グレイトフル・デッドの全貌が明らかとなるドキュメンタリー。

アミール・バー=レフ『グレイトフル・デッドの長く奇妙な旅』

 

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デッドと言えばこのマークですね。

 

マーティン・スコシージが製作総指揮で作られた、グレイトフル・デッドの長大なドキュメンタリー。

日本では、アマゾンプライムが独占しているため、コレに加入しないと見る事が出来ないのが厄介ですが、デッドに興味のある意味方には、是非とも見てもらいたい作品です。

 

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70年代初頭のグレイトフル・デッド

 

全体は6部に分かれてそれぞれが大体40分くらいなので、長いですが、とても見やすく作られていて、1から3はバンドの結成から、初期から加入していたキーボード奏者のビックペンの死去までをほぼ時系列に追い、4 はデッドの最大の魅力であるライヴとその機材についてと、70年代を基本に追いかけ、そして5がもはや社会現象であった、熱狂的なファンである、デッドヘッズについて、そして6が、実質的なリーダーである、ジェリー・ガルシアの死と80-90年代のデッドを追うというものです。

 

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ビックペン。主にキーボードを担当してました。

 

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ジェリー・ガルシア。ヴォーカルとリードギターを担当。

 

 

日本では、未だに知る人ぞ知る存在である、グレイトフル・デッドですが、アメリカではガルシアがなくなった後でも熱狂的なファンは大勢いるほど、ものすごいう人気のバンドですが、このドキュメンタリーを見ると、なぜ、このバンドがこれほど熱狂的なバンドなのか?を知ることができます。

私が個人的にこのバンドを始めて知ったのは、大学の宗教社会学のレポートを書くために買った本の中で、マンソンズ・ファミリーについて書いている章がありまして、その中に、「観客が100%LSDでラリっているロックバンド」として書いてあるのが最初でして(笑)、それは60年代のこのバンドの実態としてそんなに間違ってないんですけども、始めの印象はハッキリ言ってとても悪かったです。

しかも、マンソンズ・ファミリーもその頃のデッドのライヴを聴いてますから(当時のデッドは活動がサンフランシスコ中心に限られてました)。

しかし、彼らの代表作といってよい、『Live/Dead』という、LPでは2枚組であったアルバムを実際に聴いてみて、考えが変わったんです。

 

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 Live/Deadのジャケット。名盤ですね。

 

まず何よりも、デッドはバンドは演奏能力が抜群に優れていて、決して暴力的なロックバンドではなかったんです。

1969年のライヴですが、そろそろ
彼らがライヴバンドとして全米を回り始める頃の録音で、バンドの一体感がものすごいんですよね。

こういう凄さは、他ではオールマン・ブラザーズ・バンドくらいしかいないでしょう。

本作は、バンドとしての素晴らしさだけでなく、LSDやビックペンのアルコール依存、ジェリー・ガルシアのヘロイン中毒という負の側面についても描かれていますが、個人的に面白かったのは、4と5ですね。

デッドがPAにものすごくお金をかけていた事は知ってましたけども、実際に絵として見た事はなかったんです。

1970年代のデッドは、野外でライヴをやる事が多く、そうすると音がなかなか遠くまで届かなくなりますが、コレを克服するために、とてつもなく巨大なPAがステージに組み上げられていて、コレについて当時のスタッフたちが解説するところは、全編の中でも白眉であったと思います(80年代には屋内でのライヴが中心となるので、この巨大な装置は必要なくなります)。

 

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唖然とするほど巨大です!

