なぜ2倍になってしまったのか?を考えてみました。
マイケル・マン『ヒート』
アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロのダブル主演で、ヴァル・キルマーやジョン・ヴォイドという豪華なキャスティングで各シーンも大変にみなぎる映像ですし、主演二人の余裕綽々の見事な演技も見られるにも関わらず、総体としては大変凡庸と言わざるを得ない作品。
問題なのは、なぜなのか?という事なんですね。
クライム・アクションというのは、世界各国で腐るほど作られている、ある意味定番ジャンルものですけども、1つの鉄則があると思うんです。
それは警察側から描くのか、それとも犯罪者の側からなのか。ですね。
前者はアメリカ映画の得意とするところで、『ブリット』、『フレンチ・コネクション』、『ダーティ・ハリー』という、鬼刑事を通り越した、やや狂気すら感じさせる刑事の暴走気味の活躍を描くもの。
後者はフランス映画が得意とし、なんと言っても『さらば友よ』が思い出されます。
本作は欲張りにも、両面を描いてしまおう。という点に根本的な問題があります。
アクション映画というのは、胃にもたれてはいけませんに、後に何かを残してはいけません。
出来うれば90分くらいでサクッと終わるのがいいと思います。
しかしながら、この映画、なんと、約3時間もあります(笑)。
なぜなのかというと、善悪両側を描いているからです。
よって単純計算で90×2=180ですから、3時間という結果になってしまうんですね。
そんな単純なのか?と思うかもしれませんが、見ているとホントにそうなんです(笑)。
そして、この脚本の持つ構造がマズいダブル主演を成立させてしまいました。
デ・ニーロとパチーノはともにニューヨーク出身のイタリア系アメリカ人であり、デ・ニーロが1943年、パチーノが1940年生まれで、ともに注目を集めるキッカケとなった映画は、フランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッドファーザー・シリーズ』です。
2人ともオスカー俳優ですし、刑事やマフィア、ギャングなどの犯罪者役が多い事も実は似てます。
要するにキャラがモロに被りすぎているんです。
当人たちは仕事をするという上では恐らく台風の眼にいる状態でしょうけど(実際の両人の内心は知らんですが)、それぞれのエージェントが相当にピリつくのは、想像に難くありません。
パチーノが家庭を顧みない鬼刑事、デ・ニーロが冷徹な仕事ぶりの犯罪者をそれぞれ演じる。というのは、ビジネス上、譲歩の余地がないですね。
つまり、どちらかがウケの演技に回ることができないんですね。
『フォードvs フェラーリ』ですと、クリスチャン・ベイルに対し、マット・デイモンがうまくウケの演技をする事で双方がとても活きているんですけども、パチーノとデニーロではギンギンなんですよ(笑)。
もう公開してからかなりの年月が経過しているのである事をバラしてしまいますが、驚く事にこの2人が同じ画面に一度も映っているシーンは、わずか一つ!しかもボンヤリです!!
3時間もあるのに(笑)!
なんと、二人が同じ画面に確実に写っているショットはコレだけです!デニーロがボケボケ(笑)!
パチーノとデニーロが直接向き合うシーンは実はたったの2回しかないんです。
最初はダイナーでコーヒーを飲みながらの会話シーンなんですけども、コレが小津映画の会話シーンと同じで、画面の切り返しでのみ表現されるんですね(笑)。
ホントにコレの連続です(笑)。本人である必要が全くないです。
コレ、本人である必要ないですよね(笑)。
で、カット数がそれぞれに全く同じ数だけあって完全に均分されています。
一応、肩越しの後ろ姿がそれぞれ映りますが、絶対に本人ではなく、代役でしょう、コレは。
まさか、こういう、1970年代を彷彿とさせ骨太な映画に小津安二郎のショットが出てくるところに私は腰が抜けましたね(笑)。
多分ですが、「出演ショットが同数である事」という契約になっているんですよね。
全部数えてなどいませんが、恐らくはホントにホントに同数なのではないかと(笑)。
次のシーンはラストの二人が一対一で対決するシーンなんですけども、コレすら同じ画面に二人は収まる事はなく、モンタージュをひたすら繋いでいくいう、前代未聞の演出が取られていて、呆気に取られます。
コレがそれ以外の重厚な演出をすべて相殺してしまい、凡作にしてしまってますね。
最初の犯行シーンは全体のアクションの白眉だと思いますが、ものすごいワクワク感があるんですよ。
リアリズムに徹したアクションにこそ、マン監督の本領があると思います。
しかし、それと同じだけの長さのパチーノのシーンがやってくるので、ボヤけてしまってキレが全くないんです。
あと、このダブル主演によるピリつきがお話しのプロットすらも歪にしてしまい、とにかく「パチーノ、デニーロが最優先」みたいな作りになっていて、それ以外のぶぶがかなり雑でムリくりくっついているような塩梅で、それもムダに本作を遅延させ、おもろさに微塵も貢献しません。
なかなかいい身体のキレを見せる、デニーロの手下役のヴァル・キルマーの存在感が、完全に減殺されてますし(キルマーの能力の問題ではありません)、ジョン・ヴォイドが思い出したように数度登場するんですが、実に印象に残らず、唐突に出てくると「あっ、そうだ。ヴォイド出演してたんだよな」としか認識できないんですね。
銀行強盗からの警察との銃撃シーンの迫力はホントに素晴らしいですね。この素晴らしさが緩慢な構成でダメになっているんですね。。
ちなみに、ヴォイドとデニーロは同じ画面に映って共演してますよ。二人ともオスカー俳優ですけども。
話がやや飛びますが、実はこの映画、リメイクです。ってココで言うとズッコケますでしょうか(笑)。
しかも、マイケル・マンが1989年に作ったテレビ映画『メイド・イン・LA』です。
驚くなかれ、このテレビ作品、92分なのです(笑)。
リメイクしたら2倍になったというね(笑)。
この作品は善悪両側を見せたいという、欲張りな欲求が生み出したのか、それとも、ぱちとデニーロを押さえることに舞い上がってしまった結果なのか定かではないですけども、要するに2倍になるという宿命が埋め込まれてしまっていて、そこからマン監督は逃れられなくない状態で作っていたわけなんです。
プロットはオリジナルと大体同じらしく、本来のバランスならば、午後ローでもちゃんと放映できるサイズにできたんです。
それをさせなかったのは、監督の方針ミスであり、キャスティングミスですね。
これによって脚本が歪になってしまい、いろんなところに皺寄せが押し寄せ、作品はムダに肥大化しました。
私はこの非常に優れたアクションシーンを活かすために、パチーノ側から描いた映画とデニーロ側から描いた映画をこの映像から2作作ったらどうなのか?と思うんですね。
足りないシーンを撮影し、当時の映像と違和感なく合わせ(デジタル技術だとできてしまいそうでズッコケ)、それぞれに90分くらいのアクション映画に作り上げたら、評価が上がるのではないでしょうか。
2人の共演はその後、2回あるのですが、コレはどうなっているのかも確認したいものです。
脚本とキャスティングが映画は大事ですよねえ。。