300回目は、戦争の狂気と祝祭を描く痛快作です!

フィリップ・ド・ブロカまぼろしの市街戦』

 


1966年に発表された、フランス映画史に残る怪作/快作。


なんという美しいくカラー撮影、美術!


そして、ラストシーンのとてつもないアイロニーと反骨精神。

 

お話しは、第一次世界大戦中末期の西部戦線


イギリス軍に追いまくられて敗走するドイツ軍は、フランスの小さな町にありったけの爆薬を残して、イギリス軍が占領した頃に大爆発するような仕掛けを作って逃げ出します。


この事を知った住民は、慌てて逃げ出すのですが、住民の一人がイギリスへの内通活動をしていて、そのことをモールス信号で送っている途中でドイツ軍に見つかり、射殺されてしまいます。


イギリス軍の指揮官は、フランス語に堪能な通信兵のブランピックに街に潜入させ、爆破を解除する事を命令します。

 

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アラン・ベイツ演じる、ブランピック伍長は、奇妙な町に潜入する事となります。


住民が逃げ出してしまった町に取り残されている精神病院の患者たち(後でわかりますが、自分たちの意思で町に残っています)が町に飛び出して、それぞれが床屋、将軍、司教、公爵、売春婦などなどにコスプレして、非現実な空間を作り出して楽しんでいました。

 

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イノセントでピースフルに振舞う精神疾患者たちですが。

 

そんな事を知らないブランピックは、彼ら彼女らに「ハートのキング」として祭り上げられ、即位


即位式やら何からかにやらという、祝祭に飲み込まれてしまい、肝心の大爆発の解除ができなくなってしまうんですね。

 


そんな事を知らないブランピックは、彼ら彼女らに「ハートのキング」として祭り上げられ、即位式やら何からかにやらという、祝祭に飲み込まれてしまい、肝心の大爆発の解除ができなくなってしまうんですね。

 

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ここまでが、本作の前段階です。


この爆弾が大爆発するまで。と、『うる星やつら』の友引高校の面々のような乱痴気騒ぎが続くのですけども、ブランピックは、この精神疾患者たちに愛着が出てきてしまい、なんとか全員を救いたいという思いとなっていくのですが、さて。

 

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ブランピックはよく気絶します(笑)。

 

ここから先は是非とも実際に見ていただきたいのですが、その、精神疾患者たちが町を占領してカーニバル状態(決してアナーキーに振舞うことはなく、どこまでもピースフルに楽しんでいる点はとても重要です)になっているという事と、戦争という極限状況が同時進行する。という、他に似ているとしたら、ロバート・オルトマン『M★A★S★H』くらいしか思いつかないような設定が、すでにユニークな作品ですが、それを名優たちの、あえてのオーバーアクト(実際、精神疾患者たちは狂っているから、こんな事をやっているわけではない事がだんだんとわかってきます)、まるで、ルノアールロートレックの絵画から飛びだしてきたような美しい衣装とジョルジュ・ドリュリューのとびきり素晴らしい音楽が渾然一体となっているすごさですね。

 

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戦争という狂気を「精神疾患者」という、社会的に弱い立場から見る。という視点を握りこぶしを込めて見せるのではなく、華麗でコミカルに、しかし、その根底には強烈な一撃があるという点が、本作を傑作にまで高めているのだと思います。


売春婦のコスプレをしたコクリコ役のジュヌヴィエーヴ・ビュジョルトの妖精のような美しさは無上。

 

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かなり戯画化されたイギリス軍とドイツ軍は、ほとんどモンティパイソンのようなおかしさです。


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イギリス軍の3バカトリオ

 

今回上映された4Kデジタルリマスター版は、日本で公開されたものとラストシーンが違うのですが、言いたいことの基本は変わりません。


昨今、渋谷でのハロウィンでの狼藉行為が社会問題化しておりますが、祝祭が社会とってどういう意味を持つのかを考える上でも、重要な作品であるし、精神疾患者という括りが社会的にどういう意味なのか?という事を強烈に揺さぶってくる作品でもあります。


ちなみにたった一度だけテレビで放映されたのですが、この時の声優の豪華さは目を見張ります。

 

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美術、衣装も素晴らしい。


これは現行のDVDで見ることができますので、是非とも。

 

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ワシントン・ポストvsニクソン大統領!

