コレは怖い。

ジョーゼフ・ロウジー

『召使』

 
f:id:mclean_chance:20160606054321j:image
 
ダーク・ボガードとロウジーのコンビ作品は結構ありますね。
 
コレもその1つです。
 
ダーク・ボガードは何度もハリウッドからお呼びがかかっていたらしいですが、結局、一度もハリウッド映画には出てません。
 
でも、ハリウッドを赤狩りで追放されたロウジーとは何度も仕事してるので、思うところがあったのでしょうね。
 
冒頭にアルトサックスのワンホーン・カルテットの演奏が出てきますが、これは、映画の音楽を担当しているジョン・ダンスワースのカルテットでしょうね。
 
ダンスワースはジャズメンながらも、映画音楽でも成功した人です。
 
ジャズメンなので、サントラは全編にわたってサックスが大活躍で、ほとんどジャズなのですが、映画の音がモノラルなので、合ってますね。
 
奥さんのクレオ・レーンは歌手でして、本作では主題歌を歌っていますがコレがまたイイですよ。
 
ボガードはタイトル通りの召使いを職業にしている人で、トニーという貴族の召使いとして新たに雇われるところから始まります。
 
新居に越してきて、召使いが必要になったからなのですが、この貴族には婚約者のスーザンがおります。
 
たった1人しか雇われてないので、当然ですが全部ボガードがやるのですが(ロンドンの高級住宅みたいなものなので)、そのボガードを婚約者はどうも好きになれないんですね。
 
そんなところに妹のベーラがやってきます。
 
アーッ、『時計じかけのオレンジ』のアレックスに半殺しにされた、あの作家がチョコっと出演してます(笑)!
 
f:id:mclean_chance:20160605114501j:image
左がフランクですね。
 
後に政府に「適切に処置」されてしまう、フランクさん(実際はカトリックの神父役ですが・笑)と貴族と婚約者などがレストランにいるシーンとボガードが妹のベーラと駅で出会うシーンが交錯する場面がカメラと編集、音声のうまさを見ますね。
 
とりわけ、レストランのシーン。
 
フランクさん、女性2人はストーリーと全く関係ないのにロージーはパッとショットを入れて、何ということのない会話を入れる。
 
そのリズムですよね。
 
これぞ映画独特の表現だと思います。
 
やっぱり映画は白黒でモノラルでなくては。
 
で、貴族に雇われる事になった妹のベラ、なんと、サラ・マイルズですね。
 
f:id:mclean_chance:20160606055251j:image
 
『ライアンの娘』のロージー役です。
 
しかし、ここからなんだかおかしくなってくるんですね。
 
ボガードとマイルズは貴族が出かけると、突然、勝手し放題を始める。
 
ボガードがなんだかおかしいのは、マイルズに公衆電話から電話した時から少しずつ出てますね。
 
女性たちが「早く電話を切ってよ!」とせがんでいると、「どけこのサノバビッチ!!」みたいなかなりひどい事を言うんですね。
 
なんだか怖いですね。
 
故郷のマンチェスターの母が病気だと言うんで兄のボガードは帰省するのですが、なぜか、マイルズだけ家にいるんですね。
 
貴族さん、だんだん調子が狂ってきますね。
 
このジワジワと何だか変だなあ。を伝える感じ、見事な演出ですね。
 
素っ頓狂な顔をしているサラ・マイルズがうまいですねえ。
 
なんと、貴族さんと関係を結んでしまう。
 
かなりめちゃくちゃでございます。
 
なんとなく、『ブレードランナー』のダリル・ハナが、タイレル社の技術者の家にうまいこと居候していくの件を思い出します。
 
婚約者のボガードへのドSな扱いぶりが見事で、コレを受けるボガードのドMぶりも素晴らしい。
 
f:id:mclean_chance:20160605113929j:image
 
ボガード、マイルズの、貴族が不在時の狼藉は、ますますエスカレートしていくのですが、コレがある日、とうとう貴族さんにバレてしまいます。
 
と、ココまでにしときましょう。
 
ココから先は実際にご覧ください。
 
とにかく容赦ない描き方に、よく上映できたなあという内容です。
 
ロウジーは、アメリカを飛び出してからややしばらく低迷しましたが、脚本家のハロルド・ピンター(2005年にノーベル文学賞を受賞してます)と組んでからはまさに絶好調と言ってよく、主演にダーク・ボガードを起用して素晴らしい作品を作りました。
 
