とにかく新しい感覚の映画ですね!必見!

S. クレイグ・ザラー『Brawl in Cell Block 99』

 

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いやはやすごい。すばらしい。そして、ひどいバイオレンス(笑)


彼の作った長編3作はいずれも通奏低音のように緊迫感を漂わせつつ、それは決して高揚していく事がありません。


いずれもかなりのバイオレンスシーンがあるにもかかわらず。です。


どこか醒めているんです。


北野武作品のの暴力をとことんまでやって、しかもやりすぎちゃってちょっと笑えるところにまでいってしまっているというか。


あと、音楽がめちゃいい。

 

ザラー監督はミュージシャンでもあり、サントラの曲を自作するくらいでして、本作でもカーステからやたらといい音楽が流れます。


ダウナーでオフビートな絵なのに(笑)


ゴダール作品の音楽が、オージェイズに変わっているみたいな。


要するに好きな方にはたまらないけども、ダメなひとはダメみたいな監督です。


本作はリストラの結果、ヤクの運び屋になってしまった、ブラッドリー・トーマスを演じる、ヴィンス・ヴォーンの、アホみたいに屈強な男の、想像の遥かに斜め上を行く生き様を刻印した、異色作品です。

 

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ヴィンス・ヴォーンが奥さんの車を破壊するシーンは必見です!


ヴォーンは次回作で、なんと、メル・ギブソンの相棒の刑事役という大躍進をとげます。


設定として、元プロボクサーという設定なので(体格からしてヘヴィ級です。この階級のボクサーのパンチは殺人兵器ですよね、実際)、とにかく滅法腕っぷりがすごい。というか、笑ってしまうほどすごんですよね(笑)


先日DVDで見て驚嘆した、『ベイビーわるきゅーれ』のアクションと真逆の美学で、むしろ、おっさんたちのかなり鈍い動きをそのまま活かした演出でリアリズム志向なんですね。


『ベイビーわるきゅーれ』のすごさは、ジョン・ウージャッキー・チェンのような、演舞に昇華されるような演出のすごさに圧倒されるんですが、本作は、とにかく、デカいおっさんの速度まんまなんです。


しかも、全くカッコよく撮ろうとしてないんです。


が、それが逆説的にカッコいい。というの所に、ザラー監督の演出は至っている所が、やはり非凡と言わざるをえないんです。

 

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おっさんたちの鈍い動きまんまのバイオレンスの生々しさ!


邦題がポンコツなのは、何となく脱獄モノを思わせるB級映画っぽいんですけども、実際の内容はむしろ真逆である事なんですよね。

 

原題にある、「第99房」を目指して、受刑者として潜入していくんです。

 

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あり得ないシチュエーションをこれほどまでに淡々と見せる人はなかなかありませんよね。


詳しくはココでは書きませんが、予想を遥かに超えるぶっ飛んだ刑務所描写は、お笑いウルトラクイズを見ているような感覚に襲われ、もはや、笑ってしまいますが、ザラー監督は、そういう、ほとんどマンガのような展開に唐突に以降しても、特に、ババーンできないサントラも何もなく、同じ空気感で淡々と異様なんです。

 

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拳銃を突きつける刑務所なんて、アメリカのどこにもないと思います(笑)


この描き方は、ザラー作品に一貫したものがあります。


この何とも知れない、新しい感覚を切り拓いでいるザラー作品は、その残酷描写にどうしても好き嫌いが極端に出てしまいますが、そこを乗り越えた先に、ザラー作品の魅力があると思います。

 

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実は漢気映画でもあるのです!

 

 

 

 

 

 

森田芳光監督の怪作です!

