まさかのエリントン映画でした!
ミシェル・ゴンドリー『うたかたの日々』
ボリス・ヴィアンの同名小説を、天才PV監督が忠実に映画化。という説明で実はすべてが完結している映画だと思います(笑)。
それでは味も蓋もないので、もう少し説明いたしますが、ビョークが世界的な大スターになるキッカケとなったのは、彼女の類まれなカリスマ性ポップアイコンとしての圧倒的な強度、そして都はるみやデイヴィッド・サンボーンに肩を並べるコブシの効きまくった歌唱が大前提としてだが、ミシェル・ゴンドリーのPVがあったればこそですよね。
ビョークの登場は衝撃的でした。
本作は、そんなゴンドリーのPV監督としての才気が、劇映画と250%シンクロした、大変な傑作ですね。
ボリス・ヴィアンは、そのぶっ飛んだ文体でフランス本国よりも、むしろ、日本で大変な人気を誇る作家であります。
実は心臓が弱く早逝している、ボリス・ヴィアン。
本作の原作も、驚くことに2020年現在で、3種類の翻訳が存在し、『うたかたの日々』と『日々の泡が』の2種類の邦題があるくらいです。
そのスカスカした構造と、少女マンガのようなキラキラとした世界観が日本人にはフィットしたのかもしれません。
ディストピアというわけでもない。
本作は、そんなヴィアンの世界を目一杯キラキラと描き、特に前半はゴンドリーのPVをコレでもかコレでもかと見せられているような快楽に満ちています。
不思議なダンスシーンは必見!
しかも、ヴィアンのアイドルであったデューク・エリントンが巧みにフィーチャーされていて、ある意味でエリントン映画と言ってもいいくらいの映画になっています。
もはやジャズを超えた大巨人、デューク・エリントン。ヴィアンとは1947年に会ってます。
もう、小説として古典と言ってよいので、ネタバレを規制せずに進めますが、ゴンドリーはヴィアンのぶっ飛んだ描写を実に忠実に映像化していて、それはそのまんまゴンドリーの世界であるので、映像が爆発的に面白いです。
コランとクロエのデートシーン。ほぼこんなシーンが連発します。
しかし、原作の通り、この楽しいトーンがクロエが肺の中に水仙が感染するという、恐らくは結核の隠喩と思われる病に罹ってからは、急激に暗いトーンに。
コランが雇っている料理人の設定を黒人に変えてますが、このオマール・シーが一番素晴らしいですね。
常に彼女の周りに花を飾る事で水仙を枯らすという治療のために、主人公コランの貯蓄がドンドンなくなっていき、クロエは結果死んでしまうんです。
この、ドンドンストーリーが萎れていくようになっていくのは、実はヴィアンの原作がそうであるから。というよりも、80年代以降のフランス映画に偏在している問題のような気がしてならないのですが、それは置いておきまして、この意図的とも言える書き割りのようなスカスカ感は、どこか少女マンガを思わせます。
哲学者パルトル狂の友人シックはエルヴィス・コステロとジョン・ゾーンを融合したような人です。
サルトルのパロディ、パルトル。
全面的に好きとは言い切れないのですが、前半の大林宣彦を思わせるようなおもちゃ箱をひっくり返したような楽しさだけでも見る価値が十分あります。
ボリス・ヴィアンが戦後出現した事が後にヌーヴェル・ヴァーグ出現の助走になったと言えると思います。
ちょっとだけエリントンが出てきます!