『スターウォーズ』より、『バーフバリ』でしょ!

S. S. ラージャマウリ『バーフバリ 王の凱旋』

 

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カッタッパがなぜ、アマンドラ・バーフバリを殺さなくてはならなかったのか?が回想として続きます。

 

※若干前編の重要なポイントをネタバレさせてしまうので、前編を見てない方がご覧にならないように。

 

バーフバリの後編です。

前半は主人公が、突然、人々から「バーフバリ!」と熱狂的に呼ばれる事の意味がわからず、カッタッパに「なぜ、私が『バーフバリ』と呼ばれるのか?私は一体なんなのか?」問いかけてからの、^大回想シーンが始まり、その回想の途中でズバン!と終わるというなかなか豪快な終わり方でしたが、その、回想はそこから80分くらい続きます(笑)!

その内容が本作の核心部分なので、一切説明を省かざるを得ないのですが、バーフバリとは、主人公ジヴドゥの実の父親「アマレンドラ・バーフバリ」であり、ジヴドゥの本名は、「マヘンドラ・バーフバリ」なのでした。

 

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アマレンドラの結婚問題が王位継承問題に発展してしまいます。。

 

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クンタラ王国の王女、デーヴァセーナ。

前編で鎖に繋がれていたのは、この人です!

 

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国母シヴァガミが実子バラーラデーヴァに騙されてしまいます。

 

f:id:mclean_chance:20180317093756j:imageONE PIECE』もビックリな空を飛んでしまう船(笑)。なんでもアリです。

 

つまり、マヒシュマテイ王国の王族の血をひいていたわけですね。

そして、前編の最後にカッタッパが言ったように、なぜ、バーフバリを殺さなくてはならなかったのか。もわかるわけです。

この「エピソード1」ともいえる内容を説明するのに、とてつもない時間を要さなくてはならない構成は、正直、無茶な作りだと思いますが(笑)、ここまで溜めて溜めて、暴君であり、事実上父親アマレンドラ・バーフバリの仇である、バラーラデーヴァの打倒への動機への怒りと大義というものを作り上げたかったわけですね。

週刊ジャンプ』のマンガをマジで実写にしたら、こんなです!という、『キングダム』や『北斗の拳』が大好きな人たちは、の前後編を見終わった後、拳を上げて、「バーフバリ!」と連呼する事間違いなし。

 

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いい構図だ!

 

ただ、不満がないではなく、この作品、広く世界で受け入れられるためなのでしょう、かなりのカットがされています。

まだ、インドは編集があんまり上手ではないみたいで、明らかに不自然なところがあるんですね。

とはいえ、筋立ては真ん中のアマレンドラ・バーフバリのお話がめちゃ長いというだけで、基本はものすごくシンプルで豪快なお話しですので(そこを強調するためのカットと思われます)、監督が言わんとしている事は、損なわれているわけではありません。

映画史に名を残す黒澤明七人の侍』も、海外で上映するために、1時間もカットしたそうです(3時間半もある、超大作なのです)。

この前後編は、映画館で見直したいですね。

 

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おまけ。国母になったのんちゃん(笑)。

 

 

レイ・ミランドの畢生の名演!!同年の『裏窓』と対をなす傑作!!

ルフレッド・ヒチコク『ダイヤルMを回せ』

 

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電話などの小道具の使い方が実にうまい作品です。

 

ヒチコクのワーナー作品。

レイ・ミランドがほとんどジェームズ・スチュアートに見えるのですが、それは、ヒチコクがそういう記号的な役割を主演にさせているという事なのだと思います。

ヒチコクは、小津安二郎とはまた違った意味で役者に演技力をほとんど求めておらず、役者がどのように見えるのかは、演出やキャメラワーク、編集によって決まってくると思っていたようで、よって、役者は出来るだけ記号的な存在に近い人物が求められていて、それに最適だったのが、スチュアートだったのでしょう。