森田芳光『そろばんずく』

 

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森田作品の中でも破天荒さではトップクラスです。


『それから』で、なんと、夏目漱石の文学世界にまで突入してしまった直後に発表された、森田芳光の痛快作。


ト社とラ社というライバル関係にある広告代理店の対立を軸に描かれるかなりクセの強いコメディですが、森田芳光のフィルモグラフィの中でも1,2を争う森田色が濃厚であり、見る者をかなり選んでしまう作品ですね。


例えば、大林宣彦『HOUSE』『ねらわれた学園』という初期の傑作がありますが、人によっては、「コイツはふざけているのか!」と怒ってしまう方もいるように、本作を見て、「は?」と思ってしまったりする人は出てくると言いますか。


主演は当時、お笑いタレントとして、人気急上昇中のとんねるずが務めて、それぞれ、春日野(石橋貴明)、時津風木梨憲武)という、相撲部屋の名前から取った名前になってますが(笑)、森田演出は、『の・ようなもの』の志ん魚々ちゃんと同じく、何の演技もさせず、そのまんまのとんねるずが森田ワールドで飛び回っております。

 

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いい調子で広告業界を生きる、春日野と時津風

 

そして、それがバブル経済に突入していく当時の日本の躁病感を見事に表現していますね。


春日野と時津風が勤めているト社のライバル関係にある、ラ社の実権を握るのが、アメリカ帰りの天神です。

 

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腰巾着を演じる渡辺徹とともに小林薫が素晴らしいです!やって〜、やって〜、やりまくれ〜!


この小林薫演じる天神の風貌がものすごく、日焼けサロン通っている現首相か掟ポルシェの扮装をしているようにしか見えないんです(笑)


ラ社の社内研修で行われる、「セックス体操」のバカバカしさと、新興宗教が駆使する身体性が、オウム真理教の出現を予言しているようで、よくよく考えるとコワくもあります。

 

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ラ社の謎の研修、セックス体操!


とんねるずの2人の異様なまでに平板で内面がないというか、ほとんど虚無なのでは。と思わせるような存在感とちょうどコインの裏表のようです。


その荒唐無稽とも思える展開は、見る人によって評価が分かれるでしょうけども、私は、そこにこそ積極的な評価を与えたいんですね。

 

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初めての大役を得た、安田成美の体当たりの演技も素晴らしいです!


どこか都会の喧騒を愛しつつもどこか冷めたような眼差しで東京を見ている森田監督は、敢えて、ギャグマンガとしか思えないような話しの中で、とんねるずたちを暴れ回らせる事で、異様なまでに狂騒する広告代理店の世界を批判的に見ているのでしょうね。


長きにわたる、日本の経済の低迷の原因を考える上でも、そこで醸成された様々な文化的社会的問題を考察する上でも見逃せない作品です。

 

ときめきに死す』を合わせてご覧ください。

 

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まさかの『スーパーマリオ』です(笑)

セルジオ・レオーネのあの傑作の元ネタです!

ジョン・フォード『リバティ・バランスを射った男』

 

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ジェイムズ・スチュアートジョン・ウェインを殴るという、なかなかにショッキングなシーンです。

 

ジョン・ウェインが最後にフォード作品に出演した映画として有名ですが、フォードはまたしても西部劇のセオリーをみずから破っていくんです。


何しろ、主演がジェームズ・スチュアートであり、ウェインではありません。


DVDのジャケットとかではあたかもダブル主演のように見せていますが、完全にスチュアートの映画です。


しかも、映画の構造が、そのスチュアートの回想なんです。


スチュアートはアクション映画の主演とは思えず、しかも、彼は上院議員役なのです(笑)

 

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東部の弁護士がワイルドない西海岸にやってくるお話です。


フォード作品の中で、珍しく地位の高い人物を主人公にしているのも異色です。

 

まあ、キャサリン・ヘプバーンメアリ・スチュアートを演じる『メアリ・スチュアート』や、『若きリンカーン』という、リンカーン大統領の若き日を描いた作品があるのですけども、西部劇と限定すると、相当に異色でしょうね。

 

そんな上院議員がならず者のルールが支配する、カリフォルニア州のある街にやってきて、そこで起こった出来事を回想しているお話なのです。

 

ウェイン演じるガンマンはその回想でしか出て来ず、この話のつまりスチュアートが回想している時点では、ウェインは亡くなってます。

 

この、無名の男の葬儀に、突然カリフォルニア州選出の上院議員がやってきたのはなぜなのか?がこの映画のそもそもの始まりなんです。

 

