意味とかリアルを失っても残存する気分こそが映画なのではないのか?

中平康『月曜日のユカ』

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このタイトルのカッコよさ!

 

 

中平康の生前の評価は芳しいものではなかったようです。

 

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中平康。果たして、満足できた映画をどれだけ作れたのでしょうか。。

 

 

たしかに、同世代といってもよい、市川崑増村保造岡本喜八という監督と同じような評価を現在でも受けているのか?というと、それはないと思います。

 

同じテクニシャンであった市川崑は中平と比べて明らかにスタッフに恵まれていたし、なんといっても奥さんの和田夏十が名脚本家でしたから、市川はキャメラや編集に熱中していればよかったところがあります。

 

しかし、中平が在籍した日活は東宝、松竹、大映東映よりも厳しい環境でしたから、作れる作品は、青春路線しかありませんし、大物スターではなく、なんとか発掘したニュースターを起用したものにならざるを得ず、それはプログラムピクチャーのみです。

 

そういう劣悪な環境に置かれていた中平が取った方法論はロケーション撮影の多様です。

 

本作は横浜のほぼ中区の出来事ですので、ひたすら横浜ロケ撮影であり、屋内のみセットです(車のシーンもセットですね。コレは予算の問題でしょう)。

 

パパの資金援助を受けながら生きている、加賀まりこ演じるユカの生き様は、例えば、増村保造作品の常連であった若尾文子のような強烈な意志の力や強かさを持った強力さがあるわけではなく、しかし、確実に劇中の3人の男性の人生を狂わせ、この内の2人は死にます。

 

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加藤武演じるパパの愛人であるミカ。

 

加賀まりこはまだ売り出し中の女優で、演技はお世辞にもうまいとは言えませんが、この小悪魔的な存在感は今見ても強烈です。

 

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小悪魔的としか言いようのない加賀まりこの魅力が満載です!

 

 

中平の、ほとんどルイ・マル地下鉄のザジ』的とも言える、過激にしてポップなテクニックで、加賀まりこの魅力を存分に見せつけているというだけで本作の存在意義は充分であり、他の問題点は霞んでしまいます。

 

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ななんと、中尾彬が出演してます!

 

 

小津安二郎溝口健二のような巨匠は、とても文章にしやすいし、いくらでも「テクストの快楽」に満ち満ちています。

 

が、中平のそれは、快楽はあるのですが、それを言葉として伝えるのがとても難しいんです。

 

難解なのではなく、むしろわかりやすいくらいなのですが、しかし、言葉にしてしまうとその魅力が雲散霧消してしまうというのか。

 

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とにかく、スタイリッシュでモダンが感覚が素晴らしい!

 

 

すべてが映像それ自体によって語り尽くされてしまっていて、その背景というものは全く存在していないかのような塩梅なんですね。

 

キューブリックゴダールなど、一体どれほどの事が語れるのか?というものと真逆なんです。

 

似ている監督に、藤田敏八がいると思います。

 

この監督はイザとなると、キッチリとした娯楽アクション活劇である、『修羅雪姫』二部作のようなエンタメも作れるのですが(タランティーノを大感激させ、『キル・ビルvol.1』に多大なるインスピレーションを与えた事は言うまでもありません)、この監督の真骨頂は、なんとも言えない、都会の空気感とか雰囲気です。

 

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内面がない。という事をここまで開き直って見せてしまうと、清々しさすらあります。

 

 

そこには際立った主張があるわけではないし、エモーションも希薄です。

 

しかし、断固としてそこに映画でしかなし得ない表現と感銘があるのですが、コレが文章として表現しにくい世界です。

 

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こんな、アントニオーニみたいな映像も出てきます。

 

実際、中平康論とか藤田敏八論というのは、私の不勉強もありますけども、黒澤明岡本喜八のように、多いとは思えません。

 

本作は、なんともリアリティというものが欠落していて、実にファンタジックでそれと同じくらいにモダンでシャープなのですけども、実はリアルでない。というものは、日本映画のお家芸です。

 

黒澤明『用心棒』や深作欣二仁義なき戦い』は、前者はかなりシュールなお話しですし、後者は実録という名ファンタジーです。

 

しかし、本作は根本的なリアリティがまるでないんです。

 

この徹底さは、日本映画の中でも抜きん出ていていると思います。

 

鈴木清順ですら、どこかにギクリとするリアルがむしろあるわけです。

 

それは、若い頃の戦争体験のような気がするのですが。

 

中平も戦前生まれですから、「戦争体験」はあるでしょうけども、彼には、そういう経験とかそういったものから滲み出てくるものが丸っきり見えてきません。

 

情緒も希薄で、ボリス・ヴィアンの小説の世界のようなスカスカ感があります。

 

とにかく、日本人離れした華麗さと類い稀なセンスで都市の空気感を見せてしまうという一点に於いて、中平康は今もって輝いており、その映像は決して古びて来ず、オシャレでカッコいい映像を作りたいと思う人々にとって今もって教科書だと思います。

 

そして、この快楽は映画館で体験するのを至上とします。

 

本作はDVDで楽しむものではなく、あくまでも映画館という空間でこそ活きる世界ではないでしょうか。

 

中平康作品は近年は再評価が高まってますので、機会がありましたら、是非とも映画館で鑑賞ください。

 

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