こんなに気配りと配慮のかたまりみたいな作品はない!
ジョス・ウェドン『アベンジャーズ: エイジ・オブ・ウルトロン』、
アンソニー&ジョー・ルッソ『キャプテン・アメリカ : シヴィル・ウォー』
すちゃらか社長と真実の人。
2本目はキャプテン・アメリカ名義の作品ですが、事実上、アベンジャーズの第3作目と見なしてよいと思うので、合わせて論じていきます。
会を重ねるごとを作品としてのクオリティが上がって行きますね。
このアベンジャーズの特徴は、敵があんまり強く。というのがあります。
特に後者は、『24』あたりに出てきそうな、テロリストの中ボス級のキャラです。
なんと、ラスボスはアベンジャーズに家族を殺されてしまった事への私怨を晴らそうとするテロリストです。
では、何に重点が置かれてるのかというと、アベンジャーズの内部の対立なんですよね。
『ウルトロン』はアイアンマンこと、トニー・スタークのちょっとした気の緩みが、邪悪なAIを生み出してしまい、コレが人類を滅亡させようとするんです。
そんなに強そうではないウルトロン。
出来事としては、めちゃくちゃデカイ事になっていくのですが、その肝心のAIが身体をもって戦うと、ハルクには、全然敵いません。
しかも、ウッカリとはいえ、コレを生み出したのは、すちゃらか社長のスタークです。
彼は、何とか手に入れたAIの能力をアベンジャーズに活かせるのではないか?と学者ハルクとコッソリ研究しようと考えていたんですね。
原因を作っているのが、主人公であり、その結果、かなりの惨事が起き、何とかハリウッド映画的に危機を救うわけですが、そんな彼らの行動が糾弾されてしまうのが『シヴィル・ウォー』なのですね。
タイトルから繋がっているように見えないという作り方は、正直、ファンにのみアピールするようなやり方なので、私はあまり関心しません(ラジオ番組で、「コレは続編ですよ!」と聴かなかったら、今でも気がついてなかったと思います)。
もう1人の主人公と言えるキャプテン・アメリカにより焦点を当てながら、正反対の考え方を持つアイアンマンとの対立がやがて、アベンジャーズの事実上の分裂となり、その対立が描かれるという、ヒーローものとは思えない、かなり異色なテイストを持った作品であり、タイトルは『アベンジャーズ : シヴィル・ウォー』とした方が、実はシックリくる内容です。
内容が内容のため、ハルクとトールがうまくストーリーに登場しません。
ハルクは余りにも強いので、ついた側が勝ってしまいますし、トールは神なので、対立するならば、どっちにも雷を落として、自分が地球を守る。人間には任せられない。という、シンプルな結論を下してしまうので、人間的な「正義と正義の対立」にはなり得ません(笑)。
その代わり、より人間的なキャラクターとコメディリリーフが入ってきます。
前者がブラック・パンサーであり、後者がスパイダーマンとアントマンです。
とうとう出てきました、ブラック・パンサー!
すちゃらか社長にフックアップされて、スパイダーマン登場。
アントマン、大活躍です!
アベンジャーズでも、チラっと出てきていた、ワカンダという、アフリカでほとんど鎖国状態となっている謎の王国の王子である、ティチャラこと、ブラック・パンサーは、本作では、国王である父がウィーンの国連の施設での演説中に爆弾テロで殺害されしまいます。
ティチャラは、ブラック・パンサーとして復讐を誓う。
話が前後しますが、なぜ、ワカンダ国王が国連で演説しているかというと、その原因がなんと、アベンジャーズでした。
アベンジャーズが追い回していたヒドラという犯罪集団をナイジェリアの首都レゴスで突き止め、追いかけ回している時に、レゴスを訪れていたワカンダ王国の使節の人々が巻き込まれて死んでしまいます。
コレと前作のヨーロッパでの悪行三昧(?)が国際世論の批判を招き、アベンジャーズは国連の監視下に置かれるべき!という意見が強まってきます。
米国の国務長官ロスがアベンジャーズたちを説得しますが、スタークは賛成するのですが、アメリカの伝統的な保安官的な正義観を持っているキャプテン・アメリカは、コレに反対します。
国務長官のロス。
この対立が残ったまま、国連でのアベンジャーズ監視についての議論が始まろうとしていた矢先に、テロが起きてしまい、議論はストップしてしまいました。
このテロを起こした者の真の目的は、アベンジャーズたちが反目する事で壊滅する事が目的でした。
そして、その目的は、成功してしまう。という終わり方です。
ハリウッド映画の主人公の系譜を考えるに、その基本は、やはり、キャプテン・アメリカの持つ、「保安官的な正義」です。
西部開拓時代のアメリカというのは、およそ法治国家とはいえず、それぞれの街にいた保安官が現在でいうところの警察、検察、裁判所をすべて兼任していたようなもので、連邦政府はそれを事実上容認していました。
事実、土地の権利の争いなどが殺し合いになる事もあり、強力な権限を持ってこの紛争に介入する実行力がなくては、法秩序が維持できなかったんですね。
コレが、無数に作られた西部劇の元ネタとなっていくんです。
アメリカ合衆国が先進国で稀に見るほど、銃を保持しており、それによる犯罪が後を絶たないにもかかわらず、決して銃規制に向かわないのは、こうした歴史的背景があるためで、今でも田舎では自分の身は自分で守らなくてはならないという考え方は根強いんですね。
アメリカが法治国家になっていったのは、鉄道網や道路網の整備が進んだ20世紀に入ってからなのであって、まだ、100年ほどしか経っていないんです。
FBIすらなかったんです。
そんな国のヒーローの行う正義は、おおむね、そのもたらす結果はほとんど蛮行スレスレでありますが、ハリウッド映画の中では、それらはほぼ是。として描いているんですね。
しかし、アベンジャーズは、2作目から顕著になりますが、彼らが敵と戦う事によって、街が破壊され、死傷者が出ている事が問題視されるようになります。
遂には国連の議題にすらなるという、イランや北朝鮮のような核兵器問題とほとんど同一視されるような眼差しがアメコミヒーローたちに向けられていて、それはそのまま、現在のアメリカ合衆国の状況そのままとなっているんですね。
と、これまでの保安官的な正義というものを、具体的な被害から糾弾する。という事が、今度、どのように展開していくのかはわかりませんが、この一連のマーヴェル作品のすごいところは、1人のクリエイターが中心となって作っているのではなくて、プロジェクトとして進行させている事ですね。
ですので、常に複数の映画製作が同時進行可能であり、それらの作品との整合性がものすごく取れており、かつ、アベンジャーズだけを見ていても、それほど困らないように作られているのがすごいです。
一言で言えば、「心配りの塊」のような作品群であり、細かいディテールをもう少し詳しく知りたければ、ここのヒーローを主人公にしたシリーズを見たりするというあり方も可能です。
個人的には少なくとも『アイアンマン』と『キャプテン・アメリカ』は見た方が奥行きは出てくるでしょう。
と、ここまで、本作の良い点を褒めてみましたが、最後に欠点を。
壮大な世界観を非常にバランスよく描いているが故に、何か、突き抜けたものがない。何か常に85点のクオリティを見せられている感はどうしても否めませんね。
どうしても、圧倒的に太くて豪快な『バーフバリ二部作』と比べると、細い気がします。
しかし、現在のアメリカの様々なジャンルにおける表現はおしなべて繊細な方向に向かいつつあり、ハリウッド大作映画ですらも、そうなってきているという事なのだと思います。