アンドレイ・タルコフスキー『鏡』
タルコフスキーは大好きなので、ほとんど見てますが、これは見てなかったんです。
いわく、「難解」だの、「ストーリーがない」だの、この作品をひどく言う言説がまかり通っていたもので、それを真に受けてしまっていたんですね。
おそるおそる、TSUTAYAでレンタルして見たんですが、これ、難解でもなんでもないですよ!
というか、タルコフスキーで一番見やすいですよ!
誰だよ、難解とか言った不届きものは!
とはいえ、タルコフスキーが万人向けの映画を作っていたとは私も思いません。
決して多くない残された作品は、どれもこれも腹にズシンとくる最重量級の作品ばかりです。
一番有名な『惑星ソラリス』ですら、ハンパではない。
何しろ、画面に動きが極端に少ないですから(笑)。
ところが、この『鏡』、タルコフスキーには、珍しく、上映時間が2時間ございません!
しかも、動きがたくさんありますよ!
登場人物をカメラがスピーディーに追いかけてます!
ストーリーはないんではなくて、主人公のアレクセイ(なんと、声のみ!)が奥さんと離婚の議論をしてまして、息子の親権をドッチにするかの議論をしながらも、なぜか、彼の意識は、自由自在に幼少頃や少年時代に自在に飛びまくっているんです(笑)。
実際、タルコフスキーのお父さんは詩人で、家族を捨てて、別な家族を作っちゃうという非道な人物だったようで(笑)、そういう事実がなんとなく反映したりしている、恐らくは、タルコフスキーの自伝的な作品なのです。
これは、アタマで見てはいけませんね。
ココロで感じ取る映画です。
タルコフスキーの紡ぎ出す映像のイメージの美しさ。怖さ。
こういう事は他の作品には全く見られないので、ちょっとビックリしますが、タルコフスキーはそれについて、全く説明をしません。
というか、この映画を「難解」と思う方は、その説明が欲しかったという事なのではないでしょうか?
タルコフスキーは、答えを見ている人に押し付けるのではなくて、それぞれに感じてほしいという事なんでしょうけども、でも、実際は答えを出してほしいんでしょうね(多分、私の半生はこんなです。と暗に言いたいのでしょう)。
そして、全米が涙すると。
泣ける事がいい事という価値観はどこからでてきたのかわかりませんが、とても下品と思います(とはいえ、『カリフォルニア・ドールズ』は涙なくては見る事はできません。でも、あの映画は泣かせようとしているわけではないです。そこが高貴だと思います)。
それはともかくとして、この映画は時間軸がデタラメだし、それがカラーだったり、白黒だったりして(タルコフスキーの白黒の美しさは世界でも屈指だと思います)、それも特に何かの法則性があるようにも思えないんですが、でも、子供の頃の思い出というのは、何も時系列で、理路整然としているわけではないわけですよね?
タルコフスキー自身の回想を、映画という形でできるだけ忠実に再現してみました。ということに思えました。
だから、起承転結も何もないんですよね。
なので、その中で自由に見る方も楽しめばいいし、実際、大いに楽しめました。
何度見ても、印象が変わるタイプの映画ですね。
いっぺん見たらもういいや。という作品ではなく、何度も見る事でより楽しめる映画だと思いました。
現在の自身を語るために、過去の自分を回想し、それを映像にするのだけども、結局それでは説明し尽くす事ができない。という事を、後の世作品のような切実さや痛切さではなく、どこかプライベートな映像スケッチにまとめた、彼にしてはとっつきすく、しかしながら、決して見逃す事のできない重要作。