『シン西部戦線異状なし』と言ってよいでしょう。

ピーター・ジャクソン

『They Shall Not Glow Old』

 


ピーター・ジャクソンと言えば、かの『指輪物語』3部作という、空前の大作を作り上げまた監督ですが、もともとはB級ホラー映画を撮っていたニュージーランド人監督でした。


そんな彼がトールキンの世界的ベストセラーを映画化する事になった経緯は寡聞にして知りませんけども、ハリウッドの巨匠の1人に登り詰めたジャクソンが、2018年に作ったのが本作です。


邦題は現代の痛烈な皮肉をうまく表現できていないため、表記しません。


1914-19年にわたってヨーロッパを主な戦場とし、当時のヨーロッパの大国同士が総力戦を行い、未だにその後遺症に苦しんでいるとも言える、第一次世界大戦西部戦線をイギリス側の映像(帝国映像戦争博物館所蔵)を使って作られたドキュメンタリー映画です。


そんなものは、今更彼が作らなくても、幾らでもあるのではないのか?と思いますし、ルイス・マイルストン撮った1930年の作品『西部戦線異状なし』という古典的名作もあるわけです。

 

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戦争文学の傑作を原作とする『西部戦線異状なし

 


本作の凄さはその手法の斬新さですね。


『1917』という、奇しくも第一次大戦を扱った作品がほぼ同時期に公開されましたけども、こちらは一兵士の視点を使った驚異的な長回し撮影を行ったという、その手法そのものの奇抜さが目を引く作品なのであって、第一次大戦がどうであったとかという問題は後衛に引いています。


しかし、本作は当時のホンモノの映像です。


ナチスドイツによるユダヤ人などの大量虐殺を実際のアウシュヴィッツ収容所の映像の再構成によって行なった、アラン・レネ『夜と霧』が知られますが、この本作は、当時の手回しで撮影され、音声の一切ついていない白黒映像にデジタル技術による彩色を行い、現在のフィルムの速度に合うように再生させて、1910年代のフィルム特有のピョコピョコした動きを修正し、そこに銃声やタンクの動く音を正確につけ、口の動きを読み取って兵士たちが恰もホントに喋っているかのように声をつけました。

 

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実際のアウシュヴィッツ収容所の映像を世界的に知らしめたアラン・レネ『夜と霧』。

 


彩色程度ならば、1990年代にNHKで制作された力作『映像の20世紀』でもされていましたけども、そんなレベルありません。


まるで、1950年代のアメリカ映画のようなカラーがついていて、何も説明しなければ、第二世界大戦のカラーフィルム撮影と勘違いしてしまうほど精巧です。

 

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しかも、ジャクソン監督の見せ方は巧みで、はじめは正方形の当時のフィルムサイズで従来の再生方法で、戦争直後の、後に地獄の絵図となる西部戦線となる事など梅雨知らず、ティーネイジャーの男の子たちが何十万人も志願しているというシーンを淡々と進めていくんです。

 

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そして、気づかないようにピョコピョコした動きがだんだんと1950年代の映画くらいに動きが滑らかになっていき、それが、西部戦線になると、突然パッとカラーになるんですね。

 

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コレはギクっとしました。このタイミングかと。。


もはや歴史的事実であり、それ自体は腐るほどの書籍、映像がありますから、それを覆すものはありませんし、ストーリーはすでにネタバレしまくってますから、完全にバラしまくりで進めますが、信じられないほど長大な塹壕が作られて、イギリスとドイツが膠着状態となっている、西部戦線の凄惨な現実に実際に参戦した人々の、BBCが録音した証言を元に組み立てていくんですね。

 

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とにかく驚くのは、イギリスがこれほどまでに膨大な映像と証言を残している事ですよね。


これ無くしてピーター・ジャクソンの作品はあり得ません。


残念ながら、日本にはこれほどの記録があるのかというと、なかり厳しいものがあるのでは。。


あと、写っている、ホントに少年たちとしか言いようのない兵士たちの屈託のない笑顔と凄惨な死体の強烈なコントラストをデジタル技術で見せられる、異様な虚構のリアリティが、見る者を混乱させ

ますね。

 

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更にうまいなあ。と思わせたのは、停戦協定が結ばれてからの描写ですけども、本作はドキュメンタリーの形を取った、劇映画だなあと思いましたね(コレは決して本作をディスっている言葉ではない事は見ればわかります)。


あと。


エンドタイトルは是非見てください。


席を立ってしまっては、本作の真骨頂を見逃す事になりますので、ご注意を。


DVDでココは念入りに見たいと思ってます。


ちなみに、本作は監督の祖父に捧げられています。

 

彼の祖父は、第一次大戦時に陸軍に勤務してしました。

 


追伸1

本作で第一次世界大戦には興味を持った方は、デイヴィッド・アテンボロウ『素晴らしき戦争』、フィリップ・ド・ブロカまぼろしの市街戦』もオススメです!

 

追伸2

このドキュメンタリーでは全く言及されてませんが、当時、「スペイン熱」と呼ばれたインフルエンザの世界的な大流行によって死者が大量に出てしまった事が、第一次大戦終結を早めました。

 

本年は第一次大戦終結101年目になりますが、奇しくも新型コロナウィルスという、かなり厄介なウィルスが現在、北半球を中心に蔓延しているのは、不思議な合致です。

 

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ドイツ側から見た西部戦線のドキュメンタリーも見てみたいですね。

またしても見てしまいました!しかも復元バージョンです!

