スピルバーグの父はフォードであった!

ジョン・フォード『周遊する蒸気船』

 


前半のオフビート感(ジム・ジャームッシュの出現の遥か前です!)、からの後半のチキチキマシン猛レースへの見事な転換。


しかも、メインテーマは冤罪で逮捕された甥の救出。という、コレだけでは何の事だがわからないので、もう少し詳しく説明を。


1890年代のアメリカ南部ルイジアナ州、主人公のドクター・ジョン(まさか、あの人の名前はココから取ったのではないですよね?)は、ミシシッピ河の蒸気船で「ポカホンタス」という、謎の栄養ドリンクを売っているような、インチキおやじです(笑)

 

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テレビでよく見る、巨大な外輪のついた船ですね。今でも観光船としてミシシッピ河を運行しています。


その同じ蒸気船には、「飲酒はけしからん!」と乗客に説教をする、「ニュー・モーゼ」を自称する、まあ、有体に言って軽くキチガイじみた人が(笑)

 

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ルイジアナで大人気のニューモーゼ(笑)


1920年代のアメリカで禁酒法という法律がありましたけども(結果として、ギャングやマフィアが密造酒と闇酒場で大儲けしただけですが)、アメリカのプロテスタントには、飲酒を忌み嫌う考えが意外と強いんです(ルイジアナ州はフランスの植民地でしたから、カトリック教徒が多いと思いますが)。


ウィルソン大統領という、大変真面目な大統領の時代にこの法律ができたのは、国民の少なからざる割合で、このような人々がいたからなんですね。


閑話休題


この冒頭に出てくるニューモーゼ、実は本作の重要キャラクターなのですが(笑)、コレは見てのお楽しみに。


さて、ドクター・ジョンは、甥のデュークとともに、手に入れたオンボロの蒸気船で一儲けしようと考えます。

 

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呑んだくれのおじさんと船内を片付けるドク。


しかし、デュークはドクの知らない女性、フリーティ・ベルを連れて蒸気船にやってきます。


デュークは「私は誤って人を殺してしまったから、自首する」と、唐突な事を言い始めます。

 

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原因は、フリーティ・ベルと結婚しようとした事に、彼女の親族が怒ってしまい、ケンカとなってしまった時に、不可抗力で相手が死んでしまったのです。


ドクは、「目撃者はいなかったのか?裁判でその人に証言させれば、陪審員は無罪とするだろう」というと、「ニューモーゼと名乗る男が顛末を見ていたから、彼がいれば」というんですね(笑)


あのニセ預言者(彼は壺を売ったり、不当に高い寄付を要求などしない、清貧のキチガイです)は甥の無罪を証明する存在だったんですね(笑)


とりあえず、ドクは保安官事務所に行って自首するのですが、この映画のすごいところは、法廷モノになるのか?と思わせておいて、次のシーンで呆気なく有罪が決まってしまって、「ニューモーゼを見つけることができず、有罪が決まった」となるんです。


この大胆な省略、ジョン・フォードは素晴らしいですね。


そこで、控訴するための弁護士を雇うために、蒸気船の中には、蝋人形館を作ってコレを見せ物にしてカネを稼ぎ、裁判費用を稼ごう!そして、船で移動しながらニュー・モーゼの足跡を探すんですが、ガイキチのバイタリティと行動力は並々ならぬものがあり、なかなか見つける事ができないんです。

 

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蝋人形館のシーンは爆笑モノ!


そうこうするうちに、なんと、デュークの死刑の執行が決まってしまいます!


ドクは「もうこうなったら、州知事に直接訴えるしかない!」と蒸気船でルイジアナ州の州都、バトンルージュを目指して蒸気船を走らせるのですが、なぜか、バトンルージュを目指す、蒸気船レースが開催されていて、ドクたちはそれに巻き込まれてしまいます。

 

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オフビート感が強い絵作りがレースが始まると突然、大迫力の映画に変貌していきます!


この唐突でご都合主義的な展開の凄さが、まさにアメリカ映画でありますし、それを確立した1人が、ジョン・フォードであった事実は、やはりというべきでしょうか。


この蒸気船の乗組員として活躍するのが、「エイブラハム・リンカーン・ワシントン」という黒人でして(笑)、デュークの婚約者であるフリーティ・ベルとともに大活躍なんですよ。

 

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女性と黒人がこんなに活躍する映画というのは、当時は珍しいと思います。


ここで改めて驚くのが、本作のメインキャストが、山師的なおじさん、若い女性、黒人である事です。


1935年の映画ですよ。


今でこそそういう映画は珍しくないでしょうが、遥かにマチズモが強かったであろう、1930年代のアメリカでコレは驚異的です。


『エイリアン』や『グロリア』、『夜の大捜査線』が作られる遥か昔です。


更に驚くのは、南部の白人社会の中にも差別意識が存在する事をチラッと描いている事です。


差別問題というのは、白人と黒人の差別だけでなく、白人内部におけるカーストとしても厳然と存在している事を、1930年代のアメリカで描くとうのは、大変に勇気のいる事です。


フォードは『駅馬車』や『ハリケーン』のような傑作娯楽映画を作りながら、その一方で、『怒りの葡萄』、『タバコロード』のような、世界恐慌時における、南部の白人農家の貧困問題を正面から描いている監督ですから、アメリカ社会の不正や矛盾への怒りは、彼の創作の原動力であると思います。

 

この作品を見てつくづく思うのは、スピルバーグもまた、「フォードの息子」なのだなあ。という事に気がつかされた事です。


スピルバーグがある時期からあらゆるジャンルを映画をものすごいペースで作り始める行動と、ジョン・フォードのあまりにも多岐に渡る作品群はピッタリと重なるんですね。


フォードは『若き日のリンカーン』という作品を撮ってますが、スピルバーグもまたリンカーンを主人公とした映画を撮っています。


もしかすると、スピルバーグは最後に西部劇を撮るのかもしれません。


私たちが「アメリカ映画らしい!」と思わせる、あの共有する感覚を作り上げたのはジョン・フォードなのだ(当然のことながら、その更に前にはグリフィスやシュトロハイムがらあるわけです)という事を通算せざるを得ない、『駅馬車』と並ぶ、フォードの傑作娯楽映画。

 

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今もって古びる事のない傑作です!

 

 

※今回が400本目のブログです。