小津的なテーマをヴィスコンティが撮ったら、こうなります。

ルキーノ・ヴィスコンティ『家族の肖像』

 

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 趣味で「家族の肖像」をコレクションする老教授。

 

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とても変わった映画です。

というのも、バート・ランカスター演じる老教授のアパートメントから一切出る事がありません。

そこにやってくる、シルヴァーナ・マンガーノ演じるイヤミでグイグイ来すぎる一家や彼女の恋人であるヘルムート・バーガー(どうも、1968年の学生運動に深入りしてしまった、元左翼学生のようです)が家にやってくる事で起こる出来事のみを描くという、かなり特異な手法で撮られた作品です。

 

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シルヴァーナ・マンガーノが絶好調です。

 

しかも、久々の現代劇です。

それにしても、上品で温厚な教授に対して、マンガーノたちのお下品なキャラクター造形のすごいこと(笑)。

ちなみに、ここでのマンガーノの夫はファシストの大物ですから、バーガーは、ファシストに囲われている元左翼という事になります。

とてもマジメな作品なのですが、ヴィスコンティは時々ギャグなのかガチなのか判然としないところがあるのですが、ここでのマンガーノとその娘役のメイクは、ほとんどフェリーニのキャラです(笑)。


バート・ランカスターは終始マンガみたいなマンガーノ一家の騒々しさに振り回され続けるのですが、ランカスター老教授は、マンガーノの愛人のコンラッドは美術の教養も豊かであることから、次第に彼に興味を持ち始めます。

 

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ベルリンで学生運動をしていた若者に魅かれる老教授のランカスター。

 

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 ギャンブルによる借金のトラブルを抱えるバーガー。

 

しかし、老教授と若者たちとの価値観のギャップがものすごく(教授のアタマの中は過去で一杯です)、やはりついていけないのでした。

 

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回想にのみでてくるクラウディア・カルディナーレ。老教授の奥さん。

 

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これまた回想のみに出てくるドミニク・サンダ。老教授の母親。

 

この映画が教授のアパルトマンから一切出ないのは、ヴィスコンティが前作『ルードウィヒ』の撮影の際に倒れてしまい、後遺症で半身不随となってしまったためです。

つまり、彼の動ける範囲で演出し、撮影するために舞台が極端に限定されていたんですね。

全体的に死のイメージがあるのも、彼自身、もうそれほど生きることができない事を自覚していたのでしょう。

ヴィスコンティの最後の傑作。

 

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 ここに奇妙な「家族」が出現するが。

 

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スゲエわ、アントニオーニ(笑)。

ミケランジェロ・アントニオーニ『L'eclipse

 

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オープニングがいつもカッコいいんですよね、アントニオーニは。

 

邦題は誠に不愉快!

『暴力脱獄』(原題Cool Hand Luke)と並ぶ、最悪邦題と言ってよい(このタイトルのせいで、ツタヤでは、アクション映画のコーナーに平然と置いてある)。

当時、撮る映画がどれもこれも傑作という絶頂期のアントニオーニに対して、余りにも失礼という他ないです。

直訳の『蝕』の方が、ずっと素晴らしいのではないか。

アラン・ドロンにも失礼でしょう。

じゃあ、この前に『サムライ』がヒットしていたら、『サムライはひとりぼっち』にでもしたのだろうか(ちょっとこのタイトルの映画は見てみたい気がするが)。

閑話休題

何事にも飽きてしまう、モニカ・ヴィッティ演じるローマのブルジョワジーの生活が描かれています。

 

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 婚約を反故にしてしまうヴィッティ。

 

友人宅でのアフリカ人のモノマネ(ホントのアフリカの音楽です)、別れたリカルドがいつまでもつきまとったり、自家用セスナ機に乗ったり、そして、証券取引所に行ったり。

 

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なかなかぶっ飛んでます。

 

ある日、株価が暴落しました。

アラン・ドロン演じる証券会社の社員もかなりの損害を出したようです。

 

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コンピュータが導入されるまでは、ホントにこうやって株を売買してたんですよ。

 