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リー・マーヴィンはこの作品によって注目を浴びるようになりました。


この、お話のほとんどが回想。という構成の映画でフト思い出すのは、セルジオ・レオーネの畢生の大作、『Once Upon A Time in America』なのですが、コチラは、ウェイン側からの見た視点に変え、舞台を20世紀のアメリカに変え、スチュアート役が民主党の陰の実力者に巧みに改変した、一大オペラになってますが、明らかに、本作に着想を得たのでしょうね。

 

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スチュアートは周囲に推されて選挙に立候補する事に。


レオーネ監督は、「その功績が後世の歴史に残る事なく消えていった男」の話に執着があり、その原点は本作であり、着火点は、黒澤明『用心棒』という、映画史的に見ても、とてもユニークな監督ですね。


そんなレオーネが生涯をかけて表現したかったものが、タイトル通りに進行していくんですが、その「英雄」として、「アメリカ史」になってしまったスチュアートの回想は、オーソン ・ウェルズ『市民ケーン』の「薔薇のつぼみ」のように誰にも知られる事もなく(実際には新聞記者には、知られるので、厳密には違いますけど)、「偉大なる上院議員の歴史」のみが語られる事になるんです、映画の構造上。


それは、『Once〜』のヌードルスが生きながら死者になっている(別人として生きているのですが)構造とも同じです。


で、どうやら、レオーネ監督はホントに本作がとても好きらしいんです(知ってる方、教えてください)。


フォード作品において、ジョン・ウェインが演じる役割は、そんなに英雄的な人物ではなく、たとえば、『捜索者』でも、どこにも居場所のない男だったりするので、もう、フォード作品におけるウェインの最期が本作であったのは、ある意味決まっていたのかもしれませんが。


以上のようなエモさが絵からビンビンと背景がわからなくても伝わってくるので、ややフォードにしては甘いところがないではないです。


それはフォード作品にしては、上映時間が長いのは(フォード作品は、80-90分くらいがほとんどでして、100分超えると長い方になります)、その端的な表れだと思いますが、にしても、本作を見ると、どうしても「フォード史/ウェイン史」が走馬灯の如くというほどではありませんが、思い起こされるわけです。


コレは如何ともし難い、ロマンというものなのでしょうか。


フォードにとっても、最後の西部劇となった、本作はやはり必見です。

 

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誰がリバティ・ヴァランスを撃ったのかは、見てのお楽しみです!

 

 

フォードが作ったATG映画!

ジョン・フォード『肉弾鬼中隊』

 

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原題の方がいいと思いますが…


フォードが初めて作った戦争映画が、ATG級の低予算映画であった。という事実は、今やほとんど知られていないのではないでしょうか。


上映時間も70分に満たない作品であり、登場人物もほぼ分隊のみ。


舞台が第一次世界大戦のイギリス軍のある分隊の隊長が敵に射殺され、何を命令されてどこに向かうのかわからなくなった。というシチュエーションドラマでして、具体的な時代とか場所はさほど意味を持っていない映画ですので、1934年公開にも関わらず、内容的な古さがないです。

 

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原題通りの「迷子になった警備隊」のお話です。


こういう限定されたシチュエーションでドラマを展開させるという作品はフォードにしばしば見られまして、なんと言っても、大傑作『駅馬車』がまさにそういう作品ですし、『果てなき航路』はその内容も含めて、貨物船という限定された舞台である事と、更に、この仕事から抜け出せない。という構造的な問題も浮き彫りにする隠れ傑作でも見られます。


本作は、そのようなフォードの一連の作品の先駆とも言えるものであり、フォードの戦争観も端的に伺える小品です。


劇場最終作である、『荒野の女たち』もある意味で系譜あると言えますから、フォードはこのような映画を作ることを得意としていたと言えます。


世界恐慌後の大不況に見舞われていた経済状況は、既に映画監督としてのキャリアを積んでいたフォードほどの監督であっても映画制作の予算を集めるのが困難な時期だったのだと思いますが、フォードはそれすらも逆手に取った、いわば、ATG映画の先駆のような目的を失い、砂漠を彷徨う兵士たちを主人公にした快作を撮ってしまうあたり、やはり只者ではありません。