セルジオ・レオーネ『Once Upon A Time in America』補論

 

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この、ただコーヒーを飲むだけのシーンがヌードルスの凄みを表現してますね。

 


実は、完全版を見た後に、更に20分ほどのレオーネが泣く泣くカットしたシーンを補った、ホントの完全版がある事を知りまして、コレはどうしても見たくなり、ワザワザ、ブルーレイをアメリカ版の買いました。


ブルーレイでは日本はアメリカと同じリージョンAになりますので、見るのに問題ないんです。


で、見ましたよ。4時間10分です。『旅芸人の記録』よりも長いのです(笑)。

 

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コレも名シーンですね。


結論から言えば、レオーネの言いたい事は、さすがに本人の納得して行った編集の現行版で言い切っていると思いました。

 

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ヌードルスがトイレで読んでいた小説は、ジャック・ロンドン『マーティン・イーデン』でした。自由な放浪者に憧れている事を暗示してますよね。

 


が、補われたシーンはかなり重要でしたね、やはり。


もう古典的名作になるとは言え、このシーンに関しては具体的には言わない方が良いでしょうね。


前回、ジミー・オダネルの存在を意図的にぼやかしている。と書きましたが、レオーネはそうするつもりはなかった事がわかりました。


コレは言ってもいいと思いますが、大女優になったデボラの女優として活躍するシーンがもともとあったのはとてもよかったです。


総じて、ジミー・オダネル絡みとデボラとの関係がより丁寧に語られるようにレオーネはもともと作っていた事がわかりました。


ラストの謎めいたシーンの伏線が意外な場所に出てきますが、コレは言えません(笑)。

 

 

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この復元は残念なことに、フィルムの劣化が著しく、復元しても相当良くないです。


ですので、この作品見たことない方は、まずは普通に見られる「完全版」をご覧になった方がいいでしょう。


それから見てもこの復元バージョンは十分だと思います。


より復元技術が向上し、現行版とほとんど遜色なくなったら、それが真の完全版と呼ばれるようになるでしょう。

 

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少年時代の美しさを描いた超大作!男の子は必見です!!

セルジオ・レオーネ『Once Upon A Time In America』

 

 

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現行版はレオーネ監督が最終的にオーケーしたバージョンで、なんと、3時間50分もある大作です。

 

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ニューヨークのユダヤ人ゲットー中心としたお話しです。

 


セルジオ・レオーネは、『Once Upon A Time In〜』という映画をもう一本撮ってまして、日本では、昔、『ウェスタン』という、なんとも味気ない邦題がつき公開された、『〜The West』です。


こちらは、タイトル通り、西部劇でして、チャールズ・ブロンソン主演で、ヘンリー・フォンダが悪役という、コレも3時間の大作です。


この2つの映画は、イタリア人監督セルジオ・レオーネアメリカへの愛に満ち溢れた作品なのですが、どちらも映画会社側がカットを加えて公開しており、しかも、本作は時系列を少年期、青年期、老年期に編集し直し、なおかつ大幅にカットを加え、130分ほどの映画にしてアメリカでは公開されたため、惨憺たる評価で、レオーネは大変失望したそうです。


ただ、海外では3時間ほどのカットを加えたバージョンでの公開だったので(日本もそうです)、アメリカでの評価とは違ったのですが、トータルの興行収入は、膨大な制作費を回収するには至っておりません。


完全版。とされる、現在、一般的に見ることのできるバージョンは、レオーネが次回の準備中に急死してからかなり経ってからです。


ただ、インターミッションの入るタイミングを考えると、後半はもっと長かったのでは?と推測されますね(前半2時間40分、後半70分)。

 

 

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最近の映画はインターミッションが滅多に入らなくなりました。

 

 

ちなみに、『〜The West』も、監督の意図した通りのバージョンに現在は戻され、再評価されています。

 

この2作に『夕陽のギャングたち』を加えて、三部作と現在では考えられています。

 

さて。

 

オーソン・ウェルズ黒い罠』に匹敵する無残な編集を受けた本作ですが、死後、ようやく再評価を受け、今日ではレオーネの代表作の一つとなってますけども、なぜ、こんな無残な編集を受けてしまったのか?というのは、多少気持ちはわかります。

 

1920年から1968年という大変長い時間軸を描いている事と、そのための伏線の引き方とその収束が、4時間近い上映時間もあり、見ている側が分からなくなってくる可能性がとても高かったからでしょうね。


コレは映画館で一回見たくらいでは、圧倒的な映像の凄さだけがわかるけども、ストーリーが今ひとつわからなかった。になりかねません。


しかし、VHSの時代になって繰り返し見ることができるようになる事で、コレが解消され、レオーネ監督の言いたい事がようやく伝わってきたんだと思います。


私もコレで3回目ですが、再発見がとてもありました。

 

長大な作品ですが、軸は明確であり、ユダヤアメリカ人のギャングである、ヌードルス(デイヴィッド・アーロンソン)とマックス(マクシミリアン・バーコヴィッツ)の友情を描いた大河ドラマであり、その2人の間にいるデボラという女性が重要です。

 

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ヌードルスとマックスの友情物語です。


メインの登場人物は『ゴッドファーザー』ほど多いわけではなく、ただ、後述しますが、監督が意図的にぼやかして描いていたりしているところがあるので、そこが分かりにくさになると思われます。

 

ですので、本作を説明する上で、2つの観点にわけてみたいと思います。


一つは2人の友情物語とデボラを巡る恋愛物語であり、もう一つがアメリカの暗黒史の一つである、ジミー・ホッファーです。

 