 

そして、もう一つは、最早社会現象といってよい、デッドヘッズだけで一章を使っているのがすごいですね。

デッドの全盛期はなんと言っても70年代だと思いますが、デッドが1975年を除いた毎年、全米をくまなく回る、とても長いツアーを行っていたんですけども、デッドは、毎回のライヴの曲目が違ったり、曲が全く違う演奏になる事がとても多く、ライヴの時間も3時間を軽く超え、下手すると6時間に及ぶ事もあるくらいの演奏をしていたらしく、とにかく、毎日が出たとこ勝負でした。

その事を知った熱狂的なファンは、彼らのツアーを追いかけ回すようになったんです。

この数がハンパではなく、時に1万人ほどになっていたんです(笑)。

つまり、巨大なライヴの機材が移動していただけでなく、ほとんどムラがそのまんま移動するようにデッドのライヴは毎年行われておりまして、コレは、世界中のロックバンドでも稀有な現象でした。

そんな彼ら彼女らの事をいつの頃からか、「デッドヘッズ」と呼ぶようになりました。

 

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デッドヘッズ。

 

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 ライヴ会場はこんな風になってしまうんです。勝手にフェス化してるんですね。

 

デッドヘッズたちはキャンピングカーで移動したり、ヒッチハイクで旅をしたりして、ライヴ会場で食べ物屋などの露天商をやりながら生活費を稼いで、ツアーにくっついていくんです。

側からみていると、ほとんど新興宗教の一大集会みたいな異様な雰囲気なのですが(笑)、演奏している音楽はものすごくピースフルであり、そういう音楽が好きな人たちですから、デッドヘッズというのは、見た目とは違ってとても穏やかです。

せいぜい、マリファナでラリっていたりしている程度の事しかしてないんです(そういえば、つい最近、カリフォルニア州でもマリファナが合法化されましたね)。

こういう大らかなさは、恐らくはアメリカ以外ではまず受け入れられないでしょうし、デッドを日本に呼ぶ事が出来なかったのも、一緒にデットヘッズが日本に押し寄せてきた時の対処ができなかったからでしょう。

デッドヘッズにはいろんな人たちがいて、ごく普通にライヴを楽しむ人がいたり、ジェリー・ガルシアを神として崇拝している人たちなど、非常に雑多なんですけども、とりわけ異彩を放っていたのが、「テーパー」という人たちです。

グレイトフル・デッドは、スタジオ作品を聴いても、その魅力の10%もわからない事は熱狂的なファンの中では既成事実でしたから、その素晴らしいライヴを録音してやろうという人々がいたんです。

デッドはこのような人たちを公認し、会場の前に録音してもいい場所を作っていて、心置きなくテーパーたちは録音していました。

 

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テーパーすごい(笑)!

 

そして、テーパーたちは録音したライヴをダビングして交換しあったりして、ライヴ会場で交流していたんですね。

インターネットが発達する前にこういう事が起きていたのは、とても興味深いです。

しかも、テーパーの中には途轍もない人が何人かいまして、デッド公認で膨大な量のライヴ盤が作られているんです。

ほとんどのロックバンドはそもそも録音すら認めないでしょうし、ましてや、販売などあり得ませんが、デッドはそれを全く規制しないんです。

結果として、コレがライヴへの観客を増やしており、結果として、ローリング・ストーンズを超える収益を上げる、ケタ外れのロックバンドになっていきます。

しかし、このモンスター化していくデッドの中で苦しんだのが、実質的なリーダーであったジェリー・ガルシアはプレッシャーに相当苦しんでいたらしく、ヘロイン中毒になっていたようです。。

 

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 実年齢よりも圧倒的に老け込んでます。。

 

6はそんなガルシアの苦悩を描いているため、見ているのはなかなか辛いものがあります。

デッドに興味のある人にとって面白いのはいうまでもありませんが、全く知らない人にも、ロック史上最もユニークなバンドと合間にかかる素晴らしい演奏とともに知ることができるよく出来たドキュメンタリーとなっています。

 

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キレイなキレイな映画でした(淀川長治先生の体で)。

トッド・ヘインズ『CAROL』

 

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ブランシェットが実にうまいですねえ。

 

 

パトリシア・ハイスミスの原作の映画化です。

日本だと、ヒッチコック『見知らぬ乗客』やルネ・クレマン太陽がいっぱい』の原作者程度にしか知られてませんが、アメリカ本国ではとても評価の高い作家です(近年、翻訳が進み再評価が日本でも高まっているようですが)。

