独特のタイム感覚を楽しむべし。

ジム・ジャームッシュストレンジャー・ザン・パラダイス

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何度見たかわかりませんね。ジャームッシュが世界的に知られるキッカケとなった大傑作。
 
ヴィム・ヴェンダースから撮影で余った白黒フィルムをもらって撮影されたそうです。
 
画面にブラックアウトがしばしば入るのは、フィルムを節約する為だったのだそうですが、コレが独特のリズムを作品に与えていて、とても面白いですね。
 
コレ見たときに思ったのは、映画の文法が変わったんだなあ。と思いました。
 
高校の頃に初めて見たときは、その辺が馴染めなくて、面白さがわからなかったのですが、もう少しわかりやすい『ダウン・バイ・ロウ』が面白く、もう一度見てみると、実は同じテーマで撮られていて、だんだんその面白さがわかってきました。
 
ジャームッシュは一貫して、コミュニケーションのぎこちなさをかなりしつこく追究している人ですね。
 
本作でも、ハンガリーから従妹がやってきて、面倒を見ざるをえなくなった遊び人のジョン・ルーリー(ミュージシャンとして大変有名です)の家に転がり込む。というギクシャク感が、ザラザラの白黒映像で描かれてます。
 
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当時のハンガリー社会主義体制ですし、エヴァは、多少英語が話せますけども、アメリカの東海岸のことなどアンマリわかってません。
 
話しの接点がなさすぎるんですね。
 
そういうサムい感じとか、居心地の悪さを敢えて見せているんですね。
 
そういうシチュエーションのおかしさと、うまく意思疎通ができないもどかしかがズッと滞留したまんま、特に何の解決も提示しないで、淡々とそれを取り続ける。
 
このポツリ、ポツリとした会話と、短いシーンをブラックアウトでつないでいくことで生まれる、何とも言えないタイム感覚が、本作を独特なものにしていますね。
 
ブラックアウトの手法は、制作費が次第に潤沢となっていくと、すぐに引っ込めてしまいますが、会話がポツリポツリと独特の間合い進むのは、最近の作品でもまだやってますので、このリズム感はとても大事にしているようです。
 
ミステリートレイン』や『ナイト・オン・ザ・プラネット』では、オムニバス形式にする事で、もう少し大きい断章をつなぐという手法を取っていますが、とにかく、ジャームッシュは音楽がどこにもかしこにもビッチリと貼り付いて、全てが機能的にガチガチにつながっているようなハリウッド映画の手法を明らかに避けているようにも見えます。
 
予算がないからなのでしょうが、キャメラがほぼ固定でワンシーンワンショットで全部見せないのもうまいですね。
 
テレビで放映されているアメフトの試合を見ながら、ルーリーがエヴァにルールーを説明説明しているのですが、テレビ画面は一切見せず、音声のみが観客には聞こえるという事で、何とかこの退屈な状況を脱しようとしているのが上手く描けてますよね。
 
エヴァは、「馬鹿げたスポーツだ」と言いますが(笑)。
 
しかし、ニューヨークを舞台にしているのに、映っている映像が、ルーリーの住んでいる、小汚い安アパートの一室のガランとして妙に露出が高い白黒の画像なのも印象的です。
 
狭い部屋だと思いますが、どのシーンもキャメラのアングルがほぼ固定されているので、どんな部屋なのかわかりづらい。
 
全編にわたって使用されるサントラが、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスの「I Put A Spell on You」(エヴァがこの曲ばかりかけている)と、ジョン・ルーリーが作曲した室内楽だけというのも、ユニークですね。
 
クリーブランドにいるおばさんの所に居候しているエヴァに会いに行くのですが、彼女のBFと一緒にルーリーたちも映画を見に行くのですが、何やらカンフー映画らしきものを4人で並んで見ているシーンのおかしさ。
 
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相変わらず、ルーリーとエヴァの会話は特に噛み合わず、エリー湖を吹雪の中見に行っても何も見えず(笑)。
 
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コレはフロリダに行っても変わりません。
 
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この、どこにいても「同じ所」にいるような、現実味のない映像が場面が変わっても延々と続くところがこの映画の核心部分ですね。
 
この白けた、しかし、どこか笑ってしまう感覚がホントに独特です。
 
ふと、ビル・フリゼールの音楽がアタマに浮かんできます。
 
ラストの携帯電話のない時代の豪快なすれ違いが最高。