現在のスタイルを確立する前夜。

ホン・サンス『ハハハ』

 

 

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カナダに移住する映画監督チョ・ムンギョンとその先輩チュンシク(軽くうつ病で大学教授です)が、韓国の郊外にある、清渓山(チョンゲサン)で別れの宴会を開きながら、それぞれが徒然となく回想するという、ホン・サンスとしてはちょっと変わった作品。

しかも、酒を交わしているシーンが白黒の止め絵しかない。

映画監督がソウルの大学を解雇され、なぜ、カナダに移住するのかを一切説明しない所に、何か韓国社会への批判が込められている気がします。

回想されるのは、映画監督と先輩、詩人チョンホ、それぞれの恋愛です。

映画には出てきませんが、先輩にはちゃんと妻子がいます。

詩人は映画監督の母が経営するフグ料理の店で働く女性チョンガに好意をもっていて、この女性も満更ではない(本業は外資系の造船所で働いていてたまに店を手伝っているようです)。

監督が一目惚れしてしまったワン・ソンオクは観光ガイドをしています。

 

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監督のムンギョンとガイドのソンオク。

 

映画監督と詩人が友人になっていてもおかしくないほどに、2人の人間関係は重なるのですが、ホンの紙一重で何の関わりも持たないまま、お互いの世界を形成している。という、ある意味、それが現実な社会の私たちの生活なワケですが、そういう事をこのように見せる人は映画ではいなかったような気がします。

 

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チョンガも、詩人とも映画監督とも知り合いです。

でも、詩人と映画監督はお互いを知らず、先輩と映画監督が話す中でも、「その人知ってる、知ってる」と一切盛り上がりません。

こういう多層宇宙的な手法はこの後の作品で更にエスカレートしていきますね。

先輩のGFは客室乗務員(明らかに韓国語ではスチュワーデスと言ってますが)です。

 

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先輩のチュンシクと客室乗務員。

 

実は、詩人と観光ガイドのソンオクが同棲しているのですが、この2人のすれ違うシーンは本作でもとても重要な場面と言ってよいでしょう。

ソンオクは映画監督、詩人、先輩の知り合いですが、詩人と映画監督の人間関係にはなっていきませんし、その事を回想している映画監督と先輩はその事に気づいてません。

つまり、ソンオク、映画監督、詩人が三角関係になっている事に誰も気づいていない事になるんですね。

しかし、それがある出来事によってガクンと変わっていきます。

こういう散々前半でテクスチャを構築した所を、外しにかかるのは、ホン・サンスの得意技です。

 

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後半になっても、相変わらず、先輩と映画監督の世界は共有されないまんま、それぞれの世界として並行しているのが驚異的というか、完全にヘンです(笑)。

このように、人間関係の複雑さは、ホン作品でも1番ですが、それを解きほぐすのは時間がかかるので、後の彼の作品のように80分程度ではなく、2時間近い上映時間になってますね。

まだ、現在のような魔術的な脚本になる一歩手前です。

そういう過渡的な作品として、本作と『アバンチュールはパリで』は位置付けらら、本作がより現在のスタイルに近づきつつあるという事が言えます。

そういう錯綜した所があるので、映画館で見ただけではちょっと難解に感じてしまうかもしれません。

DVDで何度か繰り返し見ていく方が、本作はよくわかってくると思います。

個人的には、映画監督のお母さんがツボでした。

息子にお仕置きをするシーンがよかったなあ。

ホン作品の常連です。

映画監督と「李舜臣将軍」の会話も必見です(笑)。