アメリカの格差社会をマジックリアリズムで描いた傑作!

ショーン・ベイカー『フロリダ・プロジェクト』

 

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とにかくうまい。驚くほどうまいですね、この映画は。


子供たちのホントにいい絵が撮れているんですね。

 

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ドラ猫ギャング団


ショーン・ベイカーという監督の作品はコレ以外に見たことないんですけども、相当な演出力の持ち主であることが、冒頭のシーンでわかりますね。


まあ、なんともかわいい悪ガキどもでしょうか(笑)。


主人公ムーニーのお母さんは、身体にゴッツい入れ墨を入れている、ロッキンなシングルマザーです。


一見楽しそうなお話しなのですが、よくよく見るとコワイ映画なんですね。


このお母さん(と呼ぶにはなかなか厳しい人ですが)、と娘のムーニーが住んでいるのは、モーテルです。

 

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ムーニーたちの住む、マジック・キャッスル・モーテル


要するに、賃貸住宅に住むことができないほど貧しい人たちなのです。


とんでもない大富豪がいて、史上最強の軍事力を持った国に、こんなに貧しい人々が住んでいるんですね。


そういう厳しいと現実をこの監督は、チラッチラッと見せるんです。


子供たちの視点からは一切そういう厳しい現実には気がつかず、当人たちは楽しくノラ猫ライフを送っているのですが、それがむしろコワイですね。

 

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子どもたちのシーンだけを見ていると、『やかまし村の夏休み』なのだが。


明確なストーリーがしっかりあるお話しではなく、子供の視点から見た現実なので、夏休みをエンジョイしているという事が描かれているんですけども、観光客相手に盗品を売ったり、売春などをしてまともな定職につかない母親、そんな親子の事を可哀想に思う、モーテルの管理人のボビー(なんと、ウィレム・デフォーです)。

 

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ムーニー親子を気遣う、ボビー(ボビー・ペルーではありせんよ)。


ディズニーランドの花火が盛大に打ち上がるのを見て楽しむシーンが出てきますので、モーテルはオーランドのディズニーランドのすぐ近くにあるのがわかるんですけども、あの「夢の国」のすぐ近くにある、ドン底の世界。という強烈な対比を淡々と描いていますね。

 

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ディズニーランドの花火を楽しむ親子。


しかも、主人公の女の子には、その事が全くわからず、毎日が楽しい日々でしかないという。


子どもというのは適応能力が抜群にあって、現実はそういうものだと思うと、そこで楽しみを見つけてしまうので、客観的にはかなりマズイ生活なのですけど、子どもたちと楽しく遊んで、花火を見ていられるので、何の問題も感じてないんですね。

 

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このシーンは見てのお楽しみ(笑)。


しかも、その天真爛漫ぶりが、あまりにも自然に画面に収まっていているのが、見ている私たちの胸に突き刺さってきます。

 

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子ども達に自由にやらせている脇を、ベテランのウィレム・デフォーが、ホントにただの管理人のおっさんを演じる事で(特に大活躍も何もありません)、リアルをちゃんと表現しているところがこの映画のキモであり、陰のMVPは、やはり、デフォーと言えるでしょう。


最近のアメリカ映画は、ハリウッド大作よりも、こうした低予算映画にいいものが増えてきていている気がしますね。必見。

 

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ヴィスコンティにもフェリーニにも見える、イタリアの隠れた傑作!

ヴァレリオ・ズルリーニ『激しい季節』

 

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戦争とは無関係に生きる人々。ちょっと『ベニスに死す』っぽくもあります。


コレもなかなか見る事が困難だった作品で、幻の作品になってました。


ようやくDVD化して容易に見ることができるようになりました。

 

ムッソリーニ率いるファシスト政権の末期の1943年。


すでに連合国軍は、イタリア本土に迫っております。

 

冒頭に、浜辺で遊ぶ人々の所にドイツ軍のメッサーシュミットが超低空で飛来し(CGなどありませんから、ホントに飛んでるんですよ!)、人々は逃げまどいます。

 

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ホントに低空飛行させてます!スゲエ!!


