ヒトラーとチャップリンは紙一重なのです。

トッド・フィリップス『JOKER』

 

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アーサー・フレックはいかにしてジョーカーとなりしか。


「このモンスターはいかにして生まれたのか?」を作って大失敗した双璧が『スターウォーズ』1~3部と、『羊たちの沈黙』の前日譚、『レッド・ドラゴン』でしょう。

 


それぞれ、ハリウッドでも最強クラスの悪役である、レクター博士ダース・ベイダーが如何にして生まれたのか?を描いた作品なのですが、それを見せちゃったら、種明かしした状態で手品を見ているのと同じなのであって、どう上手くやっても面白いはずがありません。

 


本作の大前提にあるのは、どう考えても、クリストファー・ノーランが作った『バットマン三部作』の第2作目、『ダークナイト』で、ヒース・レジャー演じるジョーカーの鬼気迫る、狂気のキャラクターでしょう。

 

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ダークナイト』が遺作となった、ヒース・レジャー

 


しかし、そのタネを明かしてしまったら、やっぱりダメなのでは。。と、私も思いました。

 


が、映画館で見る予告編でのホアキン・フェニックス演じる、アーサー・フレック=ジョーカーは、ヒース・レジャーのソレとは全く違う狂気が漂っていて、単に、ノーラン版の前日譚みたいな安易な企画ではないのでは?という予感がありました。

 


すると、本作が、なんと、ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞をとってしまい(最高賞です)、アメコミをベイスとした映画で史上初めてメジャーな映画祭の大賞を受賞してしまったのです。

 


後で知りましたが、監督のトッド・フィリップスは、初めからホアキン・フェニックスにアーサー=ジョーカーを演じてもらう事を想定して脚本を書いていて、相当な熱量で彼にオファーをかけて出演を説得したそうです。

 


本作の凄さは誰にも分かると思いますが、ホアキン・フェニックスの凄まじい演技ですね。

 

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突然笑い出してしまう障害をもつ、アーサー。

 


あることが原因で、突然笑いが止まらなくなってしまうという障害を持ちながら、ピエロのアルバイトをしつつ、スタンダップ・コメディアンを目指しているというアーサー・フレックという、不運と不幸が車輪のように回転している男を演じているのですが、この男の不気味さは、まず、その、突然笑いだすというところにもあるのですが、極端なまでにガリガリに痩せていて、しかも身体の動きがホントに薄味悪いのです。

 

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こんなに肉体の動きで不気味さを表現したジョーカーはなかった!

 

 

役作りで痩せたり太ったりして、人々を脅かす人は今ではたくさんいますけども、元祖はなんといっても、ハリウッドでは、ロバート・デ・ニーロですが、ホアキンのそれは、その痩せた身体を実に不気味に見せる事を意識しているんですね。

 


痩せたり太ったりの役作りの次元がかなり違っているんですね。

 


この辺からして、ものすごいものを感じます。

 


そして、驚くべきことに、そのデ・ニーロがとても重要な役で出てきます。

 


「マレー・フランクリン・ショウ」という、ソフィスケイトされた、いわば、大人のお笑い番組の司会者である、マレー・フランクリン役です。

 

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デニーロの出演は驚きであった。

 


ココでお気づきになると思いますが、デ・ニーロは、マーティン・スコシージ監督『 キング・オブ・コメディ』で、売れない芸人、ルパート・パプキンを演じていて、彼は、「ジェリー・ラングフォード・ショウ」という番組に出演するために、司会のラングフォード(ジェリー・ルイスが演じてます)を誘拐までしてしまうという、かなり狂気じみたキャラクターです。

 

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ルパート・パプキンの妄想部屋は必見です!

