フランスの脱獄モノ、犯罪モノには傑作多し!

フランクリン・J・シャフナーパピヨン


かつて仏領ギネアは、フランス本国には囚人を送り込む、事実上の流刑地でした。


金庫破りと殺人(殺人は冤罪です)で終身刑となったパピヨン(スティーヴ・マクイーン)と贋国債作りで逮捕されたルイ・ドガダスティン・ホフマン)は同じ船で、ギネアに護送されています。

 

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護送船がすでにクソ暑くてキツいんですね。


ちなみに、ギネアはアフリカにある現在のギネア共和国ではなく、南米にある、現在も海外県として存在する地域です。念のため。


現在は約20万人ほどの人口だそうです。


当時の囚人への扱いは恐ろしく過酷で、本作の見せ所はそれを克明に描くことです。


フランスの司法官僚の血も涙もない冷酷さ。というのは、映画史の1ジャンルと言ってよいと思いますが、本作は冷酷非道感(特に誰かを狙い撃ちして懲らしめているとかではないのに)がすごい映画で、当のフランス人は、コレを見てどう思ってるのか、聞いてみたいモノです。


フレンチ・コネクションpart2』や『ジャッカルの日』など、ハリウッドは一時期、ヤケにフランスを舞台にした映画を撮ってましたが、本作は、その代表作といってよく、先ほど挙げた作品ともども、ホントに素晴らしいです。


人間を極めて合理的に管理する事を執拗なまでのタッチで描く監督の拳には、力がみなぎっているのが伝わってくるような作品で、ギネアに到着するまでに、フランスの役人たちの冷酷ぶりがイヤというほどに味わえますね。


チラッチラッとヴェトナム人と思しき人が肉体労働をしていて、足りない労働力を仏領インドシナからも連れ出してまで、囚人を徹底的に管理するすごさ。


サン・ローラン刑務所の所長の挨拶もすごく、整列している囚人たちの目の前にギロチンが設置されていて、「脱走を企てる者がこうである」と、宣告すると、ギロチンがサーっと降下してきて、瓜を真っ二つにするのです(笑)。

 

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規則を守るように。以上。

 


南米の熱帯雨林気候のクソ暑さが全編にわたって横溢している、このイライラ感。

 

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そして、ほとんどの映像がドロドロの泥んこ、ジャングル、そして刑務所という、モテ度-100万点の映像の中で、あのカッコいいアクションスターのマクイーンが、ストーリーが進むごとに酷くなっていく、なかなか壮絶な作品です。

 

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独房入所前


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独房入所後

 

私は、とりわけ、前半の刑務所シーンが圧倒的にすごいと思いました。


この、どんな逆境にも屈しない、不屈の精神。というものを脚本にさせたら、ダルトン・トランボーの右に出る者は、ハリウッドにはいないでしょうね。

 

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クビだけを出させて、警棒でクビを締め上げて自供させるという、絶対抵抗不可能な仕掛けに見える、近代フランスの冷酷性。

 

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なんとか脱走しようとするパピヨンと刑務所でなんとか快適に暮らしていこうとするドガ

 

しかし、パピヨンドガ、そして、ゲイの青年と脱走する、実際は大見世物のところが今ひとつで、散漫な印象を受けますね。

 

なんというか、シャフナーの監督作である『猿の惑星』っぽくね?と感じなくもなく、マクイーンがチャールトン・ヘストンに見えてくるというか。


が、しかし、そのピリオドの打ち方は見る前に知るとつまらないので書きませんが、ボヤッとしている観客を一挙に引き寄せます。


本作は、脱走を企てた本人の手記(結構、面白く盛っているらしいですが・笑)に基づく娯楽作品なのですけども、ルイ・ドガとのバディものとして、大変な力作だと思います。


ジェリー・ゴールドスミスの曲も、彼のキャリアでは最高点に近いのではないでしょうか。


意外にも、アカデミー賞などなど、あらゆる映画賞で無冠ですが(監督賞はあげても良かった気がしますけど)、大スターをダブルキャストにして、しかも予算をいっぱいかけて制作する、みなぎる力作として、今見ても全く古さを感じない映画でした。


エンディングロールの、1973年当時と思われる、すでに廃止された(あまりに人権侵害という批判があったのでしょう)サンローラン刑務所が延々と映し出される映像は、今となっては貴重であり、圧巻です。

 

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当時は全くウケませんでした!