ヴィッティの母親は、ドロンの顧客なんですね。

支払いの回収が始まるんですね。

それにしも、ここでのドロンはホントに野卑だなあ。

そういうどこか下品なところがある役者ではあるんですけども、こんなにドロンを下品に撮った映画もないのではないか(笑)。

最初の90分くらいは比較的普通に作っていて(といっても、凡庸に作ってるって事ではないですよ)、アレッと思うくらいなんですけども、ココからが真骨頂です。

異様なまでにガラーンとした町。

 

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街全体がオブジェ作品みたいになってしまうんです。

前半は、証券取引所が出てきますから、過剰なまでに人間が出てくるのですが、ドロンの車が酔っ払いに盗まれて、暴走させた挙句、川に転落して、引き上げられるシーンから、唐突にほとんどヴィッティとドロンしか登場人物がいなくなります。

 

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イタリアじゃないみたいです。。

 

唖然とする事必定です。こんな展開の映画、見た事がない(笑)。

ずっと、「ゴーッ」という音がうっすら入っているのが、リンチみたいです(影響受けてるのかな?)。

この、なんとも言語化しづらい、アントニオーニ的としか言いようのない、観客を置いてきぼりにする映画をご覧ください。

 

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『地獄の黙示録』と『キングコング』をマッシュアップ!

ジョーダン・ヴォート=ロバーツ
キングコング 髑髏島の巨神』

 

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完全に『地獄に黙示録』(笑)。

 

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あまりのデカさに呆然!

 

すごい!ブラックサバス「パラノイド」が爆音でかかる中を髑髏島をヘリで爆撃(一応、地質調査してるのですが・笑)!

面倒な前フリはサッサとかたづけて、コングのいる南太平洋の孤島、髑髏島に調査に行く場面に持っていくテンポのよさが素晴らしい。

娯楽映画はこうでなくてはなりません!

ヴェトナム戦争の香りがプンプンする設定もいいですよね。

爆撃シーンは、当然、『地獄の黙示録』へのオマージュです。

しかも、そのヘリコプター部隊はコングとの最初の接触で壊滅!

 

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島の守護神であるコングの強いのなんのって!

 

とにかく、ほれぼれするほどコングが強い!

辛うじて3つのヘリの生存者達が集まりました。

隊長のサミュエル・L・ジャクソンは自分の部隊が壊滅された事に激怒し、調査隊の隊長であるジョン・グッドマンに銃を突きつけます。

 

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復讐の鬼と化すサミュエル・L・ジャクソン。  

 

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実は地質調査はウソで、初めから島の怪物たちの調査に来ていたのだ!

 

グッドマンは、「第二次大戦中にこの怪物を見たけども、誰も本気にしてくれなかった。地質調査というのはウソで、初めからバケモノの捜索を行うための調査だった」と真実を話します。

ココからがこの過酷なお話しの始まりです。

 

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この島の調査に雇われたイギリス人のコンラッド。『地獄の黙示録』の原作者と同じ名前です。

 

この島の生物はどれもこれも桁はずれにデカく、人間は最弱です。

途中がめちゃ面白いので一切割愛しまして(笑)、結論から申しますと、本編は第1章と言ってよく、この島の謎は全く解明されていません!

 

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このオッさんが途中から出てきますが、見てのお楽しみです!

 

テンポのよい話し運び、次回を見たくさせてしまう終わらせ方、とにかく、ツボを押さえた演出、ヴェトナム戦争という設定のうまさ、そして、コングの見事な大立ち回りと、サービス満点なアクション娯楽映画でございました!

次回は映画館で見なくては!

