渡哲也が破滅的なヤクザを凄絶に演じる。

深作欣二仁義の墓場

 

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仁義なき戦い』の大ヒットを受けて作られた、東京実録ヤクザ作品。

戦後の闇市(ここでは新宿の闇市です)を舞台とするヤクザの抗争であり、キャスティングも一部かぶります。

しかし、本作が『仁義なき戦い』ほど持ち上げられないのは、今ひとつキャラクターの魅力に欠ける事と、ユーモアやギャグの要素が入り込む余地のないガチすぎる展開が、どこか潤いが不足している事ですね。

 

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GHQからの物資を闇市横流しして儲けようとするハナ肇

 

仁義なき戦い』のハードな部分をグッと濃縮したようで、今見てもかなりキツめです。

菅原文太演じる広能は、金子信雄を殺そうとはしませんが、本作の
渡哲也は、親分であるハナ肇に重傷を負わせて服役し、刑務所内でも命を狙われるという、容赦のない展開です(実際の石川力夫がそういう人物だったんですね)。

 

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潜伏先の大阪で、ヘロイン中毒となる渡哲也。

 

また、主人公がヘロイン中毒で荒みきっている、破茶滅茶な人物なので、バイオレンスシーンが凄まじいですよね。

人によっては、『仁義なき戦い』よりもこっちがいいという人もいるでしょう。

私は、「広島死闘編」が好きなので、どうしても本作を行き過ぎと感じてしまうのですが。。

渡哲也は、撮影中にかなり体調を崩してしまい、その顔色の悪さがそのまんま画面に映っているのもこわいですね。

ラウォール・ウォルシュ『白熱』のような、一切の情緒を拒絶したような作品です。

 

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 誰1人として感情移入できる人物がいないという凄さ。

 

 

 

 

偉大な芸術家の死を悼む。

鈴木清順ツィゴイネルワイゼン

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死人のようなのに、一番元気に動き回る、原田芳雄

 

初めて見た時の衝撃は未だに忘れられないですね。

初めて見た清純の作品は『けんかえれじい』で、高橋英樹のほとんど初主演くらいの作品だったと思いますが、はち切れんばかりのエネルギーの通奏低音に、軍部の台頭という、暗い世相が描かれている傑作で、恐らくは清純監督自身の青春時代が反映した作品なのでしょう。

コレに対して、『ツィゴイネルワイゼン』はたまげました(笑)。

一見、同じ監督とは思えないほどにアナーキーデカダンで死の匂いが全編に充満した、とても異様な作品で、こんなの見たことがない(笑)。

 

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大正デカダンを独自の視点で蘇らせる手腕が素晴らしい。

 

戦前の有閑階級のお話しで、やたらとメシを食っているシーンばかりが出てきて(コレがやたらとう美味そうなんです)、あくせく働いている気配が全くなく、登場人物は何だかみんな生きていないような気配すらする。

 

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この器の配置もなんとも異様です。

 

いつ、どこかのかはあんまりハッキリしないですけども、大正時代なのでしょう。

セリフに「ハイフェッツを聴きにいった」とあるのですが、関東大震災はお話の中で起きていないようなので、1917年の出来事ですし、大谷直子演じる原田の奥さんが亡くなる原因であるスペイン風邪の流行は1918〜19年なので、つじつまが合う事は合うのですが。

この、いつどこだかもハッキリしないし(後半になればなるほどそうなっていきます)、登場人物がまるで幽霊みたいで、一応、時間の経過はあり、ストーリーもしっかりあるんですが(笑)、全体的な印象はとても夢幻的で、悪夢的という、もう清純にしか撮り得ない、全く独特の世界になっています。

日活時代の清純は、言ってしまえば、小林旭宍戸錠といった、日活のアクションスターを主人公にしたプログラム・ピクチャーの映画監督でしたから、ここまでぶっ飛んだ映画は撮っていませんでした。

しかし、そのような映画の中で、「清純的美学」としか言いようのない映像が必ず挿入されていて、他の日活映画とは明らかに違うものを放っていました。

本作は、日活を解雇されて、全く映画が撮らなくなってしまった苦境からようやく脱出できたという開放感を、一挙に爆発させた、いわば、清純美学のみで撮られた、極めて純度の高い作品といえ、清純作品の中でもとりわけ異彩を放っているものと思われます。

