フリードキン監督の傑作がようやく完全版で見ることができました!

ウィリアム・フリードキン『恐怖の報酬 完全版』

 


いやー、大感激しました!


本年見た映画でコレがでベスト。


コレまで、監督の意図された形での上映はなかったので、新作とみなします。


ニトログリセリンの爆風を使って、油井で発生した火災(反政府テロの犯行に変わってます)を収束させるためにトラックでニトロを運ぶ。という、アンリ=ジョルジュ・クルーゾーのオリジナルのプロットこそありますが、もう全く別物の作品になっていて(原題もSorcerer になってます。なんと、マイルス・デイヴィスソーサラー』から取られたのだそうです)、リメイク。などという、安易なものではありません。

 

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反政府テロリストの攻撃で爆発してしまう油井!

 


なので、本作の邦題は、間違ってはいませんが、全く違うタイトルにしてもよかった気はします。


イヴ・モンタン主演のオリジナルも大変な傑作で、前半の吹き溜まりのような南米の街のウダウダ、ダラダラとした描写が今見るとちょっと冗長とはいえ、ニトログリセリンを運ぶ展開に映ったらもう無類に面白いので、是非とご覧いただきたいのですけど、オリジナルの持っているドライで突き放した感じの演出に対して、フリードキン版は、圧倒的にドロドロで凄絶、そして、フリードキンならではの非情で骨太さが漲っており、1970年代の、テロが横行する世相をうまく取り込んだ作品に変貌していて、それでいながら120分にスッキリと言いたいことを絞り込んでいるところが見事なんですよね。


見終わると、もっと長い映画を見ていたんではないの?というくらい濃密で、心底驚きます。

 

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マフィアのボスの弟を撃ってしまった嫌疑をかけらてしまうロイ・シャイダー


冗漫で長く感じるんのではなく、中身が濃すぎて長く感じるんですね。


面白いのは、ドライバーとなる4人が、どうして南米の奥地にまで来ざるをえなかったのか。が、最初に展開するんですけど、1人は殺し屋、1人は反PLOのテロリスト、1人はパリの銀行家、そして、最後がアメリカのアイリッシュ・ギャングです。


みな、それぞれに犯罪や嫌疑のために本国にいられなくなり、国籍も名前も偽り、とんでもない場所に潜伏せざるを得なくなるんですね。


その冒頭がもうものすごいんです。


それぞれがもう映画一本になってるんじゃないの?というくらいにシビれるほどカッコいいんです!


もう、スッカリ、フリードキンの演出にハマってしまうんですね。


そこから、南米のジャンルの中にある、油井の近くにできた町の落差!


なんて小汚い(笑)!

 

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刑務所以下(笑)。

 

とにかく、ドロ沼の中にある感じで、住民も最下層なんてものではない。

 

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事故と石油会社の無策に怒り狂う住民!

遺体は黒焦げ!

 

ちょっとやり過ぎ感はないではないです。。


ロイ・シャイダーが一応、オリジナルのイヴ・モンタンになるんだと思いますが、こういうどうしようもない境遇に追い込まれた感じがホントに出てますね。


さすが、アメリカの川谷拓三。


ジョーズ』よりも更に素晴らしい!


ここから、4人がトラックに乗ってニトログリセリンを運ぶという、メインになっていくんですが、まあココは一切何も言えません(笑)。


まあ、ホントにコワイ。


こんな所に舗装された道なんてあるわけがなく、とにかくハラハラ、ドキドキの連続なのでございます!

 

 

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ひゃー!コワイ!!

 


熱帯雨林特有の滝のような雨がドライバーたちをトコトン苦しめ、人間が入ってはいけない、完全なるアウェイを進む自分たちでなんとか動くように修理したトラックが、まるで不気味な巨体生物のように見えてきます。

 

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ジャジャーン!


