本作をもって巨匠と呼ぶにふさわしい監督になったのではないか。

奉俊昊(ボン・ジュノ)『パラサイト』

 

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アカデミー賞受賞式のボン監督。


カンヌでパルムドール、アカデミーで作品賞を取ってしまった作品。


しかも、アジアでの作品でアカデミーで作品賞を取ったのは史上初。


アカデミー賞というのはグラミー賞と同じで、アメリカ人の、アメリカ人による、アメリカ人のための賞であるので(ですから、外国語映画賞という賞があります)、ベルイマンもフェリー二もタルコフスキートリュフォー今村昌平もハナから作品賞の対象外です。


アカデミーの授賞式は世界で中継されるので、勘違いされますが、あくまでもハリウッド映画の祭典です。


カンヌは本当に世界中の映画が受賞対象なので、コッチが最大の映画祭であり、意味的には、カンヌ受賞の方が歴史的には大きいです。


で、アメリカ人監督でカンヌでパルムドールを受賞すると、アカデミー作品賞が取りづらくなる傾向がありますね(ロバート・オルトマンやクエンティン・タランティーノなど)。


しかし、その慣例をこの作品はどちらも打ち破ってしまいました。


コレは明らかに、アカデミーの評価基準が変わったのであり、ボン監督が傾向と対策を施した結果ではないですし、ボン監督は長編デビュー作『吠える犬はかまない』からすでに並外れた才能を発揮してます。


『吠える犬〜』は最初から最後まで人を食いまくる快作/怪作でしたけども、本作は前半は実に良くできたブラックコメディです。


ソウルで半地下を借りて生活しているキム一家は全員失業中でした。


この半地下というのは、実際のソウルには結構たくさんあるらしく、というのも、ソウルは地下がとても高いらしく、所得の低い人々は普通の賃貸物件借りる事ができないようなんです。


そんな人々に向けて、半地下を貸すという事があるんだそうです。

 

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宅配ピザのケースを折りたたむ内職をして糊口をしのぐ、キム一家。

 

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地上に住む住人のWiFiを利用して、スマホを使う兄妹。トイレの位置がおかしいですね。

 

 

この映画の冒頭は、一家の家の窓を移すところから始まるんですが、窓は部屋の上の方にあるんですが、その窓は地上ギリギリなんです。


そして、細長いんですね。


あんまり光が入ってきません。

 

しかも、その窓には、酔っ払いが

ゲロをしそうになったり、立ち小便をしそうになるような位置なんですね。


半地下。とは一体どういう事なのか?を言葉による説明抜きで冒頭でわからせてまうこのカメラと構図。


唸りました。

 

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半地下生活者の貧しさを象徴する窓。

 


その一家で徴兵を挟んで大学受験を四浪して挫折し、フリーターになってしまったキム・ギウのもとに大学院にまで進学した友人が。

 


その友人が英語を教えている高校生の女の子の家庭教師の仕事を引き継いでくれないか?と頼まれます。


取り立てて、やる事もなかったので、引き受けたのですが、この子の家は、ソウルの丘の上にある、IT企業の社長の大邸宅で、もともとは著名な建築家が作った家なのでした。

 

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建築家が設計したという邸宅は異様なまでにガランとしてます。

 

 

この邸宅には、キム一家と同じく四人家族が住んでいるんですが(キム一家は兄妹ですが、この金持ち一家は姉弟です)、キモは社長夫人である、お母さんですね。

 

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善良な社長と夫人。格差とは悪とは何であろうか。

 


バカ富裕層というのを絵に描いたような、脳みそが雲の上にあるような人でして、ほとんど会話が無内容なんです。


それでいて、妙なタイミングの時に会話が英語になる(笑)。

 

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まあ、脇がガラ空きなんですよね。


そんな母親が溺愛している息子がバカでないハズがないではないですか(笑)。


初めて訪問したギウに向かって、おもちゃの矢を放ったり、して広い家の中で好き放題しているんですね(笑)。


「はいはい、ぼっちゃま、いけませんね〜」的に住み込みの家政婦がインディアンの扮装をしているバカ息子を担ぎ上げて連れて行くとか、バカっぷりが実に見事に描写されていきます。


ギウが教える女の子は、そんな二人を反面教師にしているのか、家族の中ではマトモです。

 

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こんな様子を見て、ギウはある企みを思いつくんです。


家族全員をあたかも赤の他人を装って、その邸宅の仕事に就かせてしまおうと。

 

最初は妹のギジョン。美大の受験に失敗しているのですが、グラフィックデザインの技術があり、兄が家庭教師する時は、名門延世大学の学生の身分をパソコンで偽造したりしてる、なかなかの才人ですが、彼女はバカ息子の絵の教師兼カウンセラーになります。

