全盛期のバスター・キートン主演監督作。
しかし、『荒武者キートン』という映画をたまたま大学の頃に見てたまげましたなあ。
キートンは、全くスタントを使ってないんですよ。
しかも、現在の映画のような、びっくり仰天な編集、撮影技術などありませんから、完全にキャメラは定位置で全体を俯瞰して撮っているので、一切ゴマカシなしの命がけのアクションの連続を、あの、涼しげな表情で全て成し遂げていくので、呆気にとられましたよ。
チャップリンは巧みな身体の動かし方やシチュエーションのおかしさ(自らが小男である事を上手く利用したコントなと)を笑いとした、基本的には、ストーリーテラーなのですけども、キートンはとにかく、アクション、アクション、リアクション。に持っていくためのタメとしての伏線張りで映画を作っていく人です。
本作も後半の怒涛の逃走劇が見もの。というか、もうコレは笑えるのか?というくらいに凄絶で(笑)、そこへ至る段取りがやっぱり上手いです。
たったの50分程度の映画なのに、お腹いっぱい楽しめました。
投資会社の共同経営者の1人として、大損害を出して困っていたキートンに、700万ドル(現在になおすと、どれくらいの価値なのかよくわからんですが)の遺産が相続される事がわかるんですね。
しかし、それには、条件があって、ある時までに結婚していること。というのものがあったのです。
それがなんと、その日の午後7時までだったので、コリャ、大変!
さあ、どうなってしまうんでしょうね?というドタバタが繰り広げられ、それがとんでもないコトになっていくのですが、ソレは見てのお楽しみ。
キートンの身体を張ったとんでもないアクションは彼の真骨頂ですが、合間、合間にチョイチョイ入ってくるギャグシーンがこれまた秀逸で、このアクセントが絶妙なタイミングなので、シンプルな筋書きが全くダレないんですね。
多分、キートンはアクションシーンを考えるのと同じくらいにギャグを考えていたんじゃないでしょうか。
あと、画面を非常に平面でとらえているところがキートンはありますね。
当時のフィルムではなかなから画面に奥行きを出すことは難しく、細かい部分までハッキリ写すのは難しかったことを非常に逆手に取ったトリックがとても上手い。
本作でも、女の人のクビがポコン。と取れるシーンは、今の映画技術でやったら、全く面白くないです。
ココまで書いていて、フト、気がつくんですが、このバスター・キートンとソックリな映画作家が未だに現役なんですね。
そうです。ジャッキー・チェンです。
身体の張ったアクション。その合間に入る、ギャグシーン。キートン。全く同じですよね。
ジャッキーは画面を3Dで考え、キートンの無表情に対し、京劇の頃に学んだと思われる、面白表情を連発。というと、アクションにカンフーを取り入れているのは、彼のオリジナルですね。