チャールズ・ロートン狩人の夜

 


チャールズ・ロートン。と聞いてピンと来る方は相当に映画がお好きな方ですよね。


イギリスの名優で、晩年にスタンリー・キューブリックスパルタカス』で、煮ても焼いても食えない元老院議員を演じていた、あの太々しい風貌の役者さんです。

 

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この人がチャールズ・ロートンです。

スパルタカス』でグラックスを演じていました。


そんな彼が、1955年にたった一作だけ映画を撮っていた事はあまり知られていません。

 


と言うのも、当時は興行としては全くダメだったらしく(なので2作目がないのです)、当時はほとんど知られていなかったんですが、後に再評価が高まってきた作品なんです。


1950年代のアメリカというと、ハリウッドの全盛期で、戦後直後に青春を送った方は、そのあまりにも豊かで明るい世界に圧倒されたと思いますが、本作は、とても暗く、異様な雰囲気に支配された、言ってしまうと怪作な部類に入り、当時、コレがウケなかったのも、わかります。


とにかく、主演のロバート・ミッチャムが演じる狂信者がホントにコワイですねえ。

 

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歪んだ女性観を持つ怪物的な人物。

 

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LOVE !!!


右手にLOVE、左手にHATEと刺青をしているのが、もうヤバいんですが(笑)、彼は自分の中にいる「神」の命令に従って生きる、まあ、キチガイでして、ある時、自動車の窃盗で懲役30日を食らいました(か、軽いですねえ)。

 

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HATE !!!!

 


しかし、その彼が入っている刑務所の房に、銀行強盗殺人を犯した男が入ってきたんですね。


彼はカネのありかを息子にだけ告げて逮捕され、死刑をされ、あっけなく処刑されました。


死刑囚と懲役30日の人が同じ牢屋にいるというのもおかしいですし、判決が出てあっけなく死刑執行というのも、なんともイージーなんですが、1930年代のアメリカの中西部はそんなものだったのでしょう(オハイオ川が出てくるので、舞台が中西部である事が場面描写からわかります)。


ロバート・ミッチャムは、大金が隠されていること。それを息子が知っていることを死刑囚が寝ている時のうわ言から知ってしまうんですね。


彼は、「これぞ、天のお導き。この金で教会を建てよ。ということですね?」と考え、この家族に近づいてくるんですね。ヒイーッ。

 

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子供たちからカネのありかを聞きだそうとする。

 

これは実際の猟奇連続殺人を犯した人物の分析などでもよく言われますが、こういう人たちは実にフレンドリーに近づいてくるそうなのですが、ロバート・ミッチャムは、あの両手にしているLOVE&HATEの刺青を使った巧みな説教を行なって村人たちの中に入り込んでいくんです(このシーンのパロディが、スパイク・リードゥ・ザ・ライト・シング』に出てきます)。


純朴な人々を言葉巧みに騙し(後に発覚しますが、ミッチャムが演じる狂信者は、25人もの女性を次々と殺害しています)、とうとう未亡人となっていた、強盗殺人犯の妻とまんまと結婚してしまいます。

 

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ミッチャムの狂信に心酔して、狂気的な信仰告白をする妻!


荒木飛呂彦先生のマンガが好きな方だったら、完全にどハマりするような展開ですが、ここから先はどうなるのかは見てのお楽しみですけども、それにしても、このような異様で幻想的で、アメリカ社会における狂信や集団ヒステリーをトコトン描き出したロートン監督の手腕は、やや素人臭いところがあるとはいえ、大変なものです。


夜のシーンがとても多い作品なのですが、この撮影がホントに見事です。

 

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夜のシーンの撮影が実に見事!

 

職業監督では思いつかないような、大胆で斬新な構図が至る所で出てくるのも、見ものです。


映像が当時のアメリカ映画というよりも、サイレント期のドイツ映画のようなコワさを追求しているのも、とてもユニークですね(だから、ウケなかったのだと思いますが)。

 

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リアリズムではなく、戦前のサイレント映画を思わせる表現が多いです。


本作では、ロバート・ミッチャムの世紀の怪演がまことに見事ですが、これに対峙するのが、映画草創期の大スターであった、リリアン・ギッシュというのが、これまた驚きです。

 

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なんと、ショットガンを構えるリリアン・ギッシュ


じつはトーキーになってからも、出演数はさほど多くないのですが(舞台への出演はずっとしていたそうです)、映画に出演しておりまして、本作でも、やや偏屈ですが、芯の強い信仰深い老婦人を見事に演じています。

 


ブッシュ・ジュニア政権がアメリカに誕生した事で、アメリカの宗教保守が注目されるようになり、コレが現在はトランプ大統領の支持者にもなっているようなのですが、こう言った人々は突然現れたわけではなく、アメリカの中西部の田舎に古くからいたという事が、本作を見るとよくわかります。


そういう社会風土がこの映画が公開された時には日本ではよく理解できなかったものと思いますので、映画館公開は1990年です。

 

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イーストウッド監督にリメイクされたら面白そうですねえ。

 

 

 

今見るとますますコワイ!!

