『東京オリンピック』はこうして見よう!

市川崑東京オリンピック

 

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1964年第18回オリンピック東京大会を撮影した、市川崑を代表する作品であり、最晩年に監督の意図する通りの作品としてデジタル・リマスターされ、更に再編集を行ったものが、現行版です。

 

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自らカメラを回す、市川崑

 


当時、オリンピックをテレビや実際に見た方にとっては当時を思い出すために本作は有効でしょうが、そうでない人には、この映像はいささか地味な映像に見えるかもしれません。

 

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ブルーインパルスによって描かれる、五輪!

 

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聖火点灯!

 

 

日本が第二次世界大戦に敗れて、わずか、19年後に行われた大会であり、アジア初の開催ですから、現在のド派手なオリンピックを見慣れている方には、どうしたって地味です。


私も初めて見たときは、「オリンピックって、昔は結構地味だったんだなあ。でもそれがアマチュア選手の祭典であるオリンピックらしくて、コッチの方が本来のオリンピックなのかも」という感想を持ちました(オリンピックがド派手になるのは、1984年のロサンジェレス大会からです)。


しかし、この作品を深く見るために格好のテレビドラマがあります。


2019年に放映され、先日完結しました、NHK大河ドラマの『いだてん』です。

 

明治の終わりから昭和の中頃までを描くという時代設定のみならず、主人公の2人が英雄でもなければ、それほど有名な人物でもないという点も大変異色でしたが、更に変わっているのは、このお話し全体を俯瞰しながらも、ほとんど主人公の1人として登場する、昭和の大名人と言われた、古今亭志ん生なんです。

 

『いだてん』はかなりの部分は史実に忠実に描いているんですけども、それが志ん生の「東京オリムピック噺」という落語(実際の志ん生は古典しかやりません)という構造なんですね。


しかも、若い頃と戦後大名人となった頃の志ん生を演じるのが、それぞれ、森山未來ビートたけしでして(笑)、しかも、ビートたけしは風貌を全く似せようとせず、頭髪を金髪に染めたビートたけしのまま演じているという破天荒さ。

 

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志ん生に似せようとしないのは、むしろ、潔いです。

 


この、全く絡みそうもないモノが話が進むにつれてちゃんとつながってくるのが驚くべきところです。


しかも、語り手である志ん生が過去と現在を行き来し、噺になったり、客観的なナレーションになったりを絶妙に切り替えてます。


この手法は、あまり指摘されませんが、みなもと太郎風雲児たち』の影響があると思います。

 

幕末を語るために、関ヶ原の戦いから、延々と描き続けるという、気の遠くなるような作品が2019年現在も続いているのですが、原作者みなもと太郎が時空を超えてちょくちょく登場してきます。

 

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幕末編だけで、現在までに33巻(笑)。生麦事件を中心に描かれています。

 


ただし、『いだてん』のように登場人物としてお話に直接絡みませんが、コレに発想を得たのではないでしょうか。


それはさて置き、この『いだてん』も1964年の東京大会がいかにして成し遂げられたのか?から始まり、日本が初めてオリンピックに参加した、1912年のストックホルム大会にマラソンで参加した、金栗四三から語るという、ものすごい射的で近現代史を見ようという野心的な作品です。

 

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柔道の近代化に功績のあった、嘉納治五郎をこれほど大々的にフィーチャリングしたのは、『いだてん』が初めてでは。

 


内容から、2020年の東京大会のプロパガンダか?という邪推もありましたが、到底そんなモノになり得るものではなく、明らかに現在の自民党の利益誘導政治(それはそのまま2020年の東京大会批判にもなっています)、原爆についての日本政府への批判すら出てきます。

 

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吉田派の流れを主流にする事に功績のあった、川島正次郎。

 


そもそも、政治とオリンピックの接近を招いてしまったのが、主人公である、田畑政次自身である事も描かれています。


高橋是清犬養毅などの有名な政治家も出てくるのですが、登場人物の多くは、それほど知られていない人であったり、全く無名の人がメインでして、しかも、登場人物が大河ドラマ史上、桁外れなほど出てきます。