驚いたのは、ラストシーンにチャーリー・パーカーの晩年の名作『Charlie Parker with Strings』の『l’ll Remember April』がちょっと流れまして(全体の音楽はタンジェリン・ドリームが担当してます)、コレが絶品なんですよ。チャーリー・パーカーをサントラに使ったのは、イーストウッド『バード』を別とすれば、たしか、ルイ・マルの作品にあったくらいだと思いますが、コレはとても珍しい。

 

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超天才アルトサックス奏者、チャーリー・パーカー


フレンチ・コネクション』の、あの、ナタでドカンと切ったような編集、そして、具体的な物量と無茶な動きで作り出されるダイナミックなアクションは、昨今のCGを駆使した映像では絶対に味わえないゴツさであり、フリードキンのフィルモグラフィーのベスト3に間違いなく入る、それはすなわち、映画史に残る傑作である事が間違いない作品です。

 

 

 

 

スコリモフスキの青春残酷物語!

イェジー・スコリモフスキ『早春』


流浪の監督、スコリモフスキの過去の作品はまだ日本では見ることができないものが多いですが、1970年公開の本作もようやくDVD化しました。


主人公の男の子は、『ルートウィヒ』の、普墺戦争に参戦した事が原因で精神疾患になってしまう、オットー親王役だった、ジョン・モルダー・ブラウンですね。

 

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このマイク役で注目されました。


『ルートウィヒ』ご覧になったら分かると思いますけど、この俳優さん、ホントに繊細な美少年なんですよね。


そんな彼が演じるマイク少年は、個室の銭湯(そういうのがイギリスにあるんですね。この辺はよくわからないです)みたいな所で働くことになりました。

 

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ちょっとフェリーニっぽいシーンですね。


しかし、そこに勤めている歳上のちょっとツンデレなお姉さんのスー(『ルパン三世』第1作の峰不二子っぽいですね)にイジワルをされるんですね。

 

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スーを演じるジェーン・アシャーの小悪魔的な魅力が横溢しております!


そういうお姉さんにジワジワといじめらる映画なんですよ、コレは(笑)。


スコリモフスキは、現在も現役で映画を撮り続けていますが、彼の作風はホントに謎というか、難解なアート作品みたいなのは皆無で、常にものすごく具体的な事を映画にしているはずなんですけども、作風が全く見えてこない(笑)。


しかも、老成もしないで、ひたすらアグレッシブな作品ばかり作るんですよ、未だに。


強いて言えば、あんまり人が思いつかないようなシチュエーションとかを設定して撮るのが好きな人なのかな?とは思いますね。


『シャウト』は、ホントに誰とも似てないし、誰にも影響を与えようがないほどに独特すぎる映画です。

 

本作はそこまでエクセントリックではなく、彼のフィルモグラフィでは相当万人向けな青春映画で、長い労働党政権時代の、気だるい停滞感がなんとなく当時の東欧の停滞感とも呼応しているような感じで、チェコスロヴァキア映画なのかな?と一瞬思ってしまったりもします(ちょっと『ひなぎく』っぽい色使いです)。

 

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しかし、小悪魔なおねえさん(実は婚約者がいます)にイジワルされる。つまり、林家こぶ平がヒロミと所ジョージにいじられまくって「なんだよ~やめろよ~」というあの懐かしのシチュエーションと言いいますか(笑)、それがホントにうまく撮れているんですね。

 

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ホントになんでも出来る監督というのか、このトリュフォーアントワーヌ・ドワネルものっぽさのありながら、英国独特の毒々しさがあって、撮っているスコリモフスキはポーランド人という、もうなんだかわからないインターナショナルなのか何なのかすら判然としないところが面白いですね。

 

ロンドンが舞台なのに、資本はアメリカから出てますし(笑)。


非常に優れたロケーション、撮影、スコリモフスキ演出のみずみずしさ、どれを取っても一級品であり、青春の残酷さを見事に切り取った傑作だと思います。

 

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アシャーは一時期、ポール・マカートニーの恋人でした。キーッ。

 

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トリュフォーとかマルの初期の作品にあった鮮烈さが、このポーランド人の監督によって見事に蘇った感があります。

 

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もっとスコリモフスキの映画を気軽にみることができるようになればいいなあ。とつくづく思いました。必見。

 

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フランスの脱獄モノ、犯罪モノには傑作多し!