まずは友情物語と恋愛物語ですが、時間軸が3つありまして、少年期(1920年)、青年期(1920年代後半〜1933)、老年期(1968年)に分かれています。


お話しは1968年、老年期から始まります。


すっかり老いぼれ、とっくにギャング稼業も足も洗ってしまったヌードルスが何者かから手紙を送られて、35年ぶりにニューヨークのユダヤ人ゲットーに戻ってきました。

 

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偽名を使い、別人として生きていたヌードルス


彼は幼なじみのファット・モーの店にやってきました。


ファット・モーとは、禁酒法時代に密造酒を飲ませる秘密クラブを共に経営してきたのですが、これまで姿を完全にくらましていたヌードルスが戻ってきて驚きます。


「カネを持っていったのは、テッキリお前だと思っていたんだよ」

 

と、モーは言いますが、そのカネとは、ヌードルスたちが儲けの半分を駅のコインロッカーに入っているカバンにずっと入れて、全員の財産としていたんです。

 

このカネは、実はヌードルスが持ち出して逃げようとした際に既に消えてました。

 

この逃げようとした時、即ち、1933年にヌードルスの仲間が全員死しました。

 

モーを含めて、仲間しかカネのありかは知らないのに消えている。

 

この謎が解けないまま、35年が経った途端に突然の手紙。

 

偽名を使い、別人ととして姿をくらましていたにもかかわらずです。


手紙は墓の移動についてのものであり、彼のギャング仲間であった、マックス、パッツィ、コックアイの移動された墓をヌードルスは見に行くと、墓場には見覚えのある鍵がかかっていました。

 

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左から、パッツィ、コックアイ、そして、マックス。

 


なんと、その鍵が駅のコインロッカーの鍵であり、その中にはカバンがあったんです。


そして、その中には殺人の依頼のための前金がギッシリと入っていたんです。

 

とんでもない大金でした。

 

一体コレはどういう事なのだろうか?というところで回想になり、1920年(ハッキリとでてきませんが、禁酒法1920年に施行されているので、そこから推測できます)、つまり、ヌードルスが少年時代になります。

 

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のぞき穴を「タイムマシン」に使う演出のにくさ!


パッツィ、コックアイ、ドミニクという悪ガキとつるんで、スリなどの犯罪をしていました。

 

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新聞売りの露店に放火する悪ガキ集団!

 

そこにブルックリンからやってきた、マックスという少年。

 

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マックス。悪ガキ集団のリーダーとなります。


ヌードルスたちはいつしか彼と意気投合して、やがてギャングスタになっていきます。

 

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左から、パッツィ、ドミニク、コックアイ、ヌードルス

 


しかし、このユダヤ人ゲットーをシマとして牛耳っているのは、バクジーという男であり、彼らの跳ね返り行為を常に監視していたのでした。


ヌードルスたちは、密造酒業者に接近して、密造酒が警察に絶対にバレないように輸送する方法を思いつき、コレを提案します。

 

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禁酒法が悪ガキ集団をギャング団にしていきます。


コレで見事に運び出した、彼らは一挙に羽振りがよくなります。

 


そこでマックスはある提案をします。

 


「コレからは仕事の儲けの半分は常にこのカバンに入れて、全員の共有財産として、カバンはこのコインロッカーにしまう。そして、ロッカーのカギは、ファット・モーの店に何のカギかは教えずに置いておくこと」

 

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なんと、少年時代に決めていた事だったんですね。

 

しかし、そんな羽振りのよいヌードルスたちをバグジーが許すはずがなく、銃を持って襲いかかり、ドミニクが射殺されてしまいました。

 

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バグジー

 

コレに怒り狂ったヌードルスは、バグジーをナイフでメッタ刺しにして殺してしまい、コレを止めようとした警官まで殺害し、殺人罪によって服役する事になってしまいます。

 

コレが少年期なのですが、ここだけで映画一本分ほどの時間をかけてじっくりと語られるんですね。

 

つまり、本作の一番重要な部分はこの少年時代なんです。

 

ココにエンニオ・モリコーネの胸が一杯になってしまう、あの甘く切ないメロディがタップリと流れるんですね。

 

思春期の少年あるあるが満載で、実はそのディテールが一番見どころなんですよね。

 

後にマックスやヌードルスの一味となるペギーとセックスするために、パッツィが彼女の好物のケーキをアパートメントのドアまでくるのですが、彼女を待っている間にどうしても我慢できなくなってケーキを全部食べてしまうシーン。

 

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本作の名シーンの一つですね。性欲よりも食欲です!


ファット・モーの妹でツンデレ美女のデボラを覗き見するヌードルス

 

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ヌードルスが覗いていたのは、デボラでした。

 

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映画初出演だったという、ジェニファー・コネリー。なんという美少女!

 

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ヌードルスが唯一愛した女性、デボラ。ファット・モーと全く似てません!

