こういう作り方は思いもつかなかった。

ハミッシュ・ハミルトン『David Bowie is』

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これはホントに面白かった。

デイヴィッド・ボウイついて、イギリスの博物館で展示がありまして(現在も世界中に展開中)、それについてのドキュメンタリー。という変わった作品なんですが、この手法が実に面白い。

ボウイのドキュメンタリーなのに、一度も彼は出演しません。

ところどころ、インタビューに答えている声のみ(いつ、どこで行われてたものかは、わかりません)が入ってくるだけです。

展示の最終日を撮影したもののようですが、ボウイの手書きの歌詞やイメージをスケッチしたもの、衣装といった、博物館だけに、まるで、考古学や古文書学の対象のように彼の様々な側面を明らかにしているんですね。

こんな見せ方があるのか。と、思いました。

そんなんだったら、展示を見ればわかるだろ!と見始めの時は思いましたが、そうではないんです。

この展示自体を解説者、監督が巧みに再構成してるんですね。

そうすることで、自分を「商品」として如何に提示するのか。を常に冷静に考えているボウイが巧みに演出し続ける偽史。に、確信犯的に参加してるんです。

なので、ご存知のように、80~90年代にかけてのかなり長い低迷期がほとんどカットされていて、ボウイは常に絶好調!になってしまっていて、それに展示会場にいる観客も完全に酔いしれている姿を見せるんですね。

一見、博物館のようなクリティカルな態度でありながら、共犯者にもなっているという複雑さ。

大いに分析したい欲求を起こさせながらもそうさせないミスティフィカシオンに映画を見ている人々も巻き込んでしまう力がありますね。

こんなことが起こるのは、ロックではボブ・ディランくらいでしょうね(ディランはボウイのアイコンですが、なぜか言及されませんね。近すぎるところがあるからなのかもしれませんが)。

こうものを作らせたら、イギリスというのは、やっぱり抜きん出てますね。

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