もはやSF映画の古典!

リドリー・スコットブレードランナー ファイナルカット

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ドゴォォォォ〜ン!!

 

1982年に公開され、未だに世界中のクリエイターに多大な影響を与え続けているSF映画の金字塔。

2019年の11月のロサンジェレスのお話しですから、もう間もなく時代が追いついてしまいますね。

ロサンジェレス。と言えば、あのカラッとした太陽と美しいビーチとハリウッド(と、ビーチ・ボーイズ)のおかげで、全米でも屈指の人種、宗教のるつぼであり、日本人が知る「アメリカ」のイメージは、ニューヨークよりも、ロサンジェレスの方が今日では強いのかもしれません。

しかし、本作のロサンジェレスは、人種と宗教のるつぼである事は更に進んでいますが、全シーンがほぼ厚い雲に覆われていて、雨ばかりが降っている、恐ろしく陰鬱な街です。

 

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どんよりとしているのに美しいという独特の頽廃美を作り出したシド・ミードダグラス・トランブル、撮影監督のジョーダン・クローネンウェスの仕事は特筆すべきでしょう。

 

しかし、1950年代くらいまでのロサンジェレスって、市警が腐敗しきっていて(それはその後も変わりませんが。。)、治安は悪いし、乾燥した気候ですから、風景もかなり殺伐としてました。

コレをうまく取り入れたのが、1940~50年代に大変に流行した「フィルム・ノワール」ですね。

ここから大スターになったのが、ボギーこと、ハンフリー・ボガードです。

第二次大戦後のフランス映画も、このフィルム・ノワールに憧れて、ジャック・ベッケル現金に手を出すな』とか、ジューフズ・ダッシン『男の闘い』と言った傑作が作られたんですね。

本作は、まず、そういうハードボイルド作品が下地にある点がユニークであり、また、サイレント期の大巨匠である、フリッツ・ラングメトロポリス』を彷彿とさせるレトロ・フューチャー感が満点で、ツヤツヤ、ピカピカしたSF映画の映像を変えてしまいました。

 

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メトロポリス』より。かなりレイチェルしてますよね。

 

こういう暗い世界観は、大友克洋AKIRA』でも展開しますが(奇しくも、2020年に東京オリンピックが行われようとしている、2019年からお話が始まるのです!)、両者は、フランスの漫画家、メビウスの影響を相当に受けているんですね。

 

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映画『AKIRA』より。『ブレードランナー』とよく似ていますが、連載は1982年開始ですので、パクりようがないです。

 

話のスジ自体はものすごくシンプルで宇宙船を強奪したレプリカント5名(一名はデッカードが捜査すると前に死亡しています)が地球に潜入してきたので、コレを処分すると事を専門とする、「ブレードランナー」である、ハリソン・フォード扮するデッカード捜査官がコレを処刑していく。というお話しです。

 

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2つで充分ですよ!と叱られるデッカード

 

今回見直してみて気がついたんですけども、デッカードレプリカントのレイチェル恋愛が実にうまくできてるなあ。と思いましたね。

 

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レイチェルの役はショーン・ヤング以外は考えられないですね。

 

デッカードは、反抗したレプリカントを処刑する。という仕事をしているわけですから(人造人間とは言え、外観は人間と全く変わりません。恐らく、それがイヤになって一度ブレードランナーを辞めています)、レプリカントに感情移入すると職業倫理がグチャグチャになりますよね。

ですから、レイチェルにとても冷たいんですね。

 

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 陰鬱で人間味のない世界であるからこそ、立ち上がる「人間的なもの」が本作のテーマです。

 

しかし、2人は結局接近していく事になり、最後は2人で逃亡してしまうんですけども、殺し屋という荒んだ職業をしているデッカード人間性を回復させていくのがレプリカントというところが本作のかなり倒錯したところです。

また、レプリカントのリーダーである、ロイ・バティが最後にデッカードを助けて寿命が尽きてしまいますけど、わずか4年という寿命しかないレプリカントが生きていた存在価値は、実は、他人のために尽くすという事であり、であるから、ロイは安らかに死んでいったのだと思います。

 

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ロイとプリス。2人は長生きして子供を作りたかったのでは。

 

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タイレル博士とロイ。「寿命を延ばすことはできない。短い人生を楽しめ」

 

もう散々語られている圧倒的な映像美に関しては、今更私がいうまでもない事なので、何も言いませんが、2049と見比べた時、2049が余りにも安っぽいのに愕然とした事は記名しておかねばならないでしょう。

 

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2049よりも2297かも?