映画が公開されたのは1959年ですから、第二次世界大戦の記憶が生々しくというか、出演しているほとんどの人がその経験者という事です。


ジャン=ルイ・トランティニャン演じるカルロは、北イタリアの避暑地(フェデリコ・フェリーニの故郷ですね)の別荘に戦火を逃れていた際に、先述の事態に巻き込まれ、その時に逃げ遅れた女の子を助けました。


避暑地のような場所もすでに危なくなっていたんですね。


その母親が、エレオノラ・ロッシ=ドラーゴ演じる、ロベルタで、大邸宅に住む富豪でした。

 

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彼女の代表作ですね。トランティニャンも若いです。


要するに、トランティニャンとロッシ=ドラーコは、ファシスト政権におけるエリート階層なのですね(笑)。


ファシスト政権下で恩恵を受けてきた人たちの姿を描きながら、それはそのまま、戦後の、日本で言うところの太陽族の姿を描いていると言う、ちょっとヒネリの効いた戦後の日活映画みたいな作品です。

 

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イタリアのアイドルが出演しているので、ちょっと日活青春映画みたいな雰囲気がありますね。


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ロベルタの旦那さんはイタリア海軍の軍人で、あえなく戦死してしまい、未亡人となります。


そこに、「ハンサム」を絵に描いたような、カルロ。

 

不倫(厳密に言うと、不倫とも微妙に違いますが)は一挙に加速していくんですね。

 

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ハンサム!


カルロは父親がムッソリーニ政権の中で権勢を振るう人物のようなのですが、カルロは典型的なノンポリのおぼっちゃまで、父の政治活動にもファシズムにも無関心な高等遊民です。


トランティニャンは、後にベルナルド・ベルトルッチ暗殺の森』で、「体制順応主義者」を演じていますが、この作品を踏まえて、ベルトルッチは配役したのでしょう。


さて。1943年。と、ワザワザ冒頭に出てくるのですが、第二次世界大戦に多少詳しい方ならおわかりの通り、ムッソリーニ政権が崩壊する年ですね。


要するに、ちょうど大混乱のイタリアを描いているんですよ。


お話の後半でムッソリーニは首相を辞任し、海軍元帥であるバドリオを首班とする臨時政府が国王ヴィットーリオ=エマヌエーレ3世によって指名されました。

 

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ムッソリーニの像が倒される。何度も見たシーンですね。


アレッ。国王?


実は、イタリアは1946年まで王国でして、ムッソリーニも、ヴィットーリオ=エマヌエーレ3世のもとで首相となっていたので、国家元首はあくまでも国王でした。


戦後、国民投票により王政が廃止され、王族たちはイタリアを去りました。

 

閑話休題

 

この作品を見ていて、フト、思い出すのは、やはり、ルキーノ・ヴィスコンティですよね。


不穏な時代に背を向けるように生きる人々とその没落を常に描いてきた映画監督ですけども、本作の脚本を担当している人を見ると、その一人に、スーゾ・チェッキ・ダミーコがいるではありませんか。


彼女は、『若者のすべて』、『山猫』、『ルートウィヒ』などのヴィスコンティ作品の多くに関わっていた名脚本家ですね。

 

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ヴィスコンティとダミーコ。名コンビです。


ファシスト政権の特権階級たちの子供たちの姿は、そのまんま、フェデリコ・フェリーニの大傑作『甘い生活』のラストの狂乱の宴会のようでもあり、本作は、ネオリアリズモから60年代のイタリア映画黄金期へのちょうど転換期に出てきた作品ですね。


ヴィスコンティ的でもあり、フェリーニ的でもあり、全体的な雰囲気が石原裕次郎主演の日活映画でもあるという、不思議な魅力のある逸品です。


ビング・クロスビーを使ってデカダンを表現するなど、音楽の使い方もセンス満点です。

 

