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静かな余韻が心地よい名品。

バリー・ジェンキンス『ムーンライト』

 

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 バリー・ジェンキンスは、わずか長編2作目にして、アカデミー作品賞となりました。

 

いやー、沁みました。

予想をはるかに超える出来栄えでホントに驚きです。

こんな繊細な映画を撮るアメリカ人監督がいるんですなあ。

メインキャストがほぼアフリカ系アメリカ人という映画は、もうアメリカでも結構作られるようにはなってますけども、こんなに繊細な描き方をした映画は多分、なかったのではないでしょうか。

主人公のシャローンは、母親と二人きりで生活している、ちょっと内向的な少年ですが、この少年が、青年となり、ヤクの売人になるまでを描いた映画です。

しかし、こうして書いてしまうと、「黒人のゲトーでのハードな殺し合いの映画でしょ?」というイメージしてしまいますが、全く違うんですね。

 

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無法松の一生』を思わせるファンとシャローン。

 

映画は3パートに分かれていて、少年期、思春期、青年期のシャローンを描いておりまして、役者も3人がそれぞれのシャローンを演じています。


少年期のシャローンは、友達にいじめられています。

そんなシャローンの事を偶然助けるのが、ファンという、キューバから不法入国してきた、いかつい男で、実はヤクの売人です。

ファンは、子供が昼間とはいえ、麻薬の売買が行われるような危険な場所に子供がいるのが心配だったからです。

心配しなくていいいよ。おじさんが奢ってあげるから。と、レストランに連れて行ってそれから家に車で送ろうとするのですが、シャローンは何も言いません。

仕方ないので、ファンは自宅に泊める事にするんですね。

シャローンは、母親が麻薬中毒になってしまっているのがイヤで、帰りたくなかったんです。

ファンはとてもいかつい黒人で、ヤクの売人としては、かなり一目置かれているような男なのですけども、子供が好きなのでしょう、シャローンの事を可愛がるようになります。

この2人の交流をホントに優しく静かに描くんですね。

 

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 シャローンに泳ぎを教えるファン。

 

でも、シャローンはやがて、母親がファンから麻薬を買っている事を感づいてしまいます。。

 

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薬物中毒の更生施設に息子の薬物の売り上げで入っている母親。

 

そんなシャローンが高校生になります。

母親の麻薬中毒は更に酷くなり、とうとう息子からカネをせびってヤクを手に入れようとするんですね。

シャローンは、まだ、家に帰りたくない時は、ファンの家に泊まるのです。

しかし、ファンはすでに死んでいました。

なぜ死んだのかは説明されませんが、恐らくは麻薬の売買でのトラブルなのでしょう。

テレサという恋人がファンの家に住んでいて、彼女が母親のようにシャローンの事の面倒を見ているんですね。

そんなシャローンは高校生になっても、友人たちにいじれられていて、そんな彼の事を唯一心配しているのが、ちょっとやんちゃなケヴィンなのですけども、このケヴィンとある夜、海辺でキスをしてしまいます。

ケヴィンは「こんな事してゴメンよ」と言うのですが、シャローンは「謝ることなんてないよ」と返します。

黒人のラッパーの筋骨隆々たる姿を見てわかると思いますが、アフリカ系アメリカ人の価値観はかなりマッチョですから、同性愛というものをカミングアウトしたりする事はかなり難しいです。

ロックンローラーであるリトル・リチャード(奇しくも、シャローンの少年時代のアダ名は「リトル」ですが)が、ゲイである事を公言していますけども、コレはほとんど例外的な事です。

ココで一挙にはしょりまして、一挙にマッチョなヤクの売人になってしまったシャローンに話しを写しましょう。

高校生の頃からは想像もできないようなマッチョな体格で上下の歯に金歯でデカい金のネックレス。

改造しクルマからは爆音でヒップホップが流れています。

しかし、ココまで読んでいただければわかるように、彼は心優しい少年でした。

つまり、このものすごいいかつい風貌はむしろ、彼の傷つきやすい内面を守るための鎧なのですね。

ヤクの売人としてかなり成功しているらしく、そのお金で母親を麻薬の更生施設に入所させているんですね。

やってる事はむちゃくちゃですが、やはり優しいシャローンは変わっていないわけです。

さて、本作で素晴らしいのは、やはり、色彩ですよね。

あえて、色調を全体的に落としています。とても淡いんですね。

夜の撮影が素晴らしいです。

本作は、夜の海辺が各パートで出てくるんですが、その美しさが見事です。

あと、音楽の使い方がホントにうまい!

