後半のローランズの演技は見ものですぞ。
ジョン・カサヴェテス『オープニング・ナイト』
独特の感覚で映画を撮り続けたカサヴェテスですが、コレはまたカサヴェテスの中でもまたちょっとスタイルを変えてきている作品ですね。
『こわれていく女』や『チャイニーズブッキーを殺した男』のような、手持ちのキャメラで延々と即興的に撮り続けていく(役者とカメラの動きはキチンと打ち合わせてはいると思いまスタッフ)独特の手法を止やめて、主人公のモノローグなど、これまでほとんど使っていない、というか、これまでハリウッドに背を向けるように映画を作っていた彼が、ハリウッド的な手法を採用したという点で、かなり画期的なものを感じます。
延々と数人の芝居をハンディカメラで追い回すように撮り続け、そこには、間延びなんかも平気で入り込んでいたのですけども、ここでは、ショットの積み重ねという、比較的、常識的な手法が用いられています。
とはいえ、編集のキレ味や臨場感は、カサヴェテスならではというか。
これまで、常套的なサントラはほとんど拒否していましたが、本作は結構盛大にオーケストラがついてます。
ジーナ・ローランズはアルコール依存傾向にあるベテラン女優。
熱狂的な人気もあります。
方や、カサヴェテス作品の常連である、ベン・ギャザラは、演出家。
カサヴェテスもローランズの相手役として出てます。
お話しのスジは、『第2の女』という舞台の公演の裏側を描いているのですが、ローランズは役作りに悩みながらも、舞台の終幕を即興で改変したり、登場しないはずの場面に別の人物が出てきたりと、演出家や脚本家を困らせています。
本作のテーマは、「老い」です。
老人でも少女でもないローランズが老け役をやる事のジレンマが、間も無く本公演が始まろうとしているのに、なかなか脱する事ができない。
その事を延々と脚本家と議論するのですが、そこで象徴的に出てくるのが、ある少女の死です。
かなり熱狂的なローランズのファンで、夢中で追い回しているところ、車にはねられて死んじまうのですが、この議論の中で、彼女の事がふと出てきます。
彼女の熱狂にローランズはどこか惹かれているところがあり、また、彼女の事故死に責任も感じているのですが、しかし、本筋は、自分の老いを受け入れられずにもがく女優。というなかなかシビアな部分です。
自室にこもると、なぜか、死んでしまった女の子が目の前にいて、彼女と会話しているのです。
恐らくですが、この女の子は、ローランズ自身の投影でしょう。
プレ公演(演劇は本公演になる前にお客さんを入れて、様子を見るんですね)はドンドン崩壊していき、挙げ句の果てに降霊師のところに行くことになったり、遂には失踪。
そして、オープニング・ナイトが。
なんというか、ベルイマンの映画のようにエゲツなく、容赦のない映画で、なかなか見ていると厳しいものがありますが、やっぱりアメリカ映画です。
アルドリッチ的な根性ですね。打ちのめされても何度でも立ち上がるという。
まるで、『ロッキー』見てるような感動が後半にはあります。
ココをうまく編集して、2時間にまとめました!という事をしない所に、カサヴェテスの真骨頂を見ました。
『グロリア』で商業的にも大成功する(内容も当然素晴らしいです!)カサヴェテスの助走になった傑作といえるでしょう。
ピーター・ボグダノヴィッチとピーター・フォークがほんの少しだけ出演しています。