 

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まんまとアメリカ帰りの美大生を演じるギジョン。

 


社長夫人は、バカ息子に絵の才能があると勘違いしていて(どう見ても、「ボブ・ディラン画伯」の自画像にしか見えないような絵を描いているのです)、彼の絵の教師にまんまと就任します。

 

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「画伯の絵」です。

 


そして、次は、社長の運転手に父親の、ソン・ガンホ演じる、キム・ギテクをあたかもベテランドライバーでもあるような体で、もともとの運転手を策略に陥れてまんまと就任。

 

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ソン・ガンホの活躍は後半です。


同様に、母親ヨンギョも(元ハンマー投げ選手です)もともとの家政婦を姦計に陥れて失脚させて、まんまと家政婦に。


こうして、キム一家による「国盗り物語」がまんまと成功してしまうんです。


奇行の多いダソンのためにと、IT社長一家はキャンプに出かけたのをいい事に社長の邸宅でキム一家はバカ騒ぎの酒盛りで「わが世の春」を迎えるまでが前半ですが、おそらく、ココからの先の展開を予想できた人はほぼ皆無でしょうね。


それぐらい話が一挙にとんでもない方向に進んでいき、完全に「ボン・ジュノ・ワールド」にドンドンと引き摺り込まれます。


というか、この異世界にひきずりこための前準備が、「国盗り物語」なのであって、ここからが予測不能のストレンジな展開の連続となっていきます。


初めから最後までストレンジな『吠える犬はかまない』、まさかの事件の結末と、あの落とし所のないとんでもないラストの『母なる証明』ではない、後半がストレンジにして、このラストはどう考えたらいいの?がもうないまぜになっていて、ボン監督は更にディープはゾーンに到達したと言わざるを得ません。


また、本作も韓国社会のもつ厳しい経済格差が描かれていて、半地下生活者と丘の上の邸宅。という露骨な対比を描いており、この、垂直線は、デビュー作のボイラー室と屋上、『グエムル』の地下道と漢江の向こう岸の高層ビル群という形でもよく使われていますね。


今回のドラマは、かなりデフォルメされたドラマなので、社会の細部を描くという事は少ないですが、半地下生活者が多く住んでいるソウルのゲットーの生々しさは、ものすごいものがあります。


そのかわりに、階級を示すものとして、「匂い」が極めて効果的に使われていますが、これはお話の根幹に関わる事なので、あまり言わない事としましょう。


物語の後半で、ゲットーでは大変な事が起きるのですが、恐らく、この出来事は実話だと思います。


この実話をもとにボン・ジュノは本作の構想を膨らませたのではないかと想像します。


彼の作品を見ていて痛感しますが、ホントに脚本がよく練られてますね。


映画のかなりの部分は脚本で決まってしまうのですね。


またしても、とんでもない映画を作ってしまったボン監督の次回作はもう制作が始まっているようですが、本作でもはや、巨匠という粋に名実ともに達したのではないのかとすら思わせる、圧倒的な、そしてまたしても見事な喜劇を私たちに提供してくれたことに感謝。

 

それにしても、『万引き家族』、『パラサイト』、『Sorry, We Missrd You』、『JOKER』と格差を描く映画が作られ、高い評価を得ている矢先に、新型コロナウィルスの世界的な流行というのは、一体。。

 

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永遠の映画少年の遺作にしてまたしても問題作!

大林宣彦『海辺の映画館キネマの宝箱』

 


いやもう、圧倒されました。


大林宣彦は長編デビュー作『HOUSE』から常に問題作を作り続けていたんですけども、遺作までもが問題作とは!


およそ、その穏やかなタイトルからは微塵も読み取れないような、躁病的な実験精神、過激な編集(監督自らが行ってますが、彼の凄まじい編集が全編に漲っております)、凄まじい反骨精神。


すでに肺がんによって余命宣告まで受けている方が作っているとは思えない、異様なまでの生命力。


そして、天井知らずのイマジネーションの奔流!


巨匠といわれる監督の多くの遺作がその肉体的精神的な衰えを露呈してしまいがちであるところ、この遺作は彼の人生の総決算でもあり、しかも、最後まで映画青年のままある事を刻印した痛快作だったというのは、日本映画史上の痛快事でもあります。


お話は広島県の小さな港町、即ち、尾道のフィルム上映している映画館の最終日に戦争映画オールナイト特集が行われるのですが、そこにやってきた3人の青年と少女が映画の中に入り込んでしまうというファンタジーで、こう書いてしまうのなんとも軟弱に見えてしまうのが残念なのですけども、大林作品をよく知る方は、その実態がとんでもない技法を駆使して繰り広げられる事が容易に想像されると思うのですが、その「いつもの大林マジック」の更に心地よく裏切っていくのが、恐ろしいです。


まずは、宇宙船が出てきます(笑)。


ね?もうすごいですよね(笑)?


