スタンリー・キューブリック『バリー リンドン』
レドモント・バリーの初恋
ウィリアム・サッカリーの同名小説を映画化した大作。
当時の評判はアンマリ芳しくなかったみたいですね。
多分、もっと冒険活劇みたいなものが期待されていたんでしょうけども、そういう事にキューブリックは興味がなかったんですね。
レドモント・バリーという、アイルランドでもそこそこの家柄出身の若者が、従姉のノーラと結婚しようとするイングランド軍の大尉、ジョン・クインと決闘してしまったことから始まる、バリーの数奇な運命を描いているのですが、前作が、あのウルトラヴァイオレンス作品『時計じかけのオレンジ』というのは驚きですよね。
結局、クイン大尉は。。
あんな恐い映画から、イギリスの文豪の作品に真正面から取り組むという、次の展開が全く読めなさがキューブリックのすごさですね。
本当はナポレオンを映画化したかったようなのですが、それが実現できず、本作が作られたようです。
前半の山場は、山賊に全財産を奪われ、途方にくれているところ、イングランド軍が兵士の募集をしていて、そこから7年戦争(1756-63)に参加する事になった場面ですね。
無一文になるレドモント。
キューブリックは一貫して軍隊組織というもの不合理さ、冷酷さを『スパルタカス』や『博士の異常な愛情』、『フルメタル・ジャケット』で描いてきましたが、本作もそれは当てはまります。
『スパスタカス』と似てますよね。
それほど、アクション的に興奮しない戦闘シーンばかりの映画というのは、他に例を見ないのではないでしょうか。
そういうところは、『スパルタカス』でのクラッススとの決戦シーンでもかなり見えてきますけども、本作はそれをもっと徹底していますね。
ポツドルフ大尉
また、イングランド軍から脱走してしまった事が発覚し、やむなくプロイセン軍に入隊せざるを得なくなり、戦場でポツドルフ大尉を救い出した功績で、フリードリヒ金貨2枚(どれくらいの功績で、どれ位の価値があるのか全くわからない。。)を貰うシーンは、何か、『時計じかけのオレンジ』で、アレックスが殺人罪などで刑務所に入るシーンのあの刑務官たちのマシーン感を髣髴とさせますね。
イングランド軍を脱走する際に、チラッと同性愛のシーンが出てきます。
そういえば、『スパルタカス』でもキューブリックの死後に復元されたローレンス・オリヴィエとトニー・カーティスの入浴シーンは、どこか同性愛を髣髴とさせていました。
映像こそ、破格に美しい文芸作品ですが、やはり、根底に流れるキューブリックの考えは、一貫したものがあります。
プロイセン軍での功績で、警察官に栄転し、賭博師にしてスパイという、シュヴァリエ・ド・バリバリーと称するアイルランド人に接近するという任務を授かります。
シュヴァリエ・ド・バリバリー。反則な風貌。
この映画、今ひとつ、バリーが魅力的でないのですが、そのかわり、脇役がとてもいいです。
バリバリーは、その中でも、ストレンジラヴ博士級のインチキ臭いキャラです(笑)。
バリーはバリバリーに思わず自分がアイルランド人である事を告白してしまいます。
そして、ポツドルフ大尉には、詳細な虚偽の報告をし、バリバリーの召使いとして、プロイセン貴族からイカサマ博打でカネを巻き上げるというコンビを組んでしまいます。
貴族をドンドンと借金地獄にはめ込んでいくッ!!