 

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デボラは女優を目指します。

 

青年期は、ヌードルスの出所から始まり、マックスたちは、禁酒法という、奇妙な状況を利用して大儲けをし、同時に強盗、恐喝、殺人などの犯罪も行うという、文字通りのサグ・ライフを生きる姿を描きますが、マカロニ・ウェスタンで磨き上げた、リアルなアクション、バイオレンス描写は凄まじいものがあります。

 

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密造酒を飲ませる秘密クラブの経営が彼らの資金源です。

 

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拷問されるファット・モー。

 

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至近距離から射殺などの容赦ないバイオレンスはマカロニ・ウェスタン仕込みです。

 

しかし、この第一次大戦戦勝国としての空前の好景気を背景としたサグ・ライフにおいて、マックスとヌードルスの考え方の違いがだんだんと明確になってきます。

 

ニューヨークで最大の力を持っている犯罪集団はなんと言ってもイタリア・マフィアです。

 


マックスはフランキー・マノルディというマフィアのボスの庇護のもとで仕事をしていくべきであると考えていたが、ヌードルスはフランキーなど信用できない。いずれ、取り込まれ、殺されてしまうと考えていました。

 

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マフィアの大物、フランキー。ジョー・ペシはこういう役がピッタリです。

 

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宝石強盗の依頼のシーンの卑猥なトークがすごいですね。名優たちのうまさが光ります。


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フランキーの兄弟分でシカゴを拠点とする、ジョー。バート・ヤングは頭の悪い下品な役がやらせると天下一品ですね。

 

 

ココに2人のミゾが次第に出てくるんですが、彼らの繁栄は長くは続きません。


1933年に禁酒法は終わってしまいます。


マックス一味の収入のメインである秘密クラブが閉店せざるを得なくなります。


そこでマックスはとんでもない計画を考え出すのですが。


さて、もう一つの論点は、アメリカ暗黒史です。

 

そんなに多くのシーン出てきませんが、労働組合のリーダーである、ジミー・オドネルという男が出てきます。

 

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アンマリ印象に残らないキャラですが、実はアメリカ暗部を代表する大物になっていきます。


彼は、1968年にもヌードルスが見ているテレビのニュースにチラッと出てきます。

 

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全米トラック協会の委員長となった、オドネル。

 


このお話しはフィクションですが、このオドネルは明らかに実在の人物をモデルにしています。


それは、全米トラック運転手組合のリーダーとして、絶大な権力を振るった、ジミー・ホッファです。

 

ホッファが組合のリーダーとなるために多くのマフィアなどの犯罪組織が支持したと言われています。

 

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ホンモノのジミー・ホッファ。フィクサーとして政財界に君臨しました。


アメリカの物流の中心であったため、この組合を通じて政財界へ絶大な影響を発揮したましたが、ケネディ政権の司法長官、ロバート・ケネディが、マフィアやラスベガスのカジノ経営者たちとの癒着を暴くべく行動を起こし、長きに渡る法廷闘争に及びましたが、1975年に行方不明になり、1984年に法的に死亡となりました(遺体は未だに見つかってません)。


このジミー・ホッファをモデルとしたのが、ジミー・オドネルと思われます。


ヌードルスの回顧で、ジミーは経営者に果敢に戦う労働組合として出てきます。

 

経営者が雇ったギャングがジミーを拷問してストをやめさせようとしているんですが、経営者は呆気なく折れてしまい、ギャングは拷問をやめて去ってしまいます。

 

なぜかと言いますと、経営者もまたギャングに恐喝されていたんですね。


その仕事をしていたのが、なんと、マックスたちだったんです。


お話ではハッキリとは言ってませんが、民主党の大物議員がギャングを使って、労働組合運動を推進していた事をにおわせるんです。


つまりですね、民主党ルーズヴェルト政権は、労働組合AFL-CIOの支持を受けて樹立しましたが、そこには、マフィアなどの犯罪組織が大きく絡んでおり、それは、1968年のジョンソン政権も変わらないというの事を暗に示しているんですね。


マックスたちは、民主党の大物議員に接近して、労働問題を組合側について解決する役割を担っていた事が想像されます。


ヌードルスは、マックスのこのような政治への接近に反感を持っていたんです。


当人たちの思惑をはるかに超えた巨大な権力闘争が本作のバックボーンにある事をレオーネは匂わせてます。


しかし、オドネルやマックスたちを手下扱いしていた、マフィアの大物フランキーが何をしているのかを敢えてハッキリとは描いてないんです。


フランキーとオドネルが急速に接近したであろうことはチラッとだけ出てきます。

余談ですが、21世紀に入ってから、「私がホッファを殺した」という衝撃的な告白本が出版され、マーティン・スコシージがコレを原作とした映画がNetflixで『アイリッシュマン』というタイトルで公開されました。

 

主人公の殺し屋はデニーロが演じており、ジョー・ペシも出演しているので、明らかに本作へのオマージュがあるものと思われます。

 

閑話休題

 

とはいえ、本作はヌードルスとマックスの友情物語があくまでもメインであり、そちらには立ち入らないのが本旨ですね。

 

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そして、そこに、デボラという美少女/美女が絡んでくるという、ある意味、ベタと言っていいほどのドラマを大仕掛けに、見る側はトコトン酔いしれるわけです。

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青年期以降は、エリザベス・マクガヴァンが演じます。最近だと、『ダウントン・アビー』でグランサム伯爵夫人コーラ役が良かったですね。


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ヴィスコンティのような豪華なシーンがすごいですなあ。

 


正直申しますと、本作のサスペンスの部分は圧倒的な回想シーンによってそれほどたいした問題ではなくなっていって、途中でオチはある程度見えてしまいます。


そういう甘さがある作品なのですが、レオーネが見せたいのは、やはり、「かけがいのない、輝かしい少年時代の思い出」なんです。


ですから、青年期のサグ・ライフは一見豪華で、エロとバイオレンスの嵐ですけども、少年期よりも見劣りがします。

 

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マカロニ・ウェスタンのりありすてぃなバイオレンス、ヴィスコンティの豪華絢爛とデカダンス、そして、ベルトルッチマジックリアリズム的な表現、トルナトーレの『ニューシネマパラダイス』のような美しさ。という、イタリア映画のホラー映画以外のものが全部詰め込まれた、セルジオ・レオーネの人生の総決算のような作品です。