理由はわかりませんが、本作ではレイ・ミランドが主演となってますけど、しかし、その役割はスチュアートのそれとほとんど同じです。

ただ、スチュアートは「巻き込まれる側」や「むやみに首を突っ込んでしまう男」という、いわば天然キャラを演じてますが、ミランドは完全犯罪の遂行者です。

そういう使い分けなのかもしれません。

ヒチコクの演出はそれくらい徹底していたという事が、ここからわかります。

それは同じく主演のグレイス・ケリーにも言えて、要するにものすごく端正な白人の美女。という記号として起用しているんでしょう。

こういう感覚って、小津安二郎キューブリックくらいしか、他はいないかもしれませんね。

 

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ごくごく平凡な夫婦と思われますが、

 

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実は奥さん(グレース・ケリー)には愛人がおりました。

 

それにしても、冒頭のレイ・ミランドと の会話だけで(しかもサントラなし)、延々と話が進むのですが、それだけでグイグイと引き寄せてしまうという演出のすごさ。

ミランドが語る妻、グレイス・ケリーの不倫と招かれた男との関係。

ミランドが淡々と語る完全犯罪計画のコワさ。

 

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妻の不倫を延々と語る、レイ・ミランド

 

レイ・ミランドははっきり言って二流の人だと思いますが、ここではとんでもない名演を繰り広げていて、恐らく畢生の演技だと思います。

ヒッチコック演出のものすごさですよね。

前科のある男の行状をトコトン調べ上げて精神的に追い込んで共犯者に仕立てていく異様さ。

バイオレンスもアクションも何もないのに巧みな会話だけで進行していく犯罪計画。

犯行プランを話し始めると、急に俯瞰したキャメラワークに変わるのも絶妙としか言いようがない。

 

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犯行計画になると、突然アングルが俯瞰になります。うまいですねえ。

 

そして、前科者が100ポンドを懐に入れて初めてサントラ。

精緻に狂っております。

この冒頭のサスペンスのうまさは、彼の作品史上でも屈指だと思います。

それはすなわち、映画史上屈指の出来ばえという事ですが。

そして、後半の犯罪シーンと二転三転するサスペンス(ここからは実際にご覧になってください)。

見た目は一見、端正なハリウッド映画なのですが、その内実はかなり変態的で、それは別に『サイコ』や『鳥』のようなショッキングな作品だけでなく、彼の作品に一貫しているものです。

このアブなさが、観客を魅了し、んと、ゴダールトリュフォーすら虜にしてしまったんですね。

映画はほとんどが主人公の自宅のリビングしか出て来ず、同年に作られた『裏窓』(こちらはパラマウント作品)と対をなしておりますね。

『裏窓』はスチュアート/ケリーで犯人を捕まえるお話であり、スチュアートの自室とそこから見える景色だけで成り立っており、本作はミランド/ケリー主演で、ミランドの完全犯罪がリビングで行われるというお話です。

サスペンスというものを映像に於いて、極限の至芸にまで高めてしまった監督のすごさをご堪能下さい。

 

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それにしても、ジェームズ・スチュアートにしか見てませんね。 

 

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完全犯罪は成功するのか?

カズオ・イシグロがノーベル文学賞とったと思ったら、監督のアイヴォリーまでアカデミー受賞でした。

ジェイムス・アイヴォリー『日の名残り

 

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スティーヴンスが仕えるダーリントン卿の邸宅。

 

ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ(彼を日本と結びつけて考えても仕方がないと思います)原作の小説の映画化です。

「マーチャント・アイヴォリー・プロダクション」による傑作の1つであり、アイヴォリーの監督としてのピークは、80年代後半から90年代と見るべきでしょう。

1928年生まれですから、世界的に脚光を浴びるようになったのは結構遅かったんですね。

クリント・イーストウッドよりも更に2歳年上です。

アイヴォリーは60年代から映画を撮っていて、そこそこの評価はあったんです。

しかし、世界的な評価となると、やはり、『眺めのいい部屋』以降でしょうね。

かなり大器晩成型の映画監督です。

本作は、そんな絶好調時代のアイヴォリーの代表作の一つと言ってよいでしょう。

ダーリントン卿という貴族が亡くなって、相続する者もなく、邸宅は人の手に渡ってしまいました。

 

