ギリシャ史にして「映画史」!

テオ・アンゲロプロス『エレニの旅』

 

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時代に翻弄される、エレニとアレクシスのお話しです。


邦題が「そうなのか?そんなに旅してないけど」という気がしますけども、まあ、それはそれとして。


アンゲロプロスが3部作の第1作として発表した作品で、相変わらずの重厚な、歴史劇で170分の大作です。


残念ながら、次回作『エレニの帰郷』(内容的には続編ではありません)を完成させ、第3作目の撮影中に交通事故で亡くなってしまい、3部作は未完に終わりました。


アンゲロプロスの驚異的な長回し撮影は、やっぱり、溝口健二の影響なのかな?と昔から推測はしてたんですけども、本作はここまで露骨に溝口の影響を隠す事なく映像としてみせてしまうのか。という事実に驚愕しました。

 

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溝口健二の戦後の代表作の1つ、『山椒大夫』は本作アンゲロプロスに多大な影響を与えました。


恐らくですが、この3部作はアンゲロプロスにとっての「映画史」、それすなわち、「激動の20世紀ギリシャ史」にするつもりだったのではないかと。


それを伺わせるショットが、たったの一度、DVDで鑑賞しただけで、いくつか見えてきました。

その1。


主人公エレニが住んでいる、テッサロニキのゲットー(テッサロニキギリシャの港町で、ロシア革命第一次世界大戦トルコ革命という戦乱を逃れた人々が多く暮らしている、いわば、難民受け入れ都市になっていました)のシーンで何度も繰り返し映る、真っ白なシーツがたくさん干されて、風に吹かれているシーン。

 

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アレッ、これ、アンジェイ・ワイダ灰とダイヤモンド』なのかな?いやいやまさかね。と思っていたら、反体制派の音楽家ニコスが独裁政権の警察と思しきものに射殺されるシーンが(笑)

まんまじゃないか!

 

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灰とダイヤモンド』ではありません!

 

その2。


主人公エレニは、ロシア革命の勃発に巻き込まれ、ギリシャに逃げてきたという設定になっています。


彼女は、クリミア半島オデッサ(敢えて当時の名称とします)に住んでいて、そこに赤軍が乱入してきてして両親が死んでしまいました。


スピロスという、ギリシャ系住民のリーダーが幼いエレニを助け、ギリシャまで集団で逃げてきたんです。

 

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オデッサから命からがらギリシャまで逃げていきた、スピロスたちを荘厳に映すアンゲロプロスの演出!


この難民は新しく村を作りまして(なんと、本当にセットで村を作っています!)、エレニはスピロスの子として育てられます。


その村がですね、なんとなーくアンドレイ・タルコフスキーのような雰囲気を醸し出しているんですよ。


具体的な作品としては、遺作『サクリファイス』です。

 

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タルコフスキーサクリファイス』より。に、似ている!

 

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タルコフスキー『ストーカー』、『ノスタルジア』を思わせる廃墟。水と炎ですね。


内容に立ち入るので、説明は省きますが、この村は後に水没する事になります(コレを撮りたかったので、わざわざ、村をセットで作ったわけです)。


タルコフスキーじゃないか(笑)!


水没する村から人々が船で脱出するシーンの圧倒的な映像はアンゲロプロスの独断場ですね。

 

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この「水没する村」が撮りたくて、本作を作ったのでは。とすら思わせるほどに素晴らしいシーンです!

 

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で、やっぱり、溝口『山椒大夫』とも似てるわけです。

 

その4。


そして、主人公の幼なじみで、駆け落ちしてしまう、アコーディオン奏者のアレクシスが生活のために所属する楽団。


それはアンゲロプロスの代表作、『旅芸人の記録』の反復です。

 

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上が『旅芸人の記録」で下が『エレニの旅』です。

 

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そして、圧巻の悲劇的ラストシーンは、まるで、エレニに田中絹枝が憑依したようなシーンで、主人公が絶許して終わるという、アンゲロプロス作品としてはかなり異色な終わり方なんです。


おおおお、溝口や…

 

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西鶴一代女
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山椒大夫


という事で、タルコフスキー、ワイダ、溝口、そして自作のリミックスを基本に画面が作られている作品なのです。


さて。


本作は、日本では極めて馴染みのない、近現代ギリシャ史なので、ある程度、19-20世紀のギリシャについて知っていないととっつきにくいと思いますので、概説的に説明しておきますね。


1821年のギリシャ独立戦争によって、オスマンからの独立を求めて人にが蜂起します。


1832年には、ギリシャバイエルン王国から王室を招き、王政となり、オスマン朝からの独立が成立します。


ギリシャはヨーロッパの文化的ルーツだ!」という極めて身勝手で一方的な主張の後押しが国際世論を動かし、この奇妙な王国が出来上がりました。


こんな国家がマトモにやっていけるはずなどなく、以後、バルカン半島の動乱に常に巻き込まれ続けるわけです。


国王が途中からデンマーク王室から招かれるとか、もうギリシャ人の意向などお構いなしです。


オスマン朝第一次大戦に敗北したのをいいことに戦争をしかけたのですが、クーデタで政権を掌握した、ケマル・アタチュルに撃退されたり、その結果責任を問われ、王政は廃止となります。


そのお隣りでは、ロシア革命が起こり、ソヴィエト連邦が成立します。


コレが言って仕舞えば、現在のウクライナ問題の直接の始まりなのであって、ものすごく根深いのですね。。


この映画は、第一次大戦後の不安定なギリシャのお話しなんですね。


王党派は常に王政復古を狙っていて、実は何度もクーデタを起こしては、失敗しているんです(映画では出てきません)。


しかし、1935年に失脚していた、ゲオルギウス2世が国民投票により復帰し、更に翌年には、メタクサスによるクーデタが勃発し、彼の独裁体制が成立します。


しかし、この体制はナチスドイツの侵攻により呆気なく崩壊し、ゲオルギウスは亡命します。


ナチスドイツの占領は連合国イギリスによって解放されますが、今度は王党派と左翼勢力の内戦です…


アンゲロプロス作品の画面が常に曇天なのは、このような歴史的事実を反映したものなのですね。


およそ、「民主主義発祥の地」とは思えぬ歴史を終生描き続けてきたアンゲロプロスの、恐らくは集大成とも言える作品は、こう言った説明のほとんどがなされないため、エレニたちが何に翻弄されているのか、ほとんどわからないんです。


しかも、アンゲロプロスはこの歴史を、あたかも、溝口健二の『雨月物語』や『山椒大夫』を思わせる幻想的な語り口で雄大で重厚ない映像で語るので、なかなかにわかりづらいですね。

 

 

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溝口健二の持つ、残酷で幻想的な美しさをアンゲロプロスは追求してますよね。


本作は他の彼の作品に比べると、登場人物に不満として語らせているので、むしろ驚きますが、私は結局のところ、先に述べた事がわからなくてもいいという事をアンゲロプロスは言っているのではないのかとも思います。


そういう事は、本などを読んでいくらでも勉強できるだろうし、それはむしろ個々人がやって欲しいのだろうと。


それよりも、この歴史的大悲劇を昇華して作られた、映画というものが持つ強度こそが肝心なのだと言っている気がするのです。


ですから、ギリシャ史と「映画史」を融合したような、誰にも作れない巨大な映像を敢えて作っているのではないのかと思うのです。


3部作の最後が一体、どのような「映画史」との融合を成し遂げるつもりであったのかは、残念ながら見ることはできませんが、このアンゲロプロスの渾身の大作は必見です。

 

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はい。コレはフェリーニ『そして船は行く』ですね。

 

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