永遠の映画少年の遺作にしてまたしても問題作!
大林宣彦『海辺の映画館キネマの宝箱』
いやもう、圧倒されました。
大林宣彦は長編デビュー作『HOUSE』から常に問題作を作り続けていたんですけども、遺作までもが問題作とは!
およそ、その穏やかなタイトルからは微塵も読み取れないような、躁病的な実験精神、過激な編集(監督自らが行ってますが、彼の凄まじい編集が全編に漲っております)、凄まじい反骨精神。
すでに肺がんによって余命宣告まで受けている方が作っているとは思えない、異様なまでの生命力。
そして、天井知らずのイマジネーションの奔流!
巨匠といわれる監督の多くの遺作がその肉体的精神的な衰えを露呈してしまいがちであるところ、この遺作は彼の人生の総決算でもあり、しかも、最後まで映画青年のままある事を刻印した痛快作だったというのは、日本映画史上の痛快事でもあります。
お話は広島県の小さな港町、即ち、尾道のフィルム上映している映画館の最終日に戦争映画オールナイト特集が行われるのですが、そこにやってきた3人の青年と少女が映画の中に入り込んでしまうというファンタジーで、こう書いてしまうのなんとも軟弱に見えてしまうのが残念なのですけども、大林作品をよく知る方は、その実態がとんでもない技法を駆使して繰り広げられる事が容易に想像されると思うのですが、その「いつもの大林マジック」の更に心地よく裏切っていくのが、恐ろしいです。
まずは、宇宙船が出てきます(笑)。
ね?もうすごいですよね(笑)?
しかも、乗っているのはミュージシャンの高橋幸宏ですよ。
役名は「爺ファンタ」です(笑)。
なんなのだ、この宇宙船の内部(笑)
『HOUSE』に「ファンタ」という役名が出てきますが、それを更に超えてくるわけです。
もう、80歳を過ぎた老人の発想とは思えないです。
『ねらわれた学園』という、薬師丸ひろ子主演の角川映画『ねらわれた学園』で、峰岸徹が演じていた大魔王ほどのルックスのインパクトは流石にありませんが、この映画の語り部的な役割として、未来から宇宙船で映画館にやってきます。
この映画館の映写技師が、『さびしんぼう』で出番は少ないですけども印象的な演技をしていた小林稔侍です。
支配人で映写技師役です。
コレはネタばれというほどの事ではないので事前に言ってしまってしまってもいいですが、これまで音早く作品に出演してきた役者がいろんな場面に出演しております。
大林宣彦にとってのアントワーヌ・ドワネルである、尾美としのりは当然の事ですが、ちゃんと出演しておりますのでご安心を。
さて、映画に入り込んでしまった3人は、「私を助けて!」という希子という謎の少女を助けようとするファンタジーなのです。
希子を演じる吉田玲は大林監督が大抜擢した新人ですが、見事に大林ワールドの住人になっています。
が、先ほど述べたように、その入り込んでいく映画は、オールナイト戦争映画特集なんです。
という事は、主人公たち(毱男、鳳介、茂)は近代以降の戦争に巻き込まれていく事に必然的になります。
左から、団茂、馬場毱男、鳥鳳介。
ドン・シーゲル、マリオ・バーヴァ、フランソワ・トリュフォーのもじりであり、監督の分身です。
つまりですね、この映画は大林宣彦流の幕末から第二次世界大戦までの歴史語りになっているんです。
しかし、その語っている主体があの大林宣彦ですから、決して一筋縄ではないですし、その根底には彼の戦争体験があります。
大林作品はどれもこれも天衣無縫で、後年はやや落ち着いてはきますけども、やはり、常に映像における実験は一貫してまして、そこが些かも巨匠感を醸し出す事が亡くなるまでありませんでしたが、常に作品の根底に戦争が横たわっておりまして、その点では岡本喜八と共通します。