ブラックミュージックをホントによく知っていて、わかる人にはニヤッとする様な曲の使い方ですね。

タランティーノのびっくりさせる様な使い方と真逆の発想です。

見終わった後の余韻がのこる作品でした。

 

 

 

 

 

 

 

衝撃/笑撃のラスト!

ルイス・ブニュエル『皆殺しの天使』

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オペラ鑑賞の後の楽しい晩餐の筈が。。

 

メキシコ時代にブニュエルはたくさんの映画を作りましたが、これもその中の1つ。

フェリーニがこういう映画を作ったら、当然、ニーノ・ロータの音楽がついていて、シルヴァーナ・マンガーノクラウディア・カルディナーレなどのお気に入りの女優に煌びやかな衣装を着せ、当然、マルチェロ・マストロヤンニが主演でしょう。

で、音楽も登場人物たちも躁病的に盛り上がり、最後は鉄球でお屋敷は崩壊。みたいな。

しかし、本作の監督はブニュエルです。

大スターは一切出てこず、恐らくほとんどは地元メキシコの役者さんです。

お世辞にも上手い人たちではありません。

 

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音楽は、ピアニストが余興でピアノを弾くシーンと、お客の1人がポロポロと弾いているのを、「病人がいるからやめろ!」と、とめるシーンしかなく、いわゆるサントラはありません。

  

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この音楽がほとんどないというのは、ブニュエル作品の1つの特徴です。

が、この音楽がめずらしく重要な要素になっていきます。

作品のほとんどはオペラ鑑賞のあとに食事に招かれた客と、お屋敷の主人、奥さん、召使いたちが屋敷から出ることなく進みます。

 

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異様なのは、なぜか、この客たちは迎えが来ることもなく、誰一人帰ることができなくなってしまいます。

 

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ブニュエルには、いつまでもご馳走にありつく事のできないという、『ブルジョワジーの密かな愉しみ』というどこかネジが外れたような傑作がありますが、本作はその原点に当たる作品でしょう。

 

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なぜ出られないのか?

 

なぜか、兵糧攻めにでもあったように食料はなくなり、誰一人電話で連絡を取ろうともしない。

歩いて帰ればいいのに、それもしないで、ただイライラしている。

しかも、一人は体調が急変しているにも関わらず、誰も救急車すら呼ぼうとしない。

結局、男性は死んでしまうのですが。。

ブニュエルはなぜ帰れないのかへの説明は一切しません。

やがて、警察や家族たちが屋敷に殺到するのですが、彼ら彼女らも中に入る事ができません。

 

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どうして誰も踏み込もうとしないのか。

 

中は水すら欠乏して、とうとう水道管を壊して直接飲む始末です。

ほとんど唯一医者だけが理性的な行動をし、ヒステリーやパニックになりそうになる客たちをなだめています。

 

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幻覚まで見てしまいます。

 

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この不条理な寓話は最後、トンでもないラストを迎え、観客は完全に置いてけぼりを食らうのですが、コレは見ていただくほかありません!

 

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 どうして教会なのかはまたのお楽しみ。

 

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 エーッ!と大声を上げざるを得ないラスト!! カンヌ映画祭で観客は呆気にとられたとか(笑)。

 

 

 

 

 

恐るべし、韓国映画!