現在この原作はハイスミスである事が明らかになっていますが、刊行当初はクレア・モーガンという偽名で発表され、タイトルも『塩の価格』というものでした。

というのも、ハイスミスレズビアンなのですが、この小説はその事について書いているためです。

1950年代に同性愛を文学などで表現するのは、プロテスタントの国ではかなり困難でしたので、ハイスミスは偽名でひっそりとタイトルから内容が推測できないようにして発表されたんですね。

後に自分の作品であることをハイスミス本人が認め、タイトルも映画のタイトルと同じに改題されました。

それにしても、1950年代前半のニューヨークが見事に再現されてますね。

 

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写真志望だが生活のためにデパートの売り子をしているルーニーの元にお客として現れる美魔女ブランシェット。

 

ロックンロールの爆発がある前のアメリカのシットリとした大人の世界がいいですよ。

写真家志望のルーニー・マーラが美魔女レズビアンであるケイト・ブランシェットにクリスマスプレゼントをするシーンを見てますと、ビリー・ホリデイテディ・ウィルソンが共演しているコロンビア盤のLPなんですよね。

 

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今の感覚では激渋なプレゼントですが、案外普通の感覚なのでしょうか。

あれだけニューヨークが好きで西海岸をディスり続けていた、ウディ・アレンがイギリスに移住してしまい、古きよきアメリカを映画で再現する映画監督がとんと居なくなって寂しかったんですけとも、ヘインズ監督がその渇きを潤してくれました。

 

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原作者であるハイスミスは、後に同性愛をカミングアウトし、数多くの女性との恋愛遍歴のあった自由奔放な方だったようですが、1950年代のアメリカで同性愛など公に認められるはずもなく、本作を見てもわかるように、アメリカのある程度ハイソな白人社会ではあってはならない事なんです。

 

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そういう中での恋愛というものをやはりゲイであるヘインズ監督は、ホントに繊細に繊細に描いてますね。

同性愛というものを描いた映画はまだそれほど多いとはいえませんが、2016年度のアカデミー作品賞を受賞した『ムーンライト』や、エクトル・バベンコ『蜘蛛女のキス』と並べても遜色ない映画ですよね。

ほとんど内容に触れなかったのは、このデリケートな展開を説明しちゃうと、多分、台無しになってしまうだろうという私なりの配慮でございまして、各人のココロで感じて欲しいからです。

 

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CGと、どやしつけるようなサントラと音響で目と耳に打撃ばかり与える昨今のウンザリするようなハリウッド映画に食傷気味の方にはオススメの映画でございました。

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岩下志麻、マジでコワイっす!

野村芳太郎『鬼畜』

 

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英題『The Devil』。ヒィィ。。

 

松本清張原作映画と言えば、野村芳太郎ですが、コレはとにかく岩下志麻のコワさが際立つというか、その一点で突き抜けている作品ですね。

記憶が曖昧なんですけども、この映画がテレビ放映されたのを何となく見ていたんですけども、ストーリーは一切覚えなくても、岩下志麻が異様なまでにコワイ!という事が未だに忘れられず、最近、なぜかクリスマス・イヴにテレ朝が常盤貴子主演で『鬼畜』を放映するという素晴らしい暴挙に出ていたので、アマゾンプライムで30年以上ぶりに見たわけです。

緒形拳演じる竹下宗吉には、実はもう1人奥さんがいまして、なんと、子供が3人もいたんです。

コレが岩下志麻演じる妻のお梅を狂わせてしまいました。

まあ、だらしのない男が、岩下志麻を鬼畜にしてしまったわけです。

緒形拳が商売がヘタで酒に呑まれてしまうダメな男を演じるというのは珍しいですけども、これが意外とよくて、彼にとっても芸の幅を広げたのではないでしょうか。

 

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緒形拳はやっぱりうまいですねえ。

 

冒頭の本妻お梅と宗吉、お妾の菊代(小川真由美です)が3人の子供を連れてのドロドロは、ベタですけどもやはりいいですねえ(笑)。

 

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いきなり修羅場です!