結局、ロウジーはハリウッド時代よりも、このイギリスで一番いい仕事ができてしまったという事になりますね。不思議なものです。
 
f:id:mclean_chance:20160605113848p:image
 
 
 
 
 

邦題に騙された人少なくないかも。

ホン・サンス

『アバンチュールはパリで』

 
f:id:mclean_chance:20160604000921j:image
 
邦題は内容を示しているようないないような。
 
いつものオープニングになぜかベートーヴェン交響曲第七番の第2楽章!
 
しかも、ちゃんとフルオケ!
 
ザルドスなのかな?と思ったんですが、ゴダールの『ドイツ零年』で使ってるのか(笑)!
 
でも、キューブリックや黒澤みたいな面白さはないし、デイヴィッド・リンチみたいに「ホラ、こんなにドロドロなモノが隠れているんですよ」みたいなテクストのモノ読み替えができているわけでもない。
 
相変わらず、小津っぽい(笑)。
 
大麻を使ったのがバレたソンナムがパリにトンズラしました。
 
その慌ただしさをソンナムの後頭部の寝グセと無謀なまでの軽装が物語っております。
 
なんと本作はフランスでオールロケです。
 
多分ですが、彼の作品で最も制作費がかかっているのではないでしょうか。
 
話は、2007年の8月8日に始まり、10月までの(最後はハッキリとしません)お話しです。
 
韓国の男性は喫煙派が多いのか、ホンの作品の男性はまずタバコ吸ってますが、「フィリップ・モリス5.20ユーロ」って、ものすごく高い!
 
日本でもタバコがずいぶん高くなりましたが(私が子供の頃は180円くらいで消費税はありませんでし、お父さんのお使いで買いに行っても誰も怪しむ人はありませんでした)、フランスは更に高いんですなあ。
 
ソンナムは、韓国人と10人相部屋をして、要するに民泊をしてるんですが、もう、韓国の人々がヨーロッパに行くのは、結構普通なんですね。
 
日本ではホテルの部屋になぜか聖書がありますけども、ここでも出てきますね。
 
フランスでもそうなのだろうか?
 
ちなみに韓国は、プロテスタントがとても多いです。
 
その原因は日本の植民地支配にあるのですが。
 
それはともかくとして、ソンナムは一応画家なのですが、ボーッと何をするでもなく、観光らしい事もせずに無為の時を過ごしているのですが、思い出したように妻に泣き言を電話したり、タイトルがほとんど詐欺みたいな展開が冒頭です。
しかし、ソンナムがパリでバッタリと出会った女性から話しが展開します。
 
相変わらず、掴み方がうまい。
 
女性はソンナムを覚えてるのですが、ソンナムは誰だかなかなか思い出せないのですが、ようやくミンソンである事を思い出します。
 
元恋人です。
 
1日がホンの数分で過ぎていくように話しが進んでいくのですが、要するに逃亡生活なので、やる事がなくてどうしようもないわけですね。
 
なので、必然的にやる事がアバンチュールになっていくわけですが(笑)、コレを止めるのが『聖書』!!
 
ホン・サンスにしては珍しく、通奏低音にイライラ感とウツウツ感が満ちていて、しかも2時間超えの超大作なのだ(ヘタすると1番長いのでは?)。
 
 
この、ウダウダとした時間の停滞はゴダールって言えばゴダールかもわかりませんね。
 
そういや、ボザールに通っている女の子とオルセー美術館に行くシーンがあって、なんと、出てくるのがクールベ『世界の誕生』だけ(どんな絵かは、各人ググってね!)。というのは、陰鬱なゴダールへのオマージュなのか、何かへの当てつけなのかわからんですね。
 
f:id:mclean_chance:20160604001007j:image
 
ゴダール『はなればなれに』で許可なしでルーヴル美術館に激走するというトンデモなシーンが出てきますが、アレは痛快ですね。
 
この辺は、もっと後の作品になるとスッキリしてきて、上映時間も80分くらいでスッと終わります(ゴダールの老年になってから撮った映画は『映画史』は別として、だいたい80分くらい。でも、退屈で寝ちゃうんですよね・笑)。
 
