早すぎたニューシネマ!

ジョン・フォード『捜索者』

 

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ジョン・ウェインが演じた役の中でも最も異様なキャラクターであろう、イーサン。

 


ジョン・フォードの傑作西部劇にして、恐ろしく歪んだ異形の作品。


ジョン・ウェインが演じるイーサンという男の、アメリカ文学の古典、メルヴィル『白鯨』のエイハブ船長を思わせる、偏執狂的としか言いようのない人物造形は、内面がほとんどわからないところからして不気味です。


コマンチ族に弟一家を惨殺された男の執念なのだ。と言ってしまえば、それまでですが、8年もの期間を、さらわれたルーシーとデビーを捜索し続けるという(南北戦争終結後のアメリカですから、1860年代です)、そのエネルギーは一体何なのかはお話の中で一切明かされません。

 

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ちなみに、ルーシーは最初の段階で殺害されている事がわかります。


殺されているシーンが一切映像として表現されず、イーサンのセリフとしてのみ表現するフォードの演出は見事であり、むしろ、残酷さコワサが惨殺シーンを絵として見せるよりも遥かに辛いですね。

 

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イーサンを駆り立てるエネルギーとは何なのかは一切明かされませんがPTSDの可能性は考えられるかもしれません。

 


フォードは敢えて残酷なシーンを描かない事で残忍さを表現する事がたいへんうまい監督ですね。


フォードは、コールドウェル『タバコロード』を映画化していますが、原作の痛ましい結末を敢えてカットしています。


しかし、その一見ハッピーエンドに見える結末に漂う不穏な空気感は、どう考えても、レスター夫妻の悲劇的な結末を感じざるを得ない見事な演出になっていますね。


話しがやや脱線しましたが、この異様な捜索劇のウェインの相棒が、インディアン(敢えて、現在では使われる事のためらわれる表記を用います)と白人の混血である、マーティンという若者です。


ウェインが演じるイーサンは親族がコマンチ族に殺害される事以前からインディアンを忌み嫌い、しかしながら、彼ら彼女らの文化や習俗にかなり詳しく、憎悪なのか愛着なのかもはや判然としません。


そういうところもエイハブ船長がモビー・ディックを追い回す狂気に似たものがあります。


そんな男が、特にインディアンと白人の混血である(現実のアメリカではネイティブ・アメリカと白人、黒人の混血の子孫はかなり多いです。特に黒人はそうしなければ、アメリカ大陸で根絶していた可能性が高かったです)、マーティンと行動をともにするところは、とても奇妙です。

 

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バディものとしても大変優れています。


こういう奇妙な設定は、例えば、クリント・イーストウッドに色濃く影響があるように思います。

 

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まさに「イーサンの息子」である、ハリー・キャラハン。


また、イーストウッドが演じる、かなり歪んだ正義感を持ったキャラクターは、このイーサンに原形が求められるようにも思います。


では、本作はこの狂気じみた人物を主人公にした、暗い作品なのか?となりそうなのですが、ジョン・フォードの只者ではない所はそうなってはいない所なんです。


随所にコメディ・リリーフを配置し、フォードお得意のカラッとしたコメディが間に挟まれたり、マーティンが書いた手紙体裁で数年間の捜索の様子を手際よくまとめたりと、単調に陥らない工夫がなされています。

 

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また、大変驚くのは、この映画、結構な手抜きが多く(笑)、ロケーションのシーンの次が思い切りスタジオ撮影だったり、戦闘シーンがロケーションとスタジオをつないでいたりと、当時の人にすら、「アレッ、なんでココが急にスタジオ撮影になるのか?」と気がつくような場面が散見されるんです。


ところが、イザ、このショットを見せたいというところでは、「アッ!」と思わず声が出てしまいそうになる程に見事なショットが現出するんですね。


フォードは「全ショットスキのないようなものにしたら、見ているものも疲れてしまう。そうではなくて、別にどうという事のないシーンはそんなに気合い入れなくてもいいんだよ」と考えているフシがかなり若い頃があるように思われ、故に、見る側はフォードが見せたいショットに容易に誘導されるんですね。


ポール・トーマス・アンダーソンは発表す作品がどれもこれも驚嘆するクオリティですが、全てのショットが油断もスキもなく作られたすぎていて、どこが見せないのかわかりづらいし、第一、見ていて疲れます。


フォードの抜くところは抜いても大丈夫なのだ。という演出は現在の監督は案外見逃している気がします。


コレを守っているのは、案外、イーストウッドのような気がします。


また、ハッピーエンドでもバッドエンドでもなく、見るものを置き去りにしてしまうような静かな終わり方も1950年代のハリウッド映画とは思えず、早すぎる1970年代のハリウッド映画に見えて仕方がないです。


実際、興行的に芳しい作品ではなく、公開当初の評価は高くなかったんですが、次第に評価が、高まっていったというのも納得です。


今こそ見てもらいたい異形の傑作です。

 

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