 

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パプキンに誘拐されてしまう、ジェリー・ルイス演じるラングフォード。

 


マレー・フランクリンは、あたかも、パプキンのその後のようにも見えるんですね。

 


そして、アーサーはマレーの番組への出演を夢見ているんです。

 


本作は、まず、『キング・オブ・コメディ』が下敷きにある作品なのです。

 


そして、やたらと上半身裸でテレビを見ているシーンがよく出てきますけども、コレは明らかにスコシージの『タクシードライバー』です。

 

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アーサーのアフリカ系の彼女(ココが微妙なのですが)が頭に拳銃を突きつけて撃ち抜く仕草を手で行うシーンが何度か出てきますが、コレも『タクシードライバー』の名シーンです。

 

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つまり、アーサーは、ルパート・パプキンであり、トラヴィスでもあります。

 


しかも、ポール・カージーでもあり、ポパイ刑事でもあるのです。

 


この2人は、それぞれ、『狼をさらば』、『フレンチ・コネクション』の主人公ですが、本作には、ほとんどこの2作と同じシーンがあり、そのもたらす結果がもとの作品よりも大変な事になってしまいます。

 

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ポール・カージー

 

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ポパイことドイル刑事。

 

 

『キング・オブ・コメディ』以外の3作はすべて1970年代に公開された映画であり、すべてヴェトナム戦争で社会的にも経済的にも荒廃した、ニューヨークを舞台にしているてんで、4作は共通しています。

 


つまり、本作の舞台ゴッサム・シティは、1970年代のニューヨークなんです。

 


しかし、本作の更なる凄さは、単なるノスタルジーやレトロ趣味なのではなく、この時代に仮託して、現在のアメリカそのものを描いている事なんですね。

 


レッド・ドラゴン』や『スターウォーズ』エピソード1~3がつまらないのは、レクターの狂気、ベイダーの悪への転落は結局のところ、ファンタジーだからなのですが、本作は社会的背景があるリアルとジョーカーの誕生が固く結びついているからです。

 


つまり、本作は、DCコミックや1970年代に仮託した、「ファシズム前夜」を描いているのです。

 


では、アーサーの狂気の根底にあるのは、一体なんなのか?と言いますと、「自分が存在しているかわからない」という事なんです。

 


しかし、「それがだんだんと存在を認められるようになってきているので、嬉しい」とアーサーはカウンセラーにいうんですね。

 


やってしまった事は、不可抗力だったんですけども、それによって、ゴッサムの市民が「よくやった!」「誰なの?」みたいな事になってくるんです(このお話しは、ネットや携帯が出てきませんし、テレビがブラウン管です)。

 


これまで、説明しておりませんでしたが、アーサーは、先述の突然笑い出してしまう障害もあり、精神的な問題と経済的な問題を抱えていて、市の福祉サービスとして、無料の処方薬とカウンセリングを受けています。

 


アーサーは、単に売れない芸人。というだけではなく、社会的に存在していないような扱いなんですね。

 

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私は存在しているのだろうか?

 


まるで、若い頃、売れない画家をやっていた、アドルフ・ヒトラーのようです。

 

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ピエロで生計をたてながら、コメディアンとしての腕を磨く。

 


その事へのルサンチマンと彼の狂気が結びついて、あの狂気の犯罪者、ジョーカーとなっていく様が、これでもかこれでもかと描かれているんです。

 


それは、出生の秘密、幼少期の記憶にまで及ぶんですね。

 

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この階段が実に効果的に使われていますが(芸能事務所の階段もそうです)、オリジナルはコレでしょうか。

 


しかし、それだけではないところが、本作の更に一筋縄ではいかないところなんです。

 


見ていて気がついてくると思いますけども、一体、どこからが現実でどこからがアーサーの妄想なのかが、だんだんわからなくなってくるんです。

 


ソコが実は一番コワい。

 


実は『キング・オブ・コメディ』も、果たしてどこまでが現実で、どこからが、パプキンの妄想なのかが、判然としません。

 


売れっ子司会者、ラングフォードに、自分のネタを聞かせるために、自宅でカセットテープに録音するシーンがあるのですが、母親の声がするんですけども、姿が一度も出てきません。

 


このシーンを見た時、私が思い出したのは、アルフレッド・ヒッチコックの傑作『サイコ』を思い出しました。

 

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古典的名作なので、ネタバレしてもよいと思いますが(知っていても面白いのが古典です)、母親は実は白骨死体になっていて、アンソニー・パーキンス演じる青年が母親の格好をして一体化していました。