マイケル・ウィナー『Death Wish』

 

良くも悪くもチャールズ・ブロンソンを「午後ロー役者」にしてしまった怪作。


とはいえ、後年の、なんの躊躇なく拳銃をぶっ放して殺しまくる作品とは一味違う、かなり狂気じみた作品となっています。


本作は、サム・ペキンパーわらの犬』のような作品になる予定だったらしいです。


たしかに、ブロンソンダスティン・ホフマンにすると、作品として似通ってきます。


が、実際は、キャスティングが二転三転して、ブロンソンなお鉢が回ってきたそうです。


脚本を見たブロンソンは、当初はかなり戸惑ったらしい。


どう考えても、自分がインテリ役といのは、おかしいのでは?と(私もそう思います・笑)。

 

楽しいワイハ旅行からニューヨークに帰ってきたカージィ夫妻。

 

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奥さんを写真に撮りまくるブロンソン

 

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冒頭はブロンソンには珍しいほどのイチャイチャぶりを発揮!


旦那のポール(ブロンソンですね)は設計士としての生活も充実しており娘も成人して何一つ不自由することのない生活をしておりましたが、妻と娘が突然、自宅で悪漢3人(1人は後に有名になる、ジェフ・ゴールドブラムですね)に襲撃を受けました。

 

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本業はディベロッパー。


妻のジョアンナは亡くなり、娘キャロルも相当な精神的なショックを受け、結局精神病院に入院してしまいした。。

 

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襲撃した3人は役名すらありません。

 

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妻の葬儀に呆然としているポールと娘のキャロル。


2人が襲撃されるシーンを見ていると、スタンリー・キューブリック時計じかけのオレンジ』で主人公マルカムたち不良グループが家を襲撃しているシーンに影響を受けているのだろうか。とフト思いました。


ニューヨーク市警も容疑者を逮捕するのに特に熱心にもなってくれません。


そんなポールを元気づけるために、会社はアリゾナ州トゥーソンに出張に行かせます。

 

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実は、朝鮮戦争に参戦していて、父親も銃の名手でした。


そこの大地主が、全米ライフル協会バリバリな人で(笑)、ポールが実は拳銃の名手である事を知ると、彼に拳銃をプレゼントするんです。


すごいですねえ。プレゼントに32口径のリヴォルバー拳銃なんてもらった事ないですが。

 

ポールは、この拳銃で、次々と犯罪者を射殺していくんです。

 

はじめは「なんて事をしてしまったんだ!」と動揺するのですが、次第に行動は大胆にエスカレートし、ワザワザ強盗に襲撃されるように、サイフに現金が山ほど入っているのを見せびらかすようにしたり、深夜の地下鉄の車両で呑気に新聞を読んだりと(当時のニューヨークの深夜の地下鉄は犯罪の温床でした)、襲ってくれと言わんばかりの振る舞いをするようになります。

 

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そんな連続殺人をマスコミは「ヴィジランテ」(自警団)と書いて騒ぎ立て、ニューヨーク市警の怠慢を批判し、コレをポールはテレビや新聞で見るにつけ、ますます自分の行動を「正義」と思うようになるんですね。


この、警察が守ってくれなければ、最後は自分で身を守るしかない。という考え方は、実はアメリカ社会ではそれほど突飛なものではなく、アメリカの保守的な田舎では結構普通です。


コレが、アメリカ屈指の圧力団体である全米ライフル協会を支える思想の根幹でして、ポールのやっている事は、単なる無差別殺人なのですけども、アメリカ社会では、実はかなりシンパシーを得られるキャラクター造形ではあるんですね。

 

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第1作目はもらった拳銃のみが使われ、アクションがメインではなく、ポールの狂気が描かれます。

この暴走するポールを追い詰めるのが、ニューヨーク市警のオチョア警部なのですが、本作が単なるサイコキラー映画にならなかったのは、この警部のリアリティ溢れる演技によるところが大きいですね。

 

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鬼刑事オチョア。


この一筋縄ではいかない警部は、とうとうポール・カージィを追い詰めるのですが、本作が見事なのはここから先なのですけども、それは見てのお楽しみです。

 

ちなみに、本作で奥さんを殺し、娘を精神疾患にしてしまった連中への復讐は遂げられません。

 

ポールの怒りの原点となる出来事のはずなのですが、実は全く解決する事なく本作が終わっているとこも、よくよく考えると異様な作品です。


ラストシーンはよくよく見るとゾッとするコワさがある、トランプ大統領を支えるものは一体なんなのか?という事を考えるに、実はとても重要な作品。

 

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300回目は、戦争の狂気と祝祭を描く痛快作です!

