マイケル・ウィナー『Death Wish』
良くも悪くもチャールズ・ブロンソンを「午後ロー役者」にしてしまった怪作。
とはいえ、後年の、なんの躊躇なく拳銃をぶっ放して殺しまくる作品とは一味違う、かなり狂気じみた作品となっています。
本作は、サム・ペキンパー『わらの犬』のような作品になる予定だったらしいです。
たしかに、ブロンソンをダスティン・ホフマンにすると、作品として似通ってきます。
が、実際は、キャスティングが二転三転して、ブロンソンなお鉢が回ってきたそうです。
脚本を見たブロンソンは、当初はかなり戸惑ったらしい。
どう考えても、自分がインテリ役といのは、おかしいのでは?と(私もそう思います・笑)。
楽しいワイハ旅行からニューヨークに帰ってきたカージィ夫妻。
奥さんを写真に撮りまくるブロンソン。
冒頭はブロンソンには珍しいほどのイチャイチャぶりを発揮!
旦那のポール(ブロンソンですね)は設計士としての生活も充実しており娘も成人して何一つ不自由することのない生活をしておりましたが、妻と娘が突然、自宅で悪漢3人(1人は後に有名になる、ジェフ・ゴールドブラムですね)に襲撃を受けました。
本業はディベロッパー。
妻のジョアンナは亡くなり、娘キャロルも相当な精神的なショックを受け、結局精神病院に入院してしまいした。。
襲撃した3人は役名すらありません。
妻の葬儀に呆然としているポールと娘のキャロル。
2人が襲撃されるシーンを見ていると、スタンリー・キューブリック『時計じかけのオレンジ』で主人公マルカムたち不良グループが家を襲撃しているシーンに影響を受けているのだろうか。とフト思いました。
ニューヨーク市警も容疑者を逮捕するのに特に熱心にもなってくれません。
そんなポールを元気づけるために、会社はアリゾナ州トゥーソンに出張に行かせます。
実は、朝鮮戦争に参戦していて、父親も銃の名手でした。
そこの大地主が、全米ライフル協会バリバリな人で(笑)、ポールが実は拳銃の名手である事を知ると、彼に拳銃をプレゼントするんです。
すごいですねえ。プレゼントに32口径のリヴォルバー拳銃なんてもらった事ないですが。
ポールは、この拳銃で、次々と犯罪者を射殺していくんです。
はじめは「なんて事をしてしまったんだ!」と動揺するのですが、次第に行動は大胆にエスカレートし、ワザワザ強盗に襲撃されるように、サイフに現金が山ほど入っているのを見せびらかすようにしたり、深夜の地下鉄の車両で呑気に新聞を読んだりと(当時のニューヨークの深夜の地下鉄は犯罪の温床でした)、襲ってくれと言わんばかりの振る舞いをするようになります。
そんな連続殺人をマスコミは「ヴィジランテ」(自警団)と書いて騒ぎ立て、ニューヨーク市警の怠慢を批判し、コレをポールはテレビや新聞で見るにつけ、ますます自分の行動を「正義」と思うようになるんですね。
この、警察が守ってくれなければ、最後は自分で身を守るしかない。という考え方は、実はアメリカ社会ではそれほど突飛なものではなく、アメリカの保守的な田舎では結構普通です。
コレが、アメリカ屈指の圧力団体である全米ライフル協会を支える思想の根幹でして、ポールのやっている事は、単なる無差別殺人なのですけども、アメリカ社会では、実はかなりシンパシーを得られるキャラクター造形ではあるんですね。
第1作目はもらった拳銃のみが使われ、アクションがメインではなく、ポールの狂気が描かれます。
この暴走するポールを追い詰めるのが、ニューヨーク市警のオチョア警部なのですが、本作が単なるサイコキラー映画にならなかったのは、この警部のリアリティ溢れる演技によるところが大きいですね。
鬼刑事オチョア。
この一筋縄ではいかない警部は、とうとうポール・カージィを追い詰めるのですが、本作が見事なのはここから先なのですけども、それは見てのお楽しみです。
ちなみに、本作で奥さんを殺し、娘を精神疾患にしてしまった連中への復讐は遂げられません。
ポールの怒りの原点となる出来事のはずなのですが、実は全く解決する事なく本作が終わっているとこも、よくよく考えると異様な作品です。
ラストシーンはよくよく見るとゾッとするコワさがある、トランプ大統領を支えるものは一体なんなのか?という事を考えるに、実はとても重要な作品。