この、「彷徨える兵士」たちには、またしてもと言いますか、聖職者がおります。


コレを、フランケンシュタイン役で世界的有名となったボリス・カーロフが演じているのですが、彼が次第に発狂していく様子が見事に描かれています。

 

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ボリス・カーロフ演じる聖職者が素晴らしいです。


さて、なぜ、カーロフ演じる聖職者は発狂してしまったのか?が本作の核心なのですけども、それは冒頭に既に答えが出ておりまして、おそらくはオスマン朝に味方しているアラブ兵が、隊長である、中尉を遠距離から射殺した事から、この兵士たちは追い詰められていくんですね。

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こんなオブビートな絵で狂気に陥る人々を描いているところがスピルバーグを思い起こしますね。


中尉が死んでしまったので、やむなく

こんな軍曹が連隊を率いる事となるんですが、この連隊は執拗にこのアラブ兵(一体何人いるのか最後までわかりません)に追い回され、確実に長距離から射殺していくんです。


スナイパーに追い回され続け、自ら自滅していく姿を、驚くほど淡々と撮り続けていく。という、まるで、ロベール・ブレッソンの映画なのではないのか?とすら錯覚してしまう映画なんですね。

 

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敵の姿は画面に現れる事はなく、分隊たちの芝居のみですから、撮影はものすごく楽で、しかもカネがかかりません(笑)

 

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基本、こんな殺風景が続きます(笑)


しかも、どこかオフビートな呑気さすら伴いながら、前半が進んでいくのですけども、次々と仲間が確実に射殺されていくとカーロフの精神状態は次第におかしくなっていきます。


この次第に精神的に追い詰められていく過程が実にうまいし、そこしか見せ場がないという事を実に効果的に見せているわけです。


この分隊がどうなるのか?はAmazonプライムで見ることが可能ですので、是非見ていただきたく思いますが、この作品を通じて伝わるのは、一般的に「戦争、軍団大好きおじさん」として知られているフォードは決して戦争というものを礼賛などしている人ではないし、それほど簡単な人ではない。という事をまたしても痛感せざるを得ないです。


フォードを知る上で、やはり重要な作品である事は間違いありません。

 

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早すぎたニューシネマ!

ジョン・フォード『捜索者』

 

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ジョン・ウェインが演じた役の中でも最も異様なキャラクターであろう、イーサン。

 


ジョン・フォードの傑作西部劇にして、恐ろしく歪んだ異形の作品。


ジョン・ウェインが演じるイーサンという男の、アメリカ文学の古典、メルヴィル『白鯨』のエイハブ船長を思わせる、偏執狂的としか言いようのない人物造形は、内面がほとんどわからないところからして不気味です。


コマンチ族に弟一家を惨殺された男の執念なのだ。と言ってしまえば、それまでですが、8年もの期間を、さらわれたルーシーとデビーを捜索し続けるという(南北戦争終結後のアメリカですから、1860年代です)、そのエネルギーは一体何なのかはお話の中で一切明かされません。

 

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ちなみに、ルーシーは最初の段階で殺害されている事がわかります。


殺されているシーンが一切映像として表現されず、イーサンのセリフとしてのみ表現するフォードの演出は見事であり、むしろ、残酷さコワサが惨殺シーンを絵として見せるよりも遥かに辛いですね。

 

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イーサンを駆り立てるエネルギーとは何なのかは一切明かされませんがPTSDの可能性は考えられるかもしれません。

 


フォードは敢えて残酷なシーンを描かない事で残忍さを表現する事がたいへんうまい監督ですね。


フォードは、コールドウェル『タバコロード』を映画化していますが、原作の痛ましい結末を敢えてカットしています。


しかし、その一見ハッピーエンドに見える結末に漂う不穏な空気感は、どう考えても、レスター夫妻の悲劇的な結末を感じざるを得ない見事な演出になっていますね。


話しがやや脱線しましたが、この異様な捜索劇のウェインの相棒が、インディアン(敢えて、現在では使われる事のためらわれる表記を用います)と白人の混血である、マーティンという若者です。


