カズオ・イシグロがノーベル文学賞とったと思ったら、監督のアイヴォリーまでアカデミー受賞でした。

ジェイムス・アイヴォリー『日の名残り

 

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スティーヴンスが仕えるダーリントン卿の邸宅。

 

ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ(彼を日本と結びつけて考えても仕方がないと思います)原作の小説の映画化です。

「マーチャント・アイヴォリー・プロダクション」による傑作の1つであり、アイヴォリーの監督としてのピークは、80年代後半から90年代と見るべきでしょう。

1928年生まれですから、世界的に脚光を浴びるようになったのは結構遅かったんですね。

クリント・イーストウッドよりも更に2歳年上です。

アイヴォリーは60年代から映画を撮っていて、そこそこの評価はあったんです。

しかし、世界的な評価となると、やはり、『眺めのいい部屋』以降でしょうね。

かなり大器晩成型の映画監督です。

本作は、そんな絶好調時代のアイヴォリーの代表作の一つと言ってよいでしょう。

ダーリントン卿という貴族が亡くなって、相続する者もなく、邸宅は人の手に渡ってしまいました。

 

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競売に出させる絵画を買い取るルイス。

 

その屋敷を買い取ったのは、アメリカで政治家をしていたルイスという男で、実はダーリントン卿の知り合いでした。

卿に仕えていたスティーヴンスは、そのまま、ルイスに仕える事になりました。

 

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ルイスに仕えるスティーヴンス。

 

ルイスは若い頃、この邸宅を訪れ、演説をしたんですが(どんな演説をしたのかはご覧ください)、その「古き良き時代」が忘れられず、人手に渡るくらいなら、自分で買い取ろうと思ったんですね。

そして、お話はそんな2人がまだか若かった、1935年の頃を回想していきます。

1935年のヨーロッパ。というのは、大変危機的な政治情勢がありました。

ヒトラー率いるナチスが議会で第1党となり、ヒトラーが首相となると、あっという間に合法的に独裁体制を築き、驚異的な経済成長を遂げました(フォードやデュポン、JPモルガンという、アメリカ資本の支援があったからだと言われています)。

 

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ダーリントン卿。平和主義の立場をとります。

 

英仏を中心とするヨーロッパは、コレと対立することを恐れ、融和的、妥協的にナチスドイツに接しておりました。

ダーリントン卿も、そういう考えに基づいていました。

1935年に、ルイスなどの各国の有力者を邸宅に招き、ドイツとどのように接するべきかを議論したんですね。

 

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あくまでもドイツの苦境を 助けようとする卿。

 

ヨーロッパ各国はヒトラーの恐るべき野望を理解せず、大変寛容な態度を示していました(ナチスドイツの中核は、およそドイツの名門とは程遠い連中の集まりでしたから、ハナからバカにしている側面もあったと思います)。

ルイスはコレに大変な危機感を覚えましたが、貴族的なサロンの場であるため、ルイスの立場は完全に浮いてしまっていたんですね。

 

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 ルイスの危機感は現実のものとなる事はご存知の通り。

 

執事のスティーヴンスは、鋼鉄でできたような職業倫理を持っている男で、自分の父親が亡くなっても仕事を優先し、長年一緒に働いてきた同僚の女性が結婚して邸を去ろうとしても「ああ、そうですか。おめでとう」と言って仕事に戻ろうとするほど、主人に仕える事に身を捧げきっております。

 

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常に完璧に仕事をこなすスティーヴンス。

 

ダーリントン卿がナチスドイツに対して、明らかにお人好しになりすぎている事もスティーヴンスにはわかっていたんですが、それを一切口にはしません。

 

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よーく見ると、スティーヴンスの目は笑ってませんね。

 

彼がなぜここまでの人間になって言ったのかは、本作では語られません。

しかし、そんな彼が唯一心を動かされていたのが、一緒に働くサラであった事が本作の核心です。

 

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強固な倫理観を持つスティーヴンスは、表面上の感情は余り言動としてほとんど出てきませんが、ガラにもなく恋愛小説をプライベートな時間に読んでいたり、仕事上のミスはほとんどない彼が、首相たちに振る舞うワインを落としてしまったりと、実は、彼にも人並みの感情が間違いなくある事が、わかります。

コレを名優アンソニー・ホプキンスがやるのですから、もう見事という他ありません。

それにしても、貴族でもなく、生まれは日本というカズオ・イシグロが、1930年代の不穏な世界情勢とコレに翻弄されるイギリスの貴族社会を小説にしたというのは、驚くべき事ですが、コレを映画化しているのが、なんと、カリフォルニア州バークレー生まれのアメリカ人監督である事も、これまた面白いですよね。

 

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現在のカズオ・イシグロ

 

アメリカ的な要素は、クリストファー・リーヴが演じる元政治家だけであり、名前を伏せたら、イギリス人監督が撮ったのではないか。とすら思ってしまいます。

そういえば、かつて、アメリカ人にもかかわらず、英国的な映画を撮り続けていた監督がいましたね。

ジョセフ・ロージーです。

彼の全盛期の頃にコンビを組んでいた脚本家はハロルド・ピンターですけども、実は、ピンターが脚本に協力していたようです。

ピンターは赤狩りでアメリカで映画を撮れなくなった、ロージーと組んでいたので、アメリカ映画界からは決してよくは見られていなかったんですね。

よって、映画のクレジットでも、名前をのせなかったのでしょう。

本作の影の功労者は、実は、ピンターだったんですね。

これ以前のアイヴォリー作品には足りなかった人物描写の彫りの深さが一段とましたのは、やはり、ピンターの協力なくしてはあり得なかったでしょう。

そんはアイヴォリーが、2017年度のアカデミー賞で89歳にして、久々にノミネートされ、脚色賞を受賞したのは、ホントに立派ですね。

こういう恋愛の形もあるのだ。と、ジンワリと染み込んでくるオトナの映画でございました。

 

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