 

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美女に優しいのは、キングコングのお約束ですね。

 

 

『ツインピークス』の要素はここにすでに出来上がっていました。

デイヴィッド・リンチブルーベルベット

 

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オープニング。青いカーテンを赤くしたら、ブラック・ロッジですよね。

 

コレはホントに何度見たのかわからないほど見ましたね。

リンチの作品で一番好きな映画は何ですか?と言われるとやっぱりコレです。

彼の作品で一番最初にハマったのは、あのテレビドラマ『ツインピークス』がキッカケでしたが、ほの主演が同じカイル・マクラクランなので、レンタルビデオで借りて見たんですけども、たまげましたね(笑)。

なんだこの映画はと(笑)。

 

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この呑気な映像にロイ・オービソンが歌う「ブルーベルベット」がかぶるのですが。

 

ツインピークス』と同じくサスペンス仕立てなんですけども、大学生役のカイル・マクラクランが、お父さんのお病気のお見舞いに行った帰りに、耳の片方を拾う。というところから、好奇心でアレコレ調べ始めるというところが、何やら青春ムービーなのですが、そこから先がリンチなのですね。

 

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耳を拾うっていう発想がすごい。。

 

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恋人のローラ・ダーンと興味本位で片耳事件を調べはじめる。

  

その片耳を切り落とされた男と息子が人質にされていて、言うことを聞かされている人妻がいるんです。

その女性を奴隷にして言うことを聞かせているのが、デニス・ホパーなものだから、大変なんですね(笑)。

 

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デニス・ホパー演じる最高のキャラ、フランク・ブース!

 

ホパーが演じるフランク・ブースという男は、なぜか酸素ボンベを常に携帯していて(笑)、タイトルにある通りの青いベルベットが好きなんです。

まあ、ベルベットフェチなんですね。

その女性を演じているのは、ロベルト・ロッセリーニイングリット・バーグマンの間に生まれたイザベラ・ロッセリーニです。

 

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ロッセリーニ本人に歌わせてますが、めちゃ歌がヘタです(笑)。

 

彼女は売れない歌手なんですけども、彼女の家にマクラクランが興味本位で浸入してしまった事から、彼の住む、ツインピークスよりも更に田舎町にとんでもな偶然病的な連中がいる事が判明していくんです。

 

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ロッセリーニの自宅に潜入してマクラクランが見てしまったものは?

 

どうですか?

コレだけでも『ツインピークス』とかなり似ていると思いませんか?

マクラクランの彼女役はローラ・ダーンですが、このマクラクランとダーンは、そのまんま『ツインピークス』のジェームズとドナになりますよね。

 

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だんだんとリンチの変態ワールドに取り込まれていくマクラクラン。

 

ここではクーパーに当たるのは、ダーンのお父さん(刑事です)なのでしょうか。

あと、本作が重要なのは、音楽として初めてアンジェロ・バダラメンティが起用された事でしょうね。

リンチとバダラメンティのコンビは映画では『マルホランドドライブ』まで続くことになりますけども(『ツインピークス』の新作手間再びコンビが復活しました)、あの独特なリンチの世界観を構築する上で、バダラメンティの音楽を欠かす事は出来ないでしょう。

バダラメンティなのか、リンチのアイディアなのか私にはよくわからないのですが、ロイ・オービソンの曲を狂気や暴力のシーンに使うという発想は、キューブリックが『時計じかけのオレンジ』で「雨に歌えば」を歌いながら主人公のマルカムが男性を殴るシーンよりも強烈なインパクトがあります。

 

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この「エア・オービソン」のシーンは、一度見たらもう忘れられません!

 

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こういう、映像と音楽をシンクロさせていく力は、フェデリコ・フェリーニに匹敵するでしょう。

また、歌姫であるジュリー・クルーズの歌がここで初めて出てくるのも、『ツインピークス』とつながっていきますね。

ただ、『ツインピークス』と違うのは、謎解きはそんなに重要ではなくて、異様な登場人物たちが行う奇行に力点があるのが、只者ではないんですね(笑)。

リンチは本作の前に『砂の惑星』というSF映画を撮っていて、批評家から駄作の烙印を押され、興行的にも大惨敗して、ドン底におりました。

最近明らかにされましたが、このSF小説の金字塔的作品の映画化を熱望し、ものすごい準備をしていたのが、アレハンドロ・ホドロフスキーでした。

制作寸前まで話が進んでいたのですが、すべてご破算になっていく過程が『ホドロフスキーのDUNE』というドキュメンタリー映画で明らかになっているので、是非ご覧ください。

