ルキーノ・ヴィスコンティ『ルートヴィヒ』
ヴィスコンティが編集作業中に倒れ、半身麻痺となり車椅子に乗りながも制作された、約4時間の執念の大作。
残念な事に、生前はヴィスコンティの望む形での公開はできなかったらしく、180分、果ては、140分バージョンまであるらしく、かなり無残な事になっていたようです。。
バイエルン国王ルートヴィヒ2世の生涯を描いた作品で、ヴィスコンティの最高傑作と言ってよい作品でしょう。
1863年に即位し、1886年に謎の死を遂げているのですが、この時代はドイツにとって激動の時代でした。
ルートヴィヒの即位式。何たる豪華絢爛!
近代化に大幅に遅れ、統一国家ですらなかったドイツの統一は待ったなしの状況でした。
その統一をいかにして行うか?で、大きく2つに各領邦国家は揺れていました。
1つは、新興国家プロイセンを中心として行っていこうというもの。
もう1つは、オーストリア帝国、即ち、ハプスブルク家を中心としたドイツ統一です。
後者は、かつては「神聖ローマ帝国」としてヨーロッパの覇権を握った一族ですが、その力は以前ほどのものではなくなっています。
かたや、18世紀から着実に力を蓄えてきた、ホーエンツォレルン家。この頃は、かの鉄血宰相、ビスマルクを中心とした「上からの改革」が進行中です。
もう少し具体的に言うと、プロイセン王ウィルヘルム1世とオーストリア皇帝フランツ=ヨーゼフ1世のどちらを盟主としてドイツを統一すべきなのかが、問題だったわけです。
オーストリアを中心とした統一に反対したプロイセンは、「ドイツ連邦」から離脱し、オーストリアに対して戦線布告してきました。
1866年に勃発した普墺戦争です。
ドイツ南部の大国バイエルンは、立場上、ハプスブルク家についたので、プロイセンと戦うこととなります。
しかしながら、この映画はそういう政治的な激動はほとんど出てきません。
ルートヴィヒは、文学や演劇、音楽、とりわけ、この時代を席巻していたワーグナーの音楽に心酔しきっていて、債権者から追い回され、革命家として警察に追われている彼をバイエルンに呼び寄せ、新作『トリスタンとイゾルデ』の上映のためにワーグナーの求めるがままに援助をするという、およそ国王とは思われないような事に熱心なんですね。
ルートヴィヒと激似のワーグナー。
結局、内閣は湯水のようにカネを無心する(しかも、ルートヴィヒに感謝すらしていません)ワーグナーをミュンヘンから追放してしまいます。
しかし、金銭的な援助はずっと続けていて、超大作『ニーベルングの指環』を上映するためにバイロイトに劇場を作るのを援助しています。
そして、ワーグナーを手元に置けなくなると、今度は築城を始めます。
国家財政に打撃を与えるほどにです。
生活も乱れに乱れ、同性愛に耽ったり、気に入った役者を城に呼び寄せて、クタクタになるまで、セリフを延々と言わせたりと、タガが外れていきます。
国王に即位したばかりの頃の美しい風貌が、だんだん魔人のようになっていって、不摂生でしょうか、歯が虫歯でボロボロになっていきます。
だんだんと風貌がヤバくなってきます。
結局、閣僚たちルートヴィヒは政務能力がないとみなし、退位させてしまいます。
映画ではその後の普仏戦争とドイツ帝国の成立などの歴史的なエピソードは全く出てこなくなります。
政務を一切放棄してミュンヘンに行かず、ノイシュバンシュタイン城に籠って自分の妄想に浸り続ける生活が映画のメインです。
現在のノイシュバンシュタイン城。やってる事は、中央アフリカ帝国のボカサ1世と変わらないという。。
彼の倒錯した狂気の世界をひたすら撮り続けるという、驚異的な演出で本作は進みます。
魔人と化したルートヴィヒ!