しかも、乗っているのはミュージシャンの高橋幸宏ですよ。


役名は「爺ファンタ」です(笑)。

 

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なんなのだ、この宇宙船の内部(笑)


『HOUSE』に「ファンタ」という役名が出てきますが、それを更に超えてくるわけです。

 

 

もう、80歳を過ぎた老人の発想とは思えないです。


ねらわれた学園』という、薬師丸ひろ子主演の角川映画ねらわれた学園』で、峰岸徹が演じていた大魔王ほどのルックスのインパクトは流石にありませんが、この映画の語り部的な役割として、未来から宇宙船で映画館にやってきます。


この映画館の映写技師が、『さびしんぼう』で出番は少ないですけども印象的な演技をしていた小林稔侍です。

 

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支配人で映写技師役です。


コレはネタばれというほどの事ではないので事前に言ってしまってしまってもいいですが、これまで音早く作品に出演してきた役者がいろんな場面に出演しております。


大林宣彦にとってのアントワーヌ・ドワネルである、尾美としのりは当然の事ですが、ちゃんと出演しておりますのでご安心を。


さて、映画に入り込んでしまった3人は、「私を助けて!」という希子という謎の少女を助けようとするファンタジーなのです。

 

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希子を演じる吉田玲は大林監督が大抜擢した新人ですが、見事に大林ワールドの住人になっています。

 


が、先ほど述べたように、その入り込んでいく映画は、オールナイト戦争映画特集なんです。


という事は、主人公たち(毱男、鳳介、茂)は近代以降の戦争に巻き込まれていく事に必然的になります。

 

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左から、団茂、馬場毱男、鳥鳳介。

ドン・シーゲル、マリオ・バーヴァ、フランソワ・トリュフォーのもじりであり、監督の分身です。


つまりですね、この映画は大林宣彦流の幕末から第二次世界大戦までの歴史語りになっているんです。


しかし、その語っている主体があの大林宣彦ですから、決して一筋縄ではないですし、その根底には彼の戦争体験があります。


大林作品はどれもこれも天衣無縫で、後年はやや落ち着いてはきますけども、やはり、常に映像における実験は一貫してまして、そこが些かも巨匠感を醸し出す事が亡くなるまでありませんでしたが、常に作品の根底に戦争が横たわっておりまして、その点では岡本喜八と共通します。


しかし、岡本喜八のそれは、言い知れぬ怒りの表出であり、それは上層部の曖昧でいい加減な判断が現場を苦しめるという事に修練していくのですが、大林監督は、詩人中原中也の詩や文章を何度も引用しながらも、文明開化ではなく、「野蛮開発」としての日本の近代化のその端的な現れとしての戦争という蛮行への批判、そして、取りも直さず、女性が犠牲となってきた事を本作は描いております。


その犠牲者を成海璃子常盤貴子山崎紘菜かそれぞれ、時間と空間を超えて、複数の役を演じております(これは彼女だけでなく、同じ役者が何役も演じ、見ている側をかなり混乱させ、しかも、役者が「そういえばどこかであったような」とすら言わせています)。


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成海、常盤、山崎の3人が複数の役を演じています。彼女らを通じて「野蛮開発の歴史」を明らかにしていきます。


一応、時代順に言いますと、坂本龍馬暗殺、戊辰戦争鳥羽伏見の戦い会津戦争西南戦争日中戦争沖縄戦、そして、広島への原爆投下が、まるで、みなもと太郎風雲児たち』のように全体を俯瞰するような視点で未来からやってきた爺ファンタやその娘の中江友里が語り、更にナレーションが時にセリフにかぶり気味に入り、必要だったり不必要なタイミングにスーパーが挿入され、しかもサントラも流れ大林監督自ら行なっている恐ろしくせわしない編集時間軸は基本的錯綜しているという、とにかく情報量が普通の意味の過多ではおっつかない凄絶さがあります。

 

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武田鉄矢坂本龍馬を演じさせるというベタ(笑)!


