タヴィアーニ兄弟+戦前の小津安二郎=アッバス・キアロスタミ

アッバス・キアロスタミ『友だちのいえはどこ?』

 


コレはホントにうまいなあ。と見ていて何度も唸りましたね。


タイトル通りの内容が展開していく、90分に満たない短い映画なんですけど、8歳の少年には、自分の住んでいる集落コケルから隣の集落のポシュテの友だちの家を見つけるというのは、コレほどまでの大冒険に見えるんだなあ。という事をホントに丁寧に愛情深く描くキアロスタミはホントに素晴らしいで

す。

 

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ちょっとオドオドしている少年の成長を描きます。


ストーリーは、ホントにシンプルでモハマド少年が小学校の隣の席のアフマド=レザ・ネマツァデのノートを間違えて持って帰ってしまったノートを返しに行くという、それだけの事を描いているんですね。

 

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アフマドと隣村に住んでいるネマツァデ。


アフマド=レザは、ちょっとボーっとした男の子で(8歳の男の子なんて、まあ、だいたいそんなもんですけど)、先生の言った通りに宿題をやってこない子で、先生に叱られているんです。


しかも、「今度、ノートにやってこないと退学にする」


と言われてしまうんです。

 

モハマドは、自分のせいでアフマド=レザが退学になってしまう!と責任を感じてしまって、ノートを届けてあげようと奮闘する。というのが、少年の「大冒険」が始まるんですけども、トリュフォーじゃありませんが、「大人は判ってくれない」が次から次へとモハマド襲いかかってきまして、オチを言ってしまうと、ノートを届ける事は出来なかったんですね。

 

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全く同じノートなので、間違って友人の持ち帰ってしまったモハマド。


お母さんは、「宿題をサッサとやりなさい!」というだけで、子どもの事情を聞こうともしない。


おじいちゃんは、「子どもは、ゲンコをかましてでもしつけるのが大事なんじゃ!」と全く見当違いが事を言って、タバコを持ってくるように言いつける(本作に出てくるおじいちゃんは、主人公の邪魔にしかなりません・笑)。


こういう一つ一つは、大人から見ると他愛のない出来事なんですけども、子どもから見ると、ホントに大変なんだよ!という事が実によくわかります。


基本的には、子供の視点で描かれている作品なのですが、実は、ほんの数分だけ、大人の視点で描いてあるシーンがあり、そこにキアロスタミの言いたい事が込められてますね。


それは、近所の家の軒先で寛いでいるモハマドのおじいちゃんが、「タバコを持ってこい!」と無理を言った後のシーンで、子供の視点ならば、ここで、モハマドをキャメラは追いかけるのですが、そうならず、モハマドのおじいちゃんともう一人のおじいちゃんの会話を追うんです。


そこで展開するのは、子どものしつけ論で、モハマドのおじいちゃんは、自分が父親からゲンコツでよく殴られた事で礼儀正しくなったかを説き、だから、モハマドも規律の大切さを知るために、必要もないのにタバコを取りに行かせるんだ。と結論づけます。


しかし、コレを聞いていたもう一人のおじいちゃんは、


「じゃあ、礼儀正しい子供はどうするんだ」


と。疑問を呈するんです(キアロスタミの疑問ですね)。


ウッ、とモハマドのおじいちゃんは言葉に一瞬詰まりながら、こんな事を言い始めます。


「それならば、どこか問題があるところを粗探ししてでも、ゲンコツをかます理由を見つけなくてはならない。子供はお小遣いをもらった事が忘れてしまうが、ゲンコツは絶対に忘れない。子供をしつけるには、ゲンコツがなくてはならんのじゃ」


会話は、モハマドが戻ってきて立ち消えてしまうんですけども、本作での大人は、「子供というのは、規則をキチンと身につけることが大切であり、それが出来るようになるのが成長である」と基本的に考えていて、その極端さをこのおじいちゃんに代表させているんですね。


しかし、本作最後まで見ていくと、この考え方に対する、キアロスタミの反論を、モハマド少年を通して行っていますね。


それは、「多少失敗をしても、子供が自分なりに一生懸命考え、行動していく事こそが、本当の成長なのではないのか」と。


とはいえ、キアロスタミは、大人を一方的に糾弾したりはしてません。


大人たちが自分たちの事ばかり考えて、子供などお構いなしになっている事の根底に、イランの地方に蔓延している貧しさがあり、子供たちにそのしわ寄せがきている事を、さりげなく描いています。


モハマド少年の奮闘シーンは、実際に見ていただくのが一番だと思いますけども、こんなシンプルなお話を全く飽きさせない巧みな脚本(冒頭シーンから使われる、ドアの伏線の巧みさ)、現地の住民と思われる素人の巧みな配置など、そんなに凝った映像ではないのに、その背後には大変な工夫が込められています。

 

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ネマツァデなんて知らんのう。


イランは、とかく、国際政治的文脈では、「悪の枢軸」として見られてしまうのですが(あくまでもアメリカから見たらなのですが)、実はごくごく普通の人々が同じような、悩みや問題を抱えながら生きている事を、子供のとても小さな事件から見せていく、キアロスタミは、やはり、優れた作家と言えるでしょうね。

 

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イランの土着的な文化とか、そういうものではなくて(パラジャーノフのように全く独自の文体を確立して世界的な評価を得た人もいますし、そういう監督も好きです)、子供にとって大人はどういう存在であり、何が子供の成長になるのか。という普遍的なテーマを追求したのも、よかったですね。