1950年代の狂気を描いた痛快作!

ジョン・カーペンター『クリスティーン』

 

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「不死身の自動車」が襲いかかる。というアイディアがとにかく素晴らしいですね!

 

カーペンターという人はとにかくうまいとしかい言いようのない、真のアルチザンですね。


1970-80年代にハイペースに作られた諸作はすべて必見であり、映画ファンの快楽のツボを絶妙に刺激する作品です。


本作もまさに必見であり、最早、古典的名作と言ってよい作品なので、あらすじだのをココでつらつらと書くのも野暮だと思われ、それは一切放棄することとします(笑)


本作は1983年に公開され、そこそこのヒットしたようですが、1985年にロバート・ゼメキス監督の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』という、桁ハズレにヒットした映画がありますけども、「クルマが重要なファクターになっている、高校生のお話し。しかも1950年代が深く関わっている」という点に共通点がある事に気がつきました。

 

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こちらは、クルマをタイムマシンに改造するというアイディアが秀逸でした!


両者をものすごく単純化して比較すると、『バック〜』は、50年代と80年代のアメリカを直結したら、アメリカの歴史は最高じゃないか!なぜなら、ケネディ暗殺も、公民権運動も、ヴェトナム戦争もなく、アイゼンハワー政権からレーガン政権が直結している世界を描いています。


つまり、共和党讃歌です(笑)

 

かたや本作は、悪霊が取り憑いた1958年製や怪物自動車から、リトル・リチャードなどのロックンロールが流れ続けることが恐怖と直結するという、1978-9年を描いている作品です。

 

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つまり、アメリカのキラキラとした輝きのみを見ている作品(しかも、ロックンロールは白人がオリジネイターでそれを黒人が剽窃した事になっています)と、1950年代のウラにある闇と狂気をあぶり出している、いわば、アメリカの黄金期のダークサイドを描いた作品という、ちょうど真逆の関係にあるんですね。


リトル・リチャードの音楽がコワイ。という経験は果たしてあったでしょうか、あんなごきげんすぎる音楽に(笑)


しかし、彼のとにかく一直線に爆走すると事のみを表現する音楽は、まさにブレーキの壊れたクルマの暴走と似ています。


事実、ロックンロールのアメリカにおけるブームは本当に短いですよね。


リトル・リチャードは、「罪深い音楽をやっていた」と言って、呆気なく隠退してしまい、なんと、牧師になってしまうんです(後に復帰しますけど)。


事故死(バディ・ホリーエディ・コクラン、リチー・ヴァレンス)、逮捕と服役(チャック・ベリー)、徴兵(エルヴィス・プレスリー)がほぼ連続して起こり、ロックンロールは中心を失って崩壊したんですけども、それと、悪霊に取り憑かれて暴走するアーチー・カニンガムは見事に付合するんですね。

 

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いじめられっ子の高校生がアメ車に取り憑かれる。という、思春期の男の子にありそうなエピソードがコンマ数ミリズレる事で生じる狂気を見出すカーペンター監督の視点は実に鋭いと言わざるを得ません。


カーペンター監督は優れた映画をコンスタントに作り続けていますから、もっとハイバジェットな映画を撮ることも可能だと思うのですが、一貫してB級映画を作り続けているのは、似たような資質をもっている、スピルバーグのように自分はならない事をどこかで決意してしまっているのかもしれません。


私はカーペンターのインタビューとか彼の事を書いた著作は一切読んでいないので、「いやいや、カーペンターはそんな事を言ってないよ」とおっしゃる方もいるかもしれません。


そういう事ではなく、本人が意識していようがいまいが、作品からそのような事が言えるのではないのか?という推測をしてみましたという次第です。


また、「ロックンロールがコワイ」というのは、実は映画史に於いて、先行する作品があります。


それは、オーソン ・ウェルズ『黒い罠』です。

 

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悪徳警官を演じるオーソン ・ウェルズが不気味な傑作『黒い罠』。


この作品はまだ、後のような知名度を得る前のヘンリー・マンシーニが音楽を担当しているのですが、当時の流行音楽として、ロックンロールを犯罪シーンにつかったという、大変画期的な使い方をしているのですけども、映画への造詣は相当に深い事がフィルモグラフィーから推測できるカーペンターは、この映画史的な事実も踏まえた上での演出だったのかもしれません。


バック・トゥ・ザ・フューチャー』をカーペンターが、『クリスティーン』をゼメキスがそれぞれ監督していたら、映画史は変わったでしょうか。

 

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