パク・チャヌク『お嬢さん』

 

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原作は19世紀のイギリスですが、日本植民地下の朝鮮のお話に置き換えられています。どこかヴィスコンティ的な発想ですね。

 

ド変態監督(褒め言葉ですよ、念のためですが)、パク・チャヌクがまたしても変態ぶりを爆発させた大作。

 

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詐欺師「藤原伯爵」が日本の華族の財産を奪う計画を持ち込む。

 

まだ、公開してる最中ですので、ネタバレは最小限にいたします。

なんというか、この所の韓国映画な質と量は、ちょっとすごいですね。

映画は三部構成になってまして、最初の2部はなんと同じ事を違う視点から描いておりながら、同じ所で終わるのに、その感じ方がガラッと変わります。

 

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召使いとして上月家に入り込むスッキ。

 

こういう作り方で思い出すのが、デイヴィッド・リンチマルホランド・ドライブ』なのですが、本作は、2人の主人公のそれぞれの視点からという描き方なので、どちらかというと、タランティーノ的な「なんでこうなるのかを説明しましょう」の超ロングバージョンみたいに思えます。

 

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上月家の財産を相続している秀子。

 

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ド変態の上月。

 

そういう意味で、タランティーノの傑作『デス・プルーフ』や『ジャッキー・ブラウン』に近い作品だと思いました。

本作の舞台の大半は、日本人の華族と結婚した事で大金持ちとなった朝鮮人(要するに、バリーリンドンですね)となった完全なる変態である上月と実際に財産を相続している秀子の屋敷が住んでいるとてつもなく巨大なお屋敷で繰り広げるのですが、そのセットがとにかくすごい。

 

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美術は特筆すべきものがありますね。

 

調度品がウソっぽくなく、質感がズシンと伝わってくる映像が、それこそ、ルキノ・ヴィスコンティ並みに見る側に迫ってきて、題材がどこか『地獄に堕ちた勇者ども』のような下世話スレスレを狙っている辺りがどこが、晩年の絶好調なヴィスコンティを思われる意図的に安っぽいキャメラワークを頻発させるところも何か似たものを感じます。

 

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秀子に取り入る「藤原伯爵」。実際は済州島出身の小作人です。

 

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 上月家の大邸宅。洋館と日本建築を合体させた異様な作り。

 

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遺産の詐取は果たしてうまくいくのか?

 

閉鎖的空間内でドラマが繰り広げられるのも、ヴィスコンティ的です。

総じて、イタリア映画のもっている、ゴージャスと下世話が同居したような作品なんですよね。

上月。という、江戸時代のエロ小説を買いあさってコレクションして、変態華族たちを邸宅に招いて朗読会をやるという設定は、かなりクローネンバーグしています。

 

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変態朗読会をくり開げる書庫。秀子を子供の頃から仕込んでいるのだ。

 

なんというか、世界の名だたる変態監督からの、ほとんどあからさまとも言える引用をしながらも、それをまとめ上げたものは、パク・チャヌクとしか言いようがない、エゲツない濃厚で、剛腕な映画になりますね。

それにしても、これほどまでの映画を作りあげてしまう韓国映画界の底力は並大抵のものではないでしょうね。

 

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呆気にとられる大ベテランの快作!

イエジー・スコリモフスキ『11ミニッツ』 

 

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老いて益々盛んというか、作品が全く老成するどころか、若返っているのでは?というスコリモフスキの新作。

 

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ロマン・ポランスキの名声と比べるとなぜか日本では今ひとつ知られていないスコリモフスキ。

 

またしてもたったの80分くらいの映画なのですが、恐ろしく濃厚な作品です。

最初は1つ1つのエピソードがものすごく断片的で一体何の話なのかがほとんどわかりません。

 

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 敢えていうと、映画監督リチャードと女優アーニャの枕営業が話しの中心といえば中心。

 

女優の枕営業、ホットドッグを売っているオッさん、絵を描いている男、質屋を襲撃したら店長は自殺、出産寸前の女性ととベットで弱っている男を救出する救急隊員たち、何かをバイクで運んでいる若者などなど。

 

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ホットドッグを食べる修道女たち。 

 

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そのホットドッグを売ったおじさん。刑務所を出所したばかりらしい。

 

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何かを届けたバイクのお兄ちゃん。

 

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ポルノ映画を見ている2人。

 