出てくる映像はどれもこれも贅を尽くしたホンモノの荒らしで、気が遠くなりそうです。
国王ルートヴィヒを演じるヘルムート・バーガーの演技はまさに畢生の名演で、4時間ほとんど出ずっぱりですが、見事という他ありません。
個人的には、ノイシュバンシュタイン城の地下にある人工湖に小舟を浮かべて、ルートヴィヒがゆっくりと登場するシーンがツボで、ほとんどギャグスレスレの倒錯感が素晴らしいですね。
その彼が唯一憧れていた女性であるオーストリア皇后エリザベートを演じるロミー・シュナイダーの見事なこと!
ロミー・シュナイダー。余りにも神々しい!
エリザベートはルートヴィヒが築城した城を、辞任した大臣の経費の明細付きの手紙を見て見学に行くのですが、余りに贅を尽くした廊下を見て、大声で笑いだすシーンは、本作最大のハイライトだと思います。
実際のエリザベートは、ルートヴィヒに勝るとも劣らない浪費家で、ハプスブルク家と折り合いがつかなかったこともあり、ヨーロッパ各国で遊行三昧出会ったようで、本作でも「私とルートヴィヒは長所と短所が似すぎていますね」というセリフがあります。
築城プランを見せびらかすルートヴィヒ。
そのエリザベートも、1898年に暗殺されていますけどもね。。
ヴィスコンティのホンモノ志向は大爆発し、ホントにルートヴィヒ2世が作った城を使って撮影してます。
基本、セット撮影が好きではないんですね。
それから、余りにも似ている、トレヴァー・ハワードの演じる大作曲家、ワーグナー。
共和派として、ドイツ各地でお尋ね者になっているような人物ですが、過剰なまでに貴族趣味なクセに、債権者から追い回されている不安から不眠症気味という、傲慢と臆病さが同居する、極端に矛盾したキャラクターを演じており、登場シーンは決して多くないですが、大変印象に残ります。
愛人から後にワーグナー夫人として、ワーグナー死後も権力を振るった辣腕の女傑、コジマ(お父さんは偉大なるピアニスト、フランツ・リストです)を演じるのはイタリア映画の重鎮、シルヴァーナ・マンガーノ。
ワーグナーの窮状を訴えるコジマ。
コジマとワーグナーの間に生まれた子供に、自分の歌劇の主人公とおんなじ名前、ジークフリートと名づけ、誕生日に「ジークフリート牧歌」を演奏させるシーンは(ちなみにコレはホントにやりました。つまり、これが初演です。1870年)、この陰惨な悲劇の中でほとんど唯一救いのあるシーンですね。
ヴィスコンティはあたかも本作をトーマス・マンの『魔の山』のような構成で映画を作っています。
普墺戦争までの3年間は大変綿密で、時間軸もわかるように描いており、戦闘シーンこそ全く出てきませんが、国際情勢についての閣僚たちのセリフも出てくるんです。
ワーグナーやエリザベートとの交流もとても丁寧に描かれています。
幸せだった頃のルートヴィヒ。
しかし、ワーグナーを追放せざるを得なくなり、ゾフィとの婚約も不成立となってからは、だんだん時間軸があやふやになってきて、いつ、どこが不明確になってきます。
「とっくの前にワーグナーは死んでるでしょ」というエリザベートのセリフで(ワーグナーの死去は1883年)、時間がいつの間にか結構経っていることを示したり、国王退位を画策する閣僚たちの食事シーンにチラッとだけ「1886年」と書いてあるメニューが映ったり、とポイントポイントしか時代がわからなくなってしまいます。
マンの『魔の山』も、最初の1日に文庫本で100ページ以上をかける念入りな書き方をしていながら、最終章は第一次世界大戦のどこかの戦場。くらい曖昧になって、ほんの数ページになります。
ヴィスコンティは、トーマス・マンを若い頃から大変尊敬していて、実際、『ベニスに死す』を映画化しているくらいですから、本作の時間軸にトーマス・マンの手法を取り入れた可能性は高いでしょうね。
とにかく、圧倒的な作品であります。是非ご覧ください。
ちなみに、1995年に修復されたものでは、全部で5章ほどにわかれている構成でしたが、現在のバージョンは「第○章」がすべてカットとなっているようです。