中国都市部の激変/農村部の無変化がよくわかる作品。

賈樟柯ジャ・ジャンクー)『罪の手ざわり』

 

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コレだけ見ると、ジョン・ウーみたいですが、そういう映画ではありません。しかし、コレが冒頭です(笑)。

 

原題に英語のタイトルがついてまして、コレが「A Touch of Sin」と言うのですが、多分、オーソン・ウェルズ黒い罠』の原題、「A Touch of Evil」から取っているのでしょう。

『山河ノスタルジア』でもお馴染みの山西省重慶(省には属さず、直轄市です)、を舞台にしたオムニバス的な映画です。

それぞれのお話しに関連性はないんですが、当時人物が何気なくすれ違ったり、偶然同じ場所にいたりして、時間は大体共有されています。

ダーハイという、山西省の村の炭鉱夫は、不正を働いている村長を共産党の中央(中南海といいます)に訴えようとしてします。

 

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ダーハイ。

 

しかし村人たちはそれを知りながら、見て見ぬ振りをしているんですね。

腐敗の構図というのは、いつの時代もそういうものですが、ダーハイはそれが許せません。

村の実力者側、すなわち、共産党の党員という事ですが、彼を買収しようとします。ダーハイは結局カネを受け取ってしまいます。

共産党の腐敗ぶりは末端にまで及んでいるんですね。

そんな村で京劇をやっています。

水滸伝』の林冲(元々禁軍の師範だったほどの人物で棒術の達人です)が宋朝の宮廷で実権を握る高俅の部下を義憤によって惨殺してしまったため、悪漢たちの集う、梁山泊に逃げざるを得なくなるという場面ですね。

音楽こそ違いますが、完全に歌舞伎と同じです。

というか、コッチがオリジナルなのでしょうね。

そんな中、ダーハイも、『水滸伝』の英傑のように(?)、自宅にあるライフル銃を手に取ります。

まさに、『タクシードライバー』のトラヴィスです。。

 

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ココだけ見ていると(以下省略)

 

本作の事件はすべて実際に起こった事件らしく、それ故に本作は未だに中国では公開されてないそうです。

ラヴィスは村長が炭鉱を勝手に資本家に売却してそのカネを独り占めしている事に関係している人間をライフルで次々と射殺していきます。

かなり関係ない人まで殺してしまっていて、もうめちゃくちゃなのですが、中国の田舎は、ライフル銃担いで歩いていても、誰も驚かないんですね(笑)。

村長を殺したあとは歯止めがきかかなくなっていきます。

 

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ラヴィスは村長まで殺してしまいます!

 

こんな中国映画、初めて見ました(笑)。

そして、次のお話しは、冒頭で山賊を拳銃で返り討ちにしていた男、チョウの話に移ります。

彼は重慶の郊外の農村に住んでいるようで、重慶の方はものすごい高層ビルか立っているのに、村は貧しいまんまという、露骨なまでの格差を写します。

 

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人を殺す事をどうとも思わなくなっているチョウ。

 

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重慶の郊外はこんなにど田舎です。。

  

彼には妻と息子がいるのですが、やはり、生活は苦しいようです。

村の連中もみな出稼ぎで生活しています。

チョウの生業は強盗で、いきなり射殺して、カネを強奪するという荒っぽい手口です。

この、ジャ・ジャンクーのバイオレンス描写は、北野武の影響がかなりありますね。

とても乾いていて。

さて、次は、ジャ・ジャンクー作品の常連である、チャオ・タオ(趙涛)演じるシャオユーの不倫です。

 

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シャオユーと不倫相手ですね。

 

彼女の仕事は広州のラブホテル兼風俗サウナみたいな所の受付係でして、やはり、郊外の農村に住んでます。

中国は都市部から少しでも離れると、シャレにならないほどの荒地みたいなところになるのが、絵としてものすごいインパクトで、日本で2000年代からしきりに言われるようになった「格差社会」(実際の日本の経済格差は1980年代からもう始まっているのですが)など、中国に比べたら、どうという事はないんですね。

その事をもっと強烈に描いているのがワン・ビン王兵)ですが、ジャ・ジャンクーは、もう少し穏当な描き方です。

札束で引っ叩く。という表現がありますが、ホントに札束で頬を叩いているのを見ることはそうないと思いますが、チャオ・タオは成金の客にホントに札束でボコボコに叩かれます。

とにかく、この映画の暴力は、かなり即物的で、タメがなく、一挙に始まります。

この脚からの理不尽な暴力に逆上して客を殺してしまうんですが、ちょっと藤田敏八の名作『修羅雪姫』入っていて強烈です。

 

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修羅雪姫

 

最後はクリーニング店に勤める湖南省出身の青年、シャオホイのお話なのですが、コレは実際見ていただきましょう。

ビックリしますよ。中国はこんな事になってるのかと。

 

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木下恵介『日本の悲劇』ならぬ、『中国の悲劇』を淡々と、しかし、淡々としているが故に痛々しさが伝わりますが、私には、包み隠さない、今の中国のロケーションが写り込んでいるのが、やっぱり面白かったですね。

農村は、ほとんど魯迅の小説の世界と未だに何の違いもないように見えながらも、シカゴブルズの帽子をかぶっていたり、iPadを持っていたりと、そのアンバランスが面白いですね。

周恩来の頃から中国は、サハラ以南のアフリカ諸国との外交に熱心なのですが(中国は帝国主義と戦って勝利し、アメリカと対峙している国に見えるので、アフリカ諸国は、中国の事をリスペクトしてるんですね。反米の国が多いんです)、チラッとアフリカからの出稼ぎと思しき人も出てきて、とにかく、ものすごいスピードでアンバランスに変化しているのが、よくわかります。

本作で重要なのは、最初と最後に出てくる京劇です。

最後に流れるのは『玉堂春』という演目と思われますが、この劇の内容がそのままこの映画の内容につながってしまうので、ココでは説明はカットしますが、このような劇や音楽の使い方が、『山河ノスタルジア』で更に効果的となっておりますね。

 

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