努力賞はあげてもよいでしょう。

ドゥニ・ヴィヌーヴ『ブレードランナー2049』

 

※公開したばかりですので画像は一切ございません!あしからず!

 

まさかの『ブレードランナー』の続編。

 

タイトル通りの30年後のロサンジェレスを描いておりまして、前作のラストのデッカードとレイチェルの失踪がお話しの中心となります。

 

冒頭で説明されますけども、タイレル社は、暴動や反乱ばかり起こすレプリカント(ネクサス8型)の製造は禁止してしまい、タイレル社も倒産してしまいます。

 

しかし、それをウォレス社という、なんだかモンサントを彷彿させる会社が「大停電」に伴う食糧危機の後に台頭し、宇宙への植民地経営が進んでいくことで桁外れに巨大な企業となり、タイレル社のノウハウもウォレス社が買収してしまいました。

 

ウォレス社は宇宙植民や地球での労働力を確保するために、新型レプリカントの生産を行い、日常生活にもレプリカントが溢れるようになりました。

 

それに伴い、ネクサス8型は旧型として違法な存在となり、ブレードランナーに処刑されていくことになります。

 

主人公のK(カフカの小説の主人公を彷彿とする名前ですね)はウォレス社の新型レプリカントブレードランナーです。

 

前作のデッカードは、レプリカントなのか?どうなのか?という所をハッキリさせてませんでしたけど、ライアン・ゴズリング演じるKは、レプリカントです。

 

つまり、新型が旧型を始末する。という、かなり残酷な構図になっています。

 

そんなKがある旧型レプリカントの処刑時に、木の下に埋まっているのスーツケースのを発見します。

 

中身は完全に白骨化した遺体なのですが、なんと、コレがレイチェルである事が判明します。

 

なんともショッキングですが、ココでKとデッカードがつながってくるわけなんですけども、さらに驚くべきことに、どうやら、レイチェルの死因は出産であった事が遺体から推測されました。

 

タイレル社のレプリカントは、とうとう妊娠するという事すらできるようになっていたという事実が判明(それはデッカードとレイチェルの間に子供ができたという事です)したという事ですね。

 

実は、この事をウォレス社の社長のウォレス氏も察知していて、秘書として使っているレプリカントのラヴを使って、デッカードと子供の捜索をさせます。

 

本作の基本構造はコレでほぼ明らかになりましたけども、本作を理解するためには、どうしても前作の内容を知らなくてはいけないので、『ブレードランナー』についても言及しなくてはなりません。

 

前作の『ブレードランナー』は、とにかく、近未来世界をどう見せるのか?という事がまずもってとてつもない作品でした。

 

シド・ミードがデザインした2019年のロサンジェレスは、その後の近未来SFの世界観を一変させてしまったと言っても過言ではなく、また、ほとんど曇天と夜のシーンで酸性雨が降り注ぐような、環境破壊が相当進んだ陰鬱かつスタイリッシュな映像の連続で、そのインパクトは今もって強烈であり、コレに影響を受けたクリエイターは世界中におります。

 

ブレードランナー』を全く見たことのない人が見ると、「元ネタは全部コレだったのか!」と驚くに違いありません。

 

フィルム・ノワールとサイレント期の傑作『メトロポリス』が融合したような、独特の世界観は、現在の近未来の表現の基本となってしまいました。

 

そのような金字塔的な作品の続編を、リドリー・スコットが製作総指揮して作られる。という話しを聞いた時、正直、無謀だと思いました。

 

あの大傑作に匹敵する映画など作れるとは思えなかったからであり、とんでもない失敗を見せられるのではないのか?としか思えませんでした。

 

しかし、それはほぼ杞憂と言ってよく、気鋭のカナダ人映画監督、ヴィヌーヴは、160分もの時間を使って、ジックリと「コレが30年後の世界なんですよ」という事を、言葉で説明するのではなく、映像で丁寧に丁寧に見せていくのがとても誠実な作りでした。

 

酸性雨が降り注ぐ陰鬱なロサンジェレスはそのままに、前作ではほぼ描かれていないその外側が描かれ、あの閉塞感タップリな小宇宙的な世界がもう少し俯瞰して見えるようになっているのと、合間合間に出てくるテクノロジーの30年間の微妙な進歩(あるいは退歩)を見せているのは、好感が持てました。

 