ジョン・ブアマン未来惑星ザルドス

 

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このメタルなタイトルロゴがジワジワきます。

 

ショーン・コネリーはジェイムス・ボンド役をやめてからややしばらく低迷期がありましたが、恐らく、本作がコネリーの底値であったでしょう。

そして、ここからが反転攻勢でありました。

本作はカルト映画という文脈で語られるべき作品ですが、しかし、コネリーしても、シャーロット・ランプリングにしても脚本を読んで納得して出演したというのが信じがたい怪作/快作です。

ブアマン監督は、ある種の文明批判として、この極端なSF作品をイギリス人らしいヘヴィてドープな感覚で撮ったのだと思いますが、ある意味、『キン・ザ・ザ』よりもぶっ飛んだ映画になってしまっていて、笑うことすらできないブラックさに満ち溢れています。

日本の低予算特撮も真っ青なデザインセンには、経済が低迷しきった当時のイギリスがそのまま重なりますが、そのバットセンスが次第にスウィスフト級の風刺の世界に直結していくところが本作の真骨頂でしょうね。

2297年。

人類は大激変が起きているらしく、少数の人類は、「ボルテックス」というコミュニティを作って不死の存在となり、それ以外の、大多数は原始時代のようになり、ボルテックスの人々は、この野蛮人となってしまった人類が増えすぎないようにコントロールするために、「ザルドス」という神を作り上げ、野蛮人たちの一部に武器を与えて殺させるという、トンデモな世界になっていました。

 

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ザルドス!

 

ボルテックスの人たちは死ぬこともなく、労働からも解放されているので、チンコの研究をするとか、もうどうしようもなくなっているんですね(笑)。

 

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チンコの研究をしている、シャーロット・ランプリング

 

ここまで極端ではないですが、富野由悠季ザブングル』は、この構図の作品ですね(こちらはグッドデザインのグッドテイスト作品ですが)。

ショーン・コネリー演じるところのゼッドは、処刑人をやっているのですが、ある日、このボルテックスに侵入します。

 

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コレはいかんでしょう(笑)。

 

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 全米ライフル協会が大推薦しそうな世界です?

 

その侵入の仕方がトホホなんですけども(笑)、それは見てのお楽しみということで。
初めは迷い込んできたフリをしているんですが、実はそうではない事がわかってきます。

ゼッドは、ある時、野蛮人狩りをしていると、書庫を見つけます。

彼は何とかそこにある本を一生懸命読むんですね。

そして、ある本に出会った時、ザルドスの秘密を知ってしまい、彼は「神殺し」を決意したんですね。

つまり、ゼッドは初めからボルテックスの世界を破壊するために侵入していたんです。

極端な設定とモンティ・パイソンもびっくりなバッドテイストは、この文化人類学や心理学でも普遍的なテーマ、すなわち「神殺し」を際立たせるためのもので、そこにこそ、ブアマン監督の意図があったわけです。

 

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全編こんな調子なので、もうこんなのは普通です(笑)。

 

そんなゼッドの意図がボルテックス側にわかってしまう事により、ボルテックスの世界は大混乱に陥っていくわけですが、コレは見てのお楽しみです。

ショーン・コネリーは終始ふんどし一丁とかつらで頑張っているのですが(笑)、やはり、特筆すべきはシャーロット・ランプリングのドSな目つきでしょうね。

 

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 このドSな目つきが最高です!

 

人間にとって死とはどういうものなのか?を『ブレードランナー』とはまったく違うアプローチから成し遂げた、実は『ブレードランナー』と同じくらい重要なSF作品。

 

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Grateful Dead.

努力賞はあげてもよいでしょう。

ドゥニ・ヴィヌーヴ『ブレードランナー2049』

 

※公開したばかりですので画像は一切ございません!あしからず!