ウェインが演じるイーサンは親族がコマンチ族に殺害される事以前からインディアンを忌み嫌い、しかしながら、彼ら彼女らの文化や習俗にかなり詳しく、憎悪なのか愛着なのかもはや判然としません。


そういうところもエイハブ船長がモビー・ディックを追い回す狂気に似たものがあります。


そんな男が、特にインディアンと白人の混血である(現実のアメリカではネイティブ・アメリカと白人、黒人の混血の子孫はかなり多いです。特に黒人はそうしなければ、アメリカ大陸で根絶していた可能性が高かったです)、マーティンと行動をともにするところは、とても奇妙です。

 

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バディものとしても大変優れています。


こういう奇妙な設定は、例えば、クリント・イーストウッドに色濃く影響があるように思います。

 

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まさに「イーサンの息子」である、ハリー・キャラハン。


また、イーストウッドが演じる、かなり歪んだ正義感を持ったキャラクターは、このイーサンに原形が求められるようにも思います。


では、本作はこの狂気じみた人物を主人公にした、暗い作品なのか?となりそうなのですが、ジョン・フォードの只者ではない所はそうなってはいない所なんです。


随所にコメディ・リリーフを配置し、フォードお得意のカラッとしたコメディが間に挟まれたり、マーティンが書いた手紙体裁で数年間の捜索の様子を手際よくまとめたりと、単調に陥らない工夫がなされています。

 

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また、大変驚くのは、この映画、結構な手抜きが多く(笑)、ロケーションのシーンの次が思い切りスタジオ撮影だったり、戦闘シーンがロケーションとスタジオをつないでいたりと、当時の人にすら、「アレッ、なんでココが急にスタジオ撮影になるのか?」と気がつくような場面が散見されるんです。


ところが、イザ、このショットを見せたいというところでは、「アッ!」と思わず声が出てしまいそうになる程に見事なショットが現出するんですね。


フォードは「全ショットスキのないようなものにしたら、見ているものも疲れてしまう。そうではなくて、別にどうという事のないシーンはそんなに気合い入れなくてもいいんだよ」と考えているフシがかなり若い頃があるように思われ、故に、見る側はフォードが見せたいショットに容易に誘導されるんですね。


ポール・トーマス・アンダーソンは発表す作品がどれもこれも驚嘆するクオリティですが、全てのショットが油断もスキもなく作られたすぎていて、どこが見せないのかわかりづらいし、第一、見ていて疲れます。


フォードの抜くところは抜いても大丈夫なのだ。という演出は現在の監督は案外見逃している気がします。


コレを守っているのは、案外、イーストウッドのような気がします。


また、ハッピーエンドでもバッドエンドでもなく、見るものを置き去りにしてしまうような静かな終わり方も1950年代のハリウッド映画とは思えず、早すぎる1970年代のハリウッド映画に見えて仕方がないです。


実際、興行的に芳しい作品ではなく、公開当初の評価は高くなかったんですが、次第に評価が、高まっていったというのも納得です。


今こそ見てもらいたい異形の傑作です。

 

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スピルバーグの父はフォードであった!

ジョン・フォード『周遊する蒸気船』

 


前半のオフビート感(ジム・ジャームッシュの出現の遥か前です!)、からの後半のチキチキマシン猛レースへの見事な転換。


しかも、メインテーマは冤罪で逮捕された甥の救出。という、コレだけでは何の事だがわからないので、もう少し詳しく説明を。


1890年代のアメリカ南部ルイジアナ州、主人公のドクター・ジョン(まさか、あの人の名前はココから取ったのではないですよね?)は、ミシシッピ河の蒸気船で「ポカホンタス」という、謎の栄養ドリンクを売っているような、インチキおやじです(笑)

 

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テレビでよく見る、巨大な外輪のついた船ですね。今でも観光船としてミシシッピ河を運行しています。


その同じ蒸気船には、「飲酒はけしからん!」と乗客に説教をする、「ニュー・モーゼ」を自称する、まあ、有体に言って軽くキチガイじみた人が(笑)

 