スティーヴン・スピルバーグ『The Post』

 


邦題『ペンタゴン・ペーパーズ』はちょっとミスリーディングでして、原題『The Post』、すなわち、ワシントン・ポスト紙の奮戦記とした方が、話としてはシックリ来ます。

 

内容の中心に、国防総省の、仏領インドシナ、すなわち、ヴェトナム戦争の機密文書の曝露。という大事件があるのは確かなのですけども、この作品は、首都を中心に発行していたとはいえ、それほど多くの部数などない、日本でいえば、神奈川新聞くらいの地方紙が、当時のニクソン政権を揺るがした(この辺はもう史実なのでネタバレとは言えないので書いてしまいます)。という驚異的な出来事を描いているんですね。

 

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ホワイトハウス主導で強権を振るった、ニクソン大統領には、今でも批判がが強いです。


実は、私がスピルバーグの映画をちゃんと見たのは、多分、『インディー・ジョーンズ 最後の聖戦』だったと思うのでもう、30年くらいマトモに彼の作品を見てないんです。


どんな映画を撮っていたかは、ある程度は知ってますが、見たいと思った作品が一作もありませんでした。


なので、私のスピルバーグ映画は、相変わらず、ものすごい流麗なカメラワーク、独特のメリハリの効いた発色の画面、そして、ジョン・ウィリアムズのオーケストラが鳴り響いているという、あの映画なのです。


あと、スピルバーグとその舎弟たちの映画には、ある頑ななテーゼがあって、「1960-70年代がなくて、1950年代に一挙に1980年代が接続すれば、アメリカは幸せなのである」というのが、私はたまらなくイヤなのです。


私はその時代の映画にアメリカの宝物がたくさんあると思っているので、そういう点でも、スピルバーグの考え方には共感できなかった。


また、『シンドラーのリスト』という、実にいやらしい作品が実に不快で、心底スピルバーグがキライになりました。

 

しかし、今回は、スピルバーグがこれまで描いてこなかった、まさに、1960-70年代を撮った。という点が、私をザワつかせたんですね。


コレは何かがかわったんだな。と。

 

で、実際に見て驚いたんですね。

 

イーストウッド作品が持っているような落ち着きぶりと地に足のついた演出が、全編に横溢しているではありませんか。

 

この映画を撮りたくなった動機は、恐らくは現政権への明らかな反感なのだと思いますけども、そういうものを超えた、言論の自由を守ること、ひいては正義についての普遍的なドラマを力こぶを込めて撮るのではなく、実に落ち着いたトーンで、ワシントン・ポストの人々の奮戦を描いていることに、大変感銘を受けました。

 

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大新聞ニューヨーク・ポストのスクープから、ペンタゴン・ペーパーズの存在が明るみになりました。

 

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社主と編集長の、それぞれ「正義」を描く。


ニクソン大統領という、非常に強権的な(現大統領は狂犬的ですが)圧力に屈せず、この闘争に勝利したことで世界にその名を轟かせたワシントン・ポスト紙は、マスコミが模範とすべき姿なのでしょう。

 

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会社を守るべきか言論の自由を守るべきか。

 

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ニューヨーク・タイムスが政府の差し止め要求に屈する事はすべてのマスコミの敗北と考える、トム・ハンクス

 

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連邦裁判所の判決!