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ちなみに、コレは公開時にはカットされたシーンです。


ラストが、サム・ペキンパーもびっくりな衝撃を与えるのが、今見ても驚きですけども、まだイタリアが戦場になってから20年も経ってないという時代ですから、そりゃ生々しくなるのは、ある意味当然なのでしょう。

 

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戦闘シーンが今見てもかなりの迫力です。時代のなせ業でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カンヌ→カン(笑)

ホン・サンス『それから』

 

またしても不倫モノなのですが、1日の出来事で主人公のキム・ミニの立場が二転三転するという、ホン・サンス作品の中でも、なかなか劇的な作品。

 

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夫の浮気を見抜く奥さん


珍しく、かなりヨリの絵が出てくるのも驚きました。

 

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こんなに寄ります。

 

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愛人チャンスクと社長。手前に本を積んで、珍しく奥行きを強調する構図。


ホン・サンスは基本、ヒキの絵をキャメラ一台で、ワンシーンが長いんですけども、初めから結構寄ったままの絵が何度か出てきて、まあ、要するに、いつもの作品よりも、比較的オーソドックスにできているという事なんですけども、いつもいろいろ仕掛けを講じてくるので、普通である事になかなか気がつけないという(笑)。


とはいえ、アレッと一年近く時間経過してしまったりするので、やっぱり油断なりません。

 


そして、どっかで見たことのあるような反復が。

 

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それからどうなるの?というところでスッと終わらせるのは、相変わらずホン・サンス演出が冴えわたってますね。

 


主人公のキム・ミニが小説家志望で、出版社の社長で文芸批評家でもある浮気性の男がメインなので、結構、ロメール的なインテリな会話が出てきますけども、ロメールに似てると言われている割には、実は、そういう会話がそんなにでてこない事に見てて気がつきましたね。

 

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アルムの初出勤のはずだったが。。


ホン監督の何かを飲んだり食ったりしている時の会話は、ほとんど日常のたわいのない事ばかり話してるんですよね、よく考えると。

 


タイトルがなぜ「それから」なのかは、見てのお楽しみに。

 

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社長役のクォン・ヘリョは、『夜の浜辺で1人』でカンヌンの映画館に勤務する先輩役で出演してます。

カンヌン→カンヌ(笑)

ホン・サンスクレアのカメラ

 

ヤラレタ(笑)!


もう、すごいですわ。

 

上映時間たったの70分。撮影も実際にカンヌ映画祭にキム・ミニとイザベル・ユペールが、それぞれの主演作(『お嬢さん』と『ELLE』というどっちも相当エグい作品ですが・笑)でカンヌに来ている合間の数日間で撮影してしまったという脅威の作品。


前作がカンヌンなので今回はカンヌ。みたいなギャグで舞台を決めているのか?とすら思える、ミニマム級のフットワークで映画を撮るホン・サンスは、作家として明らかに全盛期と言っていいでしょう。


『三人のアンヌ』でも出演していたイザベル・ユペールがやはり本作でも素晴らしく、ユペールが出演すると、作品のクオリティが明らかに上がりますね。


ホン・サンス作品で私が一番好きなのが『三人のアンヌ』なのですが、それに匹敵するほど本作はやられました。


お話しは、そのまんまカンヌ映画祭でして、主人公のキム・ミニ扮するマニが映画会社に勤務していて、カンヌ映画祭に出張で来ているんです。


しかし、突然社長からハッキリとした説明もなく解雇されてしまいます。

 

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突然、解雇を告げられるマニ。


で、仕方なくカンヌの街を観光せざるを得なくなったマニがフランス人のクレアという高校で音楽の教師をしているという女性と偶然出会います。

 

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このクレアがイザベル・ユペールで、彼女の趣味は詩を書くことと、ポラロイド写真(デジカメではない所がポイントです)を撮ることなんですが、タイトルにもあるように、このカメラが本作の重要な役割を果たしていきまして、ルイス・ブニュエルがフランスでいい具合にネジの外れたようなトボけた味わいの、しかしながら、なかなかにとんでもない映画を連発していたあの感覚が蘇ってくるような、アレレ、つながりがおかしいよね?みたいな事が始まり出すんです。