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ルイジアナで大人気のニューモーゼ(笑)

 

 


1920年代のアメリカで禁酒法という法律がありましたけども(結果として、ギャングやマフィアが密造酒と闇酒場で大儲けしただけですが)、アメリカのプロテスタントには、飲酒を忌み嫌う考えが意外と強いんです(ルイジアナ州はフランスの植民地でしたから、カトリック教徒が多いと思いますが)。


ウィルソン大統領という、大変真面目な大統領の時代にこの法律ができたのは、国民の少なからざる割合で、このような人々がいたからなんですね。


閑話休題


この冒頭に出てくるニューモーゼ、実は本作の重要キャラクターなのですが(笑)、コレは見てのお楽しみに。


さて、ドクター・ジョンは、甥のデュークとともに、手に入れたオンボロの蒸気船で一儲けしようと考えます。

 

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呑んだくれのおじさんと船内を片付けるドク。


しかし、デュークはドクの知らない女性、フリーティ・ベルを連れて蒸気船にやってきます。


デュークは「私は誤って人を殺してしまったから、自首する」と、唐突な事を言い始めます。

 

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原因は、フリーティ・ベルと結婚しようとした事に、彼女の親族が怒ってしまい、ケンカとなってしまった時に、不可抗力で相手が死んでしまったのです。


ドクは、「目撃者はいなかったのか?裁判でその人に証言させれば、陪審員は無罪とするだろう」というと、「ニューモーゼと名乗る男が顛末を見ていたから、彼がいれば」というんですね(笑)


あのニセ預言者(彼は壺を売ったり、不当に高い寄付を要求などしない、清貧のキチガイです)は甥の無罪を証明する存在だったんですね(笑)


とりあえず、ドクは保安官事務所に行って自首するのですが、この映画のすごいところは、法廷モノになるのか?と思わせておいて、次のシーンで呆気なく有罪が決まってしまって、「ニューモーゼを見つけることができず、有罪が決まった」となるんです。


この大胆な省略、ジョン・フォードは素晴らしいですね。


そこで、控訴するための弁護士を雇うために、蒸気船の中には、蝋人形館を作ってコレを見せ物にしてカネを稼ぎ、裁判費用を稼ごう!そして、船で移動しながらニュー・モーゼの足跡を探すんですが、ガイキチのバイタリティと行動力は並々ならぬものがあり、なかなか見つける事ができないんです。

 

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蝋人形館のシーンは爆笑モノ!

 


そうこうするうちに、なんと、デュークの死刑の執行が決まってしまいます!


ドクは「もうこうなったら、州知事に直接訴えるしかない!」と蒸気船でルイジアナ州の州都、バトンルージュを目指して蒸気船を走らせるのですが、なぜか、バトンルージュを目指す、蒸気船レースが開催されていて、ドクたちはそれに巻き込まれてしまいます。

 

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オフビート感が強い絵作りがレースが始まると突然、大迫力の映画に変貌していきます!

 


この唐突でご都合主義的な展開の凄さが、まさにアメリカ映画でありますし、それを確立したのが、ジョン・フォードであった事実は、やはりというべきでしょうか。


この蒸気船の乗組員として活躍するのが、「エイブラハム・リンカーン・ワシントン」という黒人でして(笑)、デュークの婚約者であるフリーティ・ベルとともに大活躍なんですよ。

 

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女性と黒人がこんなに活躍する映画というのは、当時は珍しくと思います。


ここで改めて驚くのが、本作のメインキャストが、山師的なおじさん、若い女性、黒人である事です。


1935年の映画ですよ。


今でこそそういう映画は珍しくないでしょうが、遥かにマチズモが強かったであろう、1930年代のアメリカでコレは驚異的です。


『エイリアン』や『グロリア』、『夜の大捜査線』が作られる遥か昔です。


更に驚くのは、南部の白人社会の中にも差別意識が存在する事をチラッと描いている事です。


差別問題というのは、白人と黒人の差別だけでなく、白人内部におけるカーストとしても厳然と存在している事を、1930年代のアメリカで描くとうのは、大変に勇気のいる事です。