 


スピルバーグを久々に再評価できました。


ラストシーンがなかなか笑えるので必見です。

 

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実際のニクソン大統領の辞任を伝えるワシントン紙。

シリアスなテーマを「6歳の子供」にもわかる観点で描く痛快作

ジョナサン・デミフィラデルフィア


1993年公開なんですね。もう結構昔の映画になっていますねえ。

 

もう古典的名作と言ってよいと思いますので、ネタバレ全開で進めていきます。


人々の偏見と戦う。というのは、アメリカ映画の一つの普遍的なテーマだと思いますけども、本作は、同性愛とエイズ。という1980年代のアメリカで猛威をふるった問題であり、前者は現在進行形でセンシティブはテーマを、真正面から扱っている作品です。


こういうテーマを、社会派の巨匠、シドニー・ルメットが扱うと、かなりシリアスな作品になったでしょうけど、デミはそれを、カラフルで流麗なカメラワークでポップな感覚で見せるのが実に痛快なんです。

 

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思い切りカメラ目線で演技をさせるなど、時折ハッとするようなショットが見られる。

 


デミが有名になったのは、『サムシング・ワイルド』という、これまたポップでストレンジで分類が難しい作品でしたけども、あの曰く難いポップなセンスが全編を覆っております。


その意味で、本作の前に撮られた、デミの最も興行成績が良かった映画であろう、『羊たちの沈黙』はむしろ異色作であり、本作の持つ、ラヴリーさこそ彼の持ち味のような気がします。


さて。


事実として、アメリカの同性愛者の中でエイズが爆発的に蔓延していたのは事実でして、当時、同性愛者であった有名人の多くがエイズで実際亡くなっています。


フレディ・マーキュリー、ジョルジュ・ドン、キース・ヘリングミシェル・フーコーなどなど。


この事から、エイズを「同性愛者に感染する病気」という誤ったイメージが流布してしまいました。


本作は、ゲイでエイズを発症していることを隠していた弁護士を演じる、トム・ハンクスと、彼がエイズを理由に解雇されたのは不当であると弁護した、デンゼル・ワシントンを主演とする作品です。

 

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ゲイでエイズ患者である事を理由に法律事務所。解雇したのは不当であるという訴訟です。お話しのメインは裁判シーンなのですが、訴訟ものに付きまとうような、怒涛の弁護士間のやりとりでもないんです。

 


実際の民事訴訟もそういうものなのだと思うのですけど、結構、淡々と進むんですよ。


しかし、デンゼル・ワシントンと法律事務所側の淡々としたやりとりの中でも、チラッチラッと両者の火花をいいタイミングで放り込むので、裁判シーンがつまらないということは全くなく、むしろ、そこがジワジワと面白いんですよね。


こういう対決モノは、ヒールが立ってないと全くダメですが、メアリ・スティーンバーゲン演じる、爽やかスマイルで、トム・ハンクスをジワジワと追い詰めていく様が見事でした。

 

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訴えられた法律事務所側。

 

主演の二人がとても素晴らしいので隠れがちですが、彼女は本作の影の功労者でしょう。


本作のもう一つのテーマは、デンゼル・ワシントンの変化です。


同性者への嫌悪を家族にもハッキリと表明しており、エイズへの偏見も強い弁護士を演じるワシントンは、当初はハンクスからの弁護の依頼を断っているんです。

 

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しかし、図書館で訴訟のための準備をしているハンクスがエイズ患者である事から周囲の利用者から明らかに嫌がられているのを偶然見かけてしまい(自分で弁護人をしてでも裁判を起こすつもりだったのですね)、弁護士としての正義感から、これを見かねて弁護を引き受けるんです。

 

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その彼の、同性愛者とエイズへの偏見がどうなっていくのかが、実は裁判以上にじつは大切なテーマのような気がします。

 

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引き受けた訴訟から、彼自身もゲイであると誤解されてしまいます。

 

 

本作で繰り返される、「6歳でもわかるように言ってくれ」というセリフは、まさに本作の核心であり、あらゆる人々にこの問題を理解してもらいたいという、デミ監督の願いが込められているのでしょう。

 

もう20年以上も前の映画なのに、ここで扱われる問題は、現在のアメリカや日本で噴出しているという現実がある事を、改めて考えさせられる、ジョナサン・デミの最高傑作です。

 

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私たちが真に「兄弟愛」を持つことができるのはいつの事なのでしょうか。

 

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映画館で見なくてはワカリマセン!