 


歴史的事実ですから、ネタバレさせても作品を些かも傷つけないと思うので書いてしまいますが、金栗四三は、マラソンの世界記録保持時であり、それを更新すらしてるほどの実力を誇りながら、第一次世界大戦に阻まれたり、当日の気候がアダとなったりとう不運によって、無冠の帝王に終わってしまった不運の選手でした。

 

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スポーツがなんなのかすら理解されていない時代に、初めてオリンピックに参加した、金栗四三

 

 

田畑政次は、子供の頃病弱であったため、水泳を断念し、東京帝国大学の法学部を卒業し、朝日新聞の政治部の記者をしながら、日本水泳連盟を立ち上げ、戦前の日本の水泳の全盛期を作った人です。

 

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「カッパのまーちゃん」こと、田畑政次。阿部サダヲが演じた事も衝撃的でした。

 


普通、オリンピックを描くのなら、金メダルを取ったような人を主人公に据えて、この人の人生から見たオリンピックみたいな描き方とすると思うのですが、そうではなく、2人とも挫折者なんですね。


最終回は、東京オリンピックなのですけども、2人とも言ってしまえば、ただの観客です。


さて、ココでようやく市川崑に繋がるんですが(笑)、『いだてん』にも三谷幸喜演じる市川崑が、出てきまして、『東京オリンピック』の撮影をしてるシーンが出てきますし、作品内で、映画のシーンがそのまま使われています。

 

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三谷幸喜演じる、市川崑

 


あくまでも、この2人が関わった部分しか東京オリンピックが出てこないところがミソでして、つまり、大会全体が見渡せないんです。


それを補完するのが本作であり、『いだてん』を見る事で、当時を体験していない人の感銘度が何十倍にも膨らんでくるわけです。

 


キレ味満点の映像を作らせたら、当時最高であった市川崑が、日本映画史上最高の撮影監督であろう、宮川一夫と組んで撮られた映像は、もう見事という他なく、レニ・リーフェンシュタール『民族の祭典/美の祭典』と双璧です。

 

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敢えて別撮りした、チェコスロヴァキアのチャスラフスカ!

 


市川崑は、有名な試合とかそういうところにそんなに力点を置かず(とはいえ、ヘーシンクやアベベ、日本vsソ連の女子バレーボール決勝とかは、さすがに出てきます)、観客の顔や、棄権した選手、あまり注目されない競技とかを結構写していて、この辺が、JOCから疑問を呈せられたのだと思いますが、今となってはそんな問題はどうでも良く、とにかく、『いだてん』を見てから、本作を見てから市川=宮川コンビによる素晴らしい映像をひたすら楽しるというのが、21世紀の作法でありましょう。

 

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実は裸足では走っていなかった、アベベ

 

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ヘーシンク、デカいです!

 


既に本作をご覧になった方も、是非やってみてください。

 

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閉会式が必ず違って見えてくる事を保証します!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トラヴィス→ミシマ→トーラー

ポール・シュレイダー『魂のゆくえ』



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ホアキン・フェニックスが狂気の悪役、ジョーカーを演じて話題となった『JOKER』。

 


DCコミックスを代表する悪役キャラクター、ジョーカー、というよりも、クリストファー・ノーラン監督による『バットマン』3部作における『ダークナイト』に出演した、ヒース・レジャーが演じたところのジョーカーに創を得たと思われる『JOKER』が、2019年にヒット中ですが、この作品の根底には、ある映画の存在が指摘されています。


それは、マーティン・スコシージ『タクシー・ドライヴァー』です。


ヴェトナム戦争による、PTSD不眠症になってしまい、できる仕事がタクシードライヴァーの夜勤しかなくなってしまったという、ロバート・デニーロ演じるトラヴィスは、何か、『JOKER』の主人公、アーサー=ジョーカーのもつ、鬱屈したルサンチマンを社会に抱いています。

 