この清純のイメージを忠実に再現した木村威夫の美術のすごさは、やはり、特筆すべきで、原田芳雄の家に招かれた藤田敏八が一緒に食べている牛鍋に「ドチャッ」という異様に強調された音とともに鍋に乗せられるちぎりこんにゃくや、藤田の妻の役を演じる大楠道代が腐りかけた水蜜桃を食べるシーンなど、生理にまで訴えかけてくる言い知れない不気味さを見事に演出しておりますね。

 

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食べるシーンがそのままエロスとタナトスを想起するというのは、日本映画ではほとんど見られませんね。

 

思うに、鈴木清順が大正時代にものすごい執着を持って映画を撮っていたのは、あまり、前後の日本が好きではなかったのだろうと思うんですね。

なんでも合理的で効率がよくなっていって行くことにとても嫌悪感があったのではないか。

なので、モダニズムとプレモダニズムが混交していた大正時代への愛着を映像化し続けたんではないかと。

ただ、その執着というか、妄想が他の誰とも違っていて、あまりに独特なものですから、私たちは度肝を抜かれてしまうんですけども(笑)、清純が私たちに見せてくれる、幻惑の美に私は酔いしれるばかりです。

 

また、明らかに、ブニュエル『アンダルシアの犬』、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー『情婦マノン』の引用があります。

 

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ハイ、同じですね。

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適当な映像が見つからなかったのですが、原田芳雄大楠道代をこのように担ぐシーンがありますよね?

 

元気のいい死者/死んだような生者を演じる原田芳雄の役(明らかに薬物中毒です)はある意味、これまで彼が演じたきた無頼漢のヴァリエではあり、定番ではありますけども、藤田敏八が演じる静かな狂気をたたえたドイツ語の教授
がより素晴らしいですね。

 

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映画監督としても素晴らしい業績をのこした藤田敏八。俳優としても活躍しました。

 

原田芳雄がいつものさすらいをしている最中に唐突に死んでしまってからの展開は、もう鈴木清順の独断場。

 

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こういう唐突なシーンがフト油断していると、パッと挿入されて驚くんですよね。参ります。

 

いやー、またしてもトコトン堪能させていただきました。合掌。

 

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またしても映画ではないですが(笑)。

渡辺信一郎『カウボーイ・ビバップ

 

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タイトルからして、好きなものを2つ組み合わせるという「お子さまランチ感」が満点だ。

 

とにかく唖然とするほど、好きなものをぶっこむだけぶっこんでいる、この圧倒的な情報量。

ブルース・リータランティーノジョン・ウー松本零士深作欣二、ペキンパー、松田優作などなど。

毎回のお話を精緻に分析していけば、もう数限りなく膨大なテクストの引用がありますね。

ストーリーの大半が本筋と関係のない逸脱であるというすごさ(であるがゆえに情報量がものすごい)。

しかし、それを絶妙なバランスでミックスされたスタリリッシュさ。

非常にまとまりが悪い作品だと思いますけども(笑)、それが魅力になっているという稀有な作品。

渡辺信一郎は、『サムライチャンプルー』にも言えますけども、主要キャラが圧倒的に立っていて、それでストーリーが自然に動いてしまうというか、いかにこのキャラクターを使って逸脱していくか。を楽しんで作っているようです。

 

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宇宙船「カウボーイビバップ」の面々。元警官、元ヤクザ、冷凍保存されていた人、天才ハッカーと天才犬による珍騒動が基本。

 

そして、そのなんでも放り込んでいく世界観を見事に再現していく、圧倒的な画力には心底驚きます。

多分、コレに匹敵するものを考えると、ガイナックスが制作した『王立宇宙軍』くらいしか思いつきません。

今や、日本を代表する作曲家となった菅野よう子のサントラの出来栄えは、ちょっと桁外れですね。

今堀恒雄菊地成孔という、日本でもトップクラスのミュージシャンを起用して作られたサントラのハイブラウ感は、とてつもないです。

とにかく、過剰なまでのクオリティをテレビアニメという枠から溢れ出すような勢いで作ることができたのは、『王立宇宙軍』と同じく監督第1作であったというのが大きいのでしょうね。