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競売に出させる絵画を買い取るルイス。

 

その屋敷を買い取ったのは、アメリカで政治家をしていたルイスという男で、実はダーリントン卿の知り合いでした。

卿に仕えていたスティーヴンスは、そのまま、ルイスに仕える事になりました。

 

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ルイスに仕えるスティーヴンス。

 

ルイスは若い頃、この邸宅を訪れ、演説をしたんですが(どんな演説をしたのかはご覧ください)、その「古き良き時代」が忘れられず、人手に渡るくらいなら、自分で買い取ろうと思ったんですね。

そして、お話はそんな2人がまだか若かった、1935年の頃を回想していきます。

1935年のヨーロッパ。というのは、大変危機的な政治情勢がありました。

ヒトラー率いるナチスが議会で第1党となり、ヒトラーが首相となると、あっという間に合法的に独裁体制を築き、驚異的な経済成長を遂げました(フォードやデュポン、JPモルガンという、アメリカ資本の支援があったからだと言われています)。

 

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ダーリントン卿。平和主義の立場をとります。

 

英仏を中心とするヨーロッパは、コレと対立することを恐れ、融和的、妥協的にナチスドイツに接しておりました。

ダーリントン卿も、そういう考えに基づいていました。

1935年に、ルイスなどの各国の有力者を邸宅に招き、ドイツとどのように接するべきかを議論したんですね。

 

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あくまでもドイツの苦境を 助けようとする卿。

 

ヨーロッパ各国はヒトラーの恐るべき野望を理解せず、大変寛容な態度を示していました(ナチスドイツの中核は、およそドイツの名門とは程遠い連中の集まりでしたから、ハナからバカにしている側面もあったと思います)。

ルイスはコレに大変な危機感を覚えましたが、貴族的なサロンの場であるため、ルイスの立場は完全に浮いてしまっていたんですね。

 

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 ルイスの危機感は現実のものとなる事はご存知の通り。

 

執事のスティーヴンスは、鋼鉄でできたような職業倫理を持っている男で、自分の父親が亡くなっても仕事を優先し、長年一緒に働いてきた同僚の女性が結婚して邸を去ろうとしても「ああ、そうですか。おめでとう」と言って仕事に戻ろうとするほど、主人に仕える事に身を捧げきっております。

 

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常に完璧に仕事をこなすスティーヴンス。

 

ダーリントン卿がナチスドイツに対して、明らかにお人好しになりすぎている事もスティーヴンスにはわかっていたんですが、それを一切口にはしません。

 

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よーく見ると、スティーヴンスの目は笑ってませんね。

 

彼がなぜここまでの人間になって言ったのかは、本作では語られません。

しかし、そんな彼が唯一心を動かされていたのが、一緒に働くサラであった事が本作の核心です。

 

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強固な倫理観を持つスティーヴンスは、表面上の感情は余り言動としてほとんど出てきませんが、ガラにもなく恋愛小説をプライベートな時間に読んでいたり、仕事上のミスはほとんどない彼が、首相たちに振る舞うワインを落としてしまったりと、実は、彼にも人並みの感情が間違いなくある事が、わかります。

コレを名優アンソニー・ホプキンスがやるのですから、もう見事という他ありません。

それにしても、貴族でもなく、生まれは日本というカズオ・イシグロが、1930年代の不穏な世界情勢とコレに翻弄されるイギリスの貴族社会を小説にしたというのは、驚くべき事ですが、コレを映画化しているのが、なんと、カリフォルニア州バークレー生まれのアメリカ人監督である事も、これまた面白いですよね。

 

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現在のカズオ・イシグロ

 