どこまで本気なのか冗談なのか判然としないところも結構あるので、見るものはますます混乱してしまいます(笑)。


「わかりづらいよ!」と散々批判された大河ドラマ『いだてん』ですが、本作と比べれば、『カラマーゾフの兄弟』と『キン肉マン』くらいの差があります(笑)。


ただ、福島、満州、沖縄、広島の戦争の惨禍を救うべく、主人公の3人が映画の中で右往左往している話なのだ。という事さえ掴んでいると、それほど混乱はしないのでさが、いかんせん、そこに打ち込まれる情報量が尋常ではないです。

 

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映画の終盤は監督の一番言いたかった事と伏線の見事なる結実がありますが、コレは見てのお楽しみに。

 


最後は大林宣彦監督自身のナレーションすら入ってきます。


しかも、映画の中に入り込む。という、「大林ワールド」と言ってよいファンタジーに主人公3人の青年を放り込んでいるので、もう縦横無尽にジャンルが切り替わり、マキノ雅弘の戦前の傑作『鴛鴦歌合戦』を思わせるミュージカルになったり、サイレント映画になったり(サイレント映画特有のシャカシャカした動きのチャンバラを再現してます)、岡本喜八『独立愚連隊』を思わせる、関東軍八路軍のとの戦いなどなど、とにかくこれでもかというくらいのテンコ盛りでして、しかも、デジタル技術。という新技術がコレを加速化させ、見るの者の情報処理の限界に挑んでくるようです(笑)。


明らかにチープなCGをここまであからさまに大ベテランがおもちゃで遊ぶように濫用しているという、この狂気(笑)。


大林作品を見る。というのは、自分の経験とか価値観をいったん放棄し、彼の溢れ出る愛を浴びる。という事を是と出来るか否か。で、彼の評価は完全に変わるでしょう。


私は完全に彼の忠実な信徒であり、よって、彼の作品を冷静に分析する事など原理的には不可能ですが(笑)、しかし、彼の映画は好きとか嫌いとかそういう次元の問題ではなく、彼の世界、すなわち、「映画とはココロのマコトを描いた絵空事なのだ」という哲学をアタマではなく、ココロでいう受け止められれば、彼の世界に入ることができるでしょう。


日本の映画界が全くの斜陽になって以降、自主制作、CM監督という全くの異端的ポジションから彗星の如く現れ、ものすごい数の映画を作り続けた真性の天才の遺作を堪能しましたら、是非とも過去作も見て欲しいです。


たくさんの発見があると思います。

 

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RIP 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボン・ジュノは最初からボン・ジュノだった!

 

奉俊昊(ボン・ジュノ)『ほえる犬は噛まない

 

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グエムル』でも活躍するぺ・ドゥナ

 

奉監督の長編デビュー作であり、彼の作品は見たものはすべて好きなのですが、私はコレが一番愉快で好きですね(笑)。


韓国のとある団地で起こる珍事件を描いた、一体どういうジャンルに分類したらいいのかわからない感が、彼の作品の中で群を抜いていて、ホントにどう形容したらいいのかわからない怪作にして快作。


原題を直訳すると『フランダースの犬』なのですが、直訳の方がパンチが効いててよいです。


とはいえ、「このどう分類したらいいのか?」という感覚は決して不快ではなく、見事に「映画という快楽」と直結していて、何度でも見直したくなるんですね。


しかも、奉監督はそれを難解なアート作品としてではなく、アクションやサスペンス、独特のブラックなユーモアとで見せてくれるのが嬉しいです。


そんな彼の作品に一貫する不思議な味わいは、長編第1作から濃厚でして、ロケーションをかなり限定した低予算にもかかわらず、いい味わいのキャラクター(彼の作品は脇役がとても充実してますね)

 

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友人と食べるインスタントラーメンがチープなのに妙に美味そうなのだ。

 


主人公は団地の管理会社の事務員の女の子を演じるペ・ドゥナ(裵斗娜)と、大学教授になるために学長になるために頑張っている青年の2人です。

 

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韓国社会ではほぼ接点がない2人を引きつけるのが、子犬なのでした(笑)。

 


この、現実にはほとんど出会う可能性のない2人を結びつけるのが、タイトルにある犬なんです。


本作には犬が3匹の飼い犬が出てきてます。


日本でもそうですが、団地で犬を飼うことは原則禁止なのですが、事実上、住居者は勝手に飼ってまして、実はその事がお話の起点になるんです。


最初の1匹目は、隣の住民の飼っている小犬です。


吠えてうるさいので、大学院生は屋上からほうりなげてしまおうとするんです(笑)。  

 


大学教授の職がなかなか得られない事にイライラしているとはいえ、余りにも飛躍している行動なのですが、屋上で切り干し大根(正確にいうと違うんですが、日本で似ているのもというと、コレになりますね)を作っているおばちゃんがいるので諦めてしまいます。


怒りのやり場が変な形で削がれてしまい、そのままボイラー室のある団地の地下に何となくきてしまい、小犬を閉じ込めてしまいます。

 

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ちょっと小林克也っぽいボイラーおじさんの語る「ボイラーキム」は爆笑モノです。