 


ですので、あのシーン自体が、パプキンの妄想であり、『サイコ』へのオマージュではないのか?とすら思えてきたんです。

 


実は、アーサーも病気の母親と暮らしているのですが、それ自体がアーサーの妄想という可能性すらあるんですね、この作品。ひいい。

 


本作は、作品の構造上、「狂気と妄想の反復」となっているので、続編など作りようもなく(『もし作ったら、『サイコ』の続編のような惨事となるでしょう)、DCコミック原作の諸作品とも関連づけようのない、「狂ったダイヤモンド」です。

 


それにしても、こんな救いようのない映画が大ヒットしてしまう世界に生きているという事を、少し考える必要があるのかもしれません。

 

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2019年の映画ベスト!

特に順位はありませんが、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』と『JOKER』が特に凄かったですね。最近見たというのもありますが。

 

 

前者は今後、ますます評価が上がっていくでしょう。単なるシーン追加ではなく、全く別の作品であり、同じシーンやセリフの意味が変わってしまうほどで、全く別作品ですね。しかも、前作を遥かに凌ぐ傑作。

 


後者は、ファシズムと笑いは実は紙一重である事実を突き付けた、現在進行形のリアル。

 


チャップリンヒトラーは同い年なのである。

 


1970年代のアメリカ映画へのオマージュだらけ。

 


現在進行形のリアルという点では、ローチ作品は実にコワイ。いずれ、日本の現実となる事は止められないでしょう。もうなりつつあるのかも。

 


ローチ、ゴダールイーストウッドは、オリヴェイラ監督の記録を超えてほしいものですが、ゴダールは、ルグラン、カリーナを相次いで失い、とうとう一人ぼっちになってしまいました。。

 


リーの復活とジェンキンスの見事さは、ホントに嬉しかった。

 


タランティーノは今回もオスカームリでしょうけども、シャロン・テイト役のマーゴッド・ロビーが助演女優賞を獲れるのか否か。

 


ブラピの飼っているわんちゃんは、アカデミーワンダフル賞。

 


ワイズマンの大作は、もう参りました。アメリカの底力はすごいです。と思わざるを得なかった。

 


この図書館がある限り、ニューヨークは、ゴッサムシティにはならないでしょう。

 

イ・チャンドンのような正攻法で素晴らしい映画を撮れる監督(村上春樹原作ですよ。大丈夫ですか、ニッポン)どうして日本でごく一部の例外を除いてほとんど生まれないのかが、全くもって謎である。先進国と思えない。

 

 

 

 

 

 

片渕須直『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

 


トッド・フィリップス『JOKER』

 


ケン・ローチ『Sorry, We Missed You』

 


スパイク・リー『ブラック・クランズマン』

 


イ・チャンドン『バーニング』

 


クエンティン・タランティーノ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

 


バリー・ジェンキンス『ビール・ストリートの恋人たち』

 


フレデリック・ワイズマン『ニューヨーク公共図書館』

 


ジャン=リュック・ゴダール『イメージの本』

 


クリント・イーストウッド『運び屋』

 

パヴェウ・パヴリコフスキ『COLD WAR』

 

次点エレイン・コンスタンティンノーザン・ソウル

 

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『東京オリンピック』はこうして見よう!

市川崑東京オリンピック

 

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1964年第18回オリンピック東京大会を撮影した、市川崑を代表する作品であり、最晩年に監督の意図する通りの作品としてデジタル・リマスターされ、更に再編集を行ったものが、現行版です。

 

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自らカメラを回す、市川崑

 


当時、オリンピックをテレビや実際に見た方にとっては当時を思い出すために本作は有効でしょうが、そうでない人には、この映像はいささか地味な映像に見えるかもしれません。

 

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ブルーインパルスによって描かれる、五輪!

 

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聖火点灯!