 

こういうのを撮らせると野村芳太郎はホントにうまい。

鬼畜その1の菊代は、「この子たちはアンタの子なんだら、全部置いてくよ!」と吐き捨てて、3人の子供たちを置き去りにして、話しを強制終了してしまいます。

 

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鬼畜その1!

 

甲斐性のない宗吉に愛想が尽きてしまったのでしょう。

零細印刷工場を営むオヤジにお妾とこの子たちを養う能力などあるはずがありません。

こうしてお梅こと、岩下志麻は次第にザ・鬼畜に次第に変貌していくんです。ヒイッ。

 

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鬼畜その2!!!

 

 

まあ、岩下志麻のヴォルテージがゆっくりゆっくり上がっていくのが、まあ、こわいのなんのって(笑)。

 

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長男が見事な演技です。

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鬼畜ヴォルテージがドンドンと上がっていきます。

 

これは女優だったら、いっぺんはやってみたいですよ。

小津安二郎の遺作となった『秋刀魚の味』に出演していた頃、こわなコワイ役をやるようになるなんて、誰が想像できましたか。

日本映画史上ベスト5に入るであろう、セクシーダイナマイト女優であるかたせ梨乃とキャットファイトをしたり、和服に拳銃でドスの効いたセリフを吐くという女優さん。というイメージか私だとついてしまっていますけど、そこから『秋刀魚の味』を見た時の衝撃たるや。

本作は、松竹のある意味典型的とも言える清純派だった岩下志麻が年齢を重ねることで野村芳太郎組の常連となり、ココで「山田五十鈴とは一味違うシャープでコワい姐御キャラ」というものを確立していく岩下志麻が出演で大爆発した。という事が言えるでしょうね。

 

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本編で最も凍りつくシーンは末っ子に無理矢理ご飯を口に押し込むこのシーンでしょう。。

 

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蟹江敬三が従業員役です。

 

さて。

こういう過酷な状況に於いて、最も被害を受けるのは、もう誰なのかはおわかりでしょうから、この修羅場についての説明はやめますけども、今も昔もこういう話というのは、古今東西なくなりませんね。残念ながら。

ですので、このお話しは、事あるごとに映画やドラマとしてリメイクされていくのでしょう。

最後の緒形拳が受ける「罰」はこの上なく重いです。

砂の器』のようなドラマ性はありませんが、であるが故に後味の悪さが尋常ではない、野村芳太郎の逸品。

 

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 大竹しのぶが出てます。

 

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ハリウッドの王道の継承でした。

ジェイムズ・マンゴールド『LOGAN』

 

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こんなに老けてしまったウルヴァリン

 

マーヴェルの一連の作品はほとんどチンプンカンプンですが、なぜかX-MENは好きでして、そのウルヴァリン演じるヒュー・ジャックマンがコレをもって役を引退するという本作はやはり気になっていたんですが、映画館で見ることができず、ようやくDVDで見る事ができた訳です。

まず驚くのは、アメコミ感がこれっぽっちもなく、ほとんど『マッドマックス』なんですよ、映像が。

バイオレンスもかなりキツめでお子さんと一緒にキャプテン・アメリカスパイダーマンのノリで見るような作品ではございません。

 

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サックリといっちゃいます。

 

何しろローガンはヒゲを生やしたオッさんであり、どうやら、X-MENは壊滅し、プロフェッサーXは、その超能力の暴走を自分でコントロールできなくなっており、クスリでなんとかコントロールして正気を保っている老人です。

ローガンもどうやらアル中で、昔のようなアホみたいな回復力が落ちていて、ギャグみたいですが、老眼です。

 

 

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90歳になってしまったプロフェッサーX。

 