スタンリー・キューブリック2001年宇宙の旅

 

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リヒャルト・シュトラウスツァラトゥストラはこう言った』の冒頭で始まる、衝撃のオープニング!


断言しますが、この映画をDVDなどで見てもそのその感銘の1/10も伝わりません。


100インチでもまだ足りません。


もし、貴方が、映画館を所有していて。70mmフィルムでいつでも見れるよん。という身分でしたら「そりゃ、映画館行かなくてもいいですね」という事ですが、そうでない方は、悪いことは言いませんから、映画館で見てください。


私は、幸いにも、1990年代に、まだ、映画館がフィルム上映していた時代に70mmのリバイバル上映で有楽町で見たんですけども、あまりにも激越な体験で、見終わった後、しばらく呆然としてしまいました。


実は、その前にVHSで3回見ていて、しかも、1回目は、もともと70mmで撮影しているのに、左右をぶった切ってテレビサイズになっているという、悲劇的なバージョンでした(VHSはそういうのが結構ありました)。。


この映画は、70mmのシネスコサイズで、ドルビーサウンドで見る事で初めて意味がわかるようにキューブリックは作っており、それは、実際に見るとイヤというほどわかるのです。


もう、古典と言って良い映画ですから、ネタバレ全開で書いていきますので、それがイヤな方は映画館で見てから読んでいただきたいのですが、本作はアタマを使って見ても仕方がない。


あの圧倒的な映像美、音楽を浴びるように体験するという事。


もうそれに尽きるんです。

 

ですので、家庭用の機材では出力が足りなすぎ、画面が小さいと、細かい所が見えなくなってしまうんです。


とかく、難解。と敬遠されてしまう作品ですが、ストーリーはとてつもなくシンプルです。


全体は4部構成になっていて、

 

人類の夜明け

2001年 月面

木星施設  18ヶ月後

木星そして宇宙の彼方へ

 

となります。

 

実際の作品では、第2部にあたるタイトルは出てきませんが、便宜上つけました。


第2部は、類人猿が興奮して、動物の大腿骨を空中に放り投げると、それがパッと軍事衛星に変わり、2001年の未来(映画は1968年公開ですから、未来なのです)の宇宙開発時代に一緒に飛ぶという、映画史に残る劇的なシーンがやはり、お話の転換点だと思いますので、敢えてそうしました。

 

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「宇宙の旅」なのに原始時代か、始まってどうするんだ?という不安を一挙に解決してしまう名シーン!


本作の「難解」を象徴しているのは、恐らく、第4部の事を言ってるのでしょう。


第2部、第3部は大変優れたサスペンスですから、ココがワカラン!という人は流石にいないと思います。


また、主人公である、ボーマン艦長が出てくるのが、なんと、第3部からというのも、とっつきにくいのかもしれません。


まあ、キューブリック作品全般に言える事ですが、登場人物に感情移入させようとしないんですよね。。


わかりやすい第2部、第3部を解説しますと、2001年の宇宙開発時代に、月面から強力な磁場が検出され、一体どういう事なのか?と調べてみると、地中奥深くにどう考えても自然にできたとは思えない、謎の板切れ型の物体、すなわち、「モノリス」が出てきたんです。

 

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しかも、その深さから考えるに、約400万年前に埋められたものであると。


コレは、トップシークレットとなり、月面基地未知の伝染病が発見されたというデマすら流して、この事実を隠蔽していました。

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宇宙ステーションのシーンのデザインも未だに古くないですよね。


なぜなら、はるか昔に、宇宙には知的生命体が存在していた事が明らかになり、それは、この太陽系に400万年前にやってきていたんだ。というとんでもない事実が明らかになるからです。


ヘイウッド・フロイド博士は、この謎の物体を調査するために、アメリカ合衆国から派遣されたのですが、この謎の物体をバックに記念撮影をしようとすると、突然、キーン!という音がして撮影させまいとするんですね。

 

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無重力トイレの解説を読む、フロイド博士。こういうディテールのこだわりがものすごい作品です。

 

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キーン!