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強盗未遂のあんちゃん。

 

登場人物にはほとんど名前すらなく、主役らしき人物は特にいません。

このほとんど無関係とも思われるそれぞれの話しがどう関係していくのかが不明のまんま、映画は進むのですが、だんだんある事に気がつきます。

ほぼ同じ時間にこれらの出来事が起こっている事を。

それは「午後5時から何分遅れている」というセリフとか、着陸態勢に入っている旅客機が何度も別な角度で出てくるんです。

そこで不可解なタイトル、『11分』という意味がわかってきます。

要するに、たったの11分間の出来事を描いている映画だったんですね。

しかも、それぞれのお話しは、そんなに離れた場所ではない事に気づきます。

それをいろんな人物の主観から見せ、時間は何度も行きつ戻りつしながらも、しかし、確実に時間は冷酷に経過していく。という事だったんですね。

 

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犬を連れている女性。

  

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絵を描いいたおっさん。

 

とにかく、手法のすごさに驚いてしまうのと、1960年代から映画を取り続けている大ベテランであるスコリモフスキがこんな大胆な手法の映画を撮ってしまった事に、驚嘆せざるを得ません。

 

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あれっ、さっきホットドッグ食べていた修道女たちが。この女性はなにを見ているのでしょうか。

 

この映画が最後どうなっていくのかは、実際にご覧になっていただくほかありません。

とにかく呆気にとられてしまうような映画でありました。

 

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低温映画。という新しいジャンルなのではないか。

カルロス・ベルムト『マジカル・ガール』

 

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この冒頭に出てくる2人が誰なのかは見ているとわかります。

 

何やら、日本のアニメへのオマージュがあるスペイン映画だときいて見てみたら、ものすごい映画でありました。

敢えて近いものを提示するのなら、ペドロ・アルトドバルのどこかネジが外れたあの独特のサスペンスなのです。

出てくる登場人物は一見普通ですが、全員どこかに闇を持っていて、それは本編中ではほとんど明らかになりません。

失業している文学の教師(どうも大量の人員整理があったようです)のルイスの娘は、白血病で余命いくばくありません。

 

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そんな彼女が好きなのは、『魔法少女ユキコ』という日本のアニメなんですね。

  

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魔法少女ユキコです。

 

ルイスはそんな娘のために、ユキコのコスチュームをデザイナーが一点モノで作ったという商品を買ってあげようと、いろいろと金策に走るのですが、失業中ですから、お金がありません(治療費も相当かかっているでしょう)。

 

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思い詰めて宝石強盗すら考えてしまう。

 

追い詰められたルイスは宝石店に強盗しようとした時、空からゲロが降ってきした(笑)。

この奇想天外さには驚きますね。

 

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おでこから血を流した女性とそのゲロを浴びた男という、前代未聞の絵(笑)。

 

ルイス・ブニュエルペドロ・アルモドバルを生んだだけのことはあって、そんな発想はないですよ。

そして、お話しはそんなゲロを吐いてしまった女性、バルバラのお話しになります。

彼女はどうやら精神疾患があるようで、夫の精神科医からキチンとクスリを飲むように言われているのですが、なかなか守れません。

 

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ある日、アルコールとクスリを一緒に飲んで気分が悪くなりまして、思わず、窓から嘔吐してしまいます。

それが、先ほどのゲロを浴びてしまったルイスだったわけです(笑)。

タランティーノでもそんなことは考えついてないというか。

お詫びにバルバラはシャワーに入っている間に衣服を選択してあげたのですが。。という所までにしておきましょうか。

と発想の独自さが、やっぱり、スペインの映画監督のある意味伝統であります。

あと、とても不思議なのが、初めから終わりまで、ほとんど画面から伝わってくる温度感がまったく変わらないんです。

 

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スタンリー・キューブリックのかの独特な無機質な画面作りは、冷たさという温度を感じるわけですけども、暖かくも冷たくもないし、匂いも音もあんまりないんです。

終始無機質で、どの登場人物も一応に低温です。

 

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バルバラがなんでこんなになっているのかはいえねえいえねえ。