フランクリン・J・シャフナーパピヨン


かつて仏領ギネアは、フランス本国には囚人を送り込む、事実上の流刑地でした。


金庫破りと殺人(殺人は冤罪です)で終身刑となったパピヨン(スティーヴ・マクイーン)と贋国債作りで逮捕されたルイ・ドガダスティン・ホフマン)は同じ船で、ギネアに護送されています。

 

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護送船がすでにクソ暑くてキツいんですね。


ちなみに、ギネアはアフリカにある現在のギネア共和国ではなく、南米にある、現在も海外県として存在する地域です。念のため。


現在は約20万人ほどの人口だそうです。


当時の囚人への扱いは恐ろしく過酷で、本作の見せ所はそれを克明に描くことです。


フランスの司法官僚の血も涙もない冷酷さ。というのは、映画史の1ジャンルと言ってよいと思いますが、本作は冷酷非道感(特に誰かを狙い撃ちして懲らしめているとかではないのに)がすごい映画で、当のフランス人は、コレを見てどう思ってるのか、聞いてみたいモノです。


フレンチ・コネクションpart2』や『ジャッカルの日』など、ハリウッドは一時期、ヤケにフランスを舞台にした映画を撮ってましたが、本作は、その代表作といってよく、先ほど挙げた作品ともども、ホントに素晴らしいです。


人間を極めて合理的に管理する事を執拗なまでのタッチで描く監督の拳には、力がみなぎっているのが伝わってくるような作品で、ギネアに到着するまでに、フランスの役人たちの冷酷ぶりがイヤというほどに味わえますね。


チラッチラッとヴェトナム人と思しき人が肉体労働をしていて、足りない労働力を仏領インドシナからも連れ出してまで、囚人を徹底的に管理するすごさ。


サン・ローラン刑務所の所長の挨拶もすごく、整列している囚人たちの目の前にギロチンが設置されていて、「脱走を企てる者がこうである」と、宣告すると、ギロチンがサーっと降下してきて、瓜を真っ二つにするのです(笑)。

 

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規則を守るように。以上。

 


南米の熱帯雨林気候のクソ暑さが全編にわたって横溢している、このイライラ感。

 

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そして、ほとんどの映像がドロドロの泥んこ、ジャングル、そして刑務所という、モテ度-100万点の映像の中で、あのカッコいいアクションスターのマクイーンが、ストーリーが進むごとに酷くなっていく、なかなか壮絶な作品です。

 

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独房入所前


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独房入所後

 

私は、とりわけ、前半の刑務所シーンが圧倒的にすごいと思いました。


この、どんな逆境にも屈しない、不屈の精神。というものを脚本にさせたら、ダルトン・トランボーの右に出る者は、ハリウッドにはいないでしょうね。

 

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クビだけを出させて、警棒でクビを締め上げて自供させるという、絶対抵抗不可能な仕掛けに見える、近代フランスの冷酷性。

 

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なんとか脱走しようとするパピヨンと刑務所でなんとか快適に暮らしていこうとするドガ

 

しかし、パピヨンドガ、そして、ゲイの青年と脱走する、実際は大見世物のところが今ひとつで、散漫な印象を受けますね。

 

なんというか、シャフナーの監督作である『猿の惑星』っぽくね?と感じなくもなく、マクイーンがチャールトン・ヘストンに見えてくるというか。


が、しかし、そのピリオドの打ち方は見る前に知るとつまらないので書きませんが、ボヤッとしている観客を一挙に引き寄せます。


本作は、脱走を企てた本人の手記(結構、面白く盛っているらしいですが・笑)に基づく娯楽作品なのですけども、ルイ・ドガとのバディものとして、大変な力作だと思います。


ジェリー・ゴールドスミスの曲も、彼のキャリアでは最高点に近いのではないでしょうか。


意外にも、アカデミー賞などなど、あらゆる映画賞で無冠ですが(監督賞はあげても良かった気がしますけど)、大スターをダブルキャストにして、しかも予算をいっぱいかけて制作する、みなぎる力作として、今見ても全く古さを感じない映画でした。


エンディングロールの、1973年当時と思われる、すでに廃止された(あまりに人権侵害という批判があったのでしょう)サンローラン刑務所が延々と映し出される映像は、今となっては貴重であり、圧巻です。

 

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当時は全くウケませんでした!