 

まさかの『ブレードランナー』の続編。

 

タイトル通りの30年後のロサンジェレスを描いておりまして、前作のラストのデッカードとレイチェルの失踪がお話しの中心となります。

 

冒頭で説明されますけども、タイレル社は、暴動や反乱ばかり起こすレプリカント(ネクサス8型)の製造は禁止してしまい、タイレル社も倒産してしまいます。

 

しかし、それをウォレス社という、なんだかモンサントを彷彿させる会社が「大停電」に伴う食糧危機の後に台頭し、宇宙への植民地経営が進んでいくことで桁外れに巨大な企業となり、タイレル社のノウハウもウォレス社が買収してしまいました。

 

ウォレス社は宇宙植民や地球での労働力を確保するために、新型レプリカントの生産を行い、日常生活にもレプリカントが溢れるようになりました。

 

それに伴い、ネクサス8型は旧型として違法な存在となり、ブレードランナーに処刑されていくことになります。

 

主人公のK(カフカの小説の主人公を彷彿とする名前ですね)はウォレス社の新型レプリカントブレードランナーです。

 

前作のデッカードは、レプリカントなのか?どうなのか?という所をハッキリさせてませんでしたけど、ライアン・ゴズリング演じるKは、レプリカントです。

 

つまり、新型が旧型を始末する。という、かなり残酷な構図になっています。

 

そんなKがある旧型レプリカントの処刑時に、木の下に埋まっているのスーツケースのを発見します。

 

中身は完全に白骨化した遺体なのですが、なんと、コレがレイチェルである事が判明します。

 

なんともショッキングですが、ココでKとデッカードがつながってくるわけなんですけども、さらに驚くべきことに、どうやら、レイチェルの死因は出産であった事が遺体から推測されました。

 

タイレル社のレプリカントは、とうとう妊娠するという事すらできるようになっていたという事実が判明(それはデッカードとレイチェルの間に子供ができたという事です)したという事ですね。

 

実は、この事をウォレス社の社長のウォレス氏も察知していて、秘書として使っているレプリカントのラヴを使って、デッカードと子供の捜索をさせます。

 

本作の基本構造はコレでほぼ明らかになりましたけども、本作を理解するためには、どうしても前作の内容を知らなくてはいけないので、『ブレードランナー』についても言及しなくてはなりません。

 

前作の『ブレードランナー』は、とにかく、近未来世界をどう見せるのか?という事がまずもってとてつもない作品でした。

 

シド・ミードがデザインした2019年のロサンジェレスは、その後の近未来SFの世界観を一変させてしまったと言っても過言ではなく、また、ほとんど曇天と夜のシーンで酸性雨が降り注ぐような、環境破壊が相当進んだ陰鬱かつスタイリッシュな映像の連続で、そのインパクトは今もって強烈であり、コレに影響を受けたクリエイターは世界中におります。

 

ブレードランナー』を全く見たことのない人が見ると、「元ネタは全部コレだったのか!」と驚くに違いありません。

 

フィルム・ノワールとサイレント期の傑作『メトロポリス』が融合したような、独特の世界観は、現在の近未来の表現の基本となってしまいました。

 

そのような金字塔的な作品の続編を、リドリー・スコットが製作総指揮して作られる。という話しを聞いた時、正直、無謀だと思いました。

 

あの大傑作に匹敵する映画など作れるとは思えなかったからであり、とんでもない失敗を見せられるのではないのか?としか思えませんでした。

 

しかし、それはほぼ杞憂と言ってよく、気鋭のカナダ人映画監督、ヴィヌーヴは、160分もの時間を使って、ジックリと「コレが30年後の世界なんですよ」という事を、言葉で説明するのではなく、映像で丁寧に丁寧に見せていくのがとても誠実な作りでした。

 

酸性雨が降り注ぐ陰鬱なロサンジェレスはそのままに、前作ではほぼ描かれていないその外側が描かれ、あの閉塞感タップリな小宇宙的な世界がもう少し俯瞰して見えるようになっているのと、合間合間に出てくるテクノロジーの30年間の微妙な進歩(あるいは退歩)を見せているのは、好感が持てました。

 

あの、「ブレードランナー光」とも言えるあの独特なライティングは、ほぼ封印し(チラッとだけ使ってるシーンがありますが)、はしゃぎ感をなくしているのも良かったです。

 

そういう実に細かい演出の積み重ねを評価するのか否かが、ドップリはまっていけるかどうかの分岐点ですね。

 

しかし、この昨今のハリウッド映画に逆行するようなタイム感覚こそが本編の魅力であり、それは、新作でも忠実に引き継がれていて、好感がもてます。

 

という事で、あの金字塔の名を汚す事なく、30年後のやっぱり救いようのない世界のレプリカント達の一筋の希望(しかし、それは人類にとっては危機的な問題なんですけどと)。を描いたSF作品でありましたけども、若干の不満も申し上げておきましょう。

