コレはニーチェの運命愛の映画である!
イ・チャンドン(李滄東)『ペパーミント・キャンディ』
もはや、現代を代表する巨匠の一人である、イ・チャンドン。
イ・チャンドンはそんなに多くの映画を撮っている人ではないのですが(脚本家であり、小説家でもあるので、そちらの仕事がむしろ多いです)、いざ映画を撮ると、毎回ものすごい衝撃を与えますが、1999年公開の本作も、ちょっと驚きの作品なのでした。
お話は1999春のピクニックに始まり、1979年秋ピクニックに終わるという、循環構造のですが、それ自体は『アラビアのロレンス』などなど、たくさんあります。ちょっとしたいたずらのような。
本作のすごいところは、1999年から1979年に向かって遡るように物語が進行していきます。
つまり、最初にラストシーンがあって、その種明かしが物語になっているのですが、そのラストはまた最初につながっていくんですね。
冒頭、すなわちラストシーンが描かれてますし、もう20年以上前の作品ですから、ネタバレを書いても一向に差し支えないし、ラストシーンが最初という衝撃が物語を起動させるので、書きますが、主人公のキム・ヨンホは、絶望したのか、とうとう発狂したのか、列車が走っている鉄橋に上り、列車に惹かれてしまいます。
『気狂いピエロ』のフェルディナンのように自殺する、イ・ヨンホ。
そこから物語が始まるんです。
しかも、そこでは、高校の同級生たちが20年ぶりに集ったピクニックが行われていて、ヨンホはこれに突然現れます。
実は、3日前にラジオ放送でピクニックの開催をする事を番組内で宣伝をしていて、ヨンホはたまたまコレを聞いていたからなのですが、このピクニックでのヨンホの異様さ。
ジャン=リュック・ゴダール『気狂いピエロ』の、主人公が絶叫しながらダイナマイトを頭に巻きつけて自殺する、あのラストシーンを思わせますね。
ヨンホを演じるソル・ギョングなくして、本作は成立し得ないほどの熱演。
ゴダールは意外にも時間軸はそんなにはちゃめちゃな映画は撮ってないんですけども、本作はいきなり主人公の自殺から始まります。
で、普通なら、「では、何故自殺してしまったのか?」の最初から語るという手法をとり、そして、1999年の主人公の自殺まで語っていきますよね。
本作はそうではなくて、1979年の、高校生の頃のピクニックで終わってるんです。
時間がドンドンと遡っていくんですね。
それを電車が走るのを逆回転再生するという、恐ろしく古典的な手法で表現しています。
エピソードの合間に必ず挿入される逆回転再生される線路の映像。
それを1999年、1994年、1987年、1984年、1980年、1979年と遡るように断片的なエピソードとして見せていきます。
しかも、巻き戻しつつ見えてくるのは、韓国現代史の断片でもありました。
時間軸を普通に戻して語ると、高校生→兵役→工場労働者→刑事→会社経営者という彼の人生が語られるのですが、そこに、朴正煕暗殺、光州事件、民主化運動、1997年の金融危機が彼の人生に影を落としていている事がだんだんとわかってくるんですね。
しかし、結論を言えば、ヨンホが自殺するに至る理由はそういう社会的背景に落とし込んではおらず、ハッキリとは明示されません。
たしかに彼の事業の失敗、幼なじみのユン・スニムが実は知らない男と結婚していて、余命いくばくない事を知った事などなど、思い当たる事はいくつも思い当たるのですが、私はそれらは自殺の原因だとは思いませんでした。
彼の絶望は、自殺の3日前に見たネガフィルムにあったのではないかと。
恐らくですが、そのフィルムに写っていたのは、彼の運命だと思います。
彼が今まで経験してきた事があのフィルムにすべて書いてあったのではないか。
本作では重要な小物がいくつか出てきて、その一つがタイトルでもあるペパーミント・キャンディなのですけども、もう一つがカメラでして、そのどちらもが、幼なじみのスニムと強く結びついています。
実はカメラはスニムが工場で働きながら貯めたお金で買ったカメラでして、そのカメラはカメラマンを目指していたヨンホへのプレゼントだったんです。
しかし、コレを受け取りませんでした。
最後に受け取ったのが、自殺する3日前で、スニムの夫から、事実上の遺品として改めて手渡されものです。
ヨンホはこのカメラを売り払ってしまうのですけども、中にフィルムが入っていたんですね。
そのフィルムには彼の過去、現在、未来がすべて示されていた。
因果律ですね。
彼はその事に絶望したのだと思います。
しかし、その自殺もまた因果律であり、絶命間際に「昔に戻りたい!」と叫んでも、彼の生と死は循環構造の永劫回帰の中にあるという。
循環構造にある事はラストシーンのピクニックのシーンで、「どこかで見たことのある風景だ」というヨンホのセリフが明示してます。
結論すれば、本作は因果律の話しであり、神の存在について描いた作品だと思います。
なぜ、そこまで言えるのか言いますと、韓国は私たちの思っている以上にキリスト教社会であるからで、本作以外でも、『シークレット・サンシャイン』という、コレまたとんでもない作品でキリスト教の問題を真正面から扱っているからです。
日本ではこういう映画を撮ると説得力に欠けますが、韓国はコレを可能とする社会的な背景があるんです。
そして、凄絶なまでの政治的激動も実際にありました。
ここまでネタバレさせても、本作を見る事に何の支障もないほどに作品としての強度がものすごい、現代の黙示録。
それでも「人生は美しい」と言えるのか?を突きつけた、イ・チャンドンの傑作です。