 

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チョイ役ですが、ダニー・アイエロ演じる、腐敗しきった警察署長が良いです(笑)。


ヴィットリオ・ストラーロと並びに称せられるイタリア人撮影監督、トニーノ・デリ・コリのクレーンを多用した移動撮影は映画という贅沢を存分に堪能させてくれますし、レオーネとは何度もコンビを組んでいる、音楽のエンニオ・モリコーネの音楽は彼の最高傑作の一つと言って良いでしょう。

 

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本作はDVDで最低2回は見て、映画館で酔いしれたいものです。

 

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ヒトラーとチャップリンは紙一重なのです。

トッド・フィリップス『JOKER』

 

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アーサー・フレックはいかにしてジョーカーとなりしか。


「このモンスターはいかにして生まれたのか?」を作って大失敗した双璧が『スターウォーズ』1~3部と、『羊たちの沈黙』の前日譚、『レッド・ドラゴン』でしょう。

 


それぞれ、ハリウッドでも最強クラスの悪役である、レクター博士ダース・ベイダーが如何にして生まれたのか?を描いた作品なのですが、それを見せちゃったら、種明かしした状態で手品を見ているのと同じなのであって、どう上手くやっても面白いはずがありません。

 


本作の大前提にあるのは、どう考えても、クリストファー・ノーランが作った『バットマン三部作』の第2作目、『ダークナイト』で、ヒース・レジャー演じるジョーカーの鬼気迫る、狂気のキャラクターでしょう。

 

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ダークナイト』が遺作となった、ヒース・レジャー

 


しかし、そのタネを明かしてしまったら、やっぱりダメなのでは。。と、私も思いました。

 


が、映画館で見る予告編でのホアキン・フェニックス演じる、アーサー・フレック=ジョーカーは、ヒース・レジャーのソレとは全く違う狂気が漂っていて、単に、ノーラン版の前日譚みたいな安易な企画ではないのでは?という予感がありました。

 


すると、本作が、なんと、ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞をとってしまい(最高賞です)、アメコミをベイスとした映画で史上初めてメジャーな映画祭の大賞を受賞してしまったのです。

 


後で知りましたが、監督のトッド・フィリップスは、初めからホアキン・フェニックスにアーサー=ジョーカーを演じてもらう事を想定して脚本を書いていて、相当な熱量で彼にオファーをかけて出演を説得したそうです。

 


本作の凄さは誰にも分かると思いますが、ホアキン・フェニックスの凄まじい演技ですね。

 

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突然笑い出してしまう障害をもつ、アーサー。

 


あることが原因で、突然笑いが止まらなくなってしまうという障害を持ちながら、ピエロのアルバイトをしつつ、スタンダップ・コメディアンを目指しているというアーサー・フレックという、不運と不幸が車輪のように回転している男を演じているのですが、この男の不気味さは、まず、その、突然笑いだすというところにもあるのですが、極端なまでにガリガリに痩せていて、しかも身体の動きがホントに薄味悪いのです。

 

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こんなに肉体の動きで不気味さを表現したジョーカーはなかった!

 

 

役作りで痩せたり太ったりして、人々を脅かす人は今ではたくさんいますけども、元祖はなんといっても、ハリウッドでは、ロバート・デ・ニーロですが、ホアキンのそれは、その痩せた身体を実に不気味に見せる事を意識しているんですね。

 


痩せたり太ったりの役作りの次元がかなり違っているんですね。

 


この辺からして、ものすごいものを感じます。

 


そして、驚くべきことに、そのデ・ニーロがとても重要な役で出てきます。

 


「マレー・フランクリン・ショウ」という、ソフィスケイトされた、いわば、大人のお笑い番組の司会者である、マレー・フランクリン役です。

 

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デニーロの出演は驚きであった。

 


ココでお気づきになると思いますが、デ・ニーロは、マーティン・スコシージ監督『 キング・オブ・コメディ』で、売れない芸人、ルパート・パプキンを演じていて、彼は、「ジェリー・ラングフォード・ショウ」という番組に出演するために、司会のラングフォード(ジェリー・ルイスが演じてます)を誘拐までしてしまうという、かなり狂気じみたキャラクターです。

 

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ルパート・パプキンの妄想部屋は必見です!

 

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パプキンに誘拐されてしまう、ジェリー・ルイス演じるラングフォード。

 


マレー・フランクリンは、あたかも、パプキンのその後のようにも見えるんですね。

 


そして、アーサーはマレーの番組への出演を夢見ているんです。

 


本作は、まず、『キング・オブ・コメディ』が下敷きにある作品なのです。

 


そして、やたらと上半身裸でテレビを見ているシーンがよく出てきますけども、コレは明らかにスコシージの『タクシードライバー』です。

 

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アーサーのアフリカ系の彼女(ココが微妙なのですが)が頭に拳銃を突きつけて撃ち抜く仕草を手で行うシーンが何度か出てきますが、コレも『タクシードライバー』の名シーンです。

 

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つまり、アーサーは、ルパート・パプキンであり、トラヴィスでもあります。

 


しかも、ポール・カージーでもあり、ポパイ刑事でもあるのです。

 


この2人は、それぞれ、『狼をさらば』、『フレンチ・コネクション』の主人公ですが、本作には、ほとんどこの2作と同じシーンがあり、そのもたらす結果がもとの作品よりも大変な事になってしまいます。

 

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ポール・カージー

 

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ポパイことドイル刑事。

 

 