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『タクシードライヴァー』のトラヴィス

 


『タクシー・ドライヴァー』の脚本を描いたのが、本作の監督、ポール・シュレイダーなのです。

 

シュレイダーは、三島由紀夫の凄絶な最期を描いた『MISHIMA』(日本未公開、未ソフト化)という、これまた物議を醸し出す作品を撮ってます。

 

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緒形拳三島由紀夫を演じる『MISHIMA』。

 


主人公のエルンスト・トーラーは、ニューヨーク州の小さな教会「ファースト・フォームド」(原題はコレです)の牧師。

 

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ごくごく平凡な牧師、トーラー。

 


彼がとある日に相談を受けた男性が、銃で頭を撃ち抜いて自殺し、しかも、トーラー牧師にワザと第一発見になるように計画的に自殺してしまう男との経緯が丁寧に描かれます。


この自殺した男とその妻は、実は環境保護運動を行っていて、逮捕された事もあるのでした。


彼は「こんなひどい事態に生まれる子供が幸福になるはずがない」を思い込んでいて、奥さんの出産を望んでいません。

 

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奥さんからの相談を受けるトーラー。

 

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自然環境の悪化を訴える、マイケル。

 


という、まあ、その後自殺してしまうような人ですから、もう思い詰めてちょっとおかしくなっているんですね。


この辺は、ギリギリでシリアスですが、側から見ると滑稽寸前です。


しかも、爆弾まで製造していたんですね。


『タクシードライヴァー』でもそうですが、「それ、笑っていいの、どうなの?」というスレスレなところを描くのがシュレイダーはうまいですね。


問題はその後なのです。


相談を受けていた人がこれ見よがしに自殺をしてしまう。


聖職者である、彼を助ける事は出来たのでは?と苦悶する事になるのですが、その答えの出し方が尋常ではなく、トラヴィスやミシマもびっくりなんですね。


トーラー牧師は社会的な地位がそれなりにあるわけですから、トラヴィスではい。


また、ミシマのように完全に自分の美意識からの行動でもない。


トーラーは自らの信仰の問題としてとんでもない事をしでかそうとするんですが、その終わり方がこれまた秀逸ですね。


『JOKER』ともども、「正義とは何か?」もしくは、「悲劇と喜劇は紙一重」がテーマとなる映画が相次いで公開されたという事は、とても興味深いですね。

 

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祝!スパイク・リー復活!!

スパイク・リー『ブラック・クランズマン』

 

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1979年をお話を敢えて1972年に変えて映画化しています。

 

ドゥ・ザ・ライト・シング』、『マルコムX』という強烈なインパクトを与える作品を撮りながらも、その後はあまりパッとしない作品を作り続け、知らないうちに大学で映画を教えるようなエラい人になっていたスパイク・リーですが、ほとんどアメコミのヴィランのような大統領が就任したのが大きいのでしょう(笑)、本作はまるで永き眠りから覚めたような快作でした。


コロラド州コロラド・スプリングス(コロラド州第二の都市で、人口は現在で約46万人)で実際にあった黒人警官によるKKK潜入捜査のお話しです。


映画ではニクソン政権時代に少し遡らせているのですが(元ブラックパンサー党のリーダーの支持者を主人公の彼女という設定にしたかったからでしょうね)、主人公のロン・ストールワースがコロラドスプリングス市警で初めてのアフリカ系アメリカ人の警官だったのは、事実です。


このロン・ストールワースを演じるのが、ジョン・デイヴィッド・ワシントン。

 

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1972年までコロラド・スプリングスには黒人の警官がいませんでした。


ななんと、デンゼル・ワシントンの息子です。


マルコムX』って、そんな昔の映画だっけ?と一瞬気が遠くなりましたが、本作は彼の好演がやはり光りました。


それにしても、黒人がKKKに潜入捜査するってどういう事か?と思うかもしれませんが、ロンが考えた方法がすごいんですね。


電話応対はロン本人が行い(電話で黒人とバレないのがミソです)、実際にKKKのメンバーに「ロン・ストールワース」として会うのは、フィリップ・ジマーマンという「白人」なんです。