 

それはなによりも音楽です。

 

前作のあの暗い映像(好きになってしまうとそれが堪らなくなってしまいますが)に潤いを与えていたヴァンゲリスの音楽は、明らかに名作に高めるためにかなりの貢献をしたものと思いますが、ハンス・ジマーベンジャミン・ウォルフィッシュの音楽は、音楽というよりも激越な音響であり(実際の音響効果もものすごい低音がききまくってます)、私には、ちょっとキツかったです。

 

ハンス・ジマーの仕事ぶりは、クリストファー・ノーランの諸作で聴けますが、この圧迫音楽はハッキリ言って私はやりすぎと思ってます。

 

なので、その轟音音響効果とサントラがエゲツないくらいに劇場を圧迫いたしまして、なんというか、ハードコアなクラブに来ているのか、池田亮司のコンサートに来ているのか?と錯覚してしまうほどで、ちょっと勘弁してもらいたかったです。

 

シナトラ、プレスリーが出てくるのが嬉しかったですが、必然性は感じません。

 

ヴィヌーヴには、音楽への愛が少々足りないのではないでしょうか。

 

あと、アクションとかバイオレンスの説得力が、前作よりも明らかに落ちます。

 

ブレードランナー』は、アクションシーンがとても少ないのですが、しかし、そのインパクトがホントに強烈で、ここだけでリドリー・スコット監督は歴史に名前を残してよいくらいコワイんです。

 

レプリカントのロイ・バッティを演じるルトガー・ハウアーのジワジワと伝わってくるあの怖さは、映画における悪役史に残る名演ですが、やはり、コレに匹敵する怖さは、今回はなかったです。

 

レプリカントレプリカントというシーンが多いので、アクションはド派手になりますが、それに反比例して怖さはなくなっているのが不満ではあります。

 

この辺は、『攻殻機動隊』の影響が逆輸入されてしまったのかな。という気はしてます(映像にもチラチラと押井守の影響を感じます)。

また、ネタバレになるので詳しく事は書きませんが、唐突に出てくるあの反乱軍とその依頼、そして、その物語としての解決は、私はちょっと弱いと思います。


こういう不満もありがながらも、とても長い映画でありながら、一切ダレることなく長さを感じさせずに見ることができたのは、ヴィヌーヴの力量はものすごいものがあります。

 

本作だけを見ても楽しめるように作られますが、やはり、『ブレードランナー』を見たほうが明らかに面白いと思いますので、是非両方ともご覧ください。

 

2049は70点、2019は400点というのが、私の率直な評価でございました。

 

 

 

モンティ・パイソン好きな人には超オススメ!

トニー・リチャードソントム・ジョーンズの華麗な冒険』

 

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この少年の数奇な人生?を描く

 

コレは忘れられた傑作だと思います。

アカデミー賞の作品賞、監督賞を含む4部門も受賞している割には、極端に知名度が低い作品ですね。

原作が18世紀のイギリスの小説だからでしょうかね。。

トニー・リチャードソンはかなりシニカルな資質を持った監督だと思いますが、その資質が完全に陽性の方に振り切れて絶好調な作品となったのが本作で、とかくシリアスな作品に甘いアカデミーが例外的にこんな躁病的な作品に賞を与えたという事実それ自体が、喝采モノです。

主人公トム・ジョーンズの出自をサイレント調でササっと片付けてしまう鮮やかさ。

長じて、男前で女たらしとなったトム・ジョーンズを、イギリス映画独特の、あの、ジワジワとくる感じで前半は描きます。

 

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色男のトム・ジョーンズ。これで主演男優賞取れなかったのは信じられないなあ。

 

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 ウェスタン家のソフィーと恋仲になるが、

 

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モリーとの関係がトムの人生を転落させる事になる。

 

表面上は『モンティ・パイソン』を思わせるようなユーモラスさなのですが、その根底に底意地の悪さというか(モンティ・パイソンもそういう番組ですけど)、権威とか権力をバカにしきってますよね。

このジョーンズが計略によって養父の大地主のオールワージ氏から勘当されてからが、もう躁病的に面白く(ロンドンというのは、18世紀はこんなにキタナイ都市だったのかと唖然とします。しかも、テーブルマナーなどなく、手づかみで食べてるんですね)、余計なことは一切飛ばして、猛スピードでお話が面白いように転がっていきます。

 

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テーブルマナーなど、まだ地方ではなかったんですね。。

 

しっちゃかめっちゃの、ドタバタ恋愛喜劇になっちゃったりしてからにてして、こんな陽気な作品がアカデミーというのは、ホントに快挙でありますぞ。

当然、チャンバラもございます!

