ゴダールとトリュフォーが競っている時代の作品。

フランソワ・トリュフォーピアニストを撃て


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この頃のトリュフォーは、ゴダールやマルと競うように過激で挑発的な手法を競っていた所がありますが、本作は、まさにその時代(それが即ちヌーヴェルヴァーグなのですが)を象徴する作品。

シャルル・ゲンズブール演じるピアニストは、彼の代表作となりました。

一応、フィルム・ノワール調なのですが、どこかトボけていて、延々と間抜けな二人組のギャングに車にアズナブールたちが拉致されながらのどうでもいい会話(明らかにタランティーノがその後マネしていますね)や、しがない場末のピアニストが実は大ピアニストであるみたいな、ご都合主義的な設定などなど、意図的な文法破壊が、ゴダールとはまた一味違う形で、チクリチクリと出てくきますね。

こういう手法を、全く独自に発展させていったのが、鈴木清順でしょう。

本作でのトリュフォーは、ゴダールに負けじと、ドライで破天荒な映画を作ってますが、私はトリュフォーの持ち味は、やっぱりそういう所にはないのかな。と、見ていて思いました。

そういう持ち味の違いが、結局、ゴダールトリュフォーのその後の映画人生を見ると、明らかになっていくわけです。

今見ると、トリュフォーのいろんな文法破壊は、結局は、技法としてスッカリ取り込まれてしまいましたから、そんなにビックリはしないかもしれません。

それがこの映画の価値を今一つわかりにくくしてしまっている点なのかもしれません。

それを割り引いても、ラウール・クタールのカメラの素晴らしさ、ジュルジュ・ドリュリューの音楽の見事さは些かも損なわれていないと思います。

ちなみに、この映画のタイトルから、エルトン・ジョンの初期のアルバム『ピアニストを撃つな』がつけられたのは、言うまでもありません。

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