あの、「ブレードランナー光」とも言えるあの独特なライティングは、ほぼ封印し(チラッとだけ使ってるシーンがありますが)、はしゃぎ感をなくしているのも良かったです。

 

そういう実に細かい演出の積み重ねを評価するのか否かが、ドップリはまっていけるかどうかの分岐点ですね。

 

しかし、この昨今のハリウッド映画に逆行するようなタイム感覚こそが本編の魅力であり、それは、新作でも忠実に引き継がれていて、好感がもてます。

 

という事で、あの金字塔の名を汚す事なく、30年後のやっぱり救いようのない世界のレプリカント達の一筋の希望(しかし、それは人類にとっては危機的な問題なんですけどと)。を描いたSF作品でありましたけども、若干の不満も申し上げておきましょう。

 

それはなによりも音楽です。

 

前作のあの暗い映像(好きになってしまうとそれが堪らなくなってしまいますが)に潤いを与えていたヴァンゲリスの音楽は、明らかに名作に高めるためにかなりの貢献をしたものと思いますが、ハンス・ジマーベンジャミン・ウォルフィッシュの音楽は、音楽というよりも激越な音響であり(実際の音響効果もものすごい低音がききまくってます)、私には、ちょっとキツかったです。

 

ハンス・ジマーの仕事ぶりは、クリストファー・ノーランの諸作で聴けますが、この圧迫音楽はハッキリ言って私はやりすぎと思ってます。

 

なので、その轟音音響効果とサントラがエゲツないくらいに劇場を圧迫いたしまして、なんというか、ハードコアなクラブに来ているのか、池田亮司のコンサートに来ているのか?と錯覚してしまうほどで、ちょっと勘弁してもらいたかったです。

 

シナトラ、プレスリーが出てくるのが嬉しかったですが、必然性は感じません。

 

ヴィヌーヴには、音楽への愛が少々足りないのではないでしょうか。

 

あと、アクションとかバイオレンスの説得力が、前作よりも明らかに落ちます。

 

ブレードランナー』は、アクションシーンがとても少ないのですが、しかし、そのインパクトがホントに強烈で、ここだけでリドリー・スコット監督は歴史に名前を残してよいくらいコワイんです。

 

レプリカントのロイ・バッティを演じるルトガー・ハウアーのジワジワと伝わってくるあの怖さは、映画における悪役史に残る名演ですが、やはり、コレに匹敵する怖さは、今回はなかったです。

 

レプリカントレプリカントというシーンが多いので、アクションはド派手になりますが、それに反比例して怖さはなくなっているのが不満ではあります。

 

この辺は、『攻殻機動隊』の影響が逆輸入されてしまったのかな。という気はしてます(映像にもチラチラと押井守の影響を感じます)。

また、ネタバレになるので詳しく事は書きませんが、唐突に出てくるあの反乱軍とその依頼、そして、その物語としての解決は、私はちょっと弱いと思います。


こういう不満もありがながらも、とても長い映画でありながら、一切ダレることなく長さを感じさせずに見ることができたのは、ヴィヌーヴの力量はものすごいものがあります。

 

本作だけを見ても楽しめるように作られますが、やはり、『ブレードランナー』を見たほうが明らかに面白いと思いますので、是非両方ともご覧ください。

 

2049は70点、2019は400点というのが、私の率直な評価でございました。

 

 

 

モンティ・パイソン好きな人には超オススメ!

トニー・リチャードソントム・ジョーンズの華麗な冒険』

 

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この少年の数奇な人生?を描く

 

コレは忘れられた傑作だと思います。

アカデミー賞の作品賞、監督賞を含む4部門も受賞している割には、極端に知名度が低い作品ですね。

原作が18世紀のイギリスの小説だからでしょうかね。。

トニー・リチャードソンはかなりシニカルな資質を持った監督だと思いますが、その資質が完全に陽性の方に振り切れて絶好調な作品となったのが本作で、とかくシリアスな作品に甘いアカデミーが例外的にこんな躁病的な作品に賞を与えたという事実それ自体が、喝采モノです。

主人公トム・ジョーンズの出自をサイレント調でササっと片付けてしまう鮮やかさ。

長じて、男前で女たらしとなったトム・ジョーンズを、イギリス映画独特の、あの、ジワジワとくる感じで前半は描きます。

 

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色男のトム・ジョーンズ。これで主演男優賞取れなかったのは信じられないなあ。