そんな老眼のローガンに、ガブリエラという女性が、「5万ドルあげるから、どうかカナダまで逃してほしい」という、ケガを負った女性が助けを求めてきました。

テクサス州からカナダというのは、ほぼアメリカを縦断する事になりますから、大変な距離です。

もともと義侠心に熱いローガンですが、逡巡している内に、ガブリエラは殺されてしまいました。

この女性が連れていた女の子がいなくなってしまうんですが、この子は娘ではなく、なんと、ミュータントでした。

しかも、その能力はローガンと全く同じ能力です。

ガブリエラを殺害した連中がローガンの家を襲撃しますが、この娘、すなわち、ローラは、そのミュータントとしての凄まじい能力で、追っ手をドンドンと倒してしまいます。

 

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ローラの戦いっぷりはかなりすごいです。

 

その戦いぶりは、まさに若い頃のローガンそのものです。

このガブリエラのスマホには、彼女が勤務していた、製薬会社を隠れ蓑にしている、兵器開発の研究所の隠し撮り映像が入っていました。

要するに、ローラという女の子は、この研究所の実験体の1人であり、どうやら、この娘はローガンの知らないところで作られた彼の子供だったのでした。

 

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父と娘のお話しなのでした。

 

このお話のキモは、さきほども言った、全くアメコミ感がなく、『X-MEN』がコミックの中の絵空事のように受け止められている事です。

ローガン自身も「ホントは沢山人が死んでるんだよ」と言います。

しかし、そのコミックの中に出てくる「エデン」というミュータントたちの拠点から、ローガンに前金として渡された2万ドルは来ているらしい事が判明するんですね。

という所でストーリーの説明はやめますが、このなんとも苦い、まるでクリント・イーストウッド許されざる者』を思わせる、ローガンやプロフェッサーにとっての贖罪がテーマなのですが、本作はそれだけではなく、後継が重要なんですね。

父と娘。の継承がかの名作『シェーン』の、あのラストシーンとして見事に継承されていきます。

コレは驚きました。

 

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実は伏線はありました。

 

「殺人者の烙印は一生消えないんだ。帰ったらお母さんに『この地から銃は消えた。心配ない』と」

まさに王道継承の映画でありました。

 

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女の子というものをこれだけ自由奔放に撮りきった映画はないでしょう。

ヴェラ・ヒティロヴァ『ひなぎく

 

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名前すらはっきりしない2人の女の子が主人公です。

 

2人の女の子が主演なんですけども、とりたててストーリーはありません。

自由奔放な子猫ちゃんのように画面上で気ままに振る舞う様を写しているだけなんですが、画面が白黒から突然カラーになったり、コマ飛びしたり、多分にゴダールの影響がありますね。

 

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 唐突にこんな配色になったり、画面がコラージュになったり、ものすごく実験的なのにおしゃれで可愛らしいんです。

 

脚本というよりも監督の持っているイメージを巧みに編集してつないでいる感じで、現在見ると、いかに「おしゃれな映像」と言われているものの多くがこの映画を元ネタとしているのかという事がわかります。

 

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そういう意味でもはや本作は古典的名作の領域にありますが、コレが1966年の共産党政権下のチェコスロヴァキアで作られたというのはかなり強烈です。

この現在見ても相当奔放な本作は共産党に睨まれることとなり、本国では発禁処分を受け、ヒティロヴァ監督はしばらくの間、沈黙せざるを得なくなりました(ゴダールの「ジガ・ヴェルドフ集団」時代の映画には参加していますが)。

日本でも鈴木清順という天才の『殺しの烙印』という作品が日活の社長の逆鱗に触れてしまい、10年近く映画が撮れなくなってしまいましたが、この映画の公開と同じ頃というのも痛快です。

 

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ホントにシャンデリアに乗ってるんです。

 

話しのスジを追っていこうとアタマで考えるよりも、その奔放なイメージの奔流に身を委ねて遊ぶと楽しい映画だと思います。痛快。

 

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The End.

今ほどアフリカ音楽が必要な時代はないかもしれない。

アラン・ゴミス『私は幸福』

 

※公開したばかりですので、絵はございません!

