ジョセフ・ロージー『恋』
ジョセフ・ロージーの邦題はいつも素っ気ないんですが(原題も素っ気ないんですが。。)、そのチャンピオンがコレでしょうね。
赤狩りによってアメリカで映画が撮れなくなってしまったロージーですが、イギリスは彼の性に合っていたようで、ハロルド・ピンターという最高の脚本家とコンビを組む事で、名作を連発しましたが、コレもその一作で、このコンビの最高傑作の1つと言ってよいでしょ。
これまでは、上流社会をシニカルに見つめる作品が多かったのですが、本作はそんな彼らの内面のキズを描いている点で、作家としての成熟を感じます。
ハッキリとは明示されませんが、時代は1910年代と思しきイギリスノーフォークが舞台で、主人公のレオ・コルストンは友人のマーカス・モーズリーに夏休みの間招かれたお客さんでした。
大金持ちのモーズリー家。
モーズリーというのは大変な富豪で、広大な敷地を持つ邸宅に住んでいるんですけども、このモーズリー家の令嬢(つまり、マーカスのお姉さんですね)、マリアンの美しさにレオは魅せられるのです。
ホンの100年前のイギリスはこんなでした。
思春期の男の子が年上のお姉さんに憧れるという、ごくごく普通の感情ですね。
この邸で働く小作人に、テッド・バージェスという男の子がいるんですけども、ひょんなことからレオはテッドから「手紙を渡してほしい」と頼まれます。
「ポストマン」となるレオ。
上流社会の年上の1つばかりいて退屈なので、庶民のテッドとは気が合うのでした。
レオはテッドとマリアンの間の「郵便配達夫」になるのですが、それは、身分差のある恋愛である事がわかってきます。
20世紀とはいえ、まだまだ19世紀のヴィクトリア朝時代の考え方が強かったイングランドで、使用人と富豪の令嬢が恋愛するなどあり得ませんでした。
しかし、そんなマリアンに婚約の話しが急遽のぼってきます。
ヒュー・トリミンガム。というボーア戦争に参戦していた、スカーフェイスの子爵で、『ジャッカルの日』で暗殺者ジャッカルを演じた、エドワード・フォックスが演じております。
ちょっといけ好かない子爵のヒュー。
このお話しの悲劇は、レオの誕生日をモーズリー家がお祝いする日に起きるんですが、コレは見てのお楽しみ。
アメリカ映画だったら、思春期の甘酸っぱくも苦い思い出となっていくであろう青春映画が、イギリスではこんな風にその後の人生の大きなキズにすらなってしまう悲劇になってしまうこの描き方の違いに、イギリスとアメリカの文化の違いを見ますね。
階級社会でかつては世界中に植民地を持った大帝国移民の寄せ集めで、そんな帝国から独立して、やはり「帝国」なっていった国では、これほどまでに違うんですね。
ミシェル・ルグランのバロックの手法で書かれた音楽も素晴らしく、同じ頃のフランソワ・トリュフォー『アメリカの夜』と並ぶ傑作音楽だと思います。