 

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この電話の使い方がとにかくおかしいんです。


ジマーマンというのは、ユダヤ系の人に多い名前で、彼もユダヤアメリカ人なんです。


アダム・ドライヴァーが演じていますが、彼は最近、いい映画によく出ていますね。

 

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KKKの白人至上主義にはプロテスタントの信仰があり、異教徒であるユダヤ教への強い反感があります(アメリカにおける親ナチスというのも、そういう文脈にあるような気がします)。


KKKユダヤアメリカ人の事を「白人」とは見なしません。


つまり、この潜入捜査は、ユダヤアメリカ人とアフリカ系アメリカ人という、KKKが憎悪の対象とする人種の2人が組んで行われたという、全くもって奇想天外な、捜査だったんですね。


このユダヤ系とアフリカ系が組むというのは、アメリカの黒人音楽の歴史に実は結構あった事で、その事を知っていると、余計にこの設定がおかしいのですが。


本作は捜査によるサスペンスみたいな事はそんなに重点が置かれていなくて、スパイク・リーがやはり力点を置きたいのは、アメリカの黒人差別の歴史です。


本作の冒頭は『風と共に去りぬ』のワンシーンであり、劇中でKKKの連中が見ている映画は『国民の創生』です。


後者がKKKを美化して描いている事はすでに有名ですが、実は前者にもKKKが出てくるんです(ただし、南北戦争の頃のKKKはかなり違いますけどね)。


ただし、映画版はココをかなり希釈してボヤかし、人種問題とは結びつかないようにしてますが、リーは、この不朽の名作の根底にある黒人差別をやはり見逃さなかったのです。

 

ちなみに、KKKというと、あの白い装束が有名ですが、『国民の創生』に出てくるKKKの衣装から取ったものなんです。

 

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コレがKKKの現在に至るイメージを決定づけた衣装です。

 

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現在のKKKです。

 

 

つまり、現在につながるKKKの生みの親は、実はDWグリフィスという映画監督なのだ。という事を言いたいんですね、スパイク・リーは。

 

ものすごくゴダール的ですねえ。

 

ラストシーンに映画にも出てくる登場人物によって、この映画はフィクションだけど、コイツはリアルだからね。という観客への一発かましているのも痛快でした。

 

スパイク・リーは、動乱があると元気になるタイプの監督なのでしょうね(笑)。

 

そして、彼の代表作がワシントン親子(しかも初代大統領と同じ名字!)というこの奇跡にも驚いてしまいます。

 

今度こそ作品賞を取りましょう!

 

 

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音楽使い方がヌーヴェル・ヴァーグとはまるで違う!

パヴェウ・パヴリコフスキ『COLD WAR あの歌、二つの心』

 

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ズーラとヴィクトル。


映像を見て驚きましたね。


まるで、1960年代のポーランド映画みたいで。


ロマン・ポランスキとか、アンジェイ・ワイダの若い頃の作品を思い出しました。


絵作りは明らかに意識していると思います。


しかも、ストーリーもヌーヴェル・ヴァーグっぽい恋愛劇です。

 

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シャープなのに独特の野暮ったさがあるのがポーランド映画の独特な魅力です。

 


特定の誰かを模倣している感じではないんですが、使っている音楽がルイ・マル〜ポランスキを思い起こさせますけども、使い方が根本的に違いますね。


ココが単なるレトロ趣味で本作を作っているのではない、バヴリコフスキ監督のオリジナリティです。

 

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ズーラが所属している民俗舞踊団の場面は必見です。

 


そのオリジナリティとは 、何よりも音楽が最優先している映画なんですね。


というか、音楽に合わせた断章に近いです。


実際、あるエピソードが終わるとブラックアウトを繰り返す構成になっており、そのたびに出てくる音楽が民俗音楽、ジャズ、ロックンロール、ラテンと絶妙に変わっていきます。

 

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歌だけでなく、ダンスシーンが素晴らしいです!