好きなもの、やりたい事を全部放り込んで、後は野となれ山となれ。という無謀なエナジーが全話にみなぎっていて、それは逸脱の会でも、主人公スパイクを中心としたシリアスな回でも同じ熱量というのがすごいです。

ルパン三世』以後、最もキャラクターを確立したアニメ作品だと思いますが、意外にスピンオフ作品やpart2のような形で制作される事がない作品ですが(映画版が1作だけ作られました)、恐らくは、もうこの熱量で作る事は監督はできないほどに打ち込んだという事なのかもしれません。

かのサンライズがロボットアニメ以外で作り上げた金字塔である。というのも、よく考えると衝撃的です。

 

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若いクリエイターたちのまっすぐな「大人ぶり」が眩しい。

 

 

コレが原点。

三隅研次座頭市物語

 

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勝新太郎をスターダムに押し上げた異形のヒーローの記念すべき第1作。

勝新が驚くほど若く、まだスーパーマン的な部分がなく、テレビ版に漂っているような、あの独特の虚無感はまだ漂っていないですが、やはり原点というのは、見ておくものです。

 

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座頭市というお話しの基本はもう完成していて(座頭市は、スジはいつもシンプルです)、旅から旅の生活をしている、盲目の按摩師(それを座頭というんですね)にして侠客(そして天才的な居合の達人)である、市という男が宿場町にたどり着いて、地元のヤクザにわらじを拭ぎ、そこの抗争に巻き込まれていく。という筋書きですね。

 

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飯岡助五郎一家。 

 

ある意味、この長大なシリーズは、そのヴァリエーションだけで成り立っていると言ってよく、なので、この作品の魅力は、細部にあります。

冒頭のサイコロ博打での、市がワザとサイコロを外にこぼして全員にサイコロの目がわかるようにして大負けし、今度は騙して全員からカネを巻き上げるというシーンは、市のこれまでのヒーロー像を覆る痛快なシーンですが、コレがこのお話しの価値観の基準なんですね。

また、飯岡助五郎から出入りの時の為の褒美を倍に跳ね上げるなど、抜け目のないキャラクターとして、これまでのヒーロー像を見事に変えていきました。

本作は、飯岡一家と笹川一家の抗争に座頭の市が巻き込まれていくというお話しですが、やはり見どころは、笹川一家の用心棒に没落した浪人の平手造酒(ひらてみき。と読みます)を演じる、天知茂でしょう。

 

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 座頭市と平手造酒の奇妙な友情。

 

ちなみにいうと、この平手造酒は実在する人物でして、飯岡助五郎と笹川繁蔵の抗争によって、1844年に死んでおります。

この武士でありながら、ヤクザ同士のケンカで死んだという得意なキャラクターは、講談や映画の格好の素材でして、戦前から無数の作品が作られました。

そういう大定番のキャラクターに、盲目の居合の達人を戦わせるという、キワモノ寸前の、今風に言えば、ほとんどマンガみたいな設定のお話しです。

コレを普通にやってしまうと、ホントにマンガ以下というか、どうしようもない感じですけども、勝新太郎は、この非現実的なキャラクターにどうやったら説得力を持たせることができるのかな、徹底的に腐心したようです。

あの、座頭市特有の異様な殺人は、勝新太郎自身で編み出したもののようでして、「盲目が圧倒的に強いという事はどういう事なのか?」を真剣に考えたんですね。

天知茂は、ある意味、これまで培われてきた結核になりながらも酒に溺れている剣豪。というすでに定番となったキャラクターを演じるという安定感があります。

しかも、役者としてのキャリアは明らかに天知茂が上ですし、それは画面からハッキリ伺えます。

 

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あの怪物、勝新太郎は、まだまだ天知茂を圧倒するには至っておりません。

そういう、まだまだ未完成な部分も踏まえて本作を楽しんでもらいたいですね。

三隅研次の、暗さを活かした画面演出も、素晴らしいです。

大映のプログラム・ピクチャーに過ぎなかった作品(当時の大映のスターは市川雷蔵なのであって、勝新太郎は、正直、三番手、四番手の俳優でした)が、映画26作、テレビドラマ100話にまで広がり、世界中にファンを獲得するまでになった第1作目を是非ともご覧ください。

 

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コレもよかった!

