これぞ成瀬映画!

成瀬巳喜男『女が階段を上がるとき』


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おお、コレも音楽が黛敏郎

『お早う』、『幕末太陽伝』、『赤線地帯』と、このころの黛敏郎の映画音楽での仕事はものすごく充実してますね。

明らかに、MJQを意識した作曲をしてます。

フランス映画をよく研究してしていたんですね、黛は。

成瀬というと『浮雲』、『浮雲』と言いますけども、アレをもって彼の最高傑作とするのはどうなんでしょうね。

むしろ、『めし』や『稲妻』、『あにいもうと』と言った庶民の生活を描いた作品の方が、この監督のよさがでているんではないでしょうか。

成瀬は溝口や黒澤のような強烈なインパクトを画面に残すような人ではないし、小津のように、あの独特のスタイルを目指していくようなタイプでもない人で、そういう意味では、日本映画の黄金時代には、そういった強烈な個性の中では控えめな個性だったのかもしれません(『浮雲』は例外ですが)。

しかし、そういった時代も遠い昔となり、名だたる人々のほとんどがすでに亡くなったのは現在では、当時の状況がもう少し冷静に見えてくるというのがありますね。

オズ、クロサワ、ミゾグチの陰に隠れてしまった映画監督がたくさんいたであろう事がだんだんわかってきた。

そういう中で、川島雄三増村保造鈴木清順らが再評価されていったのだと思いますが、その一世代前の成瀬巳喜男もまた、脚光を浴びるようになったわけです。


しかし、ここでもまた、彼の異色作の『浮雲』が注目されてしまったのが、また、彼の全体像をかなり歪めてしまった気もしますね。

森雅之高峰秀子のどこまでと堕ちていく2人を描いた林芙美子の原作に基づく作品は、確かに破格の傑作ですし、私も高田馬場で今は無くなってしまってとても小さな名画座でコレを見たとの衝撃は忘れられませんが、それ以外の彼の作品を見ると、あまりにも違うので、アレは別格の作品なんだな。と思うようになりました。

本作は、銀座のバーのママを演じる、高峰秀子とマネージャーの仲代達矢、お客の森雅之加東大介のお話し。

溝口も歓楽街を描く事に定評がありますが、眼差しがとても厳しいというか、残酷というか、とにかく容赦がない。

それに対して成瀬はとてもソフトで、サラッとしています。

女性への眼差しがやさしいんですね。

衣装やセットなどは、なんと、高峰が担当してるんですね。

木下作品での、清純派のイメージがあるので、意外です。

ゴリゴリ、キリキリと役者をいたぶることで、一切の虚飾を剥ぎ取る果てに見えてくる地平を撮る事に真骨頂がある溝口に対して、本作の女性たちの自然体、そして、男性たちは、不必要なマッチョを仲代にしても、森、加東大介にしても、一切出す必要がないんですね。

普段は結構ギラギラといかつい役所の俳優たちの別な側面を浮かび上がってきますね。

銀座の歓楽街で働く女性たちの悲喜こもごも。と言ってしまえばそれだけの事を、丁寧に描くところがホントに素晴らしい。

加東大介の「よせやい、もう他人じゃないんだから」というセリフは絶品。

増村保造だったら、絶対に描かないグズグズとした、男の情けなさ、女の愚かさもキチンと描くのが、成瀬の独特のウェット感といいますか。

とにかく見てください、面白いんで(笑)。

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