チャールズ・ロートン狩人の夜

 


チャールズ・ロートン。と聞いてピンと来る方は相当に映画がお好きな方ですよね。


イギリスの名優で、晩年にスタンリー・キューブリックスパルタカス』で、煮ても焼いても食えない元老院議員を演じていた、あの太々しい風貌の役者さんです。

 

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この人がチャールズ・ロートンです。

スパルタカス』でグラックスを演じていました。


そんな彼が、1955年にたった一作だけ映画を撮っていた事はあまり知られていません。

 


と言うのも、当時は興行としては全くダメだったらしく(なので2作目がないのです)、当時はほとんど知られていなかったんですが、後に再評価が高まってきた作品なんです。


1950年代のアメリカというと、ハリウッドの全盛期で、戦後直後に青春を送った方は、そのあまりにも豊かで明るい世界に圧倒されたと思いますが、本作は、とても暗く、異様な雰囲気に支配された、言ってしまうと怪作な部類に入り、当時、コレがウケなかったのも、わかります。


とにかく、主演のロバート・ミッチャムが演じる狂信者がホントにコワイですねえ。

 

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歪んだ女性観を持つ怪物的な人物。

 

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LOVE !!!


右手にLOVE、左手にHATEと刺青をしているのが、もうヤバいんですが(笑)、彼は自分の中にいる「神」の命令に従って生きる、まあ、キチガイでして、ある時、自動車の窃盗で懲役30日を食らいました(か、軽いですねえ)。

 

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HATE !!!!

 


しかし、その彼が入っている刑務所の房に、銀行強盗殺人を犯した男が入ってきたんですね。


彼はカネのありかを息子にだけ告げて逮捕され、死刑をされ、あっけなく処刑されました。


死刑囚と懲役30日の人が同じ牢屋にいるというのもおかしいですし、判決が出てあっけなく死刑執行というのも、なんともイージーなんですが、1930年代のアメリカの中西部はそんなものだったのでしょう(オハイオ川が出てくるので、舞台が中西部である事が場面描写からわかります)。


ロバート・ミッチャムは、大金が隠されていること。それを息子が知っていることを死刑囚が寝ている時のうわ言から知ってしまうんですね。


彼は、「これぞ、天のお導き。この金で教会を建てよ。ということですね?」と考え、この家族に近づいてくるんですね。ヒイーッ。

 

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子供たちからカネのありかを聞きだそうとする。

 

これは実際の猟奇連続殺人を犯した人物の分析などでもよく言われますが、こういう人たちは実にフレンドリーに近づいてくるそうなのですが、ロバート・ミッチャムは、あの両手にしているLOVE&HATEの刺青を使った巧みな説教を行なって村人たちの中に入り込んでいくんです(このシーンのパロディが、スパイク・リードゥ・ザ・ライト・シング』に出てきます)。


純朴な人々を言葉巧みに騙し(後に発覚しますが、ミッチャムが演じる狂信者は、25人もの女性を次々と殺害しています)、とうとう未亡人となっていた、強盗殺人犯の妻とまんまと結婚してしまいます。

 

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ミッチャムの狂信に心酔して、狂気的な信仰告白をする妻!


荒木飛呂彦先生のマンガが好きな方だったら、完全にどハマりするような展開ですが、ここから先はどうなるのかは見てのお楽しみですけども、それにしても、このような異様で幻想的で、アメリカ社会における狂信や集団ヒステリーをトコトン描き出したロートン監督の手腕は、やや素人臭いところがあるとはいえ、大変なものです。


夜のシーンがとても多い作品なのですが、この撮影がホントに見事です。

 

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夜のシーンの撮影が実に見事!

 

職業監督では思いつかないような、大胆で斬新な構図が至る所で出てくるのも、見ものです。


映像が当時のアメリカ映画というよりも、サイレント期のドイツ映画のようなコワさを追求しているのも、とてもユニークですね(だから、ウケなかったのだと思いますが)。

 

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リアリズムではなく、戦前のサイレント映画を思わせる表現が多いです。


本作では、ロバート・ミッチャムの世紀の怪演がまことに見事ですが、これに対峙するのが、映画草創期の大スターであった、リリアン・ギッシュというのが、これまた驚きです。

 

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なんと、ショットガンを構えるリリアン・ギッシュ


じつはトーキーになってからも、出演数はさほど多くないのですが(舞台への出演はずっとしていたそうです)、映画に出演しておりまして、本作でも、やや偏屈ですが、芯の強い信仰深い老婦人を見事に演じています。

 


ブッシュ・ジュニア政権がアメリカに誕生した事で、アメリカの宗教保守が注目されるようになり、コレが現在はトランプ大統領の支持者にもなっているようなのですが、こう言った人々は突然現れたわけではなく、アメリカの中西部の田舎に古くからいたという事が、本作を見るとよくわかります。


そういう社会風土がこの映画が公開された時には日本ではよく理解できなかったものと思いますので、映画館公開は1990年です。

 

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イーストウッド監督にリメイクされたら面白そうですねえ。

 

 

 

今見るとますますコワイ!!