 

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 ウェスタン家のソフィーと恋仲になるが、

 

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モリーとの関係がトムの人生を転落させる事になる。

 

表面上は『モンティ・パイソン』を思わせるようなユーモラスさなのですが、その根底に底意地の悪さというか(モンティ・パイソンもそういう番組ですけど)、権威とか権力をバカにしきってますよね。

このジョーンズが計略によって養父の大地主のオールワージ氏から勘当されてからが、もう躁病的に面白く(ロンドンというのは、18世紀はこんなにキタナイ都市だったのかと唖然とします。しかも、テーブルマナーなどなく、手づかみで食べてるんですね)、余計なことは一切飛ばして、猛スピードでお話が面白いように転がっていきます。

 

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テーブルマナーなど、まだ地方ではなかったんですね。。

 

しっちゃかめっちゃの、ドタバタ恋愛喜劇になっちゃったりしてからにてして、こんな陽気な作品がアカデミーというのは、ホントに快挙でありますぞ。

当然、チャンバラもございます!

原作はかなりの長編なのに、2時間くらいの映画にチョンチョーンとうまいこと畳み込み、恐ろしくご都合主義にハッピーエンドになだれ込む演出は、半ば呆れてしまいます(笑)。

リバイバル上映あったら、映画館で大笑いしながら見たいですなあ。

本作同じく、18世紀のイギリスを描いた、スタンリー・キューブリック『バリー リンドン』を見比べるのも面白いですよ。

 

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 原作の編集ぶりが秀逸です。

 

ある青年の成長を描く傑作。

ウァウテル・サレス・ジュニオールモーターサイクル・ダイアリーズ

 

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ブエノスアイレスからカラカスまでの旅を描く。

 

ゲバラが生化学者である先輩のアルベルト・グラナード(後に、ハバナにサンチャゴ医学校を創設した偉人です)と一緒にバイク一台で南米を旅行したという事実に基づいたお話し。

ゲバラはこの時の旅行を日記にしていまして、その道中は、わかっています。

グラナードも後に旅行記を本にして出版しています。

革命家の鱗片すらない、ブエノスアイレス医学生(専門はハンセン病でした)であったゲバラは23歳。

 

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 エルネスト・ゲバラ。実はキューバ人ではないんですね。

 

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キューバ革命を成し遂げた後の実際のチェ。ものすごい男前!

 

お坊っちゃまだったんですね。

あんまり知られてませんが、アルゼンチン人でした。

そういえば魯迅も医者でした。

東北帝国大学の医学部にいたんです。

 

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映画ではお調子者役になっているグラナードですが、大変な人物です。

 

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なんと、グラナードは2011年まで存命で、キューバの医療に尽力した偉人でした!

 

現在のように、道路が舗装されているわけではないし(よく転んでます)、ドライブインもコンビニもありませんし、街だってそんなにないんですから、相当大変です。

その大変な道中を描いたロードムービーです。

 

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しかも、ゲバラは喘息もちでしたから、かなりキツかったはずで、そういうシーンは出てきます。

チリでとうとうポデローサ号は使いものにならなくなり、クズ鉄として売るしかなくなりました。

なんと、途中から徒歩になっていたんですね。

その途上で出会った共産主義者の夫婦。

そして、銅山。

 

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ペルーのインディヘナとの出会い。

様々な、理不尽な地主たちの弾圧。

こういう出会いが、ゲバラの中で何かを変えていったのでしょうね。

特に重要だったのは、ペルーにあるハンセン病の人々を収容する施設でしょうね。

後にカストロとともにキューバ革命を成し遂げてしまう偉大な革命家ではなくて、真面目で感受性豊かな医学生が南米各地をの厳しい現実をじかに目にする姿を、淡々と描いているところにとても好感が持てました。

お坊っちゃまのゲバラ青年が旅を経て、だんだん私たちの知っているゲバラの顔立ちに近づいてくるのが、とてもうまいですね。

次第にラテン・アメリカ諸国の団結に目覚めていきます。

ゲバラを演じるガエル・ガルシア・ベルナルの繊細さが光ります。

いろんな場所で音楽やダンスのシーンが出てくるんですが、やはり、素晴らしいです。

 

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プロデューサーは、ロバート・レッドフォードで、監督はブラジル人というのもとても面白いですね。

 

