昨年書いたものを手直しして。

クリント・イーストウッド『ホワイトハンター、ブラックハート』。


ハリウッドに伝説的武勇伝を遺した、ジョン・ヒューストンの『アフリカの女王』の撮影状況をもととしたフィクションだが、地獄の黙示録のような、モノホンの撮影地獄ではなく、81/2のような、現実と監督の妄想、映像と音楽の究極のシンクロでもなく、矛盾は矛盾のまま、なんの解決もせず、撮影は、すったもんだで始まりました。というもの。

映画というのは、こういう矛盾を抱えながら撮られているのですよ。という、今更、説明されるまでもない自明の事を、やはり、長年、映画の世界で、今日でも生き続けるイーストウッドが語るがゆえの説得力でしょうね。

面白いのは、ハリー・キャラハンとして、それこそ、象も殺傷できるような、44マグナムを撃ちまくって、悪党を皆殺しにしてきた彼が、象には、一発も撃てないところでしょうね。

おそらく、もう、時代錯誤なキャラハンはやりたくない。もっと、演技を活かしてほしいし、監督として評価されたいのだ。という欲求が、退行そのものといってよい象狩りという形をとったのかもしれませんね。

次々回作は、『許されざるもの』であるので、イーストウッドが監督として巨匠と評価される分岐点だったのかも。

一見、無軌道でアナーキーな監督の有様を描きながらも、キッチリ2時間以内に収めているのも(最近のイーストウッドは、2時間超えるのが普通になってますが)さすが、仕事人イーストウッドであります。

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