 


その小犬を探している子供が管理事務所にやって来て、飼っていた小犬がいないので、ビラを貼りたい。とやってきたので、ペ・ドゥナ演じる事務員は、団地の敷地内で貼り紙をしても良いための許可のハンコを押してあげます。


ここから、犬を通じて2人がだんだんと近づいていく事になるのですが、とにかく、なんでそうなるの?の連続と、なんなのその人?が絶妙なタイミングで出現して、話が絶妙に横滑りしつつ、面白い方に転がっていきます(笑)。

 

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見ていて、「よくこんな展開考えられるよね」の連続でして、全くオチというものが全く見えてこないです。


切り干し大根おばちゃんもいいのですが、ボイラーおじさん、地下室に住んでいるホームレスのおじさんなどなど、とにかく、クセの強いキャラクターが登場してきまして、この一筋縄ではいかないお話に絶妙にからんでくるんですね。


もちろん、犬がもう2匹出てきます。

 

それにしても、奉監督はロケーションがホントにうまいですね。


団地という、特殊な環境を屋上から地下室までを使って表現される韓国の下層社会のリアル。

 

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そして、彼の作品で一貫して描かれる賄賂社会としての韓国。


学歴によって露骨に経済的社会的にポジションが決まってしまう、厳しい学歴社会(しかし、大卒が幸せでもない)。


コレらを拳を上げて怒るのではなく、愛すべき個性的なキャラクター使って、彼ら彼女らのアクションで語らせるのが実に巧みです。


奉俊昊は最初から奉俊昊でした。必見。

 

 

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なぜ『フランダースの犬』なのかは見ているとわかります。

猟奇的な事件をある種のユーモアを交えて描く傑作!

 

奉俊昊(ボン・ジュノ)『殺人の追憶


1980年代から90年代にかけて、実際に起こった連続殺人を元に作られた衝撃作。


シリアルキラーものそれ自体は、アメリカなどで既に多く作られてきたので、それ自体は目新しさはないのですが、その描き方がとても新鮮であり、見るものを唸らせる、奉監督の実力を知るには最適な作品です。


静かな村で女性が連続して同じ出口で殺害されたのを、地元の警察が捜査するのですが、その捜査のあまりの杜撰さ、非科学的な手法、拷問による自白の重視をかなりコミカルに描いていますが、よくよく考えると、かなり酷い捜査であり、韓国の黒歴史そのものを、殺人の異様さ以前に描いているのが興味深いですね。

 

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2番目の殺人事件からストーリーが始まります。

 


奉監督は、朴槿恵政権のブラックリストに載っていて、危険人物としてマークされ続けていた事が後に判明しますが、彼の作品には必ず韓国社会の持つ様々な問題をシッカリと包み隠さずに描いている(しかも、必ず独特ブラックユーモアを交えます)ところが、保守派から危険視されていたようで、そのような反骨精神を持って映画を現在も撮っている人です。


しかし、奉監督は、それを非常に優れたエンターテインメントとして見せており、シリアスな社会派映画には絶対になりません。


彼のどこかシュールで素っ頓狂な部分だけで撮られた長編デビュー作品『ほえる犬は噛まないからして、決して一筋縄ではいかない、かなりの曲者で、本作でも、主人公の地元の刑事を演じる、今や韓国を代表する俳優となった、ソン・ガンホ(宋康昊)は、初めはコテコテのダメ刑事なのですが、ソウルからやってきた、腕利きの刑事がやってきたのを、最初は毛嫌いしてしつつも、次第に彼の手腕を見直し、次第に捜査に本格的に取り組んでいく姿を見事に演じております。

 

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ソウルから派遣された刑事の捜査が、地元刑事たちを奮い立たせます。

 


この映画の独特なところは最初の容疑者とされるペク・グァンホが知的障害を持っている事で、当初はこのグァンホを犯人と決めつけて、ソン・ガンホと相棒が、自白を強要したり、証拠の捏造すらしてしまうのですが、調子に乗って、デタラメな現場検証をテレビなどのマスコミのいる前で行った時、焼肉店を経営するグァンホの父親が「息子は殺人なんてできない!」と叫び始めると、グァンホ

「とうちゃん!オレ、やってないよ!!」と騒ぎ始めてしまい、いい加減な操作が明るみになってしまう事です。

 

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知的障害がある青年が容疑者とされるという設定は『母なる証明』でも継承されました。

 

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刑事課長も更迭されるという大失態です。

 


よくよく考えると、かなり酷いのですが、ココを独特のユーモアで表現できてしまうのが、奉監督の並々ならぬ所であり、このシリアスな場面ほど側から見ていると実に滑稽であるというのは、力量が遺憾なく発揮されるところです。