『キング・オブ・コメディ』以外の3作はすべて1970年代に公開された映画であり、すべてヴェトナム戦争で社会的にも経済的にも荒廃した、ニューヨークを舞台にしているてんで、4作は共通しています。

 


つまり、本作の舞台ゴッサム・シティは、1970年代のニューヨークなんです。

 


しかし、本作の更なる凄さは、単なるノスタルジーやレトロ趣味なのではなく、この時代に仮託して、現在のアメリカそのものを描いている事なんですね。

 


レッド・ドラゴン』や『スターウォーズ』エピソード1~3がつまらないのは、レクターの狂気、ベイダーの悪への転落は結局のところ、ファンタジーだからなのですが、本作は社会的背景があるリアルとジョーカーの誕生が固く結びついているからです。

 


つまり、本作は、DCコミックや1970年代に仮託した、「ファシズム前夜」を描いているのです。

 


では、アーサーの狂気の根底にあるのは、一体なんなのか?と言いますと、「自分が存在しているかわからない」という事なんです。

 


しかし、「それがだんだんと存在を認められるようになってきているので、嬉しい」とアーサーはカウンセラーにいうんですね。

 


やってしまった事は、不可抗力だったんですけども、それによって、ゴッサムの市民が「よくやった!」「誰なの?」みたいな事になってくるんです(このお話しは、ネットや携帯が出てきませんし、テレビがブラウン管です)。

 


これまで、説明しておりませんでしたが、アーサーは、先述の突然笑い出してしまう障害もあり、精神的な問題と経済的な問題を抱えていて、市の福祉サービスとして、無料の処方薬とカウンセリングを受けています。

 


アーサーは、単に売れない芸人。というだけではなく、社会的に存在していないような扱いなんですね。

 

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私は存在しているのだろうか?

 


まるで、若い頃、売れない画家をやっていた、アドルフ・ヒトラーのようです。

 

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ピエロで生計をたてながら、コメディアンとしての腕を磨く。

 


その事へのルサンチマンと彼の狂気が結びついて、あの狂気の犯罪者、ジョーカーとなっていく様が、これでもかこれでもかと描かれているんです。

 


それは、出生の秘密、幼少期の記憶にまで及ぶんですね。

 

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この階段が実に効果的に使われていますが(芸能事務所の階段もそうです)、オリジナルはコレでしょうか。

 


しかし、それだけではないところが、本作の更に一筋縄ではいかないところなんです。

 


見ていて気がついてくると思いますけども、一体、どこからが現実でどこからがアーサーの妄想なのかが、だんだんわからなくなってくるんです。

 


ソコが実は一番コワい。

 


実は『キング・オブ・コメディ』も、果たしてどこまでが現実で、どこからが、パプキンの妄想なのかが、判然としません。

 


売れっ子司会者、ラングフォードに、自分のネタを聞かせるために、自宅でカセットテープに録音するシーンがあるのですが、母親の声がするんですけども、姿が一度も出てきません。

 


このシーンを見た時、私が思い出したのは、アルフレッド・ヒッチコックの傑作『サイコ』を思い出しました。

 

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古典的名作なので、ネタバレしてもよいと思いますが(知っていても面白いのが古典です)、母親は実は白骨死体になっていて、アンソニー・パーキンス演じる青年が母親の格好をして一体化していました。

 


ですので、あのシーン自体が、パプキンの妄想であり、『サイコ』へのオマージュではないのか?とすら思えてきたんです。

 


実は、アーサーも病気の母親と暮らしているのですが、それ自体がアーサーの妄想という可能性すらあるんですね、この作品。ひいい。

 


本作は、作品の構造上、「狂気と妄想の反復」となっているので、続編など作りようもなく(『もし作ったら、『サイコ』の続編のような惨事となるでしょう)、DCコミック原作の諸作品とも関連づけようのない、「狂ったダイヤモンド」です。

 


それにしても、こんな救いようのない映画が大ヒットしてしまう世界に生きているという事を、少し考える必要があるのかもしれません。

 

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2019年の映画ベスト!

特に順位はありませんが、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』と『JOKER』が特に凄かったですね。最近見たというのもありますが。

 

 

前者は今後、ますます評価が上がっていくでしょう。単なるシーン追加ではなく、全く別の作品であり、同じシーンやセリフの意味が変わってしまうほどです。しかも、前作を遥かに凌ぐ傑作。

 

監督の言いたかったのは、明らかにコレであると。


後者は、ファシズムと笑いは実は紙一重である事実を突き付けた、現在進行形のリアル。

 


チャップリンヒトラーは同い年なのである。

 


1970年代のアメリカ映画へのオマージュだらけ。

 


現在進行形のリアルという点では、ローチ作品は実にコワイ。いずれ、日本の現実となる事は止められないでしょう。もうなりつつあるのかも。

 


ローチ、ゴダールイーストウッドは、オリヴェイラ監督の記録を超えてほしいものですが、ゴダールは、ルグラン、カリーナを相次いで失い、とうとう一人ぼっちになってしまいました。。

 


リーの復活とジェンキンスの見事さは、ホントに嬉しかった。

 


タランティーノは今回もオスカームリでしょうけども、シャロン・テイト役のマーゴッド・ロビーが助演女優賞を獲れるのか否か。

 


ブラピの飼っているわんちゃんは、アカデミーワンダフル賞。

 


ワイズマンの大作は、もう参りました。アメリカの底力はすごいです。と思わざるを得なかった。

 


この図書館がある限り、ニューヨークは、ゴッサムシティにはならないでしょう。

 