個人的にツボだったのは、公園で太極拳している人たちをソンナムがボーッとカセットテープでフォースターの「僕のそばのマギー」を再生しながら見ているシーン。
 
音楽と映像が彼にしては珍しくシンクロしているんですね。
 
なんだか話しが逸れますが、そのボザールに通っている女の子、ユジョンの事を考えて生活するようになってくるんですね。
 
しかし、なかなか展開はなく、奥さんにテレフォン・セックスをせがむほどにアホになってくるんですが、そこが妙にリアルです(笑)。
 
もうしょうがなくなって、太極拳を自分でやったり。
 
だんだんおかしくなってきて(笑)。
 
しかし、民泊(というか逃亡先のアジトですが)のホストが親族の家に行ってから、このドローン状態になっている生活が変わります。
 
どう変わるのかがこのお話のキモなので、見てのお楽しみという事で。
 
これ見て改めて思うのは、どうして日本でコレができないのか?という事なんですよね。
 
この事を考えるのは私はとても日本の映画には有益なのでは?と思ってます。
 
後の作品と比べると、冗長な気がしますけども、ホン・サンスのフランスの、そして、韓国への愛憎が珍しく表出する作品。
 
f:id:mclean_chance:20160604001035j:image
 
初めて知りましたが、韓国では北朝鮮の事を「北韓」というんですね。
 
f:id:mclean_chance:20160604001102j:image
 
 
 
 
 
 
 

キューブリックはコワイね。

スタンリー・キューブリック時計じかけのオレンジ』 

f:id:mclean_chance:20160529113339j:image
 
高校生の頃、初めて見ましたが、コレはぶったまげました(笑)。
 
高校の頃に、アレハンドロ・ホドロフスキー『エル・トポ』、デイヴィッド・リンチイレイザーヘッド』というぶっ飛び映画を見たわけですけども(笑)、これらを抑えて君臨するのが、『時計じかけのオレンジ』ですね。
 
前二者は、非常に低予算で作られたインディーズの映画ですから、ある意味、ハナからメチャクチャやってるわけですが、キューブリックは、大資本のワーナーです。
 
そこで、このウルトラバイオレンス作品です(笑)。
 
f:id:mclean_chance:20160529113357j:image
レックスとドルーグの根城であるミルクバー。
 
 
唖然としてしまいますね。
 
もう、40年以上も昔の映画ですから、この映画よりももっとひどい暴力描写の映画など、それこそいくらでもあるのですが、残念ながら、これらは見慣れてくると、どうということはなくなってしまいます。
 
しかし、『時計じかけ〜』は、キューブリックバイオレンスに異様なまでに冷徹な目で見ているのが、こわいんです。
 
そう。
 
画面上で起こっている事以上に、そのカメラの冷静さがとてもコワイ。
 
こういう恐さ、ちょっと見たことないです。
 
麻薬入りのミルクを飲んでバッチリとキメ、ホームレスの老人をぶちのめし、敵対グループと打ちのめし、勝手に他人の家に上がりこんで女性をレイプし、クルマを暴走させる。
 
雨に唄えば」を歌いながらの作家夫婦を襲撃するシーンは、もはや伝説。
 
f:id:mclean_chance:20160529113426j:image
 
f:id:mclean_chance:20160602000644j:image
 
主人公アレックスの悪行三昧を冷徹に凝視しているんですね、キューブリックは。
 
仁義なき戦い』という素晴らしい映画を撮った深作欣二は、菅原文太たちと一緒になって興奮し、役者たちもヴォルテージが300%になって、画面で暴れまくり、キャメラも興奮しまくりですが、キューブリックは、アレックスたちの狼藉、そして、その後にアレックスが受ける様々な報いを、ジッと見つめるんですね。
 