 

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また、彼が一貫して描くのは、韓国社会に色濃くある、様々な格差です。

 


ソウルから来た、大卒の刑事と短大卒と高卒の地元刑事という形でも端的に示されてますね。

 


オチはすでにわかっているように、迷宮化してしまうのですが、それが分かっていてもドシンと主人公を打ちのめす事実は決して劇的にではなく、極めて静かに示される事で見るものに瞬間的な衝撃ではなく、ジワジワとそして確実に見る者のココロの中に沁みていきます。

 

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この一体どう気持ちを落とし込んだらわからないような終わり方は、『母なる証明』で更に深められていきますね。

 


コレまた必見の作品です。

 

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※2019年にようやく連続殺人事件の容疑者が逮捕されました。

 

 

 

 

 

 

変化とは単線的には起こらない。

ジャ・ジャンクー賈樟柯)『長江哀歌』

 


自らの故郷である、山西省黄河中流域)を描くことの多い賈監督が、タイトル通りに長江の、しかも、なかなか中国では取り上げにくい題材と思われる、三峡ダムの建設によって水没していく事運命の町を舞台とした傑作。

 


お話しは、「煙草」「茶」「飴」という、小津安二郎のようなタイトルから内容が一切想像できないような三部構成になっていて、1と3が離婚してしまった奥さんに16年ぶりに出会うためにやってきた韓三明(ハン・サンミン)演じる男の話しで、その真ん中に単身赴任で2年も帰って来ない夫に会いに行く趙濤(チャオ・タオ)演じる妻の話が挿入されるという構成になっており、この2人は一切出会わないですし、何のつながりもありません。

 

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16年前に別れた妻と娘を探しに来た、サンミン。

 

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仕事で2年も自宅に帰ってこない夫に会いに来た妻。

 


ただ、2人とも山西省から春節を利用して同じ頃に三峡ダムの水没予定の町にやってきた。という共通点があります。


趙濤がたまたま出会った少女が、恐らく、韓三明の娘と想像されますが、たまたま出会った程度。というですね。

 

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サンミンの娘なのでしょう。


この二人の視点から、見えてくる急激に経済成長していく中国を見せていこうというのが、監督の意図であり、この「中国の厳しい現実」を見せるというモチーフそれ自体は、彼の前の世代の監督から中国でもよく見られますけども、賈監督は、彼ら彼女らをなぞるのではなく、より歪で、時にシュールですらある現実をしかし、淡々と撮るところがとても面白いですね。

 

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水没するので取り壊される建物。

 


魯迅の短編小説の風景とほとんど変わらないような風景の中なのに、皆携帯電話を持っていて、それ自体がものすごい違和感を与えてますけども、そこから少し離れた街になると、突然、ビルかたくさん建造されていているような近代的な風景になります。

 

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このような奥地でも近代化が急速に進みます。

 


しかも、そのビルはすぐに爆破してまた新しく立て直すんですね。


しかも、UFOすら飛んでいるのです(笑)。


日本の高度経済成長期も相当なものだったと思いますが、中国のソレは桁が違っています。


結果としてですが、この作品のロケ地は今では三峡ダムの完成により水没している。という事実も衝撃的です。

 

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単に厳しい現実を示すのではなく、その変化の途方もなさをかなり大胆な手法で見せてしまう本作は、中国が単に経済的に豊かになったというだけではなく、その内実も伴って来ている事を示しているわけでして、日本映画はホントに今のままでいいのだろうか?と思ってしまうです。

 

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3つの世代を通じて描かれる、韓国現代史!

キム・ボラ『はちどり』

 


長編第1作との事ですが、普通、処女作というのは、やったるぞ感となんでも盛り込みすぎ気味をどんな監督でもやってしまうものですが、この風格と余裕と完成度には相当度肝を抜かれましたね。

 

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キム・ボラ監督。

 


1994年の夏から秋にかけてのお話しで、14歳の少女、イ・ウニを通して見えてくる、韓国の現代史と彼女の成長の物語です。

 

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三兄妹の末っ子である、ウニ。

 

このお話しは3つの世代が描かれています。

 

1つはウニの両親の世代のお話しです。


ハッキリとは描かれませんが、恐らくは朴正煕政権時代に青春を生きたと想像されます。


もう一つが、ウニの漢文塾の先生、キム・ヨンジ(ホン・サンス作品によく出演している、キム・セビョクが演じています)。


そして、主人公のウニたち。


先の2つの世代の挫折が、韓国の歴史をよく知らない者にも、明らかに何かがあった事が示唆されます。


ウニの両親や自殺してしまった伯父さんは、韓国の学歴社会から落ちこぼれてしまった人々です。


商店街で餅を作って売っている、それほど楽ではない生活です。


韓国は日本など比べものにならないほどの学歴社会であり、大学受験は、まさに科挙のように熾烈を極めます。


韓国では大学へ進学しない事は即ち、兵役を意味します。


大学へ進学するのか否かがその後の社会的地位を明確にしてしまうんですね。


それは、ウニの時代どころか、現在の韓国も何も変わってません。


ウニの兄であるデフンをソウル大学に入れるために両親は必死です。

 