 

この物体には、明らかになんらかの意思がある事がわかります。

 

そして、18ヶ月後。

 

極秘命令を受けて木星を調査する宇宙船ディスカヴァリー号が地球から旅立ちます。

 

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ディスカヴァリー号。


乗っているのは、デイヴィッド・ボーマン艦長と副長のフランク・プール、それ以外は現地での活動のための3名が冷凍睡眠しています。

 

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ボーマン艦長(右)とプール副長(左)


木星調査という事で、ディスカヴァリー号は、木星に向かっているのですが、実は、その真の目的が、謎の物体が指し示す信号が真っ直ぐ木星を示しており、それが何を意味していのかの調査だったのでした。


航行は優秀なAIである、HAL9000を搭載しており、順調だったのですが、HAL9000が「72時間後に故障する」という部品を調べてみると、なんの故障も見当たらなかった事から、ボーマンとプールは、HALに何らかの故障があるのでは?という疑問が生まれ、中枢回路を遮断して、宇宙船の制御だけをさせる事を決断しました。

 

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HAL9000


しかし、それを察知した(どうやって察知したのかはご覧ください)HALは、次々と船員を殺害していきます。


辛うじて生き残ったボーマン艦長は、HALの思考中枢を手動で停止させるのですが、この時HALが歌う「デイジー」がコレまた映画史に残る大傑作。

 

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HALの中枢部。いろんな作品でパクられているのがわかります。


それを終えた時に、突然、フロイド博士によるVTRが自動的に再生され、先述の最高機密が明らかにされ、ボーマン艦長は初めて自分の真の任務を知る。というところまでが、第3部です。


上映では、第3部の途中で20分ほどインターミッションが入ります(昔のVHSはそれをカットしていて、そこも無残でした。。)。


さて。


本作をポカン。とさせてしまうのは、このとてもよくできたサスペンスを挟んでいる、原始時代と木星に到達してからの第4部です。


原始時代は、キューブリックの一貫した人間観が端的に表現されている部分で、謎の物体「モノリス」に接触する事で、猿とさほど違わないような生活をしていた人類が、道具を使うという知恵を発現するという事を、とても象徴的に表現しています。

 

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接触/覚醒」は富野由悠季の重要なテーマである。

 

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しかも、その道具は、動物の骨であり、水を奪おうとする他のグループの類人猿を叩きのめすためのものであったと。


つまり、人間のこれまでの進歩を暴力の拡大の歴史。であると、かなりニヒリスティックに見ているんですね。


ですから、空中に放り投げた骨が、軍事衛星にパッと変わるのは、そういう事を端的に表現しているんでしょう。

 

しかし、「モノリス」は2001年になって、再び人類にメッセージを発してきたんですね。


そのメッセージが第4部なのです。


物語という形で明確に示さず、かなりサイケな映像の洪水と、最後の、『ツインピークス』のブラックロッジのような(私はリンチの着想に本作は影響与えていると思います)シーンに突然飛んでしまうのが、意味不明に感じるのだと思います。


第4部の映像は、「モノリス」がボーマン艦長に見せているものと考えるのが自然でしょう。

 

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突然始まるサイケな映像の嵐!


それは人間の理性をはるかに超えるものであるので、科学者である、ボーマン艦長はただただ恐れおののいていますが、彼が見せられたのは、宇宙の誕生の歴史であり、それがやがて太陽系、地球の誕生までのダイジェストだったのだと思います。

 

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最後にボーマン艦長ががあの「部屋」で体験したのは、人間の一生という事でしょう。

 

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そして、「部屋」。デイヴィッド・リンチはかなり影響うけたのでは。


科学の力で木星にまで到達できるようになった人類が再び数百万年ぶりに「モノリス」に接触し、ボーマン艦長は、なんと、転生してしまいます。


ボーマン艦長は、進化した人類として地球に帰還してきて、「モノリス」から受け取ったであろう、メッセージを伝えようとするところで、映画は終わってしまいます。


こうして、文章にしてしまうと、とてつもなくシンプルな事を描いている作品なのですけども、本作が20世紀の金字塔たり得ているのは、その圧倒的な映像の力ですね。

 