イ・チャンドンのような正攻法で素晴らしい映画を撮れる監督(村上春樹原作ですよ。大丈夫ですか、ニッポン)どうして日本でごく一部の例外を除いてほとんど生まれないのかが、全くもって謎である。先進国と思えない。

 

 

 

 

 

 

片渕須直『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

 


トッド・フィリップス『JOKER』

 


ケン・ローチ『Sorry, We Missed You』

 


スパイク・リー『ブラック・クランズマン』

 


イ・チャンドン『バーニング』

 


クエンティン・タランティーノ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

 


バリー・ジェンキンス『ビール・ストリートの恋人たち』

 


フレデリック・ワイズマン『ニューヨーク公共図書館』

 


ジャン=リュック・ゴダール『イメージの本』

 


クリント・イーストウッド『運び屋』

 

パヴェウ・パヴリコフスキ『COLD WAR』

 

次点エレイン・コンスタンティンノーザン・ソウル

 

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『東京オリンピック』はこうして見よう!

市川崑東京オリンピック

 

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1964年第18回オリンピック東京大会を撮影した、市川崑を代表する作品であり、最晩年に監督の意図する通りの作品としてデジタル・リマスターされ、更に再編集を行ったものが、現行版です。

 

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自らカメラを回す、市川崑

 


当時、オリンピックをテレビや実際に見た方にとっては当時を思い出すために本作は有効でしょうが、そうでない人には、この映像はいささか地味な映像に見えるかもしれません。

 

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ブルーインパルスによって描かれる、五輪!

 

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聖火点灯!

 

 

日本が第二次世界大戦に敗れて、わずか、19年後に行われた大会であり、アジア初の開催ですから、現在のド派手なオリンピックを見慣れている方には、どうしたって地味です。


私も初めて見たときは、「オリンピックって、昔は結構地味だったんだなあ。でもそれがアマチュア選手の祭典であるオリンピックらしくて、コッチの方が本来のオリンピックなのかも」という感想を持ちました(オリンピックがド派手になるのは、1984年のロサンジェレス大会からです)。


しかし、この作品を深く見るために格好のテレビドラマがあります。


2019年に放映され、先日完結しました、NHK大河ドラマの『いだてん』です。

 

明治の終わりから昭和の中頃までを描くという時代設定のみならず、主人公の2人が英雄でもなければ、それほど有名な人物でもないという点も大変異色でしたが、更に変わっているのは、このお話し全体を俯瞰しながらも、ほとんど主人公の1人として登場する、昭和の大名人と言われた、古今亭志ん生なんです。

 

『いだてん』はかなりの部分は史実に忠実に描いているんですけども、それが志ん生の「東京オリムピック噺」という落語(実際の志ん生は古典しかやりません)という構造なんですね。


しかも、若い頃と戦後大名人となった頃の志ん生を演じるのが、それぞれ、森山未來ビートたけしでして(笑)、しかも、ビートたけしは風貌を全く似せようとせず、頭髪を金髪に染めたビートたけしのまま演じているという破天荒さ。

 

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志ん生に似せようとしないのは、むしろ、潔いです。

 


この、全く絡みそうもないモノが話が進むにつれてちゃんとつながってくるのが驚くべきところです。


しかも、語り手である志ん生が過去と現在を行き来し、噺になったり、客観的なナレーションになったりを絶妙に切り替えてます。


この手法は、あまり指摘されませんが、みなもと太郎風雲児たち』の影響があると思います。

 

幕末を語るために、関ヶ原の戦いから、延々と描き続けるという、気の遠くなるような作品が2019年現在も続いているのですが、原作者みなもと太郎が時空を超えてちょくちょく登場してきます。

 

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幕末編だけで、現在までに33巻(笑)。生麦事件を中心に描かれています。

 


ただし、『いだてん』のように登場人物としてお話に直接絡みませんが、コレに発想を得たのではないでしょうか。


それはさて置き、この『いだてん』も1964年の東京大会がいかにして成し遂げられたのか?から始まり、日本が初めてオリンピックに参加した、1912年のストックホルム大会にマラソンで参加した、金栗四三から語るという、ものすごい射的で近現代史を見ようという野心的な作品です。

 

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柔道の近代化に功績のあった、嘉納治五郎をこれほど大々的にフィーチャリングしたのは、『いだてん』が初めてでは。

 


内容から、2020年の東京大会のプロパガンダか?という邪推もありましたが、到底そんなモノになり得るものではなく、明らかに現在の自民党の利益誘導政治(それはそのまま2020年の東京大会批判にもなっています)、原爆についての日本政府への批判すら出てきます。

 

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吉田派の流れを主流にする事に功績のあった、川島正次郎。

 


そもそも、政治とオリンピックの接近を招いてしまったのが、主人公である、田畑政次自身である事も描かれています。


高橋是清犬養毅などの有名な政治家も出てくるのですが、登場人物の多くは、それほど知られていない人であったり、全く無名の人がメインでして、しかも、登場人物が大河ドラマ史上、桁外れなほど出てきます。

 


歴史的事実ですから、ネタバレさせても作品を些かも傷つけないと思うので書いてしまいますが、金栗四三は、マラソンの世界記録保持時であり、それを更新すらしてるほどの実力を誇りながら、第一次世界大戦に阻まれたり、当日の気候がアダとなったりとう不運によって、無冠の帝王に終わってしまった不運の選手でした。

 

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スポーツがなんなのかすら理解されていない時代に、初めてオリンピックに参加した、金栗四三

 

 

田畑政次は、子供の頃病弱であったため、水泳を断念し、東京帝国大学の法学部を卒業し、朝日新聞の政治部の記者をしながら、日本水泳連盟を立ち上げ、戦前の日本の水泳の全盛期を作った人です。

