サイレント期に馬を主人公にした映画が作られていたのです!
ジョン・フォード『香も高きケンタッキー』
なんと、馬が主人公のお話しなのです!
サイレント期のジョン・フォードを見ている人って、もうあんまりいないと思いますし、そもそも、ジョン・フォードの映画見ている人がいないような気がするのですが、コレはホントに残念な事だと思ってます。。
結論から申し上げると、驚きの傑作であります。
何故ならば、このお話しは「ヴァージニアズ・フォーチュン」という競争馬とその調教師、マイク・ドノヴァン、競走馬の馬主のロジャー・ボーモンのお話で、しかも、この馬の視点から見たお話しなんですよ(笑)
1920年代に、漱石『吾輩は猫である』のような、動物の覚めた視点で人間社会、そして、競走馬という、人間の欲望に翻弄される存在を客観視した映画があったという事実があった事、そして、それが、「男臭い西部の男たちの映画」を撮っている監督というイメージを持たれているジョン・フォードの作品であるという、二重の驚き、更に言えば、この事実が21世紀の日本でほとんど知られていなかったという事にも驚嘆してしまうのです。
何の予備知識もなく、見ていたので、冒頭に2匹の馬が写っていて、「あれは8年前のこと」という字幕があった時、エッ、だれが回想しているの?誰も写ってないよね?と思って見ていると、どうもこの馬が自分の人生を回想している事に気がつくんです。
フォードがまさか馬を主人公にした絵垢など撮っているとは思ってないので、いきなりカマされましたよ(笑)!
しかも、「わたしの最初の記憶は、調教師、マイク・ドノヴァンの顔であった」という字幕のつぎが、あのでドラマで使われる、画面がホワンホワンホンとなる、アレを使ってボンヤリとしたい視点がだんだんとハッキリしてきて、ドノヴァンの顔が映るんですけども、つまりですね、コレは、主人公の競争馬が産まれた瞬間を、その産まれた馬の目線で描いているんですよ!
調教師のドノヴァンとヴァージニアズ・フォーチュン
ええええええ、そんな手法がサイレン時代の映画に(笑)!!!
というか、フォード、すごいですよ。
フォード作品は出産をテーマにしたものが結構あるのですけども、本作は主人公の誕生、そして、更に彼女の出産(コーフンして言い忘れてますが、なんと、メスの競走馬なのです!)、そして、その娘もまた競走馬に。という、大河ドラマになっているんです。
競走馬として、素晴らしい家系に生まれながら、参加したレースで最後の直線であわや一位か?というところでヴァージニアズ・フォーチュンは転倒してしまいます。
全財産を賭けてしまい、ボーモン氏は破産します。
競馬に詳しい方はお分かりだと思いますけども、大怪我した競走馬は、薬殺されてしまいます。。
ヴァージニアズ・フォーチュンも馬主の奥さんに「殺してしまいなさい!」とドノヴァンに命じます。
しかし、ドノヴァンは機転を効かせて、銃を撃った音だけを出して、密かに獣医を呼んで治療しました(しかし、競走馬としてはもう復帰できません)。
ドノヴァンはヴァージニアズ・フォーチュンを助けます。
このレースにボーモン氏は2万ドルもの大金(1920年代のアメリカですから、数億円なんてものではきかない大金でしょう)を全額自分の馬に賭けてしまい、破産してしまいます。
家と馬はすべて奥さんに譲渡して、ボーモン氏は失踪します。
ボーモン氏の娘、ヴァージニア(娘の名前から、「ヴァージニアの運命」と名づけたんですね)は、ドノヴァンが引き受けて育てる事になります。
主人公、ヴァージニアズ・フォーチュンも、別な馬主に売られてしまう事に。
『吾輩は猫である』を思わせる、どこか人間社会をくすぐるような視点で描きていたかと思ったら、ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』さながらの劇的な展開なのですね。
その牧場でヴァージニアズ・フォーチュンはコンフェデラシーという娘を出産し、幸せに暮らしていたかと思いきや、馬の価値のわからない馬主は、駄馬として二束三文で売り払われてしまいます。
ドノヴァンも仕事を失い、警察官になるのですが、彼の交通整理の仕事のシーンはほとんどチャップリンであり、フォードがこんな面白いことを若い頃にやっていたのかと、コレまた驚きます。
フォードは、さすがにチャップリンほどのドタバタ喜劇はやりません(笑)。
しかし、このドノヴァンのような、実直で不器用な中年男。というキャラクターを一貫して登場させるんですよ、フォードは。
そして、本作のように、時には主役級の活躍をさせます。
本作の主人公は飼い主の意向によって運命が左右申てしまう、いわば、徹底した受け身のキャラクターなので、ストーリーを能動的に動かす必要があるため、能動的にストーリーを推進させるための役割を与えられた、最重要キャラクターなんですね。
このドノヴァンを演じたJ.ファレル・マクドナルドがホントにうまいですよねえ。
さて。
この作品は一見、競走馬として生まれたメス馬のお話しの体裁を取っていますが、実際は、当時のアメリカの女性の置かれた地位というものへの批判が込められているものと思います。
「馬というものは、主人によって境遇が左右されるものなのだ。それは自分ではどうする事もできない」
とヴァージニアズ・フォーチュンは自分を冷静に分析していますが、コレはそのまま人間の女性の社会で地位そのものを告発しているのですね。
フォードは、西部の強い男たちのみを描いた監督ではなかったのです。
しかも、1920年代にこのような主張を作品に込めるというのは、ものすごい事ですよね。
スタッフを見ると、本作の脚本を担当しているのは、ドロシー・ヨストという、当時は大変珍しい女性でした。
フォードは思いつきや気分転換にこのようなえあかを作ったのではない事は本作の素晴らしさを見ればわかりますが、しかも、彼の最後に作った映画もまた、医師になりながらも、職場に恵まれなかった女性を主人公とする、『荒野の女の子たち』であった事(しかも、またしても出産と世代の継承がストーリーの重要なファクターです)からもわかります。
各所に散りばめられた、ユーモア、今もって色褪せない、競馬シーンの迫力、母から娘への継承、そして、幸福とは?という、テーマを実に見事に演出するフォードの演出力には脱帽です。
1920年代の映画とは思えない、大迫力の競馬シーンは圧巻です!フォードは「馬の監督」です。
ヴァージニアズ・フォーチュンが路上で警察官となったドノヴァン、ボーモンと出会うシーンは、まるで溝口健二のような切なさすらある名シーンです!
田中絹枝のような「名演」!
パブリック・ドメイン化した作品なので、YouTube で日本語の字幕のないものは見る事が出来ますので、是非ご覧ください!
笑って泣けるフォードの初期の名作です!