フィリップ・ド・ブロカまぼろしの市街戦』

 


1966年に発表された、フランス映画史に残る怪作/快作。


なんという美しいくカラー撮影、美術!


そして、ラストシーンのとてつもないアイロニーと反骨精神。

 

お話しは、第一次世界大戦中末期の西部戦線


イギリス軍に追いまくられて敗走するドイツ軍は、フランスの小さな町にありったけの爆薬を残して、イギリス軍が占領した頃に大爆発するような仕掛けを作って逃げ出します。


この事を知った住民は、慌てて逃げ出すのですが、住民の一人がイギリスへの内通活動をしていて、そのことをモールス信号で送っている途中でドイツ軍に見つかり、射殺されてしまいます。


イギリス軍の指揮官は、フランス語に堪能な通信兵のブランピックに街に潜入させ、爆破を解除する事を命令します。

 

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アラン・ベイツ演じる、ブランピック伍長は、奇妙な町に潜入する事となります。


住民が逃げ出してしまった町に取り残されている精神病院の患者たち(後でわかりますが、自分たちの意思で町に残っています)が町に飛び出して、それぞれが床屋、将軍、司教、公爵、売春婦などなどにコスプレして、非現実な空間を作り出して楽しんでいました。

 

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イノセントでピースフルに振舞う精神疾患者たちですが。

 

そんな事を知らないブランピックは、彼ら彼女らに「ハートのキング」として祭り上げられ、即位


即位式やら何からかにやらという、祝祭に飲み込まれてしまい、肝心の大爆発の解除ができなくなってしまうんですね。

 


そんな事を知らないブランピックは、彼ら彼女らに「ハートのキング」として祭り上げられ、即位式やら何からかにやらという、祝祭に飲み込まれてしまい、肝心の大爆発の解除ができなくなってしまうんですね。

 

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ここまでが、本作の前段階です。


この爆弾が大爆発するまで。と、『うる星やつら』の友引高校の面々のような乱痴気騒ぎが続くのですけども、ブランピックは、この精神疾患者たちに愛着が出てきてしまい、なんとか全員を救いたいという思いとなっていくのですが、さて。

 

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ブランピックはよく気絶します(笑)。

 

ここから先は是非とも実際に見ていただきたいのですが、その、精神疾患者たちが町を占領してカーニバル状態(決してアナーキーに振舞うことはなく、どこまでもピースフルに楽しんでいる点はとても重要です)になっているという事と、戦争という極限状況が同時進行する。という、他に似ているとしたら、ロバート・オルトマン『M★A★S★H』くらいしか思いつかないような設定が、すでにユニークな作品ですが、それを名優たちの、あえてのオーバーアクト(実際、精神疾患者たちは狂っているから、こんな事をやっているわけではない事がだんだんとわかってきます)、まるで、ルノアールロートレックの絵画から飛びだしてきたような美しい衣装とジョルジュ・ドリュリューのとびきり素晴らしい音楽が渾然一体となっているすごさですね。

 

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戦争という狂気を「精神疾患者」という、社会的に弱い立場から見る。という視点を握りこぶしを込めて見せるのではなく、華麗でコミカルに、しかし、その根底には強烈な一撃があるという点が、本作を傑作にまで高めているのだと思います。


売春婦のコスプレをしたコクリコ役のジュヌヴィエーヴ・ビュジョルトの妖精のような美しさは無上。

 

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かなり戯画化されたイギリス軍とドイツ軍は、ほとんどモンティパイソンのようなおかしさです。


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イギリス軍の3バカトリオ

 

今回上映された4Kデジタルリマスター版は、日本で公開されたものとラストシーンが違うのですが、言いたいことの基本は変わりません。


昨今、渋谷でのハロウィンでの狼藉行為が社会問題化しておりますが、祝祭が社会とってどういう意味を持つのかを考える上でも、重要な作品であるし、精神疾患者という括りが社会的にどういう意味なのか?という事を強烈に揺さぶってくる作品でもあります。


ちなみにたった一度だけテレビで放映されたのですが、この時の声優の豪華さは目を見張ります。

 

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美術、衣装も素晴らしい。


これは現行のDVDで見ることができますので、是非とも。

 

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ワシントン・ポストvsニクソン大統領!