 

この後、物語はクライム・サスペンスになっていくのですが、ハラハラもドキドキもしないのに、眠くなったり、退屈しないで見ることができるという、とても不思議な感覚なんですよね。

 

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えっ、終わり?みたいなスッと抜けていくような循環構造を持った終わり方も、もう完成させた作家だなあ。という気がします。

コレを書いていてフト思い出すのが、あだち充です。

彼の作品も若い頃からとても完成されていて、少年誌には見られない独特の間合いと省略の美意識に満ちた、常に余裕のある作風なのですが、後半がかなりスポ根になりながらも、暑苦しくなっていかず、甲子園を一切描かずに優勝した事実のみを最終回にスッと示して終わるという、ああいうものと近いものを感じました。

とは言え、本作は高校野球ではなくてサスペンスなのですが(笑)、本作もコワイ所、エゲツない所を敢えて描かない、登場人物の過去を詳しく語らないことが、面白さというか、観客をうまく引っ張っていく術になっているんですね。

不思議な面白さがある作品でした。

 

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記念すべき200本目は、ケン・ローチ!

ケン・ローチ『私はダニエル・ブレイク』

 

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永年のキャリアを持ちながら、それに反比例する日本での知名度の低さはまことに腹立たしい限りですが、ケン・ローチ監督はコレに対して淡々と作品を作り続ける事でしか答えないところがまた彼らしいですね。

彼の作品が今ひとつ知られる事がないのは、故ない事ではありません。

有名な役者は一切出てきませんし、題材はいつもイングランドの労働者階級を扱っていますので、アクションもサスペンスも一切ありません。

逆に言うと、全く売れる要素がないのに、映画製作をこれだけ長い間やり続けていると言うこの事実がかなり驚異的なのですが、ケン・ローチは莫大な利益は上げてはいないでしょうけども、確実にその価値を理解してくれる人々が少なからずいて、そう言う人々からの支援で映画を撮り続ける事が出来ているのでしょうね。

今回も、ダニエル・ブレイクという、ニューキャッスルで大工を長年やってきた、頑固なオヤジが主人公のお話しです。

このダニエルは、心臓発作を仕事中に起こしてしまい、医者から仕事は控えるように言われてしまいます。

しかし、役所の調査によって、「勤務可能」という審判が出てしまい、手当てが役所から貰えないことになってしまいました。

 

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大工仕事一筋だったダニエルは、「インターネットを使え」の役所の言い分に悉く苦しめられる。

 

ダニエルには、精神を患っている妻がいて、介護をし続けていたんですが、亡くなってしまいます。

しかし、その大変な生活が祟ったのか、その後、仕事中に心臓発作を起こしてしまったんですね。

ダニエルは役所に不服を言うのですが、役所はとにかく手続き通りやりなさい。ネットから申請してください。の一点張り。

仕事柄、インターネットの必要性が全くなかったことから、もうしていいのかわからないことを訴えても一切助けず。

と、そんな時、子供連れの若い女性が手当てをもらえない事に抗議しているではありませんか。

 

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道に迷って時間に間に合わなかった事を訴えても、役所は一切きいてくれない。。

 

ダニエルはこの女性、ケイティと2人の子供を不憫に思い、いろいろと助けるようになります。

 

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ダニエルとケイティたちとの交流が素晴らしい。

 

この作品では、一貫して役所のひとたちの対応がダニエルやケイティたちの窮状に応えず、むしろ、彼や彼女の生活を苦しめる方向にしか導かない事ですね。

 

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医者は仕事はムリと言ってるのだが。。

 

心臓が悪いのに、失業手当ての申請を受けるために一定時間就職活動をし続けないといけないという、ほとんど不条理な状況にダニエルは陥ってしまうんです。

なんというか、イングランドの福祉の仕組みの冷酷さが浮き彫りになってくるんですね。

まだ公開されたばかりの作品なので、ネタバレはこの辺にしておきまして、なぜ、こんな何の変哲もない人たちを登場人物に選ぶのか。が、ここまででもわかってくるのではないでしょうか。