 


かつてのルイ・マルやポランスキらがモダンジャズを使ったのは、当時一番ヒップな音楽だったから使ったんであって、それ以上でも以下でもないんですね。


しかし、本作は主人公ズーラのエモーションの動きと一番シンクロしているのは、映像以上に音楽なのです。


東西冷戦が一番激しかった頃のお話しですから、一応、それによ困難や葛藤があるんですけども、それは、「すごく行くのが困難な『二つの世界』程度の意味しか持っておらず、問題は、ズーラとヴィクトルが愛を確かめあっている事なのですね。

 

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モニカ・ヴィッティのようでもあり、ジャンヌ・モローのようでもある、主演のヨアンナ・クリークが素晴らしいです。

 


そういう意味で、本作はかなりファンタジックで、リアリスティックさはあんまりないんです。


だからこそ、敢えて白黒で撮影し、あたかも60年代のポーランド映画のようなノスタルジックにしているんですね。


そうする事で、「ワイダみたいは、ポーランドの苦悩を描いている映画ではないんですよ」と暗に示しているのであり、音楽が映像を動かすという事をミュージカル映画ではなく成し遂げているんですね。

 

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敢えて言えば、この映画が一番近いのは、デイヴィッド・リンチなのかもしれません。


外面は全く似てませんけども。


オッ、もっと盛り上がっていくのかな?と思わせておいて、スッと終わってしまうのも実に見事ですし、腹にもたれなくていい感じです。

 

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残念ながら、現在のポーランド映画の事情が全くわからず、この監督がどういうキャリアなのかわからないんですけども(ネットでササっと見て知ったかぶるのもなんですし)、この監督は今後も素晴らしい映画を撮ってくれる予感がしますね。


冷戦を扱った映画はたくさんありますけども、冷戦を単なる背景にして、監督の思うがままに絵を描いて観客に見せた。というあり方はとてもユニークですし、ポーランドがようやく新しい時代を迎えた事が映画から伺えました。

 

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自殺願望の男を優しく見つめる傑作。

アッバス・キアロスタミ『黄桃の味』

 


驚きました。キアロスタミにはいつも驚かされますが、本作もまんまとやられましたね(笑)。


ジグザグ三部作がとても素晴らしかったので、コレも見てみたんですけども、予想を上回る面白さでしたし、またしても驚きの作品でした。


今回はテヘランが舞台なのですが、出てくるのは、その郊外の荒涼とした風景です。

 

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キアロスタミ作品は、曲がりくねった道がよく出てきますね。人生ものものの暗喩でしょう。

 


始めの20分くらいは一体何の映画だかわからないんですよ。


ある男が延々と車を走らせていて、仕事をしてもらう人を探しているようなんですけども、誰でもいいわけではなさそうなんです。

 

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主人公のバディ。


しかし、一体何をしているのか、やがてわかってきます。


それはある徴兵されている若い兵士との出会いによってです。

 

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クルド人の若い兵士。イラン北部にはクルド人が多く住んでいるようです。

 


実は、この男は、自殺をしようとしているようなのです。


穴の中に入って睡眠薬を飲んで、翌朝死んでいるようであったら、その上に土をかけてもらいたいのだと。


そのための報酬も払うというのです。


イスラム教では、自殺は禁じられており、登場人物の中に、アフガニスタンの神学生というのが出てきまして、その事を頻りに言っておりますね。


神学生が自殺の手助けなどする筈がないのですが、主人公のバディは、なぜかお願いをするんです。

 

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アフガニスタン人の神学生。

 


クルド人の若い兵士、アフガニスタン人の神学生、トルクメン人の剥製師との出会いの中で、イランが意外にいろんな国籍の人が住んでいる事がわかり、アフガニスタンの人々は、アフガン戦争からイランへ逃れている人が結構いる事など、日本に住んでいるとあまり知ることのない事実がわかってくるのも興味深いです。

 