 

 

日本が第二次世界大戦に敗れて、わずか、19年後に行われた大会であり、アジア初の開催ですから、現在のド派手なオリンピックを見慣れている方には、どうしたって地味です。


私も初めて見たときは、「オリンピックって、昔は結構地味だったんだなあ。でもそれがアマチュア選手の祭典であるオリンピックらしくて、コッチの方が本来のオリンピックなのかも」という感想を持ちました(オリンピックがド派手になるのは、1984年のロサンジェレス大会からです)。


しかし、この作品を深く見るために格好のテレビドラマがあります。


2019年に放映され、先日完結しました、NHK大河ドラマの『いだてん』です。

 

明治の終わりから昭和の中頃までを描くという時代設定のみならず、主人公の2人が英雄でもなければ、それほど有名な人物でもないという点も大変異色でしたが、更に変わっているのは、このお話し全体を俯瞰しながらも、ほとんど主人公の1人として登場する、昭和の大名人と言われた、古今亭志ん生なんです。

 

『いだてん』はかなりの部分は史実に忠実に描いているんですけども、それが志ん生の「東京オリムピック噺」という落語(実際の志ん生は古典しかやりません)という構造なんですね。


しかも、若い頃と戦後大名人となった頃の志ん生を演じるのが、それぞれ、森山未來ビートたけしでして(笑)、しかも、ビートたけしは風貌を全く似せようとせず、頭髪を金髪に染めたビートたけしのまま演じているという破天荒さ。

 

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志ん生に似せようとしないのは、むしろ、潔いです。

 


この、全く絡みそうもないモノが話が進むにつれてちゃんとつながってくるのが驚くべきところです。


しかも、語り手である志ん生が過去と現在を行き来し、噺になったり、客観的なナレーションになったりを絶妙に切り替えてます。


この手法は、あまり指摘されませんが、みなもと太郎風雲児たち』の影響があると思います。

 

幕末を語るために、関ヶ原の戦いから、延々と描き続けるという、気の遠くなるような作品が2019年現在も続いているのですが、原作者みなもと太郎が時空を超えてちょくちょく登場してきます。

 

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幕末編だけで、現在までに33巻(笑)。生麦事件を中心に描かれています。

 


ただし、『いだてん』のように登場人物としてお話に直接絡みませんが、コレに発想を得たのではないでしょうか。


それはさて置き、この『いだてん』も1964年の東京大会がいかにして成し遂げられたのか?から始まり、日本が初めてオリンピックに参加した、1912年のストックホルム大会にマラソンで参加した、金栗四三から語るという、ものすごい射的で近現代史を見ようという野心的な作品です。

 

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柔道の近代化に功績のあった、嘉納治五郎をこれほど大々的にフィーチャリングしたのは、『いだてん』が初めてでは。

 


内容から、2020年の東京大会のプロパガンダか?という邪推もありましたが、到底そんなモノになり得るものではなく、明らかに現在の自民党の利益誘導政治(それはそのまま2020年の東京大会批判にもなっています)、原爆についての日本政府への批判すら出てきます。

 

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吉田派の流れを主流にする事に功績のあった、川島正次郎。

 


そもそも、政治とオリンピックの接近を招いてしまったのが、主人公である、田畑政次自身である事も描かれています。


高橋是清犬養毅などの有名な政治家も出てくるのですが、登場人物の多くは、それほど知られていない人であったり、全く無名の人がメインでして、しかも、登場人物が大河ドラマ史上、桁外れなほど出てきます。

 


歴史的事実ですから、ネタバレさせても作品を些かも傷つけないと思うので書いてしまいますが、金栗四三は、マラソンの世界記録保持時であり、それを更新すらしてるほどの実力を誇りながら、第一次世界大戦に阻まれたり、当日の気候がアダとなったりとう不運によって、無冠の帝王に終わってしまった不運の選手でした。

 

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スポーツがなんなのかすら理解されていない時代に、初めてオリンピックに参加した、金栗四三

 

 

田畑政次は、子供の頃病弱であったため、水泳を断念し、東京帝国大学の法学部を卒業し、朝日新聞の政治部の記者をしながら、日本水泳連盟を立ち上げ、戦前の日本の水泳の全盛期を作った人です。