原作はかなりの長編なのに、2時間くらいの映画にチョンチョーンとうまいこと畳み込み、恐ろしくご都合主義にハッピーエンドになだれ込む演出は、半ば呆れてしまいます(笑)。

リバイバル上映あったら、映画館で大笑いしながら見たいですなあ。

本作同じく、18世紀のイギリスを描いた、スタンリー・キューブリック『バリー リンドン』を見比べるのも面白いですよ。

 

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 原作の編集ぶりが秀逸です。

 

ある青年の成長を描く傑作。

ウァウテル・サレス・ジュニオールモーターサイクル・ダイアリーズ

 

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ブエノスアイレスからカラカスまでの旅を描く。

 

ゲバラが生化学者である先輩のアルベルト・グラナード(後に、ハバナにサンチャゴ医学校を創設した偉人です)と一緒にバイク一台で南米を旅行したという事実に基づいたお話し。

ゲバラはこの時の旅行を日記にしていまして、その道中は、わかっています。

グラナードも後に旅行記を本にして出版しています。

革命家の鱗片すらない、ブエノスアイレス医学生(専門はハンセン病でした)であったゲバラは23歳。

 

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 エルネスト・ゲバラ。実はキューバ人ではないんですね。

 

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キューバ革命を成し遂げた後の実際のチェ。ものすごい男前!

 

お坊っちゃまだったんですね。

あんまり知られてませんが、アルゼンチン人でした。

そういえば魯迅も医者でした。

東北帝国大学の医学部にいたんです。

 

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映画ではお調子者役になっているグラナードですが、大変な人物です。

 

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なんと、グラナードは2011年まで存命で、キューバの医療に尽力した偉人でした!

 

現在のように、道路が舗装されているわけではないし(よく転んでます)、ドライブインもコンビニもありませんし、街だってそんなにないんですから、相当大変です。

その大変な道中を描いたロードムービーです。

 

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しかも、ゲバラは喘息もちでしたから、かなりキツかったはずで、そういうシーンは出てきます。

チリでとうとうポデローサ号は使いものにならなくなり、クズ鉄として売るしかなくなりました。

なんと、途中から徒歩になっていたんですね。

その途上で出会った共産主義者の夫婦。

そして、銅山。

 

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ペルーのインディヘナとの出会い。

様々な、理不尽な地主たちの弾圧。

こういう出会いが、ゲバラの中で何かを変えていったのでしょうね。

特に重要だったのは、ペルーにあるハンセン病の人々を収容する施設でしょうね。

後にカストロとともにキューバ革命を成し遂げてしまう偉大な革命家ではなくて、真面目で感受性豊かな医学生が南米各地をの厳しい現実をじかに目にする姿を、淡々と描いているところにとても好感が持てました。

お坊っちゃまのゲバラ青年が旅を経て、だんだん私たちの知っているゲバラの顔立ちに近づいてくるのが、とてもうまいですね。

次第にラテン・アメリカ諸国の団結に目覚めていきます。

ゲバラを演じるガエル・ガルシア・ベルナルの繊細さが光ります。

いろんな場所で音楽やダンスのシーンが出てくるんですが、やはり、素晴らしいです。

 

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プロデューサーは、ロバート・レッドフォードで、監督はブラジル人というのもとても面白いですね。

 

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まさに新古典主義。

ダニエル・シュミット『ヘカテ』

 

なんともアナクロな、1930年代の雰囲気を持った映画です。
1942年、すなわち、第二次世界大戦中のスイスのベルンに始まり、そして、終わる、1980年代には誰もやっていないようなメロドラマです。

お話は、主人公の回想です。

 

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うたかたの恋を回想するロシェル。

 

おそらくは、1930年代のモロッコに赴任して来たフランスの外交官、ジュリアン・ロシェルは、クロチルドという人妻に一目惚れして恋に落ちてしまいます。

男は仕事もそっちのけで、恋して、狂わんばかりになります。

 

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運命の女、クロチルド。アメリカ人です。

 