マイケル・ウィナー『Death Wish』

 

良くも悪くもチャールズ・ブロンソンを「午後ロー役者」にしてしまった怪作。


とはいえ、後年の、なんの躊躇なく拳銃をぶっ放して殺しまくる作品とは一味違う、かなり狂気じみた作品となっています。


本作は、サム・ペキンパーわらの犬』のような作品になる予定だったらしいです。


たしかに、ブロンソンダスティン・ホフマンにすると、作品として似通ってきます。


が、実際は、キャスティングが二転三転して、ブロンソンなお鉢が回ってきたそうです。


脚本を見たブロンソンは、当初はかなり戸惑ったらしい。


どう考えても、自分がインテリ役といのは、おかしいのでは?と(私もそう思います・笑)。

 

楽しいワイハ旅行からニューヨークに帰ってきたカージィ夫妻。

 

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奥さんを写真に撮りまくるブロンソン

 

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冒頭はブロンソンには珍しいほどのイチャイチャぶりを発揮!


旦那のポール(ブロンソンですね)は設計士としての生活も充実しており娘も成人して何一つ不自由することのない生活をしておりましたが、妻と娘が突然、自宅で悪漢3人(1人は後に有名になる、ジェフ・ゴールドブラムですね)に襲撃を受けました。

 

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本業はディベロッパー。


妻のジョアンナは亡くなり、娘キャロルも相当な精神的なショックを受け、結局精神病院に入院してしまいした。。

 

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襲撃した3人は役名すらありません。

 

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妻の葬儀に呆然としているポールと娘のキャロル。


2人が襲撃されるシーンを見ていると、スタンリー・キューブリック時計じかけのオレンジ』で主人公マルカムたち不良グループが家を襲撃しているシーンに影響を受けているのだろうか。とフト思いました。


ニューヨーク市警も容疑者を逮捕するのに特に熱心にもなってくれません。


そんなポールを元気づけるために、会社はアリゾナ州トゥーソンに出張に行かせます。

 

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実は、朝鮮戦争に参戦していて、父親も銃の名手でした。


そこの大地主が、全米ライフル協会バリバリな人で(笑)、ポールが実は拳銃の名手である事を知ると、彼に拳銃をプレゼントするんです。


すごいですねえ。プレゼントに32口径のリヴォルバー拳銃なんてもらった事ないですが。

 

ポールは、この拳銃で、次々と犯罪者を射殺していくんです。

 

はじめは「なんて事をしてしまったんだ!」と動揺するのですが、次第に行動は大胆にエスカレートし、ワザワザ強盗に襲撃されるように、サイフに現金が山ほど入っているのを見せびらかすようにしたり、深夜の地下鉄の車両で呑気に新聞を読んだりと(当時のニューヨークの深夜の地下鉄は犯罪の温床でした)、襲ってくれと言わんばかりの振る舞いをするようになります。

 

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そんな連続殺人をマスコミは「ヴィジランテ」(自警団)と書いて騒ぎ立て、ニューヨーク市警の怠慢を批判し、コレをポールはテレビや新聞で見るにつけ、ますます自分の行動を「正義」と思うようになるんですね。


この、警察が守ってくれなければ、最後は自分で身を守るしかない。という考え方は、実はアメリカ社会ではそれほど突飛なものではなく、アメリカの保守的な田舎では結構普通です。


コレが、アメリカ屈指の圧力団体である全米ライフル協会を支える思想の根幹でして、ポールのやっている事は、単なる無差別殺人なのですけども、アメリカ社会では、実はかなりシンパシーを得られるキャラクター造形ではあるんですね。

 

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第1作目はもらった拳銃のみが使われ、アクションがメインではなく、ポールの狂気が描かれます。