ベルイマンのような「神様は見てるぞ!」でもないし、ヴィスコンティのような残酷さでもない、静かでコワイ目線ですね。
 
f:id:mclean_chance:20160529113502j:image
レックスが持ってるのは、一応、作品の中では「アート作品」となってます(笑)。ただのチンコですが。
 
 
これは、ある意味、キューブリック作品に一貫してるものかもわかりません。
 
f:id:mclean_chance:20160529113522j:image
 
核戦争の恐怖をブラックコメディとして描いた、『博士の異常な愛情』も、キューブリック本人は熱狂していなくて、どこか画面はクールです。
 
f:id:mclean_chance:20160529113446j:image
タランティーノレザボア・ドッグス』はこのシーンをパクってますね。
 
 
と、恐ろしくバイオレンスシーンが印象に残りますが、この映画、そういうシーンは、実は、それほど多くないんですね。
 
 
まあ、一番宣伝しやすいし、画面のデザインが飛び抜けて素晴らしいですので。
 
仲間の裏切りによってアレックスだけが逮捕され、殺人罪で刑務所に行くことになるのですが(まだ高校生なのに!)、実はココからが本作のトンデモがはじまるのですが、それは見てのお楽しみ(笑)。
 
f:id:mclean_chance:20160529113558j:image
ダダとマム。
 
刑務所でのアレックスの聖書を読みながらのアホな妄想はなかなかツボ(全然反省してないんですね)。
 
f:id:mclean_chance:20160602000744j:image
 
それにしても、人類愛を歌い上げるベートーヴェン「第九」がここまでひどい使われ方をされた映画は他にないでしょうね(ちなみに、アレックスが聴いているのは、フィレンツ・フリッチャイベルリン・フィルの1958年の録音です。若き日のディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウが参加してます)。
 
ちなみに、コレを自宅の部屋で聴こうとする時に、その前に入っていたテープはGogly Gogolという、実在しないミュージシャンのテープで、あたかもポリドールから出ているようにそっくりのものを作ってます(キューブリックの遊びですね)。
 
とりわけ前半の見事な美術と衣装のセンスは、未だに素晴らしいですし、音楽を担当した、ウェンディ・カーロスのアナログ・シンセサイザーの音楽は今聴いても斬新です。
 
オッフェンバックの「天国と地獄」のシンセサイザー版(失礼!ロッシーニウィリアム・テル』序曲でした!!)は、アレックスがナンパした女の子2人との3Pシーンに使われてます(笑)、見事ですねえ。
 
f:id:mclean_chance:20160529113545j:image
卑猥な形をしたアイス。よく、こんなの考えつくなあ(笑)。
 
レックスを演じるマルカム・マクドーウェルの怒りと狂気を秘めた演技はまさに一世一代の見事なもので、彼以外にこのアレックスを演じることはできなかったでしょう。
 
この役が余りにもインパクトが強すぎて、その後パッとしないのも、ある意味、仕方がありません。
 
前編のインパクトばかりが取りざたされますが、実はそれは伏線でして、それが後半にすべてアレックスに報いとなって返ってきて(情け容赦ない「ホラーショー」の連発です!)、皮肉などという言葉では追っつかないオチが待っております。
 
f:id:mclean_chance:20160529113652j:image
その装置の残酷さ!
 
ココにアレックスが愛するベートーヴェンが絡んでくるんですが、キリスト教をココまで露骨にバカにしている映画も珍しいでしょう。
 
ロシア語を思わせる隠語を巧みに使った字幕は大変秀逸で、なんと、キューブリック本人が絶賛したそうです。
 
キューブリックは、字幕が気に入らないと、その国でのソフト化を一切認めなかったのだそうですが、『フルメタル・ジャケット』の海兵隊の訓練シーンの下品な字幕に絶賛し、『時計じかけのオレンジ』の字幕も認めたという話があるですね。
 