フォードは『駅馬車』や『ハリケーン』のような傑作娯楽映画を作りながら、その一方で、『怒りの葡萄』、『タバコロード』のような、世界恐慌時における、南部の白人農家の貧困問題を正面から描いている監督ですから、アメリカ社会の不正や矛盾への怒りは、彼の創作の原動力であると思います。

 

この作品を見てつくづく思うのは、スピルバーグもまた、「フォードの息子」なのだなあ。という事に気がつかされた事です。


スピルバーグがある時期からあらゆるジャンルを映画をものすごいペースで作り始める行動と、ジョン・フォードのあまりにも多岐に渡る作品群はピッタリと重なるんですね。


フォードは『若き日のリンカーン』という作品を撮ってますが、スピルバーグもまたリンカーンを主人公とした映画を撮っています。


もしかすると、スピルバーグは最後に西部劇を撮るのかもしれません。


私たちが「アメリカ映画らしい!」と思わせる、あの共有する感覚を作り上げたのはジョン・フォードなのだ(当然のことながら、その更に前にはグリフィスやシュトロハイムがらあるわけです)という事を通算せざるを得ない、『駅馬車』と並ぶ、フォードの傑作娯楽映画。

 

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今もって古びる事のない傑作です!

 

 

※今回が400本目のブログです。

 

サイレント期に馬を主人公にした映画が作られていたのです!

ジョン・フォード『香も高きケンタッキー』

 

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なんと、馬が主人公のお話しなのです!


サイレント期のジョン・フォードを見ている人って、もうあんまりいないと思いますし、そもそも、ジョン・フォードの映画見ている人がいないような気がするのですが、コレはホントに残念な事だと思ってます。。


結論から申し上げると、驚きの傑作であります。


何故ならば、このお話しは「ヴァージニアズ・フォーチュン」という競争馬とその調教師、マイク・ドノヴァン、競走馬の馬主のロジャー・ボーモンのお話で、しかも、この馬の視点から見たお話しなんですよ(笑)

 

 

1920年代に、漱石吾輩は猫である』のような、動物の覚めた視点で人間社会、そして、競走馬という、人間の欲望に翻弄される存在を客観視した映画があったという事実があった事、そして、それが、「男臭い西部の男たちの映画」を撮っている監督というイメージを持たれているジョン・フォードの作品であるという、二重の驚き、更に言えば、この事実が21世紀の日本でほとんど知られていなかったという事にも驚嘆してしまうのです。


何の予備知識もなく、見ていたので、冒頭に2匹の馬が写っていて、「あれは8年前のこと」という字幕があった時、エッ、だれが回想しているの?誰も写ってないよね?と思って見ていると、どうもこの馬が自分の人生を回想している事に気がつくんです。

 

 

フォードがまさか馬を主人公にした絵垢など撮っているとは思ってないので、いきなりカマされましたよ(笑)!


しかも、「わたしの最初の記憶は、調教師、マイク・ドノヴァンの顔であった」という字幕のつぎが、あのでドラマで使われる、画面がホワンホワンホンとなる、アレを使ってボンヤリとしたい視点がだんだんとハッキリしてきて、ドノヴァンの顔が映るんですけども、つまりですね、コレは、主人公の競争馬が産まれた瞬間を、その産まれた馬の目線で描いているんですよ!

 

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調教師のドノヴァンとヴァージニアズ・フォーチュン


ええええええ、そんな手法がサイレン時代の映画に(笑)!!!


というか、フォード、すごいですよ。


フォード作品は出産をテーマにしたものが結構あるのですけども、本作は主人公の誕生、そして、更に彼女の出産(コーフンして言い忘れてますが、なんと、メスの競走馬なのです!)、そして、その娘もまた競走馬に。という、大河ドラマになっているんです。


競走馬として、素晴らしい家系に生まれながら、参加したレースで最後の直線であわや一位か?というところでヴァージニアズ・フォーチュンは転倒してしまいます。

 

