ネチョネチョ生きる。

中島貞夫893愚連隊


中島貞夫という監督は知ってはいましたが、東映の職人監督で、深作とともに、実録やくざ映画を量産していた人。というイメージがあって、積極的に見てみようと思わなかったんです。

山下毅雄がサントラを担当しているという事で『現代やくざ 血桜三兄弟』はAmazonプライムで見た記憶がありますが、渡瀬恒彦が深作作品ではあまり目立たないのに、中島監督作品ではとても生き生きしているので、やっぱり、監督との相性というのはあるんだなあ。という事を感じる程度の感想で、それほど感銘を受けた記憶はありません。

が、そんなネガティブな印象が一挙に消える傑作を撮っていたんですね。

タイトルだけを見て、とても見たくなるような作品でないのは、当時の東映プログラムピクチャー全般に言えますが(笑)、悪い事は言いません、中島貞夫はこれを見ずして評価しないでほしいです。

本作は1966年公開ですから、当時の東映は、いわゆる鶴田浩二高倉健を主演とした任侠映画を量産していた時期です。

そんな時代に京都市を舞台とした愚連隊とヤクザの知恵くらべを描く、ほとんど、フィルム・ノワールと言って良い作品を作ってしまう中島監督のセンスには脱帽です。

 

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松方弘樹ら愚連隊とヤクザの抗争を描いている点が異色です。

 

東映という、ドロドロ、コテコテしたテイストの映画を作るファクトリーから、突然変種のような、非常にクールなテイストのクライム・サスペンスが作られた経緯を私は知りませんが、任侠映画という、言うなれば、ファンタジーに対して、現代の京都に巣食っている、愚連隊の生態の生々しさ。

と言いますか、日本映画で、愚連隊を主人公とし、しかも、傑作としたのは、恐らくは本作くらいしかないのではないでしょうか。

 

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天知茂が旧世代を象徴的に演じます。


ヤクザのようなタテ社会と異なり、「民主的な組織」を形成する愚連隊は、ヤクザがシノギとしないような分野でカネを儲ける手法を次から次へと考えつき、それを実行していく手並みを実にクールに見せる中島演出は見事としか言いようがありません。

また、京都市という、実録やくざ映画でも舞台とならない街を描くという、独特さ(東映の撮影所は京都ですから、ある意味、ロケーションが楽であり、勝手知ったる街であったいうのも大きいのかもしれません)が、本作に、独特のテイストを与えていますね。

 

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京都市でのオールロケーション撮影というのも、とても珍しいですよね。

 


溝口健二の作品に映る関西ともまた違った側面が本作から匂ってきます

オルタナティブな集団としての愚連隊をヤクザが黙って見ているわけがなく、愚連隊の構成員を事実上子分化しようとするのですが、愚連隊のリーダーである、松方弘樹は、その「民主的」な愚連隊のあり方を守りるべく、逆にヤクザ組織をダマしにかかるのですが、それがどうなるのかは見てのお楽しみという事で。

中島監督は、実は早くに東映を退職して、フリーの監督になっていたんですが、その活動の拠点はそのまま東映で、比較的、東映の意向にそった映画を手堅く撮り続けていた感がありますが、実は若き日に大変な傑作を撮っていたんですね。

と、書いていて思い出すのは、深作欣二のギラギラのヤクザ映画と比べて、どこかクールな感覚であるのが思い出してきました。

何しろ、音楽に山下毅雄をつけている辺りからして、ちょっと違いますよね。

 

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ジョン・ヒューストン作品のような清々しさのある、フィルム・ノワールの傑作です!