1968年。というと、もう50年も前に上映された作品なのにもかかわらず、映像の力強さが全く落ちていない。

 

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無重力という状態がどういう事なのかを執拗なまでに表現しています。


SF映画というのは、20年経つと、後の技術革新によって、あっちゃー、コレは流石にもうキツイわー。となってくるのもなのですが(CGはそれを加速させている気がします)、キューブリックの異常なまでにこだわりぬいた執念とも言える映像は、今もって乗り越えられない巨大な壁ですね。

 

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パンナムのロゴが眩しい!

 


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デザインが余りにも素晴らしい!

 


本作の撮影は、もう散々トリックがバレバレになっているんですが、それをわかっていても驚いてしまいます。


また、宇宙空間に人間が放出される事の恐怖の描き方は本作の白眉の一つであり、呼吸音と宇宙の計器の音のみで表現された宇宙空間の表現は、「美しき青きドナウ」が流れる中を、宇宙船がゆったりと航行するシーンとちょうど対をなしています。


こうした、キューブリックが徹底的にこだわりぬいた映像、そして、音楽および音曲効果をフルに使って表現された作品であるがゆえに、映画館で見ることでしか、理解がしにくい作品になってしまった。という問題があるのですが。

 

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この構図の見事さはキューブリックならではです。


キューブリック作品は、根底に「人間不信」があると思うのですが、本作は脚本に、原作者が入っているためか、いつもの黒い終わり方ではなく、とても希望に満ちた終わりかたになっているのも、本作が頭一つ抜ける存在になった要因なのではないかと思います?


ともかく、あらゆるリクツが吹っ飛んでしまう、圧倒的な映像の力を是非とも劇場てご堪能ください。

 

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超人類となったボーマン艦長が人類に伝えるメッセージとは?

 

 

 

 

アメリカの格差社会をマジックリアリズムで描いた傑作!

ショーン・ベイカー『フロリダ・プロジェクト』

 

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とにかくうまい。驚くほどうまいですね、この映画は。


子供たちのホントにいい絵が撮れているんですね。

 

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ドラ猫ギャング団


ショーン・ベイカーという監督の作品はコレ以外に見たことないんですけども、相当な演出力の持ち主であることが、冒頭のシーンでわかりますね。


まあ、かわいい悪ガキどもでしょうか(笑)。


主人公ムーニーのお母さんは、身体にゴッツい入れ墨を入れている、ロッキンなシングルマザーです。


こうして書くと、楽しそうなお話しなのですが、よくよく見るとコワイ映画なんですね。


このお母さん(と呼ぶにはなかなか厳しい人ですが)、と娘のムーニーが住んでいるのは、モーテルです。

 

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ムーニーたちの住む、マジック・キャッスル・モーテル


要するに、賃貸住宅に住むことができないほど貧しい人たちなのです。


とんでもない大富豪がいて、史上最強の軍事力を持った国に、こんなに貧しい人々が住んでいるんですね。


そういう厳しいと現実をこの監督は、チラッチラッと見せるんです。


子供たちの視点からは一切その事に気がつかず、楽しくノラ猫ライフを送っているのですが、それがコワイですね。

 

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子どもたちのシーンだけを見ていると、『やかまし村の夏休み』なのだが。


明確なストーリーがしっかりあるお話しではなく、子供の視点から見た現実なので、夏休みをエンジョイしているという事が描かれているんですけども、観光客相手に盗品を売ったり、売春などをなどをしてまともな定職につかない母親、そんな親子の事を可哀想に思う、モーテルの管理人のボビー(なんと、ウィレム・デフォーです)。

 

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ムーニー親子を気遣う、ボビー(ボビー・ペルーではありせんよ)。