アメリカ的な要素は、クリストファー・リーヴが演じる元政治家だけであり、名前を伏せたら、イギリス人監督が撮ったのではないか。とすら思ってしまいます。

そういえば、かつて、アメリカ人にもかかわらず、英国的な映画を撮り続けていた監督がいましたね。

ジョセフ・ロージーです。

彼の全盛期の頃にコンビを組んでいた脚本家はハロルド・ピンターですけども、実は、ピンターが脚本に協力していたようです。

ピンターは赤狩りでアメリカで映画を撮れなくなった、ロージーと組んでいたので、アメリカ映画界からは決してよくは見られていなかったんですね。

よって、映画のクレジットでも、名前をのせなかったのでしょう。

本作の影の功労者は、実は、ピンターだったんですね。

これ以前のアイヴォリー作品には足りなかった人物描写の彫りの深さが一段とましたのは、やはり、ピンターの協力なくしてはあり得なかったでしょう。

そんはアイヴォリーが、2017年度のアカデミー賞で89歳にして、久々にノミネートされ、脚色賞を受賞したのは、ホントに立派ですね。

こういう恋愛の形もあるのだ。と、ジンワリと染み込んでくるオトナの映画でございました。

 

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御大、ますます軽快にしかも実験的になってきました。

クリント・イーストウッド『15時17分、パリ行き』

 

※公開されたばかりの作品ですので、絵は載せません。あしからず。

 

 

2015年8月21日、アムステルダムからパリに向かう高速鉄道タリス内で実際に起こったテロ未遂事件についての映画化で、ここのところ、イーストウッドは実話モノが続きますが、今回の最大の特徴は、列車内でテロリストを食い止め、撃たれた人を応急処置した人たちを張本人が演じているというのがすごいところです。

つまり、当人たちによって再現されてる映画。という、ものすごい映画でして、本作を映画化するに当たってイーストウッドが主要の3人に取材しているうちに、「じゃあ、君たちが演じてくれよ」という事になってしまい、イーストウッド作品史上初めて、主演が完全なシロウト。という映画となりました。

 

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左から、アレック・スカトロス、ウィリアム・サドラー、スペンサー・ストーン。当人が実際に演じております。

 

お話は列車内でのシーンだけでは映画の尺が足りませんから、3人の中学生くらいからの生い立ち、そして、その3人がヨーロッパ旅行を楽しみ、その時にこの事件に遭遇してしまったという、筋立てになってます。

それを100分弱でサッとまとめてしまう、イーストウッドの手腕は相変わらず冴えています。

当然のことながら、コレは実話なので、前半に伏線はほとんどありません。

スペンサー・ストーン、アンソニー・サドラー、アレック・スカトロスの3人は幼馴染みで、どこにでもいそうなごくごく普通のアメリカ人です。

スペンサーとアレックスがたまたま軍人で柔術を心得ていた事と、武器の扱い方、負傷者の応急処置ができていたというのが、無差別殺人を食い止める事ができた最大の要因ですね。

このさりげない出来事があのテロ阻止には全て役立っているという事に、よくよく考えてみると構成がかなり巧みです。

当然、見所はそのテロを阻止するシーンではあるんですが(ジェイソン・ボーン・シリーズみたいなすごいものではなくて、モタモタ、オタオタしているのをそのまんま撮ってるのがものすごくリアルです)、それ以上によかったのが、3人のヨーロッパでのバカンスの再現が面白かったです。

ヴェネツィア、ベルリン、アムステルダムと観光しているんですが、この一切その後の大事件に巻き込まれていく予兆ゼロのマッタリ感を、当人がやってるというのが、実にいいんですね。

あんまり作り込まず、現場にはそれほど多くのスタッフがいない感じでササッと撮っているのですが、適当だったり、安っぽくならないのが上手いですねえ。

スペンサーとウィリアムがヴェネツィアでLAの女の子と偶然知り合って3人デートしちゃうところとかもよかったですし、御歳87のイーストウッドが、アムステルダムの爆音のクラブのシーンを撮ってるとかも楽しいです。