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まさに新古典主義。

ダニエル・シュミット『ヘカテ』

 

なんともアナクロな、1930年代の雰囲気を持った映画です。
1942年、すなわち、第二次世界大戦中のスイスのベルンに始まり、そして、終わる、1980年代には誰もやっていないようなメロドラマです。

お話は、主人公の回想です。

 

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うたかたの恋を回想するロシェル。

 

おそらくは、1930年代のモロッコに赴任して来たフランスの外交官、ジュリアン・ロシェルは、クロチルドという人妻に一目惚れして恋に落ちてしまいます。

男は仕事もそっちのけで、恋して、狂わんばかりになります。

 

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運命の女、クロチルド。アメリカ人です。

 

上司はそれを知りつつ、彼の無断欠勤などをかばっています(のどかな時代ですね。余裕がある時代だったのでしょう)。

現在のフランス、ひいては、ヨーロッパのテロの続発する恐ろしい現実は、実は、この時代に原因があるんですね。その事は、お話のメインではないですが、領事館の上司のややニヒリスティックな態度に端的に現れています。

単なるエキゾチズムのみで、モロッコを舞台としてお話を作っているのではなく、ゆっくりと没落していく、「ヨーロッパの黄昏」を描いているんですね。

ダニエル・シュミットは、辛気臭くなりそうなお話を、実に趣味のいい、クールな手つきで、とても綺麗にまとめていますね。

 

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狂った男の人嫉妬や狂気に一定の距離を持って、夢中になりすぎないで撮っていますね。

クロチルドを演じる、ローレン・ハットンがいいですね。

超美人!みたいな感じではないんだけども、とてもうまい。

カルロス・ダレッシオの音楽も素晴らしいです。

こんな、戦前のメロドラマみたいなお話を、非常に現代の感覚で見事に撮ってしまう、ダニエル・シュミットは、やっぱり只者ではないですね。

2003年に若くして亡くなったのがホントに残念です。

70歳、80歳になったシュミットの作品が見たかったですね。

 

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黒澤明(とコッポラ)が腰抜かすと思います。

侯孝賢『黒衣の刺客』

 

 

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節度使(この頃は唐朝から事実上独立してます)田季安を暗殺しようとする、隠娘。

 

まず第一に、まさか、侯監督がここまで黒澤明へのオマージュを丸出しにした映画を撮るとは思いませんでした。

隠し砦の三悪人』、『七人の侍』、(以上はアクションシーン)『羅生門』、『蜘蛛巣城』、『乱』(それ以外の基本的な絵作り)と言った代表作が続々と浮かんできます。

しかも、映像にとてつもない労力が割かれている。

ロケハンを含めて、なんと、5年もかけて撮影したそうです。

黒澤明フランシス・コッポラもビックリな時間のかけ方です。
基本的な絵作りは、さきほど挙げた黒澤作品の『乱』ですね。

唐朝のお話というのもありますが、ワダエミばりの色彩のメリハリがものすごくシッカリとした衣装で、アップはほとんどなくて、ヒキの絵で構成されているのは、完全に『乱』を意識してますね。

 

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これくらいの絵がとても多いです。

 

アップが少ないので、登場人物の判別があまり顔ではつきづらいので、衣装でして下さい。という事でしょう。

お話は、女性の刺客が魏博節度使(実はこの二人は婚約者同士だったというのがこのお話の核です。話しの最初の方にボーンと出てきますから、ネタバレさせてもよいでひょう)を暗殺するという、中国お得意の武侠モノなのですが、何しろ、ベースが黒澤明の『乱』ですから、ワイヤーアクション使いまくりの目まぐるしい展開は期待しないで下さい。

 

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もう一人の主人公、田季安。事実上、地方の軍事、民政を支配する実力者。

 

侯孝賢の作品を何本か見たことある方ならわかると思いますが、彼は基本的にゆっくりゆっくり話しを進めていく人ですから、突然、猛烈にスピーディな映画を撮るはずなどなく、あの悠然たるテンポ感で進んでいく武侠モノですから、そういうのを好む方には、本作はちょっとキツいかもしれません。

しかし、ロケーションにしても、美術、衣装にしても、世界最高水準で挑んでおり、決して多いとは言えないアクションシーンは、ものすごいクオリティなので、私はもうそれだけで本作には高い評価を与えたいと思います。

 

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 とにかく驚くほど豪華で重厚な絵作りの連続!