この暴走するポールを追い詰めるのが、ニューヨーク市警のオチョア警部なのですが、本作が単なるサイコキラー映画にならなかったのは、この警部のリアリティ溢れる演技によるところが大きいですね。

 

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鬼刑事オチョア。


この一筋縄ではいかない警部は、とうとうポール・カージィを追い詰めるのですが、本作が見事なのはここから先なのですけども、それは見てのお楽しみです。

 

ちなみに、本作で奥さんを殺し、娘を精神疾患にしてしまった連中への復讐は遂げられません。

 

ポールの怒りの原点となる出来事のはずなのですが、実は全く解決する事なく本作が終わっているとこも、よくよく考えると異様な作品です。


ラストシーンはよくよく見るとゾッとするコワさがある、トランプ大統領を支えるものは一体なんなのか?という事を考えるに、実はとても重要な作品。

 

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300回目は、戦争の狂気と祝祭を描く痛快作です!

フィリップ・ド・ブロカまぼろしの市街戦』

 


1966年に発表された、フランス映画史に残る怪作/快作。


なんという美しいくカラー撮影、美術!


そして、ラストシーンのとてつもないアイロニーと反骨精神。

 

お話しは、第一次世界大戦中末期の西部戦線


イギリス軍に追いまくられて敗走するドイツ軍は、フランスの小さな町にありったけの爆薬を残して、イギリス軍が占領した頃に大爆発するような仕掛けを作って逃げ出します。


この事を知った住民は、慌てて逃げ出すのですが、住民の一人がイギリスへの内通活動をしていて、そのことをモールス信号で送っている途中でドイツ軍に見つかり、射殺されてしまいます。


イギリス軍の指揮官は、フランス語に堪能な通信兵のブランピックに街に潜入させ、爆破を解除する事を命令します。

 

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アラン・ベイツ演じる、ブランピック伍長は、奇妙な町に潜入する事となります。


住民が逃げ出してしまった町に取り残されている精神病院の患者たち(後でわかりますが、自分たちの意思で町に残っています)が町に飛び出して、それぞれが床屋、将軍、司教、公爵、売春婦などなどにコスプレして、非現実な空間を作り出して楽しんでいました。

 

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イノセントでピースフルに振舞う精神疾患者たちですが。

 

そんな事を知らないブランピックは、彼ら彼女らに「ハートのキング」として祭り上げられ、即位


即位式やら何からかにやらという、祝祭に飲み込まれてしまい、肝心の大爆発の解除ができなくなってしまうんですね。

 


そんな事を知らないブランピックは、彼ら彼女らに「ハートのキング」として祭り上げられ、即位式やら何からかにやらという、祝祭に飲み込まれてしまい、肝心の大爆発の解除ができなくなってしまうんですね。

 

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ここまでが、本作の前段階です。


この爆弾が大爆発するまで。と、『うる星やつら』の友引高校の面々のような乱痴気騒ぎが続くのですけども、ブランピックは、この精神疾患者たちに愛着が出てきてしまい、なんとか全員を救いたいという思いとなっていくのですが、さて。

 

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ブランピックはよく気絶します(笑)。

 

ここから先は是非とも実際に見ていただきたいのですが、その、精神疾患者たちが町を占領してカーニバル状態(決してアナーキーに振舞うことはなく、どこまでもピースフルに楽しんでいる点はとても重要です)になっているという事と、戦争という極限状況が同時進行する。という、他に似ているとしたら、ロバート・オルトマン『M★A★S★H』くらいしか思いつかないような設定が、すでにユニークな作品ですが、それを名優たちの、あえてのオーバーアクト(実際、精神疾患者たちは狂っているから、こんな事をやっているわけではない事がだんだんとわかってきます)、まるで、ルノアールロートレックの絵画から飛びだしてきたような美しい衣装とジョルジュ・ドリュリューのとびきり素晴らしい音楽が渾然一体となっているすごさですね。

 

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戦争という狂気を「精神疾患者」という、社会的に弱い立場から見る。という視点を握りこぶしを込めて見せるのではなく、華麗でコミカルに、しかし、その根底には強烈な一撃があるという点が、本作を傑作にまで高めているのだと思います。


売春婦のコスプレをしたコクリコ役のジュヌヴィエーヴ・ビュジョルトの妖精のような美しさは無上。

 