最後は、ちゃんとフランス大統領オランドが出てきて(実際の映像と撮影を巧みに合成しています)、3人と偶然居合わせた1人にレジオン・ドヌール勲章を受章する場面で本作は終わるのですが、イーストウッドは、英雄譚を描きたかったのではなく、このような名もなき人々の中にこそ、素晴らしいモノがあるという事を厳かに言いたかったのであり、それは、前作の飛行機事故を見事にハドソン川に軟着陸させたパイロットのお話以上に、より強く言いたかった事なのかもしれません。

イーストウッドおじいちゃんからの、「アメリカはまだまだこんなものではない」という宣言のような、しかも相当な実験作でもあったという小傑作でありました。

 

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 実際にレジオン・ドヌール勲章を授与された後の写真です。

 

アイドルを使ってこんな無茶な映画を撮ってしまいました(笑)。

相米慎二セーラー服と機関銃

 

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父を交通事故で失い、天涯孤独となった薬師丸ひろ子演じる、星泉

 

 

低予算映画ながら、驚異的なヒットをととなった、薬師丸ひろ子をスターダムに押し上げた傑作。

相米慎二は、結局、大林宣彦は、結局、アイドルである薬師丸ひろ子富田靖子を使って、自分の世界をやりたい放題作っているところが清々しく、そこが観客に大いにウケたんでしょうね。

相米慎二の現場は、映像からも伝わってくる壮絶なもので、何しろ、薬師丸ひろ子をクレーンで釣って、セメントの中に何度も突っ込んでいるのを長回しで延々と撮るという地獄ぶりです(笑)。

しかも、冒頭では異常なまでのロングショットで薬師丸を撮影し、彼女に校庭でブリッジさせてますから。

とにかく、混沌とエネルギーを画面に打ち込むために、役者をトコトン地獄に追い込む。という相米慎二独特の演出方法を、ティーンズ向けの娯楽作品でも貫くというのは、ほとほと呆れてしまいますが、それ故に、公開からもうずいぶん経ちますが、異様なまでのエナジーを放っています。

お笑いウルトラクイズ』という、ひどい番組(褒め言葉ですからね)がありますが、ダチョウ倶楽部もクレーンで吊られて、セメント漬けになった事はないでしょう。

 

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上島竜兵ではなく、薬師丸ひろ子です(笑)。

 

 

また、ほぼ全編にわたって、長回しで撮影され、役者やスタッフをエグい状況に常に追い込んでおります。

溝口ともアンゲロプロスとも全く違う、様式的な美をトコトン拒否する映像は、相米監督独特の世界です。

一緒に仕事をする人たちは、ホントに大変だと思いますが(笑)。

こんな無茶をやり続けても、大ヒットしてしまったのは、ひとえに原作のキャッチーさと、コレを見事に脚本化した田中陽一(鈴木清順とのコンビで有名ですね)の仕事が素晴らしいという事なのでしょうね。

晩年は『十津川警部』や『おみやさん』で演技派となってましたが、この頃までは渡瀬恒彦は、スタントなしで無茶なカーアクションをこなす人がでしたが、ココでも零落しきった「目高組」(薬師丸ひろ子はこの組の4代目)の若頭役を好演してます。

 

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こういう独特のヒキの絵の多用は、エドワード・ヤンに影響を与えたのかも。

 

 

しかし、やはり異様なのは、両脚のない三國連太郎ですね。

彼の演じる凶暴なヤクザ、「太っちょ」が語る「快感」こそが、本作のあまりにも有名なシーンにつながっていくんですが、このカーツ大佐とほぼ同類の狂人を見事に演じております。

高校生の女の子がヤクザの4代目を継ぐという、荒唐無稽さを逆手に取って、鈴木清順もびっくりするような豪腕な映画を作ってしまった相米慎二監督には、心底参りました!