韓国は儒教の考え方が日本よりも遥かに厳格ですので、男性社会です。


ウニはデフンの進学ばかり気にかける両親からあまり関心を持たれておらず、学校でも大学進学のプレッシャーばかりを受け(担任の先生は日本の「東大合格するぞ!」的なノリで、生徒たちをソウル大学へ行け!みたいに煽りまくります)、それにウンザリしているのでしょう、友人とカラオケやクラブへ行き、隠れてタバコを吸ったり、ボーイフレンドとデートをしたりしていました。

 

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時折差し込まれる、瑞々しいショットが素晴らしい。

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ウニのお姉さんのスヒは、あまりいい高校には進学できず、ボーイフレンドと遊び呆けています。


ウニは、マンガを描くのが好きではあるけども、特に将来に何の夢も持てないような日々を送る中、漢文塾にやってきた新しい先生、女の先生であるヨンジに出会います。

 

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ヨンジという「高等遊民」に惹かれるユニ。


ヨンジはソウル大学の学生ですが、長いこと休学しています。


このヨンジの飄々とした魅力に惹かれるんですね。


このお話しは、ほとんどどういう人物なのかよくわからない、でもとても魅力的なヨンジが重要なキャラクターです(ウニとヨンジはどちらも左利きです)。


お話しでは一切語られませんが、恐らくヨンジはソウル大学学生運動の活動家であったと思います。


それは、彼女が唐突に歌うシーン(ウニと友人は何の曲か全くわかりませんが、実は1980年代の民主化運動でよく歌われていた曲なのです)、そして、塾の本棚にマルクス資本論』が置いてある事で暗に示されます。


ヨンジが休学している理由も、学生運動が関係しているものと思います。

 

つまり、ウニの両親たちは、大学へ行けなかった事への挫折、ヨンジには、大学へは行ったけれど。という挫折があったんですね。

 


そして、ウニは金泳三政権、すなわち、民政以降の新しい世代なんですね。

 


この事がある程度わかっていないと、本作が言いたい事は少しわかりづらいかもしれません。

 


この3つの世代というのが、お話しの大きな枠組みとなりながら、そこにサクッと韓国現代史がさりげなくテレビからコレまた3回流れてきます。

 


1つが1994年のサッカーワールドカップアメリカ大会です。

 


韓国代表が初めて大会に出場しましたね。

 


次が北朝鮮の最高指導者、金日成の死去です。

 


いきなりドスンと来るんで、思わず笑っちゃいました(笑)。

 


ウニが耳の下にできたしこりを手術で取るために入院している病院で知ります。

 


そして、3つ目の1994年10月21日。

 


ソウル市内を流れる大きな河、ハンガン(漢江)にかかっていたソンス(聖水)大橋が崩落するという大事故が起こります。

 

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崩落した実際のソンス大橋。業者による手抜きが原因で、死傷者が多数出ました。。

 

アメリカ、北朝鮮、そしてソウルと、歴史的事件はだんだんとウニに近づいてきている事が重要です。

 


基本は、思春期の少女の淡々とした日常を、実に巧みな省略法を駆使して描いていくところが素晴らしい映画なのですが、そこに唐突に差し込んでくる歴史的事件との絡み方が、まるで近年のクリント・イーストウッド作品のようはうまさがあり、第1作目にして、すでに老練さすら感じさせます。

 


韓国映画は内容は素晴らしいのはですが、音楽が今一つ。という事が多かったのですが、本作の音楽を担当するマティア・スティルニシャのエレクトロニカを基調にしたサントラが、映画に絶妙な距離感を与えてくれて素晴らしいです。

 


あと、途中で、使われる、チープなシンセでできている妙にクセになる韓国歌謡曲がツボですね(笑)。


韓国は、こういう音楽に合わせて踊る文化があるらしく、いろんな映画に出てきますね。


そして、なんと言っても主人公である、キム・ウニを演じるパク・ジフの見事さですね。


今後が注目される役者です。


公開してから間もない映画ですので、あまり内容には立ち入りませんでしたが、ヴィクトル・エリセ『エル・スール』のように、あからさまに歴史の悲劇を見せないという描き方は私にはとても好ましく思えました。