ディズニーランドの花火が盛大に打ち上がるのを見て楽しむシーンが出てきますので、モーテルはディズニーのすぐ近くにあるのがわかるんですけども、あの「夢の国」のすぐ近くにある、ドン底の世界。という強烈な対比を淡々と描いていますね。

 

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しかも、主人公の女の子には、その事が全くわからず、毎日が楽しい日々でしかないという。


子どもというのは、適応能力が抜群にあって、そういうものだと思うとそこで楽しみを見つけてしまうので、客観的にはかなりマズイ生活なのですけど、子どもたちと楽しく遊んで、花火を見ていられるので、何の問題も感じてないんですね。

 

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このシーンは見てのお楽しみ(笑)。


しかも、その天真爛漫ぶりが、あまりにも自然に画面に収まっていているのが、見ている私たちの胸に突き刺さってきます。

 

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子ども達に自由にやらせている脇を、ベテランのウィレム・デフォーが、ホントにただの管理人のおっさんを演じる事で、リアルをちゃんと表現しているところがこの映画のキモであり、陰のMVPは、やはり、デフォーと言えるでしょう。


最近のアメリカ映画は、ハリウッド大作よりも、こうした低予算映画にいいものが増えてきていている気がしますね。必見。

 

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ヴィスコンティにもフェリーニにも見える、イタリアの隠れた傑作!

ヴァレリオ・ズルリーニ『激しい季節』

 

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戦争とは無関係に生きる人々。ちょっと『ベニスに死す』っぽくもあります。


コレもなかなか見る事が困難だった作品で、幻の作品になってました。


ようやくDVD化して容易に見ることができるようになりました。

 

ムッソリーニ率いるファシスト政権の末期の1943年。


すでに連合国軍は、イタリア本土に迫っております。

 

冒頭に、浜辺で遊ぶ人々の所にドイツ軍のメッサーシュミットが超低空で飛来し(CGなどありませんから、ホントに飛んでるんですよ!)、人々は逃げまどいます。

 

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ホントに低空飛行させてます!スゲエ!!


映画が公開されたのは1959年ですから、第二次世界大戦の記憶が生々しくというか、出演しているほとんどの人がその経験者という事です。


ジャン=ルイ・トランティニャン演じるカルロは、北イタリアの避暑地(フェデリコ・フェリーニの故郷ですね)の別荘に戦火を逃れていた際に、先述の事態に巻き込まれ、その時に逃げ遅れた女の子を助けました。


避暑地のような場所もすでに危なくなっていたんですね。


その母親が、エレオノラ・ロッシ=ドラーゴ演じる、ロベルタで、大邸宅に住む富豪でした。

 

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彼女の代表作ですね。トランティニャンも若いです。


要するに、トランティニャンとロッシ=ドラーコは、ファシスト政権におけるエリート階層なのですね(笑)。


ファシスト政権下で恩恵を受けてきた人たちの姿を描きながら、それはそのまま、戦後の、日本で言うところの太陽族の姿を描いていると言う、ちょっとヒネリの効いた戦後の日活映画みたいな作品です。

 

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イタリアのアイドルが出演しているので、ちょっと日活青春映画みたいな雰囲気がありますね。


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ロベルタの旦那さんはイタリア海軍の軍人で、あえなく戦死してしまい、未亡人となります。


そこに、「ハンサム」を絵に描いたような、カルロ。

 

不倫(厳密に言うと、不倫とも微妙に違いますが)は一挙に加速していくんですね。

 

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ハンサム!


カルロは父親がムッソリーニ政権の中で権勢を振るう人物のようなのですが、カルロは典型的なノンポリのおぼっちゃまで、父の政治活動にもファシズムにも無関心な高等遊民です。


トランティニャンは、後にベルナルド・ベルトルッチ暗殺の森』で、「体制順応主義者」を演じていますが、この作品を踏まえて、ベルトルッチは配役したのでしょう。


さて。1943年。と、ワザワザ冒頭に出てくるのですが、第二次世界大戦に多少詳しい方ならおわかりの通り、ムッソリーニ政権が崩壊する年ですね。


要するに、ちょうど大混乱のイタリアを描いているんですよ。


お話の後半でムッソリーニは首相を辞任し、海軍元帥であるバドリオを首班とする臨時政府が国王ヴィットーリオ=エマヌエーレ3世によって指名されました。

 

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ムッソリーニの像が倒される。何度も見たシーンですね。


アレッ。国王?