低予算映画というよりも、ものすごく予算をかけたATG映画と呼ぶにふさわしい、アナーキーな傑作。

 

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コレも無許可の望遠レンズによる隠し撮りです(笑)。

 

「デトロイト」を知るために必須の作品です⁈

ポール・ヴァーホーヴェン『ROBOCOP』

 

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デザインが今見ても秀逸ですが、なんと、宇宙刑事ギャバンを参考にしているそうです!

 

オランダ人監督、ポール・ヴァーホーヴェンの名前が世界的に有名となった、イルな名作。

この映画の公開は、1987年で私は中学生でしたけども、当時はギャグとしてゲラゲラ友人たちと笑いながら見ていたものですけども、2018年現在はこのヴァーホーヴェンが描いている世界に恐ろしく近づいている事に気がつき、この作品の狙いどころは、実は笑いではなかった事に気がつきます。

ディストピアックな近未来モノにつきものなのは、桁外れに巨大な企業ですけども、本作はオムニ社です。

刑務所、軍事、宇宙開発、そして、とうとう警察まで事業の対象となりました。

衰退しきって、犯罪の巣窟となった街のステロタイプとして、デトロイトが挙げられますが、そこを舞台として、なんと、市警が株式会社のオムニ社によって経営されているという(ということは、警察官にはスト権があるということです・笑)、リアルに救いがない世界観を作り上げたのは、やはり、外国人としての視点があったればこそですよね。

作中で実際に警官労組によるストライキが始まってしまい、デトロイトで暴動が起きます(しかも、その顛末は描いてません・笑)。

 

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デトロイト市警のストについてインタビューを受ける失業者がジワります(笑)。 

 

オムニ社は意図的に殉職警官を作り出して、ロボコップを作り出すという、典型的ながらもやはり相当エグい、倫理観の破綻した資本主義社会の行き着く先(それはそんなに遠くない気がしますけど)を見ているようです。

 

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ロボコップに改造されていく過程を、マーフィーからの視点でのみ描くはうまいですね。お金はかかりませんから(笑)。

 

しかも、荒廃したデトロイト市を再開発するために、治安を回復させる必要があるため、24時間働き続ける警官を作る必要があるという事から、ロボコップを生み出しているんですね。

1970年代のニューヨークは大変荒廃してましたけども、ジュリアーニ市政になってから、一挙に街は浄化されましたけども、何かそれを思い出しますね。

「浄化」の結果、何が起きたのかは、言うまでもありませんが。

そんな邪悪な企業の思惑の犠牲者になってしまったのが、デトロイト市警の真面目な警官である、アレックス・マーフィーであり、殉職という形をとって、勝手にサイボーグに改造され、24時間働ける「ロボコップ」にされてしまいました。

 

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ピーター・ウェラー、若い!

 

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クラレンスの一味によって惨殺されてしまいます。。 

 

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ハゲでメガネのクラレンスが悪党のボスというもの、B級感覚満点です!手下もアタマが悪くて最高ですし(笑)。

 

この際、過去の記憶は一切消したはずなのですが、実は消えてなかったんですね。

そこから「ロボット」として作られた事にになっている「ロボコップ」がおかしくなってくるんですね。

 

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相棒である、アン・ルイス。そういう役名なんですってば(笑)。ブライアン・パルマ監督の元奥さんです。

 

さて、そこからがどうなるのか?というのがこの映画の見どころですから、アマゾンプライムなりで見ていただきたいです。

この映画のもう一つのキモはやはり、作中に挿入されるテレビ番組やCMの使い方ですよね。

核戦争を戦うボードゲームとか、SUX6000という作中に出てくる高級車のCM、メキシコとアメリカが戦争しているニュースやアメリカの衛星軌道上にあるレーザー兵器(レーガン政権の時に本気で作ろうとして、議会から否決されるんですけども)が誤射してしまい、サンタバーバラで多数の死者が出たという大惨事をサラッと伝えるニュース番組が、この近未来世界(年代は作中で一切言ってません。そこもとても巧妙です)のバッド感を猛烈に増幅させる効果があります。