このお話で何が一番怖いのかは、オチを見ると、ヨークわかります。
 
あと、全編にわたって言えますが、ホントに役者さんがみんなうまいです。
 
イギリスの役者の層の分厚さは尋常ではありません。
 
それしにしても、「健全」とはなんなのでしょうね。
 
f:id:mclean_chance:20160529113717j:image
マムが完全にサリーちゃん。
 
 
 

ポランスキが正攻法で撮った文芸大作。

ロマン・ポランスキ『テス』


f:id:mclean_chance:20160526003017j:image

トマス・ハーディの小説を映画化。

どちらかというと、B級感覚に溢れた映画を撮っていたポランスキが本格的な文芸作品に取り組むというのは、ちょっと驚きですが、70年代は、ベルトルッチ『1900年』とか、キューブリック『バリー リンドン』などが上映されていた頃なので、こういう作品が結構撮られてはいたんですね。

f:id:mclean_chance:20160526003029j:image

19世紀のイギリスのお話で、ナターシャ・キンスキー扮するテスの一家、ダービーフィールド家は、ノルマン朝まで遡ると、ナイト爵だったらしく、遠い親戚のダーバヴィル家(実際は、金で家名を買っているので、血をひいているわけではない)で働くこととなりました。

という、ハウス名作劇場的な始まり方で、今時考えられないようなお話です。

イギリスは、なんとか朝の王様であった、○○2世の末裔です。みたいな人が結構普通に暮らしているらしいので、こういうテスのようなすっかり零落してただの百姓になっている場合は考えられます。

そういう「おのぼりさん」の視点から、貴族社会を見てみよう。という事なので、まさにハウス名作劇場なのですが(笑)、こういうのは、ドンだけガチにウソ臭くなくできるのか。で、作品としてのクオリティがほぼ決まってしまうので、撮るのは、ある意味楽ではないですね。

ダーバヴィル家の遊び人、アレックが、テスを好きになってしまう事がこのお話しの悲劇でして、まずは、子供ができてしまいます。

f:id:mclean_chance:20160526003051j:image

実家では、洗礼も受けさせてもらえず、要するに村八分になってしまいます。

病気でこの赤ん坊は呆気なくなくなってしまいますが、洗礼を受けていないため、教会で埋葬すらしてもらえませんでした。

ローズマリーの赤ちゃん』や『チャイナタウン』もそうですが、ある共同体や集団の慣習(それは外部から見たら、明らかに悪習であったり、マトモでなかったりします)に従属する事への抗議が、ポランスキの作品には見て取れますね。

ココでも教会から相手にされない亡くなった赤ん坊を自分で洗礼を授け、自分で埋葬し、「二度と教会には行かない!」とすら、テスは言います。

この辺の感覚は、もう、現代の私たちには、なかなか実感できないですね。

村にはいられなくなったであろうテスは、別なお屋敷に奉公に出ます。

今度は貴族社会を軽蔑している、農業を近代化しようとしている牧師で大地主という家です。

地主さんは、雇い人たちと同じテーブルでご飯を食べるくらい、多分、当時としてはかなり進歩的な人です。

それにしても、ナターシャ・キンスキーの美少女ぶりは、一体なんなのでしょうね。

この大地主さんの息子のエンジェル(こういう名前なのです)は、ブラジルで酪農などをしていこうと考えており、彼が出てくると、急に話がダイナミックになっていきます(ブラジルのシーンは一切ありませんが)。

敬虔なキリスト教徒の家庭なので、いちいち堅苦しいのですが、ヴィクトリア朝時代のイギリスの雰囲気でもあります。

そういう禁欲的に生きることが当然という時代に起こった齟齬である。という事が掴めていないと、この映画の人々の行動が今ひとつわからないかもしれません。

f:id:mclean_chance:20160526003118j:image

エンジェルがテスと結婚しようとしますが、これがうまくいかないのも、この時代特有の倫理観なのですね。

それにしても、なんたる男の都合のよさ! 

