬉々として作っている事が伝わってきます。


東宝の監督時代は、『プーサン』などの喜劇を撮ることを得意としていたので、フットワークが軽い監督でしたから、横溝正史の映画化は、本人もノリノリだったと思われ、それは映像からも伝わってきます。


この大成功が、角川春樹、そして、角川映画を世に知らしめられることとなり、クビをかしげるような珍作もありながらも、市川崑はこの金田一耕助シリーズの映画を撮る事となり、大林宣彦相米慎二などに自由に作品を撮らせる事にもなりました。


また、横溝正史の小説が再び脚光を浴びる事となり、再び執筆活動を活発にさせるキッカケともなったんですね。


その後、リメイクが何度も作られますが(なんと、市川崑自らも石坂浩二主演でリメイクを撮っています)、やはり、本作が決定的です。

 

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大野雄二の音楽も大変素晴らしいですね。

 

 

 

なぜ、トランプ政権は出現したのか?を描く傑作伝記映画!

アダム・マケイ『Vice』

 

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下院の実習生でしかなかったディック・チェイニーは如何にして最高権力を手に入れたのか?

 


コレはですね、『Don’t Look Up』と合わせて見る必要があると思います。


このViceとは何なのか?と言いますと、vice-presidentの略でして、副大統領の事です。


ココでの副大統領とは、ジョージ・W・ブッシュJr.大統領の副大統領であった、リチャード・ブルース・チェイニーこと、ディック・チェイニーの事です。


そして、viceというのか、単独で「悪徳」を意味し、そのダブルミーニングなのですね。


アメリカ副大統領って、日本人にはほとんど思い浮かびません。


というのも、副大統領の主な仕事は、上院の議長であり、政権における議会との調整役という、まあ、地味ないお仕事なので、マスコミ的にはあんまり注目されないんですね。


場合によっては、かなり名誉職的にもなりかねません。


もう一つの意味としては、副大統領は大統領が何らかの原因で職務続行が不可能になった場合、行政の継続を優先するために、大統領職を継承する事になります(継承順位は憲法で規定されています)。


なので、外国人が知っている副大統領は大統領に繰り上げになった人ばかりですね。


古くは、マッキンリー大統領の副大統領であった、セオドア・ローズヴェルトです。


近くはケネディ政権の副大統領であったジョンソン、ニクソン政権の副大統領だったフォード、そして、オバマ政権のジョー・バイデンくらいですよね。


バイデン以外は大統領が汚職辞任と暗殺によるものです。  


要するに、万が一のために存在しているけで、アメリカ歴代大統領には、意外と事件が起こっていて、上記以外にも副大統領が繰り上げで大統領に就任しているケースは結構あります(ほぼ、大統領が任期中に死亡した事が原因です)。


そんなポジションにいたチェイニーは、もしかすると、アメリカ史上最強の副大統領だったのではないのか。という事を指摘しているのが本作でして、共和党ネオコン、宗教保守の持つ危険性を指摘する観点から、ブッシュJr.政権の真の実力者の、マケイ監督にしか作れない、痛快極まる伝記映画ですね。


マケイ監督は、もともと、NBCで放映されている長寿番組「サタデイ・ナイトライヴ」のディレクターを勤めており、かなり政治的に際どいコーナーを作っていたようなので、本作と『Don’t Look Up』はある意味、彼の真骨頂です。


エンターテイメント作品としてまとめるためにチェイニーの経歴の省略はあるものの、ほとんどそのまんま描いているはずなのに、彼の業績の多くが、その後のアメリカの政治にもたらした悪影響は看過できるものではなく、基本的にコメディ映画として描いているのに、だんだんと笑えなくなっていきます。


この映画の批判は、ズバリ、ドナルド・トランプ大統領なのですが、マケイ監督の卓越しているところは、彼の破天荒なキャラクターぶりやその生い立ちに問題を落とし込まず、ディック・チェイニーという、保守政治家を通じて、なぜ、トランプ政権が生まれ、そのための社会的経済的な基盤は一体どういうところによるのか?を、卓越した脚本、編集によって実に丁寧に見せている事なんですね。


で、ココでの肝心なのが、やはり、ディック・チェイニーという謎めいた政治家にリアリティを与える役者が不可欠なのですが、コレを恐るべき体重コントロールとメイクでやり遂げる、クリスチャン・ベイルは本作のMVPとも言える存在で、彼の素晴らしい演技なくして本作の成功はあり得なかったでしょう。

 

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クリスチャン・ベイルの激似ぶりは必見です(笑)

 


呑んだくれの肉体労働者に転落していたチェイニーをワシントンで活躍する政治家に叩き上げるのは、実は奥さんというのは、結構衝撃的な事実なのですが(ホントなんです・笑)、下院の実習生だった彼が政治におけるとして「先生」してとラムズフェルド(ブッシュJr.政権でイラク戦争を主導した国防長官です)、後にトランプ大統領を保守派のアイドルとして育てる右派のテレビ局FOニュースの社長、ロジャー・エイルズとの出会い、ニクソン、フォード政権ではホワイトハウス、閣僚として、カーター政権誕生に伴い、下院議員として、主にレーガン政権のもとで新自由主義を推進する政策を次々と断行し、次は大統領選立候補か?というところまでのぼり詰めるのですが、娘が同性愛者である事を攻撃される事が確実だったので(チェイニー派同性婚に反対の立場を表明していました)、政界を引退し、テクサス州に本社を持つ石油関連企業ハリバートンのCEOに就任します。

 

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チェイニーを権力者に押し上げるのに、奥さんリン・チェイニーの存在は不可欠です!

 

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ティーブ・カレル演じる、ラムズフェルド

の絶好調なタカ派ぶりは惚れ惚れとします。


つまり、ここまで、実はチェイニーの持つ権力基盤のほとんどが出揃っています。


新自由主義経済、コレを支えるマスメディア、石油産業、安全保障ですね。


コレを、まるでみなもと太郎(2021年に惜しくも亡くなりました)『風雲児たち』でも見ているような、見事な手捌きで、ここまでの半生を描くんですね。

 

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ブッシュJr.のバカ殿ぶりは見事です!サム・ロックウェルはアタマ悪そうな人を演じさせると天下一品ですね(笑)


しかも、政界復帰のキッカケとなった副大統領就任以降は更にフルスロットになり、いかにして大統領の権限から財政と軍事の問題を奪い取り、イラク戦争を主導し、イラクの石油の利権を獲得する事で絶大な力を持つに至ったのかを、コワイくらいのタッチで描きます。


先ほど、みなとも太郎。と言いましたが、本作には、『風雲児たち』における、重要キャラクターである語り部である作者にあたる役割を果たすフィクションの男性が出ており、彼が語る話し。という体裁をとっている所が実に巧みです。


なぜ、この男が語り部なのかは見てのお楽しみです。


コレを見ることで、1970年代のアメリカの政治史がかなり抑えられ、しかも、コレを抜群に面白い語り口で見せるので、サルでもわかるワシントンの栄枯盛衰になっており、実にお得です。


日本で公開された時、ほとんど話題にならなかったのが本当に残念でなりません。


コレを見ると、トランプ政権の出現は何の不思議でもなんでもない事がよくわかります。必見。

 

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イラク戦争は如何にして始まったのか?