しかし、岡本喜八のそれは、言い知れぬ怒りの表出であり、それは上層部の曖昧でいい加減な判断が現場を苦しめるという事に修練していくのですが、大林監督は、詩人中原中也の詩や文章を何度も引用しながらも、文明開化ではなく、「野蛮開発」としての日本の近代化のその端的な現れとしての戦争という蛮行への批判、そして、取りも直さず、女性が犠牲となってきた事を本作は描いております。
その犠牲者を成海璃子、常盤貴子、山崎紘菜かそれぞれ、時間と空間を超えて、複数の役を演じております(これは彼女だけでなく、同じ役者が何役も演じ、見ている側をかなり混乱させ、しかも、役者が「そういえばどこかであったような」とすら言わせています)。
成海、常盤、山崎の3人が複数の役を演じています。彼女らを通じて「野蛮開発の歴史」を明らかにしていきます。
一応、時代順に言いますと、坂本龍馬暗殺、戊辰戦争の鳥羽伏見の戦い、会津戦争、西南戦争、日中戦争、沖縄戦、そして、広島への原爆投下が、まるで、みなもと太郎『風雲児たち』のように全体を俯瞰するような視点で未来からやってきた爺ファンタやその娘の中江友里が語り、更にナレーションが時にセリフにかぶり気味に入り、必要だったり不必要なタイミングにスーパーが挿入され、しかもサントラも流れ大林監督自ら行なっている恐ろしくせわしない編集時間軸は基本的錯綜しているという、とにかく情報量が普通の意味の過多ではおっつかない凄絶さがあります。
どこまで本気なのか冗談なのか判然としないところも結構あるので、見るものはますます混乱してしまいます(笑)。
「わかりづらいよ!」と散々批判された大河ドラマ『いだてん』ですが、本作と比べれば、『カラマーゾフの兄弟』と『キン肉マン』くらいの差があります(笑)。
ただ、福島、満州、沖縄、広島の戦争の惨禍を救うべく、主人公の3人が映画の中で右往左往している話なのだ。という事さえ掴んでいると、それほど混乱はしないのでさが、いかんせん、そこに打ち込まれる情報量が尋常ではないです。
映画の終盤は監督の一番言いたかった事と伏線の見事なる結実がありますが、コレは見てのお楽しみに。
最後は大林宣彦監督自身のナレーションすら入ってきます。
しかも、映画の中に入り込む。という、「大林ワールド」と言ってよいファンタジーに主人公3人の青年を放り込んでいるので、もう縦横無尽にジャンルが切り替わり、マキノ雅弘の戦前の傑作『鴛鴦歌合戦』を思わせるミュージカルになったり、サイレント映画になったり(サイレント映画特有のシャカシャカした動きのチャンバラを再現してます)、岡本喜八『独立愚連隊』を思わせる、関東軍と八路軍のとの戦いなどなど、とにかくこれでもかというくらいのテンコ盛りでして、しかも、デジタル技術。という新技術がコレを加速化させ、見るの者の情報処理の限界に挑んでくるようです(笑)。
明らかにチープなCGをここまであからさまに大ベテランがおもちゃで遊ぶように濫用しているという、この狂気(笑)。
大林作品を見る。というのは、自分の経験とか価値観をいったん放棄し、彼の溢れ出る愛を浴びる。という事を是と出来るか否か。で、彼の評価は完全に変わるでしょう。
私は完全に彼の忠実な信徒であり、よって、彼の作品を冷静に分析する事など原理的には不可能ですが(笑)、しかし、彼の映画は好きとか嫌いとかそういう次元の問題ではなく、彼の世界、すなわち、「映画とはココロのマコトを描いた絵空事なのだ」という哲学をアタマではなく、ココロでいう受け止められれば、彼の世界に入ることができるでしょう。
日本の映画界が全くの斜陽になって以降、自主制作、CM監督という全くの異端的ポジションから彗星の如く現れ、ものすごい数の映画を作り続けた真性の天才の遺作を堪能しましたら、是非とも過去作も見て欲しいです。
たくさんの発見があると思います。
RIP