しかし、この点に関しては、かなり普遍的というか、時代というものは関係ない気がしますね。

男のズルさ、臆病、甘えが、エンジェルを通して、よく見えてきますね。

f:id:mclean_chance:20160526003219j:image

しかし、そんなズルさがわかっていながらダマされてしまうテス。

トコトン、男に都合のよい話ではありますが、そういう風にしか描くことができなかったのだとも言えます。

お話は、ドロドロの三角関係に陥り、文字どおりのゲスの極みの不倫ものになっていきますが、このスピード感、さすがポランスキですねえ。

この辺りは、後の作品の『フランティック』っぽいです。

ポランスキは、本作で巨匠というクラスに至るのですが、実生活では逃亡犯として、現在もアメリカからは指名手配を受けております。

f:id:mclean_chance:20160526003231j:image








『オズの魔法使い』を見ると更に面白いです!

デイヴィッド・リンチワイルド・アット・ハート



f:id:mclean_chance:20160519234748j:image

リンチの絶好調ムーヴィ(笑)。


老人フェチぶりも随所に!

とにかく、あらゆる意味でやりすぎな作品ですが、エルヴィスに移入しているニコラス・ケイジ

アタマの悪いローラ・ダーン

そのイカレた母親、マリエッタ。

で、ほぼ全員、オーバーアクト(笑)。

一見、サスペンスのような体裁を取るのは、いつものリンチ作品ですが、特に何も解決もしません。

悪そうなマルセロ・サントスの一味とか(ケイジはサントスの運転手だった事があり、一味によるルーラの父親の殺害の現場にいたようです)、そのボスである、「トナカイ氏」が出てきますが、一体何だかわからないうちに映画は終わります(笑)。

f:id:mclean_chance:20160519234930j:image

ウィレム・デフォーは結局のところ、何のために出てきたのか、あんまりわかりませんし、ハリー・ディーン・スタントンの活躍場面は全くないと(笑)。

f:id:mclean_chance:20160519235012j:image

でも、それがリンチでして、要するに変な人がいっぱいだよね、アメリカって。という事を言いたいんだと思いますけども(笑)。

それを、リンチとしか言いようのない映像美(今回は、やたらとSex and Violenceがストレートです)と統合不全を抱えるストーリー展開に惑わされ、はぐらかされているんですね。

言いたい事はシンプルだと思います。

一応、ケイジ扮するセイラーと、ローラ・ダーン扮する、ルーラ(ジーン・ヴィンセントの大ヒット曲「ビバップ・ア・ルーラ」から取ってるのでしょう)のラヴストーリーと言えばそうなんですけども、そこに、『オズの魔法使い』が下敷きになっているのが、独特なところです。

f:id:mclean_chance:20160519234836j:image

つまり、マリエッタ=悪い魔女であり、ルーラ=ドロシーになっており、彼女とセイラー=エルヴィス・プレスリーが「幸せの黄色いレンガ路」を歩いて生きていけるのか?というお話です。

ちゃんと、よい魔女も赤い靴の踵を鳴らすシーンも出てきます。

f:id:mclean_chance:20160519234848g:image

そういう、表面的にはほとんど出てきませんが、ドラックまみれのアメリカの1950年代の狂気を、独特の切り口で見せているわけですね。

だからこそ、ロックンロールのアイコンである、エルヴィスが主人公の1人なのです。

なので、この映画を見るに当たって、先でも後でもイイですから、『オズの魔法使い』を見た方がよくわかります。

悪い勢力がヴェトナム戦争経験者=60年代というのも興味深い。

f:id:mclean_chance:20160519234908p:image

f:id:mclean_chance:20160519235151j:image


また、この2つの間をつなぐのは、オーソン・ウェルズ黒い罠』とロバート・オルトマン『ロング・グッドバイ』です。

ロックンロールとヴェトナム戦争と麻薬ですね。

ココにアメリカ文化の深層の闇を垣間見ることができますよ。

ほんの少しですが、ココ・テイラーが歌うシーンは必見!