 

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デッカい事はいい事だ(笑)。

 

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 悪ノリ核戦争ゲームのCM(笑)。ソ連の末期ですね。

 

そして、なんといっても、繰り返し放映される「1ドルで楽しむべ!」とオヤジがお約束のセリフを言う、お笑い番組ですよね(笑)。

 

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「1ドルで楽しむべ!」は名言です(笑)。

 

コレと当時のハリウッドのギリギリのバイオレンス描写の対比が実に見事なんですね。

 

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 オムニ社の副社長、ジョーンズが開発させていた、ED-209。重役の1人を射殺してしまい、不採用です。。

 

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 その誤射によって惨殺される重役。。

このギャグと惨殺の落差の凄さがこの映画の特徴です。

 

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ジョーンズを押しのけてロボコップの計画をグイグイと社長に推す、モートン

 

ロボコップの地道な捜査みたいなものはほぼカットして、作中ではたったの2人を尋問したのみで、後は圧倒的な力で一挙に解決していく所に力点を置く演出など、メリハリの付け方のうまさとカットするところはドンドンそぎ落として、100分くらいの娯楽作品にスッとまとめ上げる手腕は、只者ではありませんね。

 

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見てなくても正確に撃ち抜きます。

 

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組織をあっという間に一網打尽にされるクラレンス。ロボコップ、凄すぎます。

 

しかも、最後は西部劇(特定の作品という事はないと思いますが)へのオマージュになっているという、実は、問題のほとんどは解決しないまんま終わっているのですが(どう考えても、1番悪いのはオムニ社の社長なのですが・笑)、変な清々しさを持って終わる強引さも凄いものがあります。

ヴァーホーヴェン監督は外国人で、まだまだハリウッドでは実績がなかったので、ハリウッド映画としてはそれほど予算かけて作ってないんですけども、お金がない中でどう工夫すれば効果を上げる事が出来るのか?という事からしても、教科書のような作品でもあります。

ちなみにヴァーホーヴェンはその後、物議を醸し出す映画を作りすぎ、ハリウッドから出ていってしまい、現在はヨーロッパでやはり物議を醸し出す映画を元気に撮ってます(笑)。

 

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 このカッコいいラストショットで全てがモウマンタイになるのです(笑)。

 

奇想天外な恋愛映画でありました。

 

パク・チャヌク(朴贊郁)『渇き』

 

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奇跡の人となってしまったサンヒョン。

 

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奇跡を起こしてくれ!と駆け寄る人々。

 

次回作が全く読めない人ですけども、今回の主人公は神父です。
しかも、生存率が低く、治療法のないウイルス性の病気から生還し(50人志願した中で、唯一の生存者です)、韓国で「奇跡の人」扱いされるという、アドモドバルもビックリなお話しです。

どうもこのサンヒョン神父さん、生存して韓国に戻ってから、語感が異常なまでに鋭くなってしまいました(笑)。

で、今度は日光に当たると皮膚が焼けてくる。

 

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しかも、並外れた身体能力を発揮するようになり、ケガをしてもすぐに治ってしまう。

ハイ。なんと、吸血鬼になってしまいした。

 

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なんと、意識のない患者から少しずつ点滴の腕から血を吸ってます(笑)。

 

相変わらずのエグ味とエロは健在ですが、なんと、ベースはオモシロというのは、かなり意外です。

 

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奇想天外な設定と展開が最後まで読めずに引っ張るお話は、一切説明しませんので、是非見てください。

彼の映画はいつ見ても思いますけど、よくこんな脚本が思いつき、そういう演出できるよなあと思いますね(笑)。

邦題は原題の直訳ですけども、コレがまた秀逸です。

パク・チャヌクはカンヌでグランプリを受賞した巨匠と言ってよい監督だと思いますけども、基本は娯楽作品を作っている人なので、臆せずドンドン見てもらいたいものです。

 

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