 

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「カッパのまーちゃん」こと、田畑政次。阿部サダヲが演じた事も衝撃的でした。

 


普通、オリンピックを描くのなら、金メダルを取ったような人を主人公に据えて、この人の人生から見たオリンピックみたいな描き方とすると思うのですが、そうではなく、2人とも挫折者なんですね。


最終回は、東京オリンピックなのですけども、2人とも言ってしまえば、ただの観客です。


さて、ココでようやく市川崑に繋がるんですが(笑)、『いだてん』にも三谷幸喜演じる市川崑が、出てきまして、『東京オリンピック』の撮影をしてるシーンが出てきますし、作品内で、映画のシーンがそのまま使われています。

 

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三谷幸喜演じる、市川崑

 


あくまでも、この2人が関わった部分しか東京オリンピックが出てこないところがミソでして、つまり、大会全体が見渡せないんです。


それを補完するのが本作であり、『いだてん』を見る事で、当時を体験していない人の感銘度が何十倍にも膨らんでくるわけです。

 


キレ味満点の映像を作らせたら、当時最高であった市川崑が、日本映画史上最高の撮影監督であろう、宮川一夫と組んで撮られた映像は、もう見事という他なく、レニ・リーフェンシュタール『民族の祭典/美の祭典』と双璧です。

 

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敢えて別撮りした、チェコスロヴァキアのチャスラフスカ!

 


市川崑は、有名な試合とかそういうところにそんなに力点を置かず(とはいえ、ヘーシンクやアベベ、日本vsソ連の女子バレーボール決勝とかは、さすがに出てきます)、観客の顔や、棄権した選手、あまり注目されない競技とかを結構写していて、この辺が、JOCから疑問を呈せられたのだと思いますが、今となってはそんな問題はどうでも良く、とにかく、『いだてん』を見てから、本作を見てから市川=宮川コンビによる素晴らしい映像をひたすら楽しるというのが、21世紀の作法でありましょう。

 

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実は裸足では走っていなかった、アベベ

 

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ヘーシンク、デカいです!

 


既に本作をご覧になった方も、是非やってみてください。

 

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閉会式が必ず違って見えてくる事を保証します!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トラヴィス→ミシマ→トーラー

ポール・シュレイダー『魂のゆくえ』



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ホアキン・フェニックスが狂気の悪役、ジョーカーを演じて話題となった『JOKER』。

 


DCコミックスを代表する悪役キャラクター、ジョーカー、というよりも、クリストファー・ノーラン監督による『バットマン』3部作における『ダークナイト』に出演した、ヒース・レジャーが演じたところのジョーカーに創を得たと思われる『JOKER』が、2019年にヒット中ですが、この作品の根底には、ある映画の存在が指摘されています。


それは、マーティン・スコシージ『タクシー・ドライヴァー』です。


ヴェトナム戦争による、PTSD不眠症になってしまい、できる仕事がタクシードライヴァーの夜勤しかなくなってしまったという、ロバート・デニーロ演じるトラヴィスは、何か、『JOKER』の主人公、アーサー=ジョーカーのもつ、鬱屈したルサンチマンを社会に抱いています。

 

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『タクシードライヴァー』のトラヴィス

 


『タクシー・ドライヴァー』の脚本を描いたのが、本作の監督、ポール・シュレイダーなのです。

 

シュレイダーは、三島由紀夫の凄絶な最期を描いた『MISHIMA』(日本未公開、未ソフト化)という、これまた物議を醸し出す作品を撮ってます。

 

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緒形拳三島由紀夫を演じる『MISHIMA』。

 


主人公のエルンスト・トーラーは、ニューヨーク州の小さな教会「ファースト・フォームド」(原題はコレです)の牧師。

 

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ごくごく平凡な牧師、トーラー。

 


彼がとある日に相談を受けた男性が、銃で頭を撃ち抜いて自殺し、しかも、トーラー牧師にワザと第一発見になるように計画的に自殺してしまう男との経緯が丁寧に描かれます。


この自殺した男とその妻は、実は環境保護運動を行っていて、逮捕された事もあるのでした。


彼は「こんなひどい事態に生まれる子供が幸福になるはずがない」を思い込んでいて、奥さんの出産を望んでいません。

 