対話の中で、一番面白いのは、バゲリという剥製師とのものですが、結局のところ、バゲリは、この奇妙な仕事を引き受ける事になるんですけども、このおじさん、恐らくは素人と思いますけども(キアロスタミ作品は、素人がそのまんま出演している事がとても多いです)、ホントにいい味わいが出てるんですよね。

 

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実はかつて自殺を試みていたバゲリ。


さて、結論から言いますと、自殺は成功したのかどうかは描かれていません。


まあ、キアロスタミ作品は、そういう終わり方が多く、敢えて描かないんですけども、本作はフェイドアウト的な終わり方ではなくて、ブチッと切断するように終わり、なんだか宙吊り状態で置いてけぼりなんですね。


本作の最初に「神の御名において」という字幕が入って本作は始まるのですが、イスラム社会でなかなか語りづらい問題のギリギリを描いたんだと思います。


ブニュエルのように、客をケムに巻いて楽しんでいるというのとはちょっと趣旨が違いますね。


ヤマもオチもないのに意味深く、劇映画なのか、ドキュメンタリーなのかの境界すら曖昧な、不思議な魅力のある傑作。

 

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シリアルキラーの日常を淡々と描く作品!

ジョン・マクノートン『ヘンリー』

 


「あー、なんだか疲れたなあ」


の後に、普通は「飲みに行く」とか「バッティングセンターに行く」「サウナに入る」「ジムに通う」などなどが入るわけですよね。


しかし、本作の主人公であるヘンリーさんは、「殺人」が入るんです。


なぜそうなってしまったのか。は、一切明らかにされませんし、ヘンリーの無差別な殺人には、どういう意味があるのか、わからんのです。


そうやって、300人以上の、何の脈絡もない人々を移動しながら次々と殺していったヘンリーの、シカゴでの数日間を切り取ったというものであり、まあ、いって仕舞えば、彼の日常を見せたという事なんですよね。

 

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ヘンリーを演じるマイケル・ルーカーはこの演技て名声を得ました。

 


この作品のコワさは、肝心なところを敢えて見せないんです。


見えないからこそコワいんですよね。


また、見せているシーンがものすごくエゲつない。


ある一家を皆殺しにするシーンが出てくるんですけども、その見せ方のエゲツなさ。観客と2人のシリアルキラー(実はコンビを組んで無差別に殺人を行ってます)が同じ視点で見てるんですよ?という実にエゲつない演出!


観客が共犯者にさせされるという、このイヤな感触は、本作でも白眉ですね。

 

シメが最高に後味が悪い、B級映画の傑作でありました。

 

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こちらが実際のヘンリー・リー・ルーカスです。車で移動しながら無差別に殺人を繰り返しました。

 

 

 

 

 

 

1970年代のソウルミュージックを映像にしたような見事な作品!

バリー・ジェンキンス『ビール・ストリートの恋人たち』

 

 

ウィリアム・ボールドウィン(先ごろ、彼にちなんだドキュメンタリー、『私は二グロではない』が公開されました)の小説、『もしビール・ストリートが話す事ができたなら』の映画化。


前作『ムーンライト』は大変素晴らしかったので、今回はどうであろうか?と心配でしたけども、それは杞憂でしたね。


それどころか、前作をはるかに上回るクオリティの作品でした。


1970年代のニューヨークのアフリカ系アメリカ人の若い男女、ファニーとティシュのお話しです。

 

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ファニーとティシュ。若い黒人の男女が体験する人種差別がメインテーマです。

 


1970年代のニューヨークを舞台にした映画というと、『狼たちの午後』や『セルピコ』のシドニー・ルメットの作品や、マーティン・スコシージ『タクシードライバー』や、変わり種ではチャールズ・ブロンソン主演で、その後シリーズ化された『狼よさらば』などが思い浮かびますけども、一貫しているのは、その治安の悪さ、ニューヨーク市警の腐敗ぶりの凄さが描かれている事ですね。