実は、イタリアは1946年まで王国でして、ムッソリーニも、ヴィットーリオ=エマヌエーレ3世のもとで首相となっていたので、国家元首はあくまでも国王でした。


戦後、国民投票により王政が廃止され、王族たちはイタリアを去りました。

 

閑話休題

 

この作品を見ていて、フト、思い出すのは、やはり、ルキーノ・ヴィスコンティですよね。


不穏な時代に背を向けるように生きる人々とその没落を常に描いてきた映画監督ですけども、本作の脚本を担当している人を見ると、その一人に、スーゾ・チェッキ・ダミーコがいるではありませんか。


彼女は、『若者のすべて』、『山猫』、『ルートウィヒ』などのヴィスコンティ作品の多くに関わっていた名脚本家ですね。

 

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ヴィスコンティとダミーコ。名コンビです。


ファシスト政権の特権階級たちの子供たちの姿は、そのまんま、フェデリコ・フェリーニの大傑作『甘い生活』のラストの狂乱の宴会のようでもあり、本作は、ネオリアリズモから60年代のイタリア映画黄金期へのちょうど転換期に出てきた作品ですね。


ヴィスコンティ的でもあり、フェリーニ的でもあり、全体的な雰囲気が石原裕次郎主演の日活映画でもあるという、不思議な魅力のある逸品です。


ビング・クロスビーを使ってデカダンを表現するなど、音楽の使い方もセンス満点です。

 

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ちなみに、コレは公開時にはカットされたシーンです。


ラストが、サム・ペキンパーもびっくりな衝撃を与えるのが、今見ても驚きですけども、まだイタリアが戦場になってから20年も経ってないという時代ですから、そりゃ生々しくなるのは、ある意味当然なのでしょう。

 

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戦闘シーンが今見てもかなりの迫力です。時代のなせ業でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カンヌ→カン(笑)

ホン・サンス『それから』

 

またしても不倫モノなのですが、1日の出来事で主人公のキム・ミニの立場が二転三転するという、ホン・サンス作品の中でも、なかなか劇的な作品。

 

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夫の浮気を見抜く奥さん


珍しく、かなりヨリの絵が出てくるのも驚きました。

 

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こんなに寄ります。

 

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愛人チャンスクと社長。手前に本を積んで、珍しく奥行きを強調する構図。


ホン・サンスは基本、ヒキの絵をキャメラ一台で、ワンシーンが長いんですけども、初めから結構寄ったままの絵が何度か出てきて、まあ、要するに、いつもの作品よりも、比較的オーソドックスにできているという事なんですけども、いつもいろいろ仕掛けを講じてくるので、普通である事になかなか気がつけないという(笑)。


とはいえ、アレッと一年近く時間経過してしまったりするので、やっぱり油断なりません。

 


そして、どっかで見たことのあるような反復が。

 

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それからどうなるの?というところでスッと終わらせるのは、相変わらずホン・サンス演出が冴えわたってますね。

 


主人公のキム・ミニが小説家志望で、出版社の社長で文芸批評家でもある浮気性の男がメインなので、結構、ロメール的なインテリな会話が出てきますけども、ロメールに似てると言われている割には、実は、そういう会話がそんなにでてこない事に見てて気がつきましたね。

 

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アルムの初出勤のはずだったが。。


ホン監督の何かを飲んだり食ったりしている時の会話は、ほとんど日常のたわいのない事ばかり話してるんですよね、よく考えると。

 


タイトルがなぜ「それから」なのかは、見てのお楽しみに。

 

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社長役のクォン・ヘリョは、『夜の浜辺で1人』でカンヌンの映画館に勤務する先輩役で出演してます。