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全財産を賭けてしまい、ボーモン氏は破産します。


競馬に詳しい方はお分かりだと思いますけども、大怪我した競走馬は、薬殺されてしまいます。。


ヴァージニアズ・フォーチュンも馬主の奥さんに「殺してしまいなさい!」とドノヴァンに命じます。


しかし、ドノヴァンは機転を効かせて、銃を撃った音だけを出して、密かに獣医を呼んで治療しました(しかし、競走馬としてはもう復帰できません)。

 

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ドノヴァンはヴァージニアズ・フォーチュンを助けます。

 


このレースにボーモン氏は2万ドルもの大金(1920年代のアメリカですから、数億円なんてものではきかない大金でしょう)を全額自分の馬に賭けてしまい、破産してしまいます。


家と馬はすべて奥さんに譲渡して、ボーモン氏は失踪します。


ボーモン氏の娘、ヴァージニア(娘の名前から、「ヴァージニアの運命」と名づけたんですね)は、ドノヴァンが引き受けて育てる事になります。


主人公、ヴァージニアズ・フォーチュンも、別な馬主に売られてしまう事に。


吾輩は猫である』を思わせる、どこか人間社会をくすぐるような視点で描きていたかと思ったら、ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』さながらの劇的な展開なのですね。


その牧場でヴァージニアズ・フォーチュンはコンフェデラシーという娘を出産し、幸せに暮らしていたかと思いきや、馬の価値のわからない馬主は、駄馬として二束三文で売り払われてしまいます。


ドノヴァンも仕事を失い、警察官になるのですが、彼の交通整理の仕事のシーンはほとんどチャップリンであり、フォードがこんな面白いことを若い頃にやっていたのかと、コレまた驚きます。


フォードは、さすがにチャップリンほどのドタバタ喜劇はやりません(笑)。

 

しかし、このドノヴァンのような、実直で不器用な中年男。というキャラクターを一貫して登場させるんですよ、フォードは。


そして、本作のように、時には主役級の活躍をさせます。


本作の主人公は飼い主の意向によって運命が左右申てしまう、いわば、徹底した受け身のキャラクターなので、ストーリーを能動的に動かす必要があるため、能動的にストーリーを推進させるための役割を与えられた、最重要キャラクターなんですね。

 

このドノヴァンを演じたJ.ファレル・マクドナルドがホントにうまいですよねえ。


さて。


この作品は一見、競走馬として生まれたメス馬のお話しの体裁を取っていますが、実際は、当時のアメリカの女性の置かれた地位というものへの批判が込められているものと思います。


「馬というものは、主人によって境遇が左右されるものなのだ。それは自分ではどうする事もできない」


とヴァージニアズ・フォーチュンは自分を冷静に分析していますが、コレはそのまま人間の女性の社会で地位そのものを告発しているのですね。


フォードは、西部の強い男たちのみを描いた監督ではなかったのです。


しかも、1920年代にこのような主張を作品に込めるというのは、ものすごい事ですよね。


スタッフを見ると、本作の脚本を担当しているのは、ドロシー・ヨストという、当時は大変珍しい女性でした。


フォードは思いつきや気分転換にこのようなえあかを作ったのではない事は本作の素晴らしさを見ればわかりますが、しかも、彼の最後に作った映画もまた、医師になりながらも、職場に恵まれなかった女性を主人公とする、『荒野の女の子たち』であった事(しかも、またしても出産と世代の継承がストーリーの重要なファクターです)からもわかります。


各所に散りばめられた、ユーモア、今もって色褪せない、競馬シーンの迫力、母から娘への継承、そして、幸福とは?という、テーマを実に見事に演出するフォードの演出力には脱帽です。

 

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1920年代の映画とは思えない、大迫力の競馬シーンは圧巻です!フォードは「馬の監督」です。


ヴァージニアズ・フォーチュンが路上で警察官となったドノヴァン、ボーモンと出会うシーンは、まるで溝口健二のような切なさすらある名シーンです!

 

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田中絹枝のような「名演」!


パブリック・ドメイン化した作品なので、YouTube で日本語の字幕のないものは見る事が出来ますので、是非ご覧ください!

 

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笑って泣けるフォードの初期の名作です!

 

https://youtu.be/0CgfEeNauLg