 

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社長と映画監督は恋愛関係でした。


クレア。ユペールは言ってますが、多分、韓国人相手にわかりやすく、英語読みしていて(英語で会話指定しています)、実際はクレールと言うのでしょうけど、そういえば、ホン・サンスが影響受けたであろう映画監督にエリック・ロメールがいると思いますが、ロメールの代表作に『クレールの膝』という作品がありまして、そこからつけかのかもしれないですね。

 

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この犬もホン監督お得意の反復として出てきます。


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クレアは、写真を撮るという行為に独特の考えを持っていて、不思議にもお話がよじれていきます。


毎度の事ながら、ホン・サンス作品は重要な登場人物がとても少ないんですけれど、マニ、クレア以外には映画監督と社長しかいません。


しかし、この人物が全員同じ画面に映るシーンは一度もありません。


マニと社長、社長と監督、クレアと監督、クレアと監督と社長、マニと監督、マニとクレアというシーンがあるんですが、絶妙に全員が一緒になりません。


多少ネタバレさせても本作の面白さには支障はないと思うので、書きますが、本作を駆動させているのは、マニ、社長、監督の三角関係なのですが、その3人が一緒の場面が一切ないんです。

 

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ユペールが他の3人を駆動させます。


で、クレアが必ずどっちかにいる形なんですね。


会いそうで絶妙にすれ違い、しかも時空がおかしな具合によじれてすらいるという(笑)、なんとも不思議な感覚なんですね。


本作はさすがに世界的な大スターである、ユペールが出演し、舞台がカンヌだけに、いつもより画面のクオリティがよいです(笑)。


相変わらず、ソニーのそんなに高くないデジタル機材1つで撮影しているのですが、キム・ミニの衣装が結構変わるので、視聴者サービス的なショットもあります。


で、それを逆手にとったギャグのようなシーンが唐突に出てきます。

 

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ユペールのような大女優を相手にしても全くひるむ事なく演じるキム・ミニはなかなか根性ありますね。


とにかく、キム・ミニを見出す事で、作家として今絶好調を迎えているホン・サンスの作品はどれを見ても当たりですので、是非ともご覧下さい。


ラストはギャフンという事必定です。

 

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ハンブルグ→カンヌン

ホン・サンス夜の浜辺でひとり

 


2017年にホン・サンスはキム・ミニ主演で3本も映画をとりましたが、本作はその1つです。


映画は「1」「2」にハッキリとわかれてまして、ハンブルク編とカンヌン(江陵)編になってます。

 

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近年のホン・サンス作品のような、同じストーリー複数やるとか、時間軸がズレていて、どうなってんの?みたいなブニュエルとかリンチみたいな構造にはなっていなくて、芸能スキャンダルに巻き込まれた女優が先輩のいるハンブルクに逃亡した時のお話と、その後、韓国の江陵の友人達との交流を描いているお話しという、シンプルな構造で、出来上がってます。

 

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海外だと少し絵が良くなりますね(笑)。

 


が、やはり、そこはホン・サンスでして、やっぱり観客にイタズラを仕掛けてきます。


「2」の最初はキム・ミニ演じるヨンヒが映画を見終わったところから始まるのですが、あたかも、「1」が彼女自身が見ていた映画であるかのようにも見えるんですね。

 

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「1」は彼女が見た映画に見えなくもない。

 

自分の主演作を見ているかのような。


映画監督との不倫が発覚して、ハンブルクに逃亡した女優。という自身が主演した映画を見ているという。


そして、ラストシーンがアッ。と思わせるオチになっているので、それは実際に見て確認してください。


また、やはり、ホン監督特有の反復がやはりありまして、それはどちらも水辺のシーンが出てきます。

 

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ハンブルグは湖畔です。

 

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カンヌンは浜辺です。


そこで、砂浜で監督の似顔絵を描くシーンがどちらも出てくるのですが、ハンブルクは髪の毛を描いていないのですが、江陵では描いてたりして、ちょっと反復をズラしてます。


今回、あまり構造を弄らずにシンプルな構造で見せた理由はハッキリしていて、それは、 女優キム・ミニの演技力に焦点を当てて撮っているからです。

 