スティーヴン・スピルバーグ『The Post』

 


邦題『ペンタゴン・ペーパーズ』はちょっとミスリーディングでして、原題『The Post』、すなわち、ワシントン・ポスト紙の奮戦記とした方が、話としてはシックリ来ます。

 

内容の中心に、国防総省の、仏領インドシナ、すなわち、ヴェトナム戦争の機密文書の曝露。という大事件があるのは確かなのですけども、この作品は、首都を中心に発行していたとはいえ、それほど多くの部数などない、日本でいえば、神奈川新聞くらいの地方紙が、当時のニクソン政権を揺るがした(この辺はもう史実なのでネタバレとは言えないので書いてしまいます)。という驚異的な出来事を描いているんですね。

 

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ホワイトハウス主導で強権を振るった、ニクソン大統領には、今でも批判がが強いです。


実は、私がスピルバーグの映画をちゃんと見たのは、多分、『インディー・ジョーンズ 最後の聖戦』だったと思うのでもう、30年くらいマトモに彼の作品を見てないんです。


どんな映画を撮っていたかは、ある程度は知ってますが、見たいと思った作品が一作もありませんでした。


なので、私のスピルバーグ映画は、相変わらず、ものすごい流麗なカメラワーク、独特のメリハリの効いた発色の画面、そして、ジョン・ウィリアムズのオーケストラが鳴り響いているという、あの映画なのです。


あと、スピルバーグとその舎弟たちの映画には、ある頑ななテーゼがあって、「1960-70年代がなくて、1950年代に一挙に1980年代が接続すれば、アメリカは幸せなのである」というのが、私はたまらなくイヤなのです。


私はその時代の映画にアメリカの宝物がたくさんあると思っているので、そういう点でも、スピルバーグの考え方には共感できなかった。


また、『シンドラーのリスト』という、実にいやらしい作品が実に不快で、心底スピルバーグがキライになりました。

 

しかし、今回は、スピルバーグがこれまで描いてこなかった、まさに、1960-70年代を撮った。という点が、私をザワつかせたんですね。


コレは何かがかわったんだな。と。

 

で、実際に見て驚いたんですね。

 

イーストウッド作品が持っているような落ち着きぶりと地に足のついた演出が、全編に横溢しているではありませんか。

 

この映画を撮りたくなった動機は、恐らくは現政権への明らかな反感なのだと思いますけども、そういうものを超えた、言論の自由を守ること、ひいては正義についての普遍的なドラマを力こぶを込めて撮るのではなく、実に落ち着いたトーンで、ワシントン・ポストの人々の奮戦を描いていることに、大変感銘を受けました。

 

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大新聞ニューヨーク・ポストのスクープから、ペンタゴン・ペーパーズの存在が明るみになりました。

 

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社主と編集長の、それぞれ「正義」を描く。


ニクソン大統領という、非常に強権的な(現大統領は狂犬的ですが)圧力に屈せず、この闘争に勝利したことで世界にその名を轟かせたワシントン・ポスト紙は、マスコミが模範とすべき姿なのでしょう。

 

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会社を守るべきか言論の自由を守るべきか。

 

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ニューヨーク・タイムスが政府の差し止め要求に屈する事はすべてのマスコミの敗北と考える、トム・ハンクス

 

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連邦裁判所の判決!

 


スピルバーグを久々に再評価できました。


ラストシーンがなかなか笑えるので必見です。

 

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実際のニクソン大統領の辞任を伝えるワシントン紙。

シリアスなテーマを「6歳の子供」にもわかる観点で描く痛快作

ジョナサン・デミフィラデルフィア


1993年公開なんですね。もう結構昔の映画になっていますねえ。

 

もう古典的名作と言ってよいと思いますので、ネタバレ全開で進めていきます。


人々の偏見と戦う。というのは、アメリカ映画の一つの普遍的なテーマだと思いますけども、本作は、同性愛とエイズ。という1980年代のアメリカで猛威をふるった問題であり、前者は現在進行形でセンシティブはテーマを、真正面から扱っている作品です。


こういうテーマを、社会派の巨匠、シドニー・ルメットが扱うと、かなりシリアスな作品になったでしょうけど、デミはそれを、カラフルで流麗なカメラワークでポップな感覚で見せるのが実に痛快なんです。