原恵一百日紅

 

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杉浦日向子のマンガの映画化ですがとても不安でした。

杉浦の素晴らしい原作を台無しにしやしないのか。という不安ですよね。

しかし、監督の名前をちゃんと見てなかったんですね。

 

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ファザコンのお栄。親を「鉄蔵」と呼び捨てにする。自分の作風を確立しようと悩んでいる。

 

 

原恵一。と言えば、あの『クレヨンしんちゃん』の映画版の名作、『嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』の監督です。

よほどの覚悟があっての杉浦作品への挑戦であるとすぐに思いました。

しかもその挑戦は全く無謀でもない。

杉浦作品の素晴らしさもまた、「細やかな日常描写」なのであり、まさに原が『戦国大合戦』で私たちに見せてくれた世界なのですよね。

原監督は、『クレヨンしんちゃん』での挑戦を更に深めるために、敢えて最も険しい作品に挑んだのでしょう。

それだけ、やり遂げたい意欲が満ち満ちていたのでしょうね。

葛飾北斎を中心とする人間模様。と、言って仕舞えばたったそれだけのことを浮つくことなく丹念に、しかし、重くならずに描けると言うのは、やはり、並ではありません。

 

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北斎とお栄。ゴミ屋敷です。

 

北斎やお栄の「絵の世界」、盲目の少女、お猶(北斎の娘です)の「音の世界」をさりげなく対比させる巧さ。

決してベタベタやナアナアにならず、行きすぎてカサカサにもならない人間描写だけで全く飽きがこない。

 

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北斎と離縁した元妻。北斎の余りにアナーキーな生活に逃げ出しただけで、交流はある。

 

 

そういうリアリズムと叙情の見事なバランスに、気持ちいいファンタジックな描写が生きるんですね。

監督の人間を見る目の優しさが一貫しています。

 

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 妹のお猶。

 

確かな時代考証も素晴らしい。

 

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細かいところに行き届いた描写。

 

なんちゅうか、ホントにうまいですよ(笑)。

 

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コレがお栄こと、葛飾応為の絵です。ものすごく凝った技法で描いてますねえ。

 

没年すら定かではなく、北斎研究が進んでいった事で浮上してきた北斎応為を主人公に据えた原作の素晴らしさをここまで、映画というものに仕上げてしまう原恵一の才能は、まさに日本の宝だと思います。

クレヨンしんちゃんからここまで引き出してしまう原恵一はすごい!

原恵一クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ! 戦国大合戦』

 

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驚いた。。

なんというか、ものすごく丁寧なんですよ。

1つ1つのセリフに一切子供だましの手抜きがないんですよ。

モーレツにすごい!とかじゃなくて日常描写がものすごくシッカリしてるんです。

 

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「おまたのおじさん」や「れんちゃん」としんのすけの交流が素晴らしい。

 

しんのすけが自宅の裏庭からタイムスリップしてしまった天正2年、1574年の春日合戦という史実を絡めるという構想。

 

しんのすけを預かっている無骨者の武士、井尻又兵衛(しんちゃんはおまたのおじさんと呼んでます)、彼が密かに恋心を寄せる廉姫(れんちゃん)との身分の違う恋愛を、しんのすけの視点(それは現代人の視点でもありますが)からとてもデリケートに描いていることに驚嘆します。

 

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武士同士の約束を交わす2人。アホアホ幼稚園児がしっかりとした男の子になっていく描写が素晴らしい。

 

なんというかですね、あまりにもちゃんと作っていて、腰が抜けますよ(笑)。

 

脚本は監督の原恵一が自ら書いていますが、ものすごい実力者です。というか、実写も含めて、日本でもトップクラスの方と言ってよい。

こんな、手堅い仕事ができる監督が日本にいたんですね。

しかも、『クレヨンしんちゃん』の映画で行なっているというのが、なんともすごい。

そこに野原一家もタイムスリップしてから、ドタバタ度が上がってきて、ちゃんと子供を飽きさせないように配慮して作っているところがうまい。

 