ケン・ローチ監督は、イングランドのシングルマザーや病気によって働けなくなった人々への行政サービスの不具合となぜ、彼ら彼女らが貧困状態から抜け出せないのかを見事なまでに明らかにしているのですが、コレは、誰にでも起こりうる事であるわけですから、どうしても主人公たちは、スター感が漂っていては、説得力がありません。

有名な役者が一切出てこないのは、この問題に共感をもってもらうためのケン・ローチの演出なんですね。

その辺がネオ・リアリズモなんかが考えるリアリティともまた違います。

それにしても、こういう余りにも身近な問題をコレだけ丁寧に扱って、なおかつ、劇映画としてちゃんと面白くみせてしまうローチ監督の手腕には相変わらず脱帽です。

彼が映画を作り続ける根底には、社会の不合理への怒りを持ち続けているからなのでしょうけども、それ以上に感じるのは、名もなき庶民たちへの温かい眼差しが本作でも横溢している事でしょうね。

一見、ニューキャッスルは冷たい街のようですが、ダニエルの隣に住んでいるアフリカ系の青年など、ダニエルたちを助けてくれる人たちが少なからず出てきます。

こういう善良な人たちの良心を描いているところが、ケン・ローチの素晴らしさだと思います。

ラストシーンはサラッとしてますが、見終わった後にズシンと来る重さが見事でしたね。

もっと多くの人に彼の映画を見てもらいたいものです。

ちなみに、本作はカンヌ映画祭パルムドールを受賞しました。

 

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打ちのめされましたね。。

エドワード・ヤン『牯嶺街少年殺人事件 A Brighter Summer Day』

 

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私はコレをVHSで見たんですが、残念な事に画面が不鮮明で、夜の場面が多い映画なので、夜のシーンが悲劇的なまでによく見えず、作品の価値が半分以下になっていて、余り楽しめませんでした。

しかし、ヤンが亡くなってから、作品のデジタルリマスタリング作業が進み、2017年に本当に久しぶりに劇場上映される事となり、それを見る事が出来たんです。

 

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こういうシーンがホントに多く、VHSでは真っ暗になってしまうんです。。

 

それによって、とてもわかりづらかったストーリーがかなりわかりやすくなり、登場人物の判別がなかり容易になりました。

本作は、まず、主人公が建国中学校(台北に実在する中学校です)の夜学部に通っているため、夜のシーンが多いんで、わかりにくい場面が多い。

 

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デジタル リマスタリングでこんなによるのシーンが鮮明になりました!

 

また、登場人物が大変多く(作中で、「小公園」のリーダーであるハニーが『戦争と平和』に感銘を受けたというセリフが出てきますが、そこまででないせよ、ホントに多いです)、コレがかなりキャメラが引いた絵で大半を見せるので、顔が判別しづらい(小さいテレビで見てしまうとかなりキツいです)。

 

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「小公園」のリーダー、ハニーと小明のは鯖の再開シーンなのに、こんなに遠くから撮るんです。

 

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ちょっと悲しげで利発そうなハニーの登場シーンがもっと多かったらなあ

 

複雑な人間関係や、少年たちの抗争での敵対関係がわからないと、ストーリーを追うのが結構ツラい作品なのですが、ブラウン管テレビでVHSで見てしまうと、かなりわかりづらいです。

私もVHSを見た段階でこの話の構図を理解するのがホントに大変でした(笑)。

とは言え、本作が上記の理由でわかりづらいのは、実は、デジタルリマスター版でも完全に解消されるわけではないです。

というか、エドワード・ヤン監督は、このお話の全体像が、4時間も見ているうちに、ディテールがドンドン失われていく事自体、いいのだ。とすら考えているフシがありますよね。

本作は、シンプルに言ってしまうと、1960年に実際に起こった建国中学校夜学部を退学になった少年が、同じ夜学部に通っていた女子生徒を刺殺してしまうまでの顛末を描いているわけですが、それに、4時間というかなりの時間をかけているんですね。

 

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ホンモノの建国中学校。

 