話が逸れましたが、映画監督として危機的な状況を救ったのが、大物プロデューサーのディーノ・デ・ラウレンティスで、彼がいなかったら、リンチはもう映画を撮る事は出来なかったかもしれません。

かなりの低予算で、撮影期間も短く、役者たちのギャラも相当安かったそうですが、それでもこの傑作をモノにして、現在につながっていく、1950年代のアメリカ文化への偏愛と、そのダークサイドを描いていくという、リンチ独特の美意識が確立し、なおかつ、興行収入も確保したという、リンチ復活のキッカケとなった傑作。

リンチ入門編としても最適です。

 

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 いつの時代なのかわからないのも、リンチ作品の特徴ですね。

 

 

アントニオーニ作品としては、見やすいですよ。

ミケランジェロ・アントニオーニ『夜』

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白黒で無機的には映し出される高層ビル群が不穏で美しい。

 

末期ガンの友人のお見舞いにいく、マルチェロ・マストロヤンニジャンヌ・モロー(結局、友人は亡くなってしまいます)。

 

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マストロヤンニは白黒がホントに似合いますね。

ここでの彼の役は、気鋭の人気作家、ジョヴァンニ・ポンターノです。

 

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フェリーニ作品でのてんやわんや監督のグイドとは違っていますね(ちなみに『81/2』の方が後に制作されています・笑)。

作品としては、『甘い生活』のマルチェロのその後にも見えますね。

モローは、『死刑台のエレベーター』みたいに今度はローマの夜ではなくて、昼間のミラノにそぞろ歩きをしています。

 

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アントニオーニは、あえてルイ・マルの代表作のパロディみたいな事をモロー本人にさせてパロディ的に反復させながらも、全く異質な作品に持っていくんですね。

そういう所がやはり並大抵ではない。

マルの作品に漂う虚無感とアントニオーニのもつ空虚は何か違っていますね。

マストロヤンニとモローの夫妻は、特に対立しているわけでもないし、むしろ、マストロヤンニは、作家として成功している人で、前途洋々には見えます。

 

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その2人のの茫漠とした不安の原因についての説明は最後までありません。

言って仕舞えば、結婚倦怠期ではあると思いますが(笑)、そういうほのぼのとしたものを描こうという気が全くないのがアントニオーニです。

どこか実存主義的ですね。

マストロヤンニがパーティで出会った、富豪の娘(モニカ・ヴィッティ)と出会ってから、物語は動き始めます。

 

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フェリーニの『甘い生活』と描いているものはかなり似ている作品だと思うんですけども(それは主演が同じだから。という事だけではなく)、受ける印象はまるで違います。

それは、フェリーニはどこまで言っても個人の心情を中心に描こうとしているのに対して、アントニオーニには、社会批評があるからでしょう。

 

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アントニオーニが撮ると、高層住宅もSF映画みたいになってしまいます。

 

『赤い砂漠』での不気味な工場のように、本作のオープニングに映し出させるミラノの高層ビル群への冷徹な眼差しは、明らかに急激なイタリアの戦後復興への批判を感じます(アントニオーニは、イタリア共産党の党員でした。後に『中国』というドキュメンタリー映画を巡ってのドラブルで、除名されてしまいます)。

高度経済成長期のイタリアの人々が、裕福にはなっていくけれども、何かココロが置いてきぼりになってしまった様子をある日の夜を中心に描いた小傑作。

 

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『赤い砂漠』や『欲望』よりも、本作から入った方が、アントニオーニは入りやすいかもしれません。

 

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アントニオーニはフェリーニと対比して見ると面白いです。

 

 

 

 

今見ると、SF映画のようにも見える傑作。

ミケランジェロ・アントニオーニ『赤い砂漠』

 

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不気味なオープニング。

 

オープニングが醸し出すコワサが尋常ではありません。

SF作品ではないと思いますが、映像からビンビン伝わるディストピア感がものすごいものがありますね。

 

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ホテルの廊下もアントニオーニが撮るとこんなに無機質になってしまいます。

