切なくて、おかしくて。

フェデリコ・フェリーニ『オーケストラ・リハーサル』

フェリーニはホントに大好き。というか、『甘い生活』と『81/2』が好きすぎて、他の作品を見ることができないんですね。

この2作を見てると、もう映画にカラーなんていらない。ステレオもドルビーもCGも3Dもなくていい。これで映画は完成したんだ。とすら思ってしまうほどで、フェリーニの他の作品を見て、失望したくなかったんですね。

『アマルコルド』は恐る恐る見ましたが、とても優しい映画で、これをもって、フェリーニの映画はおわりでよかった気もします(『道』や『青春群像』は自分のスタイルを確立する前の作品なので、別モノかな。と)。

本作はタイトル通りの内容で、オーケストラのリハーサル中の団員と指揮者の対立がドンドン、エスカレートして、挙句、リハーサルをしている教会に鉄球がぶつかって崩壊。という、イタリアの政局が最も暗かった時代を反映した、フェリーニの露骨な左翼嫌いを通り越して、ほとんどバカにしてるんじゃないのか?というくらいに破壊的で些か疲労気味の内容と映像が何とも素晴らしいです。

フェリーニは弱いものへのいたわりの視線がとても強い人ですが、左翼陣営にはほとんど共感がなく、ファシスト党の独裁時代を無頓着に描く傾向があり、戦時中への恨みつらみは、『フェリーニのローマ』や『アマルコルド』でもハッキリとは示されませんね。

一番たまげたのは、オケの団員の当て振りがめちゃくちゃで、ちゃんと当て振りしてる人と、適当にしか手を動かしてない人が常に混在していて(フェリーニはワザと手の動きと音楽があってないような当て振りが昔から大好きで、『甘い生活』でもやってます。もっと言うと、フェリーニは、セリフと口の動きが全く合っておらず、声が別人に吹き替えていることもしょっちゅうあります)、もう可笑しいったらありゃしません。

トスカニーニのポスターが教会に貼ってますが、トスカニーニはそれこそ暴君のような指揮者でして、団員に一切の自由を認めない鉄の統率を行っており、それは莫大に残されている録音にクッキリと刻み込まれてますが、そんな時代を懐かしむ老団員と、まるでウェストコーストのロックミュージシャンのようにヒゲを伸ばした若い団員が「独裁者を倒せ!」と指揮者を糾弾する姿の間に、埋めようのない断絶、それは、フェリーニ自身が痛切に感じている時代からの取り残され感(それがテレビへの怒りへと転換しているのでしょう。本作はテレビ局制作です)がアナーキーかつ疲労感タップリに描かれているのが、どこか悲しいのです。

ニーノ・ロータとの最後の仕事となってしまいましたが、すでにフェリーニが過去の人になりつつある悲しみがから画面ヒシヒシと伝わってくるのがとても切ない映画でもありました。

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