 

主人公の女性の殺陣は見事というほかございません。

 

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というか、昨今、こういう重厚で悠然と構えた映画ってほとんど見かけなくなったので、とても嬉しくなりましたよ。

日本人の2人(妻夫木聡忽那汐里)も、とてもいい役をもらってますね。

残念ながら、インターナショナル版では忽那汐里のシーンは全てカットだそうですが。

 

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侯孝賢が、黒澤明へのオマージュをここまでストレートかつ誠実に行ったという事を、日本の映画界はどのように受け止めたのかは寡聞にして知りませんが、こういう格調高い作品はなかなか興行的には厳しそうだなあ。という気はします。

とはいえ、コレは近年稀に見る立派な作品であり、私は強くオススメいたします。

 

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エキゾ感も満天です。 

ベルイマンと比較して見てると面白いです。

マノエル・ド・オリベイラメフィストの誘い』

 

またしても、独特の味わいです。

オリヴェイラの作品は、ホントに誰とも似てないですね。

ジョン・マルコヴィッチオリヴェイラ作品に結構出演してますね)がシェイクスピア研究をしている大学教授役で、その奥さんがカトリーヌ・ドヌーヴ。という、結構なキャスティングです。

 

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マルコヴィッチ教授夫妻が、ある文献を求めて、ポルトガル修道院までやってきます。

教授は、自身の「シェークスピアユダヤ人説」の肉付けのために修道院を訪れますが、ココが何か奇妙な修道院なんです。

敢えて薄暗い映像で見せていますが、この修道院の責任者である、バルタールという男は、悪魔崇拝者のようですね。

つまり、修道院の外観を持ちながら、その内実は悪魔崇拝の拠点であったと。

これに対して、彼のもとで働いているバルタザールとマルタの夫妻は、カトリックを装って、白魔術を行なっているようですね。

 

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とてもオカルト的な話なんです。

このお話しの核心はシェイクスピアではなくて、実は、ゲーテファウスト』なんです。

ゲーテ。という人は一見、穏当な文学者のようですが、『ファウスト』を読むと、明らかにキリスト教を逸脱どころか、実は、アンチ・キリストなのでは?とすら思わせるところがあり(ですので、ニーチェは唐突にドイツに出てきたわけではないんです)、オリヴェイラは、その事を踏まえて、本作を作っているんですね。

「闇から光が生まれた筈なのに、光が闇を滅ぼそうとしている」

という、『ファウスト』の中でのメフィストのセリフにあるように、「光=神、闇=悪魔」というキリスト教の構図がそのままヨーロッパへの文明批判になっており、同時にキリスト教批判にもなっている事をオリヴェイラはお話しに組み込んでいます。

そこがわからないと、本作はチンプンカンプンになってしまうでしょう。

オリヴェイラは、ゲーテファウスト』にキリスト教批判を見出しているんですね。

メフィストの誘い」を受けているのは、ドヌーヴでして、修道院の管理者が次第に「メフィスト」になっていきます (誘惑者になる時はドヌーヴの母語であるフランス語になります。召使いたちにはポルトガル語、マルコヴィッチには英語で話します。悪魔ですから、言葉が巧みなのですね)。

この「誘惑者」を演じるルイス・ミゲル・シントラが素晴らしいですね。

 

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ヘレンの嫉妬心につけ込むバルタール。

 

淡々としているのに、ジワジワと恐さが滲み出てきます。

彼は、ドヌーヴの嫉妬心につけ込んでいるんですね。

マルコヴィッチの助手をやっている若い女性、ピエダーテへの嫉妬です。

ビックリするようなCGもなにも出てきませんが、人間の弱さにつけ込んでくるというのが、やはりコワイ。

このピエダーテと管理者である、バルタールの対話が本作の最大の見どころでして、マルコヴィッチとドヌーヴは一見主演なのですが、実質は助演なのでした(笑)。

こういう世界的な大スターを逆手にとってうまいこと観客を誘い出し、自身の世界に巧みに誘い出してしまうオリヴェイラこそが、実は最高の「誘惑者」なのでは?とイジワルな事を言って、本論を終わります。

私の言っていることは、そのまま信用してよいものではありません。

 

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『ライトスタッフ』の最後の決めては人力であった。しかもアフリカ系アメリカ人の。

