ルイス・ブニュエル『欲望のあいまいな対象』
フェルナンド・レイの語る、奇妙なお話し。
最後のシュルレアリストにして、うなぎのような反骨精神を貫いたブニュエルの遺作。
と言っても別にそんなに重く受け止める必要はなく、シルベルマン/カリエールと組んだ、アタマのネジが一本取れたような、あのトボけ感と、いつもの唐突なラストに、更に老人力が加わった、肩の力が抜けた快作。
ブニュエル組。と言ってもよい、怪優フェルナンド・レイが電車の中で語る、コンチータという女性の回想。という体裁で、進む、谷崎潤一郎なお話しです。
にしても、この肩の力の抜けっぷりがもう素晴らしいですね。
若い頃、と言っても、もう50歳は過ぎてたんですけども(1900年生まれ。デューク・エリントン、ヒッチコックよりも1つ歳下)、メキシコ時代の多作ぶりとその反骨精神は、まことに天晴れという他ない監督ですけども、フランスに渡ってからの「ユルすごい」という、他の追随を一切許さないオリジナルな作風もコレまた絶品であり、しかも、レオン・リー並みの高打率(喩えが古過ぎてスンマソン。若い子はググってね)なのです。
そんなブニュエルですから、もう、私なんかは安心して見てられるんですども、まあ、ハリウッド映画しか見たことない人には、「あれ?」みたいな展開が唐突に起こるので、そこがイライラ、モヤモヤしっぱなしでしょうね。
ブニュエルは、そういう人を明らかにおちょくっていて、「そんなハリウッド映画みたいに全部がつじつまが合うように説明できるなんて、強迫観念っしょ」という信念に基づいて、つじつまがどこかおかしい映画ばかり作り続けた、ホンモノの反骨です。
基本は金持ちのおっさんと若い女性を巡るメロドラマなんですけども、それがとても奇妙でどこかおかしいんですね。
コンチータとの出会いがこの中年男を狂わせる。見ている側とともに。
ハナからぶっ飛んでいるのではなくて、ディテールがおかしいんですよ。
その最大のポイントは、すでに指摘されていますが、フェルナンド・レイが演じる中年が恋い焦がれるコンチータを演じる女優が2人いまして、何の説明もなく、2人は入れ替わってます。
2人一役という、とんでもないイタズラをブニュエルは仕掛けていたんですね。
はい。コンチータを演じているのは、このお二人でした。
しかし、公開当時、この事に気付いている人は少なかったんです(笑)。
フェルナンド・レイの「欲望の対象」は明確なのに、映画のタイトルが「あいまいな対象」となっているのは、そういうイタズラであったと。
その他にも、通奏低音ように、テロが何度か唐突に起こっており、コレが最後の大爆発の伏線には一応なってますけども(新聞で飛行機墜落!みたいな虚構新聞もビックリな見出しも出てきます)、ブニュエル作品にしばしば見られる、「強制終了」ではあります(笑)。
ハリウッド映画の、ある意味、強迫観念とも言える伏線張りまくり、起承転結ありまくりばかりを見ていると、何が面白いのかわからないどころか、途中で不愉快にすらなる作品かもしれませんが、そういうものを放棄して虚心坦懐に見ますと、これほど痛快な作品もないと思うので(爆発)