なんだか、『銀と金』を思わせますね(笑)。
プロイセンの警察もマンマと騙して、バリバリーとバリーは、プロイセンから脱出し、イカサマ師として各国の上流社会で暴れまわります。
この辺が本作で一番痛快な所ですね。
イカサマ賭博でシコタマ貴族にカネを貸し付け、支払期限になると、バリーと決闘させて完膚なきまで叩きのめして、その日のうちに全額支払わせるという豪腕で、荒稼ぎをするんですね。
上流社会のなんとも醜い世界を、ロウソクだけの自然光を使った驚異的な撮影で表現する様は、もう、圧倒的という他ありません。
コレは全編にわたって言えますが、とにかく衣装がべらぼうに素晴らしい。
アメリカ人の監督でここまでヨーロッパ貴族社会を表現できているというのは、ちょっと驚異的です。
さて、散々カネを稼ぎまくったバリーは、貴族社会の一員になりたくなります。
リンドン卿一家。
ターゲットにしたのは、チャールズ・レジナルド・リンドン卿というアイルランドやイングランドに領地を持つ貴族で、車椅子生活をしている病気の老人でしたが、妻がまだ若い事に目をつけました。
やがてリンドン卿は亡くなり、バリーはリンドン卿の元妻と結婚し、「レドモント・バリー=リンドン」となり、まんまと貴族社会に入り込みます。
彼の人生の絶頂です。
遂に、バリー=リンドンに!
ここまでが第1部となります。
なんというか、わらしべ長者の超豪華版とでもいうようなお話で、バリーは、それほど積極的に人生を選択しているというよりも、成り行きでここまで来てしまっているような描き方に、キューブリックの人間観が出ているような気がします。
このような絶頂を極めた続きの第2部は、その没落を描くことになります。
『時計じかけのオレンジ』のアレックスは、「まとも」に戻って絶好調となった所で終わるのですが(彼の物語も、実は、それほど彼自身の選択というよりも、むしろ、国家の思惑などに翻弄され続けていますね)、バリー=リンドンの人生はある意味、アレックスよりもずっと過酷な運命を突きつけます。
キューブリックはそういう所に容赦がない人ですね。
ヴィスコンティの貴族社会への残酷な眼差しは、愛憎半ばしてますけども、キューブリックは冷酷極まりないですね。
陰鬱で退屈で、何が楽しくて生きてるのか全くわからないですが、それを見事に映像で見せてしまうキューブリックのすごさです。
バリー=リンドンの奥さんのホノリア(女伯爵、女子爵、女男爵の爵位を持ってます)の無機質感がすごいですね。
結婚式を挙げてすぐに、関係がギクシャクしていて、チャールズ・リンドン卿との間に生まれているバリントン子爵も「カネが目当てで結婚したに違いない」と、幼少ながら見抜いているのでした(笑)。
あっという間に冷えきり。。
こうなりました。
事実、レドモントは女遊びにうつつを抜かす生活になっていき、バリントン子爵もそんな父親を認めず、憎悪を募ります。
こんな生活でもレドモントとホノリアの間にはなんだかんだで子供はできまして、ブライアンといいます。
ブライアンを溺愛する夫婦。
レドモントはこの子をトコトン溺愛します。
しかし、そんなレドモントを母親は見てこう言うのです。
「あんたは何をするにも奥さんの署名がないと出来でしょ?もし、奥さんが先に死んでしまったら、財産は全て爵位のあるバリントン子爵が相続するんですよ。あんたとブライアンにはビタ一文もカネは残らないのです。そうならないためには、あなた自身が爵位を得るしかないでしょ」
そこで、レドモントは必死で爵位を得るために、運動を行います。
そこで出てきたのが、13代ウェンドーバー伯。
レドモントはウェンドーバー伯に接近します。
貴族になるべく運動を開始するが。。
金銭を周囲にたらふくばらまき、宴会を開き、無用な土地を購入し、ワイロも高官に。
しかし、コレを妨害したのは、バリントン子爵でした。
音楽会でレドモントを怒らせるような発言をし、運動はご破算に。
ここがバリー=リンドンの没落の始まりでした。
撮影のすごさは、もうあらゆる所で褒められているので、もう繰り返しませんが、『時計じかけのオレンジ』よりももっと容赦のない筆致で描くキューブリックの凄みをとにかく見ていただきたいですね。
ますますブライアンを溺愛するが。。
題材の選び方は全く読めない監督ですが、描こうとする事はとても一貫している気がします。
『スパスタカス』、『時計じかけのオレンジ』、そして『バリー リンドン』と続けてみることで、彼の歴史観、人間観というものがよく見えてくると思います。
ちなみに、お話しは1789年で終わります。フランス革命勃発の年ですね。