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ホントに合戦に巻き込まれてしまった野原一家。

 

車ごとタイムスリップしていて、なんだか『戦国自衛隊』を彷彿とさせるのもいいですね。

こういう丹念な描写とともに、戦闘シーンが恐ろしく緻密でかなり時代考証にこだわって描かれていることにも驚いてしまいますね。

 

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合戦シーンの描写の確かさにも驚いてしまう。

 

何度も言いますが、『クレヨンしんちゃん』ですよ、コレ(笑)。

しかし、やっぱり一番驚くのは、人間描写ですよね。

 

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 ひろしに刀を渡す又兵衛。こういうサムライの高潔な精神が随所に光る作品だ。

 

それがあればこその合戦シーンの素晴らしさですし、そこに野原一家が突撃する荒唐無稽さが生きるんですよね。

しかも、泣けますからね、この映画。

クレヨンしんちゃん』を使ってここまで自在に自分の絵を描ききった原恵一の才能に脱帽です。

山中貞雄丹下左膳余話・百万両の壺』や宮崎駿ルパン三世 カリオストロの城』の系譜の作品と言えると思います。

いやー、ホントに面白かった!見てない方は是非ともご覧ください。

キッズコーナーからDVD借りるのに少々勇気が要りますが。

 

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れんちゃんがかわゆす。。

 

加藤+鈴木コンビが生んだ、シリーズ最高作!

加藤泰『緋牡丹博徒 お竜参上』

 

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シリーズ第6作目ですが、内容は「花札勝負」の後日談。

イカサマ賭博で儲けている「ニセお竜」と「バケ安」の娘で病気で盲目となっていた五十嵐君子(高倉健が手術代を出してくれた事で手術を受けて視力が回復しております)をお竜さんが探す。というところから話しが始まります。

 

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今回は、鈴木則文加藤泰が脚本を書いた入魂の一作でシリーズ最高傑作という人もいますね。

もうどこからが加藤泰なのか鈴木則文なのかが判然としないほど完全に融合してしまっていて、驚きます。

私も加藤泰の最高傑作の1つは、コレだと思います。

冒頭の花札勝負のシーンは相変わらず身震いするほど美しいです。

 

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このシリーズは、いろんな東映はスターとお竜さんの共演がお約束になってますが、お竜さんとの相性は、この菅原文太が一番素晴らしい。

 

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このみかんを渡すシーンの美しさ!

 

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 加藤泰のローアングル!

 

仁義なき戦い』でのギラギラしたキャラクターが強烈すぎるのですが、ここでの抑えた演技もいいんですよね。

それにしても、明治時代の浅草を再現した美術が見事!

 

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東映の美術で感心した事はあんまりないんですが、やっぱり加藤泰は違いますね。

もう、全編いい構図の連発で、完璧という領域に達してしまっていて、ケチのつけようがございません。

 

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加藤泰の美学は本作をもって完成したと言っても過言ではないでしょう。

お君とお竜の出会いのシーンの驚異的な長回しは、東映任侠映画史上というよりも、日本映史上に残る名シーンでしょう!

鈴木則文映画の常連の京唄子鳳啓助山城新伍やシルクハットの大親分は、相変わらず楽しいですね。

 

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上海に行くらしい、大親分(笑)。

 

鈴木則文ワールドが加藤泰美学に違和感なく溶け込んでいるのがまことに楽しゅうございます(笑)。

これから間も無くして、深作欣二の『仁義なき戦い』が大ヒットして、こういうファンタジックな様式美の世界である任侠映画はあっという間に消えてしまい、主演の藤純子も呆気なく引退してしまいました(その後、司会者として復活し、役者としても芸名も富司純子と改めて復帰しました)。

 

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ラカンから劇場の興行権を奪い取ろうとする鮫洲一家。

 

お竜さん=藤純子というのは、余りにも強烈に結びつきすぎてしまっており、任侠映画とともに消えていかざるを得なかったんですね。

その意味でも、次のスターである菅原文太との共演というのは、とても象徴的な意味がありますよね。

太く短く燦然と輝いたからこそ、「緋牡丹のお竜」は未だに輝き続けるのだと思います。

 

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