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かなり戯画化されたイギリス軍とドイツ軍は、ほとんどモンティパイソンのようなおかしさです。


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イギリス軍の3バカトリオ

 

今回上映された4Kデジタルリマスター版は、日本で公開されたものとラストシーンが違うのですが、言いたいことの基本は変わりません。


昨今、渋谷でのハロウィンでの狼藉行為が社会問題化しておりますが、祝祭が社会とってどういう意味を持つのかを考える上でも、重要な作品であるし、精神疾患者という括りが社会的にどういう意味なのか?という事を強烈に揺さぶってくる作品でもあります。


ちなみにたった一度だけテレビで放映されたのですが、この時の声優の豪華さは目を見張ります。

 

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美術、衣装も素晴らしい。


これは現行のDVDで見ることができますので、是非とも。

 

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ワシントン・ポストvsニクソン大統領!

スティーヴン・スピルバーグ『The Post』

 


邦題『ペンタゴン・ペーパーズ』はちょっとミスリーディングでして、原題『The Post』、すなわち、ワシントン・ポスト紙の奮戦記とした方が、話としてはシックリ来ます。

 

内容の中心に、国防総省の、仏領インドシナ、すなわち、ヴェトナム戦争の機密文書の曝露。という大事件があるのは確かなのですけども、この作品は、首都を中心に発行していたとはいえ、それほど多くの部数などない、日本でいえば、神奈川新聞くらいの地方紙が、当時のニクソン政権を揺るがした(この辺はもう史実なのでネタバレとは言えないので書いてしまいます)。という驚異的な出来事を描いているんですね。

 

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ホワイトハウス主導で強権を振るった、ニクソン大統領には、今でも批判がが強いです。


実は、私がスピルバーグの映画をちゃんと見たのは、多分、『インディー・ジョーンズ 最後の聖戦』だったと思うのでもう、30年くらいマトモに彼の作品を見てないんです。


どんな映画を撮っていたかは、ある程度は知ってますが、見たいと思った作品が一作もありませんでした。


なので、私のスピルバーグ映画は、相変わらず、ものすごい流麗なカメラワーク、独特のメリハリの効いた発色の画面、そして、ジョン・ウィリアムズのオーケストラが鳴り響いているという、あの映画なのです。


あと、スピルバーグとその舎弟たちの映画には、ある頑ななテーゼがあって、「1960-70年代がなくて、1950年代に一挙に1980年代が接続すれば、アメリカは幸せなのである」というのが、私はたまらなくイヤなのです。


私はその時代の映画にアメリカの宝物がたくさんあると思っているので、そういう点でも、スピルバーグの考え方には共感できなかった。


また、『シンドラーのリスト』という、実にいやらしい作品が実に不快で、心底スピルバーグがキライになりました。

 

しかし、今回は、スピルバーグがこれまで描いてこなかった、まさに、1960-70年代を撮った。という点が、私をザワつかせたんですね。


コレは何かがかわったんだな。と。

 

で、実際に見て驚いたんですね。

 

イーストウッド作品が持っているような落ち着きぶりと地に足のついた演出が、全編に横溢しているではありませんか。

 

この映画を撮りたくなった動機は、恐らくは現政権への明らかな反感なのだと思いますけども、そういうものを超えた、言論の自由を守ること、ひいては正義についての普遍的なドラマを力こぶを込めて撮るのではなく、実に落ち着いたトーンで、ワシントン・ポストの人々の奮戦を描いていることに、大変感銘を受けました。

 

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大新聞ニューヨーク・ポストのスクープから、ペンタゴン・ペーパーズの存在が明るみになりました。

 

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社主と編集長の、それぞれ「正義」を描く。


ニクソン大統領という、非常に強権的な(現大統領は狂犬的ですが)圧力に屈せず、この闘争に勝利したことで世界にその名を轟かせたワシントン・ポスト紙は、マスコミが模範とすべき姿なのでしょう。

 

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会社を守るべきか言論の自由を守るべきか。

 

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ニューヨーク・タイムスが政府の差し止め要求に屈する事はすべてのマスコミの敗北と考える、トム・ハンクス

 

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連邦裁判所の判決!

 


スピルバーグを久々に再評価できました。


ラストシーンがなかなか笑えるので必見です。

 

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実際のニクソン大統領の辞任を伝えるワシントン紙。