相米慎二『魚影の群れ』
吉村昭原作の短編を映画化。
小津は、役者対して、「何もしなくていい」とか「考えるな。ただセリフを話してくれればいい」と言っていたそうです。
しかし、実際完成した作品では、皆、いい味わいが出ているんですね。
撮影は、もう、段取がすべて決まって上での行為なので、役者が考える必要がないのでしょう。
あまり、テイクを重ねて撮っているように見えませんよね。
意図がない絵なので、フレッシュなのだと思います。
あんまり、役者冥利はなさそうですけども(笑)、加東大介など、とてもいきいきと写っているので、とても不思議です。
相米慎二は、逆にものすごく役者に考えさせていますね。
キャメラの最初と、セリフだけが決まっていて、それをどういうタイミングでいうのか。とか、キャメラがどう動くのか。とか、そういう事に綿密な計画がないように見えます。
それでいて、ワンシーンがかなり長いので、役者の動きがぎこちなかったり、キャメラの動きがスムーズさを欠くのですね。
なので、できあった作品は、小津のようにスッキリとしておらず、重さがあります。
撮る側も撮られる側も相当大変ですね。
決まってないので、監督がカットというまで、延々と撮り続け、アクトし続けるという。
この粘り気こそが、相米慎二の魅力ですね。
切るタイミングが独特です。
明らかに演技の途中で切っている。
カットがあるよ。という安堵感を一切役者に与えていないことで、連続性を与えているのでしょう。
テイク数がかなり多そうですね。。
青森県の大間。というマグロ漁で有名な街での人間模様を、ジックリと撮るという、『翔んだカップル』、『セーラー服と機関銃』というヒット作を2作連続で撮っているとは言え、まだ、それほど多くの作品を撮ってはいない監督に任せるには、いかにも題材が地味ですが、それを可能にしている相米の才能ですよね。
もはや、演技でははく、完全にマグロを獲る漁師になってますね。
こういう、一切、ゴマカシの利かない人間の姿を撮りたいのが、相米慎二ですね。
コレは役者冥利に尽きるのかも知れませんが、大変なんてモノではないでしょう。
労働。などという概念では出来な現場です。
ずぶ濡れになりながら、緒形拳と十朱幸代が走るシーンがまたいいですよね。
それにしても、土砂降りが好きだなあ、相米慎二は(笑)。
夏目雅子が後半になってくるとダンダンよくなってきますね。
80年代に、こんな、アルドリッチみたいな骨太な映画が撮られていた事自体が驚きです。
相米慎二の早すぎる死は大変な損失でした。