 

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「カッパのまーちゃん」こと、田畑政次。阿部サダヲが演じた事も衝撃的でした。

 


普通、オリンピックを描くのなら、金メダルを取ったような人を主人公に据えて、この人の人生から見たオリンピックみたいな描き方とすると思うのですが、そうではなく、2人とも挫折者なんですね。


最終回は、東京オリンピックなのですけども、2人とも言ってしまえば、ただの観客です。


さて、ココでようやく市川崑に繋がるんですが(笑)、『いだてん』にも三谷幸喜演じる市川崑が、出てきまして、『東京オリンピック』の撮影をしてるシーンが出てきますし、作品内で、映画のシーンがそのまま使われています。

 

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三谷幸喜演じる、市川崑

 


あくまでも、この2人が関わった部分しか東京オリンピックが出てこないところがミソでして、つまり、大会全体が見渡せないんです。


それを補完するのが本作であり、『いだてん』を見る事で、当時を体験していない人の感銘度が何十倍にも膨らんでくるわけです。

 


キレ味満点の映像を作らせたら、当時最高であった市川崑が、日本映画史上最高の撮影監督であろう、宮川一夫と組んで撮られた映像は、もう見事という他なく、レニ・リーフェンシュタール『民族の祭典/美の祭典』と双璧です。

 

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敢えて別撮りした、チェコスロヴァキアのチャスラフスカ!

 


市川崑は、有名な試合とかそういうところにそんなに力点を置かず(とはいえ、ヘーシンクやアベベ、日本vsソ連の女子バレーボール決勝とかは、さすがに出てきます)、観客の顔や、棄権した選手、あまり注目されない競技とかを結構写していて、この辺が、JOCから疑問を呈せられたのだと思いますが、今となってはそんな問題はどうでも良く、とにかく、『いだてん』を見てから、本作を見てから市川=宮川コンビによる素晴らしい映像をひたすら楽しるというのが、21世紀の作法でありましょう。

 

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実は裸足では走っていなかった、アベベ

 

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ヘーシンク、デカいです!

 


既に本作をご覧になった方も、是非やってみてください。

 

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閉会式が必ず違って見えてくる事を保証します!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トラヴィス→ミシマ→トーラー

ポール・シュレイダー『魂のゆくえ』



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ホアキン・フェニックスが狂気の悪役、ジョーカーを演じて話題となった『JOKER』。

 


DCコミックスを代表する悪役キャラクター、ジョーカー、というよりも、クリストファー・ノーラン監督による『バットマン』3部作における『ダークナイト』に出演した、ヒース・レジャーが演じたところのジョーカーに創を得たと思われる『JOKER』が、2019年にヒット中ですが、この作品の根底には、ある映画の存在が指摘されています。


それは、マーティン・スコシージ『タクシー・ドライヴァー』です。


ヴェトナム戦争による、PTSD不眠症になってしまい、できる仕事がタクシードライヴァーの夜勤しかなくなってしまったという、ロバート・デニーロ演じるトラヴィスは、何か、『JOKER』の主人公、アーサー=ジョーカーのもつ、鬱屈したルサンチマンを社会に抱いています。

 

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『タクシードライヴァー』のトラヴィス

 


『タクシー・ドライヴァー』の脚本を描いたのが、本作の監督、ポール・シュレイダーなのです。

 

シュレイダーは、三島由紀夫の凄絶な最期を描いた『MISHIMA』(日本未公開、未ソフト化)という、これまた物議を醸し出す作品を撮ってます。

 

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緒形拳三島由紀夫を演じる『MISHIMA』。

 


主人公のエルンスト・トーラーは、ニューヨーク州の小さな教会「ファースト・フォームド」(原題はコレです)の牧師。

 

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ごくごく平凡な牧師、トーラー。

 


彼がとある日に相談を受けた男性が、銃で頭を撃ち抜いて自殺し、しかも、トーラー牧師にワザと第一発見になるように計画的に自殺してしまう男との経緯が丁寧に描かれます。


この自殺した男とその妻は、実は環境保護運動を行っていて、逮捕された事もあるのでした。


彼は「こんなひどい事態に生まれる子供が幸福になるはずがない」を思い込んでいて、奥さんの出産を望んでいません。

 

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奥さんからの相談を受けるトーラー。

 

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自然環境の悪化を訴える、マイケル。

 


という、まあ、その後自殺してしまうような人ですから、もう思い詰めてちょっとおかしくなっているんですね。


この辺は、ギリギリでシリアスですが、側から見ると滑稽寸前です。


しかも、爆弾まで製造していたんですね。


『タクシードライヴァー』でもそうですが、「それ、笑っていいの、どうなの?」というスレスレなところを描くのがシュレイダーはうまいですね。


問題はその後なのです。


相談を受けていた人がこれ見よがしに自殺をしてしまう。


聖職者である、彼を助ける事は出来たのでは?と苦悶する事になるのですが、その答えの出し方が尋常ではなく、トラヴィスやミシマもびっくりなんですね。


トーラー牧師は社会的な地位がそれなりにあるわけですから、トラヴィスではい。


また、ミシマのように完全に自分の美意識からの行動でもない。


トーラーは自らの信仰の問題としてとんでもない事をしでかそうとするんですが、その終わり方がこれまた秀逸ですね。


『JOKER』ともども、「正義とは何か?」もしくは、「悲劇と喜劇は紙一重」がテーマとなる映画が相次いで公開されたという事は、とても興味深いですね。

 

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