 

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思い切りカメラ目線で演技をさせるなど、時折ハッとするようなショットが見られる。

 


デミが有名になったのは、『サムシング・ワイルド』という、これまたポップでストレンジで分類が難しい作品でしたけども、あの曰く難いポップなセンスが全編を覆っております。


その意味で、本作の前に撮られた、デミの最も興行成績が良かった映画であろう、『羊たちの沈黙』はむしろ異色作であり、本作の持つ、ラヴリーさこそ彼の持ち味のような気がします。


さて。


事実として、アメリカの同性愛者の中でエイズが爆発的に蔓延していたのは事実でして、当時、同性愛者であった有名人の多くがエイズで実際亡くなっています。


フレディ・マーキュリー、ジョルジュ・ドン、キース・ヘリングミシェル・フーコーなどなど。


この事から、エイズを「同性愛者に感染する病気」という誤ったイメージが流布してしまいました。


本作は、ゲイでエイズを発症していることを隠していた弁護士を演じる、トム・ハンクスと、彼がエイズを理由に解雇されたのは不当であると弁護した、デンゼル・ワシントンを主演とする作品です。

 

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ゲイでエイズ患者である事を理由に法律事務所。解雇したのは不当であるという訴訟です。

 

お話しのメインは裁判シーンなのですが、訴訟ものに付きまとうような、怒涛の弁護士間のやりとりでもないんです。


実際の民事訴訟もそういうものなのだと思うのですけど、結構、淡々と進むんですよ。


しかし、デンゼル・ワシントンと法律事務所側の淡々としたやりとりの中でも、チラッチラッと両者の火花をいいタイミングで放り込むので、裁判シーンがつまらないということは全くなく、むしろ、そこがジワジワと面白いんですよね。


こういう対決モノは、ヒールが立ってないと全くダメですが、メアリ・スティーンバーゲン演じる、爽やかスマイルで、トム・ハンクスをジワジワと追い詰めていく様が見事でした。

 

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訴えられた法律事務所側。

 

主演の二人がとても素晴らしいので隠れがちですが、彼女は本作の影の功労者でしょう。


本作のもう一つのテーマは、デンゼル・ワシントンの変化です。


同性者への嫌悪を家族にもハッキリと表明しており、エイズへの偏見も強い弁護士を演じるワシントンは、当初はハンクスからの弁護の依頼を断っているんです。

 

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しかし、図書館で訴訟のための準備をしているハンクスがエイズ患者である事から周囲の利用者から明らかに嫌がられているのを偶然見かけてしまい(自分で弁護人をしてでも裁判を起こすつもりだったのですね)、弁護士としての正義感から、これを見かねて弁護を引き受けるんです。

 

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その彼の、同性愛者とエイズへの偏見がどうなっていくのかが、実は裁判以上にじつは大切なテーマのような気がします。

 

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引き受けた訴訟から、彼自身もゲイであると誤解されてしまいます。

 

 

本作で繰り返される、「6歳でもわかるように言ってくれ」というセリフは、まさに本作の核心であり、あらゆる人々にこの問題を理解してもらいたいという、デミ監督の願いが込められているのでしょう。

 

もう20年以上も前の映画なのに、ここで扱われる問題は、現在のアメリカや日本で噴出しているという現実がある事を、改めて考えさせられる、ジョナサン・デミの最高傑作です。

 

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私たちが真に「兄弟愛」を持つことができるのはいつの事なのでしょうか。

 

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2018年現在、エイズの治療技術は進み、不治の病ではなくなりました。

映画館で見なくてはワカリマセン!

スタンリー・キューブリック2001年宇宙の旅

 

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リヒャルト・シュトラウスツァラトゥストラはこう言った』の冒頭で始まる、衝撃のオープニング!


断言しますが、この映画をDVDなどで見てもそのその感銘の1/10も伝わりません。


100インチでもまだ足りません。


もし、貴方が、映画館を所有していて。70mmフィルムでいつでも見れるよん。という身分でしたら「そりゃ、映画館行かなくてもいいですね」という事ですが、そうでない方は、悪いことは言いませんから、映画館で見てください。


私は、幸いにも、1990年代に、まだ、映画館がフィルム上映していた時代に70mmのリバイバル上映で有楽町で見たんですけども、あまりにも激越な体験で、見終わった後、しばらく呆然としてしまいました。


実は、その前にVHSで3回見ていて、しかも、1回目は、もともと70mmで撮影しているのに、左右をぶった切ってテレビサイズになっているという、悲劇的なバージョンでした(VHSはそういうのが結構ありました)。。


