ミケランジェロ・アントニオーニ『夜』
白黒で無機的には映し出される高層ビル群が不穏で美しい。
末期ガンの友人のお見舞いにいく、マルチェロ・マストロヤンニとジャンヌ・モロー(結局、友人は亡くなってしまいます)。
マストロヤンニは白黒がホントに似合いますね。
ここでの彼の役は、気鋭の人気作家、ジョヴァンニ・ポンターノです。
フェリーニ作品でのてんやわんや監督のグイドとは違っていますね(ちなみに『81/2』の方が後に制作されています・笑)。
作品としては、『甘い生活』のマルチェロのその後にも見えますね。
モローは、『死刑台のエレベーター』みたいに今度はローマの夜ではなくて、昼間のミラノにそぞろ歩きをしています。
アントニオーニは、あえてルイ・マルの代表作のパロディみたいな事をモロー本人にさせてパロディ的に反復させながらも、全く異質な作品に持っていくんですね。
そういう所がやはり並大抵ではない。
マルの作品に漂う虚無感とアントニオーニのもつ空虚は何か違っていますね。
マストロヤンニとモローの夫妻は、特に対立しているわけでもないし、むしろ、マストロヤンニは、作家として成功している人で、前途洋々には見えます。
その2人のの茫漠とした不安の原因についての説明は最後までありません。
言って仕舞えば、単なる結婚倦怠期では。と思いますが(笑)、そういうほのぼのとしたものを描こうという気が全くないのがアントニオーニです。
どこか実存主義的ですね。
マストロヤンニがパーティで出会った、富豪の娘(モニカ・ヴィッティ)と出会ってから、物語は動き始めます。
フェリーニの『甘い生活』と描いているものはかなり似ている作品だと思うんですけども(それは主演が同じだから。という事だけではなく)、受ける印象はまるで違います。
それは、フェリーニはどこまで言っても個人の心情を中心に描こうとしているのに対して、アントニオーニには、社会批評が強いからでしょう。
アントニオーニが撮ると、高層住宅もSF映画みたいになってしまいます。
『赤い砂漠』での不気味な工場のように、本作のオープニングに映し出させるミラノの高層ビル群への冷徹な眼差しは、明らかに急激なイタリアの戦後復興への批判を感じます(アントニオーニは、イタリア共産党の党員でした。後に『中国』というドキュメンタリー映画を巡ってのドラブルで、除名されてしまいます)。
高度経済成長期のイタリアの人々が、裕福にはなっていくけれども、何かココロが置いてきぼりになってしまった様子を、ある日の夜を中心に描いた小傑作。
『赤い砂漠』や『欲望』よりも、本作から入った方が、アントニオーニは入りやすいかもしれません。
アントニオーニはフェリーニと対比して見ると面白いです。