セオドア・メルフィ『Hidden Figures』

 

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「隠された存在」である、メアリー・ジャクソン、キャサリン・ジョンソン、ドロシー・ヴォーン(左から)

 

ジョン・グレンによる、アメリカ初の有人宇宙飛行は、『ライトスタッフ』によって映画化されていますが、その背後には、アフリカ系アメリカ人の女性の活躍があったことは、ほとんど知られていません。

本作は、いわば、『ライトスタッフ』の裏話として、位置付けられる作品でして、アメリカでは、2016年(ジョン・グレンが亡くなった年です)に公開されたのですが、日本ではなかなか公開が決まらなかったようで、ようやく、『ドリーム』という、なんともボンヤリとした邦題がついて公開となりました。

コンピュータ。というのは、実は、物理学や数学の難しい数式の検算をする人々を指す言葉でして(残念ながら、本作ではそれがうまく字幕では表現されてません)、それはコンピュータが開発されるまで、つまり、20世紀の中頃までは、存在した人々です。

本作は、NASAでこの「コンピュータ」を行なっていた、アフリカ系アメリカ人女性の、特に3人、キャサリン・ジョンソン、ドロシー・ヴォーン、メアリー・ジャクソンのお話に絞って描かれているお話であり、コンピュータが人間からIBM製の機械に変わっていくその瞬間を描いたお話でもあります。

キャサリンは、子供の頃から天才的な数学の才能があり、アフリカ系アメリカ人でありながら、奨学金を得て、大学院まで進んで学位を取っており(コレは、黒人初だそうです)、その才能が見込まれて、NASAに採用されますが、薄給で「Colored」と書かれたオフィスで働かざるを得ませんでした。

それは他のアフリカ系アメリカ人も同様でドロシーとメアリーも同じような待遇でした。

NASAのラングレー研究所のある、ヴァージニア州ハンプトンは、コテコテの南部であり、つまり、人種隔離政策が露骨におこなられている州でありまして、トイレから何から何まで、「カラード専用」が区別されていて、キャサリンがその事で苦労するシーンは、人種差別がたったの50年前まで、平然とアメリカで日常化していた事がわかります。

 

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黒塗りされまくったデータから情報を読み解こうとするキャサリン

 

ドロシーは、管理職としての能力がありながら、いつまでも昇進できず(黒人だからです)、メアリーも大学まで出ているのに、技術職として出世できませんでした。

 

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コンピュータ言語のFotranを独学してIBMの最新鋭コンピュータを動かそうとするドロシー。

 

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黒人女性初のNASAの技術職となるメアリー。

 

キャサリンは、その才能が買われて、有人宇宙飛行のために、安全に海に着水するための軌道計算を行うのですが、職場は白人しかいません。

 

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 キルステーン・ダンストが人種差別者の象徴を演じます(架空のキャラです)。

 

上司には、全てのデータを開示されず(どこかの国の役所では、21世紀になっても行なっていますが)、やはり、形式的な検算をやらされます。

しかも、そのオフィスには、カラード用のトイレはありません(連邦政府の機関なのに、露骨な差別が存在したというのは、唖然としますね。。)。

この辺の描写は事実とは異なり、1950年代には、もうこのような人種隔離政策としか言いようのない施設は全て撤廃されているのですが、それでも、それらは実在したんですね。。

本作は、かなり史実を脚色して描いてはいるんですが(ケヴィン・コスナー演じるアル・ハリソンは、実際はキャサリンの上司ではありません)、1960年代まで、アフリカ系アメリカ人が合法的に差別的な政策がとられていた事実は変わりません。

 

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キャサリンの才能を見抜くハリソン。

 

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ジョン・グレン。今回は脇役です。

 

 

それにしても、驚くのは、ジョン・グレンの乗るフレンドシップ7が最後に着水するための計算は、IBMのコンピュータで行わず、キャサリンが行なっていたという事実ですね。

つまり、マーキュリー計画の最後の最後は、人間の計算によって成功したんです。

この驚異的な事実を、敢えて事実を改変して、登場人物を絞り、3人の女性が男性優位社会、黒人差別の世界で如何にのし上がっていくのか?という、良質なブラックムーヴィに仕上げた監督の手腕は素晴らしいですし、『ライトスタッフ』と合わせて見たいです。

 

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 ブラックムーヴィ好きにはたまらん映像もちゃんとございます!