この映画は、70mmのシネスコサイズで、ドルビーサウンドで見る事で初めて意味がわかるようにキューブリックは作っており、それは、実際に見るとイヤというほどわかるのです。


もう、古典と言って良い映画ですから、ネタバレ全開で書いていきますので、それがイヤな方は映画館で見てから読んでいただきたいのですが、本作はアタマを使って見ても仕方がない。


あの圧倒的な映像美、音楽を浴びるように体験するという事。


もうそれに尽きるんです。

 

ですので、家庭用の機材では出力が足りなすぎ、画面が小さいと、細かい所が見えなくなってしまうんです。


とかく、難解。と敬遠されてしまう作品ですが、ストーリーはとてつもなくシンプルです。


全体は4部構成になっていて、

 

人類の夜明け

2001年 月面

木星施設  18ヶ月後

木星そして宇宙の彼方へ

 

となります。

 

実際の作品では、第2部にあたるタイトルは出てきませんが、便宜上つけました。


第2部は、類人猿が興奮して、動物の大腿骨を空中に放り投げると、それがパッと軍事衛星に変わり、2001年の未来(映画は1968年公開ですから、未来なのです)の宇宙開発時代に一緒に飛ぶという、映画史に残る劇的なシーンがやはり、お話の転換点だと思いますので、敢えてそうしました。

 

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「宇宙の旅」なのに原始時代か、始まってどうするんだ?という不安を一挙に解決してしまう名シーン!


本作の「難解」を象徴しているのは、恐らく、第4部の事を言ってるのでしょう。


第2部、第3部は大変優れたサスペンスですから、ココがワカラン!という人は流石にいないと思います。


また、主人公である、ボーマン艦長が出てくるのが、なんと、第3部からというのも、とっつきにくいのかもしれません。


まあ、キューブリック作品全般に言える事ですが、登場人物に感情移入させようとしないんですよね。。


わかりやすい第2部、第3部を解説しますと、2001年の宇宙開発時代に、月面から強力な磁場が検出され、一体どういう事なのか?と調べてみると、地中奥深くにどう考えても自然にできたとは思えない、謎の板切れ型の物体、すなわち、「モノリス」が出てきたんです。

 

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しかも、その深さから考えるに、約400万年前に埋められたものであると。


コレは、トップシークレットとなり、月面基地未知の伝染病が発見されたというデマすら流して、この事実を隠蔽していました。

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宇宙ステーションのシーンのデザインも未だに古くないですよね。


なぜなら、はるか昔に、宇宙には知的生命体が存在していた事が明らかになり、それは、この太陽系に400万年前にやってきていたんだ。というとんでもない事実が明らかになるからです。


ヘイウッド・フロイド博士は、この謎の物体を調査するために、アメリカ合衆国から派遣されたのですが、この謎の物体をバックに記念撮影をしようとすると、突然、キーン!という音がして撮影させまいとするんですね。

 

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無重力トイレの解説を読む、フロイド博士。こういうディテールのこだわりがものすごい作品です。

 

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キーン!

 

この物体には、明らかになんらかの意思がある事がわかります。

 

そして、18ヶ月後。

 

極秘命令を受けて木星を調査する宇宙船ディスカヴァリー号が地球から旅立ちます。

 

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ディスカヴァリー号。


乗っているのは、デイヴィッド・ボーマン艦長と副長のフランク・プール、それ以外は現地での活動のための3名が冷凍睡眠しています。

 

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ボーマン艦長(右)とプール副長(左)


木星調査という事で、ディスカヴァリー号は、木星に向かっているのですが、実は、その真の目的が、謎の物体が指し示す信号が真っ直ぐ木星を示しており、それが何を意味していのかの調査だったのでした。


航行は優秀なAIである、HAL9000を搭載しており、順調だったのですが、HAL9000が「72時間後に故障する」という部品を調べてみると、なんの故障も見当たらなかった事から、ボーマンとプールは、HALに何らかの故障があるのでは?という疑問が生まれ、中枢回路を遮断して、宇宙船の制御だけをさせる事を決断しました。

 

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HAL9000


しかし、それを察知した(どうやって察知したのかはご覧ください)HALは、次々と船員を殺害していきます。


辛うじて生き残ったボーマン艦長は、HALの思考中枢を手動で停止させるのですが、この時HALが歌う「デイジー」がコレまた映画史に残る大傑作。

 

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HALの中枢部。いろんな作品でパクられているのがわかります。