 

幸福。は、フランス語でフェリシテと言いますが、主人公の名前がフェリシテと言いまして、ダブルミーニングになってるんですね。

日本語でいうと「幸子のシアワセ」的なタイトルでしょうか(日本語にすると、ものすごい昭和感がありますね)。

えー、本作の舞台はコンゴ民主共和国なので、昭和感など微塵もなく(笑)、アフリカ都市の持つワイルド感、カオス感が見事なまでに撮られていて、アフリカが好きな方にはかなりたまらない映像のオンパレードです。

ストーリーは恐ろしくシンプルで、オートバイとの接触事故に遭ってしまった息子の手術代の前金をかき集めるために、必死になる母親のフェリシテの奔走が前半なんですけども、イタリア・ネオリアリズモも驚くような貧しさの現実がイヤというほどキレイごとでなく見せるんですが、その合間合間に挿入される主人公フェリシテの仕事である歌手としての場面のなんともしらん雰囲気が素晴らしいんですね。

全体として、ストーリーの巧妙さよりも、その断片的に積み上げられたキンシャサの街並み、そこに映る人々、ストーリーに一切関与しない、黒人によるクラシックのオーケストラと合唱の演奏が実に巧みなんですよね。

後半はそれが更に進んでいって、ハリウッド的なプロットはほとんどどこかに行ってしまって、中南米文学のようなマジックリアリズムの世界に入っていくんです。

ココがゴミス監督の真骨頂なのだと思いますが、ココが見事でしたねえ。

カギとなるのは、主人公のフェリシテが息子のサモ交通事故、経済的困窮というどうしようもない現実と向き合うための重要なカギとなるのが音楽であるというのが、ホントに嬉しいです。

結局、フェリシテが自分を取り戻すのは、音楽なんですね。

登場人物はとても少なく、言ってしまえば3人しかいないも同然で、フェリシテと呑んだくれオヤジのタブー(コレもダブルミーニングになってますね)、そして、息子のサモだけです。

そして、ヘタをすると登場人物よりももっと重要なのは、生々しいキンシャサの街並みですね。

それをネオリアリズモではなくて、マジックリアリズムで撮っているのが、ゴミス監督の独自性でしょうね。

なかなかの逸品でした。

 

 

 

 

前半はルノワール、後半はベッケル

ジャック・ベッケル肉体の冠

 

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ジャンヌ・モローの先駆的な存在ですね。神取忍に似ている気がします。


妙なタイトルですが、原題は「黄金の兜」でして、主演のシモーヌ・シニョレの髪型をタイトルにしてるんですね。

ファム・ファタールをめぐってのお話しです。

なんといってもシニョレの存在感が見事ですね。

若い方にはもうピンとこない女優さんだと思いますけども、彼女の凄さは、ジャン=ピエール・メルヴィル影の軍隊』でのレジスタンス役でもよくわかります。

戦後のフランスを代表する名優でした。

いわゆる美人という感じではなくて、鉄火肌の姐さん役が似合う人で、ここでも実在した娼婦役です。

絵作りが彼の師匠である、ジャン・ルノワールを思わせるのですが、バイオレンス描写が、とてもフィルムノワールしていて、何か過渡的な表現になっているのが、面白いですね。

 

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お師匠さんの未完の作品『ピクニック』に似てますね。

 

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 こういう船遊びとか。

 

前半のルノワールタッチ、後半のフィルムノワール

後の『現金に手を出すな』のような塩辛いタッチの萌芽がすでに見え始めています。

大工のマンダとシニョレの逃避行は、『俺たちに明日はない』などにものすごく影響与えてますね。

犯罪によって起こった逃避行なのに、どこか呑気なところは似ています。

 

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マンダとマリー。

 

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 マンダの親友のレイモン。

 

この映画の真骨頂は後半なのですけども、それは見てのお楽しみ。

ここから、本格的なフィルムノワールになっていきます。

ベッケルは、若くして亡くなってしまったので、あまり多くの作品を残すことはできなかったのですが、その残された作品は今見ても素晴らしいので、是非ともご覧下さい。

 

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 こういうシーンは、完全にベッケルですね。