とにかく、韓国映画はあらゆる意味で黄金期と言わざるを得ないですね。コレも必見です。

 

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レノンとモローによる『シン・突然炎のごとく』

グレタ・ガーヴィク『Little Women』

 

この原題でないと、ラストの意味が失われるので敢えてこうしました。


幾度となく映像化されてきた、ルイーザ・メイ・オルコット『若草物語』の映画化。


何の予備知識もなく見始めた最初の印象は、正直、


「なんだかいそいそとして、堪能できないなあ」

 

というもので、よくなかったです。


しかし、もう少し我慢して、この悪印象について付き合ってもらいたいのですが、コレはガーウィグ監督の意図するところなんですね。


現在のニューヨークで仕事を掛け持ちしながらも短編小説を書きながら生きているジョーと、伯母に連れられてフランスに渡っているエイミーの現在と7年前のマサチューセッツ州のコンコードでの4姉妹の楽しい生活という、この三場面がものすごいスピードで切り替わりながら進んでいき、およそ、19世紀後半の人々の時間感覚ではなく、完全に21世紀の現在の感覚ですね。

 

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おなじみ、メグ、ジョー、ベス、エイミーの4姉妹。


しかしながら、映像それ自体は、時代考証もしっかりとしたもので、19世紀のままなのです。

 

ココが面白いですね。

 

バズ・ラーマン『Romeo+Juliet』はセリフはシェイクスピアのままで、完全に現在を舞台としていましたね。


映画は過去と現在が目まぐるしく変わっていくので、ボヤッとしていると、同じ人物が過去も現在も演じているので、わからなくなりそうになりますが、軸にあるのは、ジョーのニューヨークとコンコードの生活と、パリで大おばと生活する四女のエイミーの対比で、ここに、ローリーとの三角関係を作っての、かなりのスピード感のある恋愛物語なのです。

 

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実際には地理的な距離があるのですが、時間軸が自在に動く事で、空間的にも自由になっていき、ちゃんと恋愛ドラマになっています。


しかも、ここに目いっぱい原作の様々なエピソードをドンドンと放り込んでいくので、相当な情報量なんですね。


見ていて思い出すのは、昨年、史上最低の低視聴率を誇りながらも、一部で熱狂的なファンを生み出した大河ドラマ『いだてん』ですね。


原作のいわゆる第三若草物語のベア学園のところまでを140分ほどで駆け抜けているのですから、それはギュウギュウです。

 

しかし、古典文学の持つ格調の高さとか、ピューリタニズムとか、そういう本作の持つ部分を監督は呆気なく捨て去っている事にだんだんと気がついてくるんです。

 

そして、過去が猛烈なスピードで現在に追いついていくような構成がやがて過去と現在がほとんど一つになっていくところからが、実はこの監督の描きたかったところなんですね。


それが見ていてだんだんとわかってきて、コレは古典文学の構造から揺るがしていって、とうとうジョーなのかオルコットなのかが、もう混濁してしまって、見事に改変されたラストに結実していきます。


この監督のもはや使い古されたタノではないのか?と思われた題材から、ものすごいモノを、しかも取ってつけたようにくっつけるのではなく、恐らくは結末から考え、結末にいかに必然性を持たせるのかに考えに考え抜かれた、敢えてのスピードと情報過多。


そして、この斬新な構成に説得力を与える見事なキャスティング。


当然ながらですが、シアーシャ・ローナン演じる、ジョー・マーチなくして、本作は有り得なかったでしょう。

 

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見事にジョーを演じきった、シアーシャ・ローナン。ガーウィグ監督の前作でもコンビでした。


アカデミー主演女優賞は、当然です。


時々ジャンヌ・モローなのでは?と思われる、フローレンス・ピュー演じるエイミー、ローラ・ダーン演じるマーチ夫人、そして、大おばを演じるメリル・ストリープも、さては、「ポスト・マギー・スミス」を狙っているのではなきのか?という好サポートも素晴らしいですね。

 

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ジャンヌ・モローに見えてきて、見続けるともうモローにしか見たなくなる、エイミー。

 

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ローラ・ダーン演じるマーチ夫人。

 

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マギー・スミスを意識する、メリル・ストリープ


アレクサンドル・デスプラの音楽は、やや貼りすぎですけども、とても素晴らしいですね。


この貼りすぎだけが本作の欠点でしょう。

 

余談ですが、エイミー役がジャンヌ・モローと言いましたが、ジョーは、ジョン・レノンにしかみえません。


レノンとモローとティモシー・シャラメによる、「シン・トリュフォー映画」という側面も本作はあるのでした。

 

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なぜか、「ビートルズ感」があるんですよね。それはジョーがレノンにしかみえないからなのです!