上司はそれを知りつつ、彼の無断欠勤などをかばっています(のどかな時代ですね。余裕がある時代だったのでしょう)。

現在のフランス、ひいては、ヨーロッパのテロの続発する恐ろしい現実は、実は、この時代に原因があるんですね。その事は、お話のメインではないですが、領事館の上司のややニヒリスティックな態度に端的に現れています。

単なるエキゾチズムのみで、モロッコを舞台としてお話を作っているのではなく、ゆっくりと没落していく、「ヨーロッパの黄昏」を描いているんですね。

ダニエル・シュミットは、辛気臭くなりそうなお話を、実に趣味のいい、クールな手つきで、とても綺麗にまとめていますね。

 

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狂った男の人嫉妬や狂気に一定の距離を持って、夢中になりすぎないで撮っていますね。

クロチルドを演じる、ローレン・ハットンがいいですね。

超美人!みたいな感じではないんだけども、とてもうまい。

カルロス・ダレッシオの音楽も素晴らしいです。

こんな、戦前のメロドラマみたいなお話を、非常に現代の感覚で見事に撮ってしまう、ダニエル・シュミットは、やっぱり只者ではないですね。

2003年に若くして亡くなったのがホントに残念です。

70歳、80歳になったシュミットの作品が見たかったですね。

 

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黒澤明(とコッポラ)が腰抜かすと思います。

侯孝賢『黒衣の刺客』

 

 

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節度使(この頃は唐朝から事実上独立してます)田季安を暗殺しようとする、隠娘。

 

まず第一に、まさか、侯監督がここまで黒澤明へのオマージュを丸出しにした映画を撮るとは思いませんでした。

隠し砦の三悪人』、『七人の侍』、(以上はアクションシーン)『羅生門』、『蜘蛛巣城』、『乱』(それ以外の基本的な絵作り)と言った代表作が続々と浮かんできます。

しかも、映像にとてつもない労力が割かれている。

ロケハンを含めて、なんと、5年もかけて撮影したそうです。

黒澤明フランシス・コッポラもビックリな時間のかけ方です。
基本的な絵作りは、さきほど挙げた黒澤作品の『乱』ですね。

唐朝のお話というのもありますが、ワダエミばりの色彩のメリハリがものすごくシッカリとした衣装で、アップはほとんどなくて、ヒキの絵で構成されているのは、完全に『乱』を意識してますね。

 

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これくらいの絵がとても多いです。

 

アップが少ないので、登場人物の判別があまり顔ではつきづらいので、衣装でして下さい。という事でしょう。

お話は、女性の刺客が魏博節度使(実はこの二人は婚約者同士だったというのがこのお話の核です。話しの最初の方にボーンと出てきますから、ネタバレさせてもよいでひょう)を暗殺するという、中国お得意の武侠モノなのですが、何しろ、ベースが黒澤明の『乱』ですから、ワイヤーアクション使いまくりの目まぐるしい展開は期待しないで下さい。

 

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もう一人の主人公、田季安。事実上、地方の軍事、民政を支配する実力者。

 

侯孝賢の作品を何本か見たことある方ならわかると思いますが、彼は基本的にゆっくりゆっくり話しを進めていく人ですから、突然、猛烈にスピーディな映画を撮るはずなどなく、あの悠然たるテンポ感で進んでいく武侠モノですから、そういうのを好む方には、本作はちょっとキツいかもしれません。

しかし、ロケーションにしても、美術、衣装にしても、世界最高水準で挑んでおり、決して多いとは言えないアクションシーンは、ものすごいクオリティなので、私はもうそれだけで本作には高い評価を与えたいと思います。

 

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 とにかく驚くほど豪華で重厚な絵作りの連続!

 

主人公の女性の殺陣は見事というほかございません。

 

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というか、昨今、こういう重厚で悠然と構えた映画ってほとんど見かけなくなったので、とても嬉しくなりましたよ。

日本人の2人(妻夫木聡忽那汐里)も、とてもいい役をもらってますね。

残念ながら、インターナショナル版では忽那汐里のシーンは全てカットだそうですが。

 

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侯孝賢が、黒澤明へのオマージュをここまでストレートかつ誠実に行ったという事を、日本の映画界はどのように受け止めたのかは寡聞にして知りませんが、こういう格調高い作品はなかなか興行的には厳しそうだなあ。という気はします。

とはいえ、コレは近年稀に見る立派な作品であり、私は強くオススメいたします。

 

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エキゾ感も満天です。