しかも、決して、親切でわかりやすい語り口ではありません。

彼は、本作を単なる「少年殺人事件」として描きたくなかった事が、本作をこれほどの長編にしてしまったんですけども、中京内戦が共産党の勝利に終わり、蒋介石率いる国民党は、台湾に逃げてしまい、これを「中華民国」としたという、激動の歴史を丸ごと描こうとしたんですね。

しかし、ヤン監督は同時に、それをすべて隅々まで描くことなどできないし、理解などできないんだ。という事を描いています。

エドワード・ヤン監督は、一貫した演出哲学があって、それは、どの登場人物にもある一定の距離感を保ち続け、決して、内面に入り込んでいくような事をしないんです。

本作でも、室内撮影に特に顕著ですが、ある部屋を撮影するとには、ほとんどキャメラがその隣の部屋から覗くように置かれていて、人物たちに決して寄っていきません。

 

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本作の典型的なショット。隣の部屋から撮っていて、右側が襖がしまっていて、全体が見えないように撮ってますね。

 

「小公園」(建国中学校夜学部の生徒はこちらに所属します)と、敵対する「215」という不良少年グループの抗争が、次第にエスカレートし、とうとう日本刀を振り周りでの凄絶な殺し合いに発展しますが、これすら、キャメラは寄っていかず、闇夜の中で何が起こっているのか、敢えてハッキリと写そうとはしません。

 

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ハニーが敵対グループ「215」のリーダー、山東に殺されてしまったことが抗争を激化させる。

 

また、主人公の張小四(友人や家族は更縮めて「スー」と呼びます)の父親が、数日間不可解な拘束と取り調べを受けるのですが、コレもなんの説明もしない。

ただ、1960年当時の台湾社会が、とても不安定で不穏な空気に包まれていた事は、わかるんですね。

 

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主人公張震(小四)と小明

 

ある程度、台湾の歴史を知っていると、台湾が日清戦争によって、日本の領土となり、1945年まで日本領であったこと(だから、日本刀が出てくるわけです)、国民党の敗北によって、中国大陸から、膨大な中国人が逃げてきて、その人たちが「外省人」と呼ばれ、それ以前から台湾に住み続ける「内省人」と対立関係が生まれていた事は知っていますが、それをヤン監督は、仄めかすように描いています。

 

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転校生の小馬の部屋。父親が軍人なので、裕福である。何かやんちゃをしてしまい、夜学部に入ってきたのです。

 

主人公の張一家は、上海から逃げてきた外省人でして、台湾政府内に友人がいる事を頼りに、要するにコネを頼りとするのですが、コレがうまくいかなくて、経済的にも社会的にも明らかに困っています。

 

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小四の父親が仕事が次第に苦境になっていく姿が痛々しい。

 

小四少年もその事を薄々感じ取りながら生きているんですが、彼も不良少年グループの世界にも、明らかにコネによってのさばっている現実を目の当たりにします。

この不条理への怒りが、やがて殺人という悲劇に結実してしまうのですが、この小四の心の動きにヤン監督はむしろ距離をとって入り込んでいきません。

監督は何かわかったかのような同情を登場人物たちにするのではなく、彼もまた、この悲劇を理解しようとしており、その事を観客にも求めているのでしょう。

 

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 このシーンは辛いですね。。

 

安易な同情と紋切り型な図式化は、複雑な台湾社会への理解を狭めてしまう事を警告するように、暗くて、人物の判別も難しくなるほどのキャメラアングルで敢えて撮ったのだと思います。

それにしても、4時間にも及ぶ作品であるのにもかかわらず、ダレることもなく見せてしまうエドワード・ヤンの演出力の高さには、驚かざるを得ません。

ゆっくりと、そして、確実に零落していく中国大陸から移住してきた、インテリ家族(かなり頭の良さそうな小四が昼学部の入学試験が良くないので、夜学部に入ってしまうという不可解な出来事から、ゆっくりと悲劇に向かって転げ落ちていくのです)の悲劇複雑なと台湾社会が重層的に絡み合って生まれた、重く、考えさせられ、打ちのめされる名作。

 

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