本作は、それをアフリカ系の立場から、描いていおり、かつ、これまでにあげた作品にはない、味わいをもつ、秀逸な作品です。


見ていてホントに素晴らしいと思ったのは、その画面から滲み出てくる品の良さですね。


それはカラフルなのに落ち着いた画面作り、そして、音楽の使い方のセンスの良さに端的に表れています。


ネタバレさせても面白さにキズがつく事はないので、書いてしまいますが、本作が描くのは、主人公の冤罪から見えてくる、アメリカ社会にある、黒人差別の現実です。

 

プエルトリコ系の女性をレイプしたという容疑で逮捕されてしまうファニーとその恋人のティシュのが、如何にして冤罪に巻き込まれ、そして、それが悪辣で陰湿な警察や検察による仕業である事が明らかにされていきます。


しかも、ティシュはファニーとの間の子供を宿してしまいました。

 

こう書いてしまうと、野村芳太郎の苦い後味タップリな一連の松本清張原作の映画のようですが、この監督の真骨頂はそこにあるのではなくて、その語り口というか見せ方に、品の良さを感じるんですね。


それは、あたかも、1970年代に次々と出てきたアフリカ系のシンガー&ソングライターの人々の、品の良さを感じる、新しいブラックネスととてもよく似通っていているんです。

 

それは、マーヴィン・ゲイカーティス・メイフィールド、スティーヴィ・ワンダーのような60年代から活躍しつつ、70年代になって、シングルヒットチャートを狙うのではなく、アルバム1枚で、自分たちの描きたい音楽にシフトしていくのに呼応するように、ロバータ・フラックやドニー・ハサウェイのような、ロックやジャズなどの周辺の音楽を巧みに取り込んだ、しなやかな黒人音楽が出現した時のようなテイストなんです。

 

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ティシュは、デパートで香水の販売員をしています。


警察にハメられるような形で服役せざるを得なくなる、ファニーの親友ダニエルの「地獄の底のような経験だ」とすら言わしめる刑務所での体験を映像では一切見せず、マイルス・デイヴィスの名演「Blue in Green」をゆっくりとドローン化させ、音響として思いっきり歪ませていく事でそれを表現したり(ダニエルの表情もハッキリと写しません)、主人公ファニーの刑務所のシーンは、ティシュとの面会シーンに絞り込むなど、苦しさや厳しさを敢えて写さずに仄めかすように描くところに真骨頂があります。

 

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回想と現在を巧みに行き来しつつ、黒人がアメリカで生活する事の難しさを浮き彫りにしていきます。

 


それは、アフリカ系アメリカの厳し現実を覆い隠したいのではなく、見せなくても滲み出てしまう、時には溢れ出してしまうものなのだ。つまり、どんなに隠しても見えてしまうものなのだ。という事なのだと私は感じました。


そして、その溢れ出るものを感じることができなかったり、見えてないというのは、余りにも鈍感すぎやしませんかな?という、事が言下にあると思います。


その静かな怒りと言うのでしょうか、そう言うものが、全編に言いしれぬ緊迫感を与えています。


ですので、本作の語り口は一見、ソフトに見えますけども、その本質はとてもハードコアであり、それは、原作者である、ジェイムズ・ボールドウィンの小説に一貫して流れているものと一致するのだと思います。

 


『私は二グロではない』での、ボールドウィンは、常に言葉を慎重に選び、しかし、適切にアメリカ社会に蔓延する黒人差別の実態を明らかにしていますが、こういう「静かな怒り」を言葉ではなく、映像や音で語らせるジェンキンス監督の演出は実に素晴らしかったです。

 

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ジェイムズ・ボールドウィン


本作は1970年代のニューヨークを描いてはいるのですが、残念な事に、人種差別は現在の警察の中に存在している事にこの問題の困難さ、根深さを思わざるを得ません。

 


見た後の余韻、それは鈍い痛みを伴うかもしれませんが、それは避けて通る事は出来ない事を、昨今の日本社会を見ていると尚更痛感せざるを得ないのでした。

 

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1970年代の黒人ファッションの素晴らしさにも注目です。