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奥さんからの相談を受けるトーラー。

 

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自然環境の悪化を訴える、マイケル。

 


という、まあ、その後自殺してしまうような人ですから、もう思い詰めてちょっとおかしくなっているんですね。


この辺は、ギリギリでシリアスですが、側から見ると滑稽寸前です。


しかも、爆弾まで製造していたんですね。


『タクシードライヴァー』でもそうですが、「それ、笑っていいの、どうなの?」というスレスレなところを描くのがシュレイダーはうまいですね。


問題はその後なのです。


相談を受けていた人がこれ見よがしに自殺をしてしまう。


聖職者である、彼を助ける事は出来たのでは?と苦悶する事になるのですが、その答えの出し方が尋常ではなく、トラヴィスやミシマもびっくりなんですね。


トーラー牧師は社会的な地位がそれなりにあるわけですから、トラヴィスではい。


また、ミシマのように完全に自分の美意識からの行動でもない。


トーラーは自らの信仰の問題としてとんでもない事をしでかそうとするんですが、その終わり方がこれまた秀逸ですね。


『JOKER』ともども、「正義とは何か?」もしくは、「悲劇と喜劇は紙一重」がテーマとなる映画が相次いで公開されたという事は、とても興味深いですね。

 

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祝!スパイク・リー復活!!

スパイク・リー『ブラック・クランズマン』

 

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1979年をお話を敢えて1972年に変えて映画化しています。

 

ドゥ・ザ・ライト・シング』、『マルコムX』という強烈なインパクトを与える作品を撮りながらも、その後はあまりパッとしない作品を作り続け、知らないうちに大学で映画を教えるようなエラい人になっていたスパイク・リーですが、ほとんどアメコミのヴィランのような大統領が就任したのが大きいのでしょう(笑)、本作はまるで永き眠りから覚めたような快作でした。


コロラド州コロラド・スプリングス(コロラド州第二の都市で、人口は現在で約46万人)で実際にあった黒人警官によるKKK潜入捜査のお話しです。


映画ではニクソン政権時代に少し遡らせているのですが(元ブラックパンサー党のリーダーの支持者を主人公の彼女という設定にしたかったからでしょうね)、主人公のロン・ストールワースがコロラドスプリングス市警で初めてのアフリカ系アメリカ人の警官だったのは、事実です。


このロン・ストールワースを演じるのが、ジョン・デイヴィッド・ワシントン。

 

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1972年までコロラド・スプリングスには黒人の警官がいませんでした。


ななんと、デンゼル・ワシントンの息子です。


マルコムX』って、そんな昔の映画だっけ?と一瞬気が遠くなりましたが、本作は彼の好演がやはり光りました。


それにしても、黒人がKKKに潜入捜査するってどういう事か?と思うかもしれませんが、ロンが考えた方法がすごいんですね。


電話応対はロン本人が行い(電話で黒人とバレないのがミソです)、実際にKKKのメンバーに「ロン・ストールワース」として会うのは、フィリップ・ジマーマンという「白人」なんです。

 

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この電話の使い方がとにかくおかしいんです。


ジマーマンというのは、ユダヤ系の人に多い名前で、彼もユダヤアメリカ人なんです。


アダム・ドライヴァーが演じていますが、彼は最近、いい映画によく出ていますね。

 

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KKKの白人至上主義にはプロテスタントの信仰があり、異教徒であるユダヤ教への強い反感があります(アメリカにおける親ナチスというのも、そういう文脈にあるような気がします)。


KKKユダヤアメリカ人の事を「白人」とは見なしません。


つまり、この潜入捜査は、ユダヤアメリカ人とアフリカ系アメリカ人という、KKKが憎悪の対象とする人種の2人が組んで行われたという、全くもって奇想天外な、捜査だったんですね。