 

荒涼としたロケーションが、全編にわたって素晴らしいです。

工場の騒音や船の汽笛がコレを増幅させます(音楽らしいものはオープニングにしかなく、これらが事実上のサントラですね)。

 

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工場というものをこんなに禍々しく撮った映画はないのではないか。

 

見ていると分かりますが、イタリアも日本と同様に、1960年代に経済成長期に入っていて、急速な工業化が進んでいるようです。

 

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圧倒的な存在感のあるモニカ・ヴィッティ

 

しかし、アントニオーニは社会派的な観点からそういうものを描かず、あくまでも、どこか寓話的でSF映画的ですらある、独特の演出で描いているのが、やはりさすがと言えるでしょうね。

 

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邪悪で醜悪な怪物のような工場。

 

よって、現在の目から見ても全くったく古びないし、実に新鮮な映像です。

伝染病に感染している恐れのある大型貨物船のシーンは、とても隠喩的で、晩年のタルコフスキーの作品を思い起こさせます。

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こういうショットは晩年のタルコフスキーに似ていますね。

 

ヴィッティが霧の中を車で走ろうとする辺りから、彼女のもとも病んでいた精神が少しずつ破綻し始めます。

 

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ココからが本作の真骨頂ですけども、ココからは実際に見てください。

後に、ウディ・アレンと組んで、一連の傑作を生み出していく、撮影監督カルロ・ディ・パルマの色調を抑えた映像は見事です。

 

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そして、アントニオーニ作品のミューズと言ってよい、モニカ・ヴィッティの存在感が圧倒的で、彼女なくして、本作は成立しないと言ってよいでしょう。

 

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また、かなりキツめの電子音楽が使われているのも、本作をまるでSFの映画のようにしております。

現代人の根源的な孤独感や不安を冷徹に描いた傑作。

 

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ゴダールはストーンズに興味ないです(笑)。

ジャン=リュック・ゴダール『ワン+ワン』

 

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 みんな若いですね。

 

一見、ローリング・ストーンズの名作アルバム、『べガース・バンクェット』のメイキング映画見たいな体裁ですけども、ゴダールローリング・ストーンズにも興味なさそうというか、ロックのことなんてどうでもよかったのではないでしょうか。

ストーンズのメンバーが本作のメインとなる、「Symphaty for a Devil」を作っている映像(ワザと退屈に撮っています。興味がないからなのですが)に、ストーンズと無関係な過激な政治のナレーションが入ったり、唐突にアフリカ系アメリカ人がとつぜんアジテーションをするの映像に変わったり。と、相変わらずのゴダールですけども(なぜ、ここまで非商業的な映画を作れるのかがすごいですよね・笑)。

 

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結果として、最晩年のブライアン・ジョーンズが写っている映像となりました。

 

アンヌ・ヴィアゼムスキーがひたすら政治的な内容の質問責めになっている(単に女優を困らせて楽しんでいる?)シーンの方がずっといきいきしてします。

また、ストーンズのメイキングシーンは、ずっと、停滞しているのですが、黒人のパーカッションを入れて、ニッキー・ホプキンズがピアノに変え、演奏がガラッとよくなるんですけども(要するに発表された演奏に近づいているんですけども)、なんの説明もないです。

この時代のゴダールをよく、「政治的」とか言われるんですけども、ホントでしょうか。

 

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唐突に挿入される、アンヌ・ヴィアゼムスキーのシーン。

 

要するに過激な映像のコラージュに見えます。

また、黒人に朗読させている黒人音楽論も相当に観念的で、およそ黒人音楽が好きな人でもありませんし、ブラックパワーにも興味なさそうです。

 

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ゴダールは何者にも影響されない。

 

むしろ、告発しているのは、映像と音響それ自体がもつ暴力性でしょうね。

とにかく、コレはストーンズのアルバムのメイキングを映したドキュメンタリーでもなんでなく(笑)、相変わらずのゴダール映画以外の何者でもないのでした。

 

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ちなみに、映画とは関係なく、このアルバムはストーンズの中でも傑出した作品となりました。