それを終えた時に、突然、フロイド博士によるVTRが自動的に再生され、先述の最高機密が明らかにされ、ボーマン艦長は初めて自分の真の任務を知る。というところまでが、第3部です。


上映では、第3部の途中で20分ほどインターミッションが入ります(昔のVHSはそれをカットしていて、そこも無残でした。。)。


さて。


本作をポカン。とさせてしまうのは、このとてもよくできたサスペンスを挟んでいる、原始時代と木星に到達してからの第4部です。


原始時代は、キューブリックの一貫した人間観が端的に表現されている部分で、謎の物体「モノリス」に接触する事で、猿とさほど違わないような生活をしていた人類が、道具を使うという知恵を発現するという事を、とても象徴的に表現しています。

 

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接触/覚醒」は富野由悠季の重要なテーマである。

 

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しかも、その道具は、動物の骨であり、水を奪おうとする他のグループの類人猿を叩きのめすためのものであったと。


つまり、人間のこれまでの進歩を暴力の拡大の歴史。であると、かなりニヒリスティックに見ているんですね。


ですから、空中に放り投げた骨が、軍事衛星にパッと変わるのは、そういう事を端的に表現しているんでしょう。

 

しかし、「モノリス」は2001年になって、再び人類にメッセージを発してきたんですね。


そのメッセージが第4部なのです。


物語という形で明確に示さず、かなりサイケな映像の洪水と、最後の、『ツインピークス』のブラックロッジのような(私はリンチの着想に本作は影響与えていると思います)シーンに突然飛んでしまうのが、意味不明に感じるのだと思います。


第4部の映像は、「モノリス」がボーマン艦長に見せているものと考えるのが自然でしょう。

 

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突然始まるサイケな映像の嵐!


それは人間の理性をはるかに超えるものであるので、科学者である、ボーマン艦長はただただ恐れおののいていますが、彼が見せられたのは、宇宙の誕生の歴史であり、それがやがて太陽系、地球の誕生までのダイジェストだったのだと思います。

 

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最後にボーマン艦長ががあの「部屋」で体験したのは、人間の一生という事でしょう。

 

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そして、「部屋」。デイヴィッド・リンチはかなり影響うけたのでは。


科学の力で木星にまで到達できるようになった人類が再び数百万年ぶりに「モノリス」に接触し、ボーマン艦長は、なんと、転生してしまいます。


ボーマン艦長は、進化した人類として地球に帰還してきて、「モノリス」から受け取ったであろう、メッセージを伝えようとするところで、映画は終わってしまいます。


こうして、文章にしてしまうと、とてつもなくシンプルな事を描いている作品なのですけども、本作が20世紀の金字塔たり得ているのは、その圧倒的な映像の力ですね。

 

1968年。というと、もう50年も前に上映された作品なのにもかかわらず、映像の力強さが全く落ちていない。

 

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無重力という状態がどういう事なのかを執拗なまでに表現しています。


SF映画というのは、20年経つと、後の技術革新によって、あっちゃー、コレは流石にもうキツイわー。となってくるのもなのですが(CGはそれを加速させている気がします)、キューブリックの異常なまでにこだわりぬいた執念とも言える映像は、今もって乗り越えられない巨大な壁ですね。

 

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パンナムのロゴが眩しい!

 


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デザインが余りにも素晴らしい!

 


本作の撮影は、もう散々トリックがバレバレになっているんですが、それをわかっていても驚いてしまいます。


また、宇宙空間に人間が放出される事の恐怖の描き方は本作の白眉の一つであり、呼吸音と宇宙の計器の音のみで表現された宇宙空間の表現は、「美しき青きドナウ」が流れる中を、宇宙船がゆったりと航行するシーンとちょうど対をなしています。


こうした、キューブリックが徹底的にこだわりぬいた映像、そして、音楽および音曲効果をフルに使って表現された作品であるがゆえに、映画館で見ることでしか、理解がしにくい作品になってしまった。という問題があるのですが。

 

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この構図の見事さはキューブリックならではです。


キューブリック作品は、根底に「人間不信」があると思うのですが、本作は脚本に、原作者が入っているためか、いつもの黒い終わり方ではなく、とても希望に満ちた終わりかたになっているのも、本作が頭一つ抜ける存在になった要因なのではないかと思います?


ともかく、あらゆるリクツが吹っ飛んでしまう、圧倒的な映像の力を是非とも劇場てご堪能ください。

 

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超人類となったボーマン艦長が人類に伝えるメッセージとは?