このユダヤ系とアフリカ系が組むというのは、アメリカの黒人音楽の歴史に実は結構あった事で、その事を知っていると、余計にこの設定がおかしいのですが。


本作は捜査によるサスペンスみたいな事はそんなに重点が置かれていなくて、スパイク・リーがやはり力点を置きたいのは、アメリカの黒人差別の歴史です。


本作の冒頭は『風と共に去りぬ』のワンシーンであり、劇中でKKKの連中が見ている映画は『国民の創生』です。


後者がKKKを美化して描いている事はすでに有名ですが、実は前者にもKKKが出てくるんです(ただし、南北戦争の頃のKKKはかなり違いますけどね)。


ただし、映画版はココをかなり希釈してボヤかし、人種問題とは結びつかないようにしてますが、リーは、この不朽の名作の根底にある黒人差別をやはり見逃さなかったのです。

 

ちなみに、KKKというと、あの白い装束が有名ですが、『国民の創生』に出てくるKKKの衣装から取ったものなんです。

 

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コレがKKKの現在に至るイメージを決定づけた衣装です。

 

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現在のKKKです。

 

 

つまり、現在につながるKKKの生みの親は、実はDWグリフィスという映画監督なのだ。という事を言いたいんですね、スパイク・リーは。

 

ものすごくゴダール的ですねえ。

 

ラストシーンに映画にも出てくる登場人物によって、この映画はフィクションだけど、コイツはリアルだからね。という観客への一発かましているのも痛快でした。

 

スパイク・リーは、動乱があると元気になるタイプの監督なのでしょうね(笑)。

 

そして、彼の代表作がワシントン親子(しかも初代大統領と同じ名字!)というこの奇跡にも驚いてしまいます。

 

今度こそ作品賞を取りましょう!

 

 

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音楽使い方がヌーヴェル・ヴァーグとはまるで違う!

パヴェウ・パヴリコフスキ『COLD WAR あの歌、二つの心』

 

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ズーラとヴィクトル。


映像を見て驚きましたね。


まるで、1960年代のポーランド映画みたいで。


ロマン・ポランスキとか、アンジェイ・ワイダの若い頃の作品を思い出しました。


絵作りは明らかに意識していると思います。


しかも、ストーリーもヌーヴェル・ヴァーグっぽい恋愛劇です。

 

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シャープなのに独特の野暮ったさがあるのがポーランド映画の独特な魅力です。

 


特定の誰かを模倣している感じではないんですが、使っている音楽がルイ・マル〜ポランスキを思い起こさせますけども、使い方が根本的に違いますね。


ココが単なるレトロ趣味で本作を作っているのではない、バヴリコフスキ監督のオリジナリティです。

 

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ズーラが所属している民俗舞踊団の場面は必見です。

 


そのオリジナリティとは 、何よりも音楽が最優先している映画なんですね。


というか、音楽に合わせた断章に近いです。


実際、あるエピソードが終わるとブラックアウトを繰り返す構成になっており、そのたびに出てくる音楽が民俗音楽、ジャズ、ロックンロール、ラテンと絶妙に変わっていきます。

 

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歌だけでなく、ダンスシーンが素晴らしいです!

 


かつてのルイ・マルやポランスキらがモダンジャズを使ったのは、当時一番ヒップな音楽だったから使ったんであって、それ以上でも以下でもないんですね。


しかし、本作は主人公ズーラのエモーションの動きと一番シンクロしているのは、映像以上に音楽なのです。


東西冷戦が一番激しかった頃のお話しですから、一応、それによ困難や葛藤があるんですけども、それは、「すごく行くのが困難な『二つの世界』程度の意味しか持っておらず、問題は、ズーラとヴィクトルが愛を確かめあっている事なのですね。

 

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モニカ・ヴィッティのようでもあり、ジャンヌ・モローのようでもある、主演のヨアンナ・クリークが素晴らしいです。

 


そういう意味で、本作はかなりファンタジックで、リアリスティックさはあんまりないんです。


だからこそ、敢えて白黒で撮影し、あたかも60年代のポーランド映画のようなノスタルジックにしているんですね。


そうする事で、「ワイダみたいは、ポーランドの苦悩を描いている映画ではないんですよ」と暗に示しているのであり、音楽が映像を動かすという事をミュージカル映画ではなく成し遂げているんですね。