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久しぶりに出会う先輩。


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このシーンは必見(笑)。


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パク・チャヌク『お嬢さん』での体当たりの演技が記憶に新しいキム・ミニが、女優を復帰しようかどうしようかと逡巡しているという、特にヤマもないし(ヤマはとっくに過ぎ去っているんですね)、劇的なオチも一切期待できない、要するに、パク・チャヌク作品と真逆の作品で、どれだけやれるのか?というところをホン・サンスは見せたかったんですね。


そう意味では、ホン監督作品にしては結構野心がある、ギラギラした映画ではあります。


で、実際、キム・ミニの演技は素晴らしく、小津安二郎『晩秋』における原節子のように、感情をむき出しにする(と言ってもホン・サンスなので、激情むき出しとかではないですけど)熱演を、特に、江陵編で見ることができます。


ホン・サンスは、恐らく、小津安二郎にとっての原節子のような存在として、キム・ミニを見出したと思われ、しばらくは、彼女を主演に撮り続けるものと思われます。

 

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ホン・サンスにとっての原節子か?

ホン・サンス正しい日 間違えた日

 


ホン・サンスの2015年の作品が2018年にようやく一般公開されました。


と、思ったら、新作までまとめて4作が一挙に公開という(笑)。


主演のキム・ミニを気に入ったホン・サンスが、立て続けに4本も映画を撮ってしまい(まあ、彼の映画は撮影に時間がかからなそうなのでできるんでしょうね)、日本ではなぜかそれが一挙に公開される形となりました。


ホン・サンスお得意の、同じ話を2回繰り返し、それが前半と後半では微妙に違う。というお話で、微妙な違いなんで助けも、ラストシーンが全然違ってしまい、全く違う作品になってしまうというのが、やはりすごいですね。

 

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映画監督と元モデルの偶然の出会いを2パターン描く。


時間のつながりが意図的におかしかったりするような、過激な手法は今回は使わないんですけど、大筋(映画監督が仕事で訪れた街で出会った女性との交流という、ある意味、毎度毎度の展開ですね)が大体同じなのに、オチか違う。というのは、やっぱり驚きますね。

 

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茶店、アトリエ、寿司屋、先輩のカフェと同じ反復をしているのに、微妙に2つの話しは違います。


音楽はますます適当に(もう、小津を超えていると思います・笑)、カメラワークも恐ろしくシンプルで、編集のタイミングが考えてるのかいないのか全くわからない感じが相変わらずすごいですねえ。


タイトルロール/エンドロールも、恐らくは監督自身の、ボールペンか何かの手書きみたいなモンですし(笑)。

 

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アトリエのシーンは見せようとしているのに事がアングルからして全く違うシーンです。


何もしてなさそうで、演技に関してはかなり緻密にやっているのが、前半と後半を見るととてもよくわかります。

 

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監督の酔っ払い方が、1と2ではかなり異なります。


「今は正しく、その時は間違い」というタイトルをそのまんま邦題にしたほうがよかった気がしまたけど、反復と差異をこれだけミニマムにやって映画ができてしまうという、もうそれ自体が驚きの作品でした。

 

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リンチの頭の中をそのまんま映像化したような傑作。

デイヴィッド・リンチインランド・エンパイア

 

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リンチの今のところの映画での最新作。


リンチの映画では最も長い、3時間におよぶ大作であるのですが、製作スタッフは最低限とし、脚本、音楽、音響効果、編集、撮影はリンチ自身が行い、制作費も自身で出しているという、要するに、ほとんど自主制作映画です。


そして、リンチの作品で最もアブストラクトな作品となりました。

 

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ローラ・ダーンハリー・ディーン・スタントン、グレイス・ザブリスキー(ローラ・パーマーのお母さん役ですね)、ダイアン・ラッドローラ・ダーンのお母さんですね)、ナオミ・ワッツ(声のみ)などなど、リンチ組の常連が出演する中、ジェレミー・アイアンズ、そして、裕木奈江が出演するという、リンチ作品としては、一際キャスティングが豪華です。

