チャン・ゴンジェ『ひと夏のファンタジア』
キタノ映画っぽいといか、Production I.G.というか。
監督は韓国人ですが、日本から一部資金が出ていて舞台も奈良県五條市のためか、日本映画として分類されているようです。
映画は2部構成になっていて、キム・テフンという映画監督と通訳のパク・ミジョンが五條市の映画を撮るために取材をしているお話が第1部、そして、その取材に基づいて作られた映画が第2なんです。
第1部は白黒、第2部はカラーで撮られていて、共通して出てくるのは、武田という日本人男性とミヨンという韓国人女性だけです(ちなみに2人とも左利きです)。
ところどころに恐らくは五條市の市民が出演しています。
どうやら、キム監督は五条市で映画を撮るための取材に来たらしく(ミジョンは通訳です)、武田はそれを案内する事になっているようです。
市職員の武田は高齢化問題などなど、日本の地方のリアルを監督と助手に語る。
この喫茶店はまた出てきます。
一応、全編劇映画なのですが、第1部はドキュメンタリーとの境界が曖昧で、ちょっとアッバス・キアロスタミ的なんですけども、やはり、それを受けての第2部が膝を打ちました。
武田は、第1部では五條市の職員なんですけども、第2部では柿を作っている農家になり、ミジョンはヘジョンというスランプ気味になっている女優になっています。
ミジョン→ヘジョン
武田(地方公務員)→武田(柿生産者)
この映画が面白いのは、第2は第1部の「取材」に基づいた「映画」になってるんです。
なので、同じセリフが違う場面で出てきたり、同じ場面が違った事に使われたり、登場人物の名前や立場を変えて、そこに別な人物のエピソードを加えたりして作っているんです。
更に面白いのは、第1部は、ドキュメンタリーのような体裁を取りながらも、実はコレも劇映画で、廃校になった小学校を取材するシーンにその事がハッキリと出てきます。
ホン・サンスの2010年代の諸作と比較して考えたいですね。
そして、廃校を訪れるシーンはまたしても第2部出てきますが意味合いがすこし変わってくるんですね。
何というか、この映画を見ていると人間の記憶というものが巧みに編集されて人間の頭の中に収納されていて、それに基づいて夢というものを見ている事に気づかされるんです。
それを2部構成という形で提示したチャン・ゴンジェ監督はまだそれほど長編を撮っているようではないようですが、並々ならぬ才能を感じました。
しかも、コレ、相当な低予算映画で、どのシーンも全然お金かかっていると思えないんですけども、その巧みな脚本にもうビックリさせられます。
韓国映画界は日本よりもずっと予算が潤沢なのですが、やはり、問題は予算だけではないように思います。
またしても、ものすごい才能を発見してしまいましたけど、韓国映画は現在全盛期と言ってよいでしょうね。
止まっている絵だけだとすごさが伝わらない作風ですが、見てるとホントにビックリします。