 

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敢えて言えば、この映画が一番近いのは、デイヴィッド・リンチなのかもしれません。


外面は全く似てませんけども。


オッ、もっと盛り上がっていくのかな?と思わせておいて、スッと終わってしまうのも実に見事ですし、腹にもたれなくていい感じです。

 

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残念ながら、現在のポーランド映画の事情が全くわからず、この監督がどういうキャリアなのかわからないんですけども(ネットでササっと見て知ったかぶるのもなんですし)、この監督は今後も素晴らしい映画を撮ってくれる予感がしますね。


冷戦を扱った映画はたくさんありますけども、冷戦を単なる背景にして、監督の思うがままに絵を描いて観客に見せた。というあり方はとてもユニークですし、ポーランドがようやく新しい時代を迎えた事が映画から伺えました。

 

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自殺願望の男を優しく見つめる傑作。

アッバス・キアロスタミ『黄桃の味』

 


驚きました。キアロスタミにはいつも驚かされますが、本作もまんまとやられましたね(笑)。


ジグザグ三部作がとても素晴らしかったので、コレも見てみたんですけども、予想を上回る面白さでしたし、またしても驚きの作品でした。


今回はテヘランが舞台なのですが、出てくるのは、その郊外の荒涼とした風景です。

 

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キアロスタミ作品は、曲がりくねった道がよく出てきますね。人生ものものの暗喩でしょう。

 


始めの20分くらいは一体何の映画だかわからないんですよ。


ある男が延々と車を走らせていて、仕事をしてもらう人を探しているようなんですけども、誰でもいいわけではなさそうなんです。

 

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主人公のバディ。


しかし、一体何をしているのか、やがてわかってきます。


それはある徴兵されている若い兵士との出会いによってです。

 

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クルド人の若い兵士。イラン北部にはクルド人が多く住んでいるようです。

 


実は、この男は、自殺をしようとしているようなのです。


穴の中に入って睡眠薬を飲んで、翌朝死んでいるようであったら、その上に土をかけてもらいたいのだと。


そのための報酬も払うというのです。


イスラム教では、自殺は禁じられており、登場人物の中に、アフガニスタンの神学生というのが出てきまして、その事を頻りに言っておりますね。


神学生が自殺の手助けなどする筈がないのですが、主人公のバディは、なぜかお願いをするんです。

 

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アフガニスタン人の神学生。

 


クルド人の若い兵士、アフガニスタン人の神学生、トルクメン人の剥製師との出会いの中で、イランが意外にいろんな国籍の人が住んでいる事がわかり、アフガニスタンの人々は、アフガン戦争からイランへ逃れている人が結構いる事など、日本に住んでいるとあまり知ることのない事実がわかってくるのも興味深いです。

 


対話の中で、一番面白いのは、バゲリという剥製師とのものですが、結局のところ、バゲリは、この奇妙な仕事を引き受ける事になるんですけども、このおじさん、恐らくは素人と思いますけども(キアロスタミ作品は、素人がそのまんま出演している事がとても多いです)、ホントにいい味わいが出てるんですよね。

 

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実はかつて自殺を試みていたバゲリ。


さて、結論から言いますと、自殺は成功したのかどうかは描かれていません。


まあ、キアロスタミ作品は、そういう終わり方が多く、敢えて描かないんですけども、本作はフェイドアウト的な終わり方ではなくて、ブチッと切断するように終わり、なんだか宙吊り状態で置いてけぼりなんですね。


本作の最初に「神の御名において」という字幕が入って本作は始まるのですが、イスラム社会でなかなか語りづらい問題のギリギリを描いたんだと思います。


ブニュエルのように、客をケムに巻いて楽しんでいるというのとはちょっと趣旨が違いますね。


ヤマもオチもないのに意味深く、劇映画なのか、ドキュメンタリーなのかの境界すら曖昧な、不思議な魅力のある傑作。

 

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