 

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ジェレミー・アイアンズは映画監督役です。


面白いのは、キャメラ機材がこれまでのリンチ作品とは思えないほど、明らかに安い機材で撮影している事ですね。

 

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あえてチープな技術を選択していますね。それでもあのリンチ演出になるのですから、すごいです。


ほぼ、ハンディサイズのデジタルキャメラを、時にリンチが自分の手で持って撮影しています。


近年のホン・サンスの作品もとても安価なデジタルキャメラで撮ってますね。


しかも、これまでのリンチ作品には珍しいくらいに、顔のどアップを多用しています。

 

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冒頭からしてこの寄りです。

 

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ローラ・ダーンのドアップがこれほど存在する映画が皆無でしょう。そこがストライクゾーンの方にもオススメの作品です。


そういえば、ゴダールもデジタルの安価な機材で撮影してますよね。


あと、全編にわたって、音楽ではなくて、音響がなっています。それは大きくなったり、そのまんまサントラになっていったりしますが、ほぼ全編、作中の中でなっている音ではない、不穏な音が鳴り続けていますね。 


この映画は悪夢である事を意味しているのでしょうか。


このアブストラクトな作品を読み解くための重要なセリフは、冒頭に出てくる、外国人(ポーランド人?)と思われる、異様なまでにグイグイ迫ってくる女性のセリフ、

 


「もし、今日が明日だったら」

 


に端的に表現されている、リンチの得意とする、世界は多重に存在していて、それらはひょんな事で繋がったりする。という、表現ですよね。

 

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このどアップでグイグイと迫ってくるのですが(笑)、彼女のセリフが本作の本質を端的に説明しています。


また、お話がかなり進んできたところで、主人公のローラ・ダーンがある男に向かって、

 

「問題は何が先で何が後だかわからない事なのよ」


と告白していることからも、この作品の本質が何なのかがわかります。


ツインピークス』では、もっと物語として大掛かりに作っていますけども、本作はもっと箱庭的で、もうちょっとルーズな作りにしていますよね。


そういう、アレレ?世界って奇妙によじれておかしな風にくっついてるよね。というものを、リンチ独特の語り口で、ジックリと見せようというのが本作でして、そういうあやふやで曖昧なものがダメ。という方には不向きな作品でしょう。

 

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何度も出てくるいかにもリンチ作品的な部屋。しかし、シーンによって部屋の意味がガラッと変わってしまうんですね。

 

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例えば、こんな風に。


ローラ・ダーンがハリウッドで撮影しているリメイク映画『暗い明日の空の上で』、そして、未完に終わったポーランドのオリジナル『4-7』、暴力を振るう男から逃亡するために、ポーランドを脱出した女性の話し、そして、ウサギの世界。

 

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ウサギの声を担当しているはナオミ・ワッツです。


しかも、映画の撮影をしている映像なのか、映画の世界の中に入り込んでしまっているのかが、だんだんと曖昧になっていき、時間と空間がアブストラクトになっていきます。

 

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どこからが映画の撮影で、どこまでが現実なのかが判然としません。


ですので、なにがどうつかながっているのかわからないシーンすらあって、ますます混乱しますが(笑)、そこを酔いしれる事ができるか否かが、本作を見ていく上でのカギでしょうね。

 

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電球くわえているだけの男(笑)。

 

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リンチ作品に照明は欠かせません。


もともとリンチに備わっていた、アブストラクトな映像にドローン音楽が鳴り続けるという側面を、極限まで推し進めた、ある意味で最もリンチのプライヴェートな作品であるといえますね。

 

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ですので、リンチ作品としてコレから見ることはオススメできません。

 
リンチを知るには、『ブルーベルベット』や『ワイルド・アット・ハート』から見た方がよいでしょうね。

 

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デイヴィッド・リンチが自分の中にあるものをジックリと出し尽くした、奥の院的傑作。

 

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