今回、初めて気が付きましたが、チョイ役でジョン・ルーリーが出てます。

f:id:mclean_chance:20160519235041j:image









見せ方が独特で面白いなあ。

アラン・パーカー『バーディ』


アラン・パーカーはもう結構なキャリアがある監督なのですが、意外にもアカデミー賞もらってないんですよね。

もう、もらっててもおかしくない監督だと思うのですが。

ミシシッピ・バーニング』、『ザ・コミットメンツ』などいい映画撮ってますよね。

本作は、戦争映画ではあるのですがとてもユニークです。

少々風変わりな青年、バーディを演じるのは、マシュー・モーディンで、その親友をニコラス・ケイジが演じてますが、当時、2人とも無名だったはずですよね。

この2人のおバカな遊びっぷりがホントに可愛らしいですね。

f:id:mclean_chance:20160516232135j:image
こんなにフサフサだったんですよ!

f:id:mclean_chance:20160516232222j:image


青春映画としても、ホントに秀逸です。

ケイジは顔を負傷し、モーディンは精神を病んでしまうのですが、メインは深刻なPTSDとなってしまった、バーディとの再会がメインなのです。

『ディアハンター』もPTDSがテーマでしたが、本作はよりその問題を正面から見据えた作品です。

なので、戦闘シーンはほとんど出てきません。

ハッキリとは言ってませんが、明らかにヴェトナム戦争のお話しです。

モーディンは、この後、『フルメタル・ジャケット』という、凍りつくようなヴェトナム戦争映画の主演となります(必見)。

軍の精神病院に隔離されているバーディ。

f:id:mclean_chance:20160516232238j:image

受け答えもせず、食事を自分で摂ろうともしなくなってしまった彼に具体的に一体何があったのかは、余り明らかになっていません。

この、ほとんど状況説明をせず、包帯で顔の大半を覆っているニコラス・ケイジと、「鳥」になってしまったモーディンの寓話のように描く事で、より問題が普遍的になり、単なるナム戦争批判ではなく、戦争そのものの招く悲劇への静かな抗議となっていると思います。

f:id:mclean_chance:20160516232256j:image

実は、ニコラス・ケイジにもPTSDがある事が見ているとわかってきます。

戦争映画にもかかわらず、映画の大半は戦争に行く前の楽しいハイスクールでの生活なのが、逆説的に悲しい。

私は『アメリカン・グラフィティ』よりもはるかに面白く見ることができました。

こんな話し、あるわけないだろ。とか、そういう了見で見てしまったら、この映画から得るものは少ないでしょう。

なりたいものになれない、自由に生きる事の難しさ。それを許さない大きな政治のうねり。友情すらもズタズタにしてしまう無情。

こういう問題をこれほどデリゲートに優しく描く事のできる、アラン・パーカーは素晴らしい作家です。

ピーター・ゲイブリエルの音楽も素晴らしいですね。

f:id:mclean_chance:20160516232310j:image

ザルドスとヘウォンの共通点。

ホン・サンス『ヘウォンの恋愛日記』


f:id:mclean_chance:20160511234000j:image

なんと、冒頭にベートーヴェン交響曲第6番「田園」の第五楽章。

意外とサントラに使われないベートーヴェンですが、それにしても、オープニングクレジットがいつも一緒というのは、もうほとんど小津安二郎ですね。

ちなみに、ジョン・ブアマン未来惑星ザルドス』にも使われる、ベートーヴェン交響曲第7番の第二楽章が、絶妙な場面で使われますので乞うご期待!

タイトルに「恋愛日記」とあるように、主人公ヘウォンの日記という体裁をとります。

冒頭が「母がカナダに移住してしまい、もう韓国には戻ってこない」というヘウォンの独言から始まる辺りからして、ものすごいです。

f:id:mclean_chance:20160511234014j:image

ヘウォン自身もイギリス生活をしていたので、英語が堪能です。

韓国でこういう人がどれくらいいるのか全く想像できませんが、まあ、エリート層なのでしょうね。

アラッ、特に説明してませんけども、ジェーン・バーキンが出演してますね。本人として。

f:id:mclean_chance:20160511234628j:image

ヘウォンは、大学で演技を勉強しています。

それにしても、いつも思いますけども、アレだけ巧妙に脚本を作っているにもかかわらず、役者の演技がそれにがんじがらめな印象を全く受けませんね。

f:id:mclean_chance:20160511234029j:image

ヘウォンの恋人は、『ソニはご機嫌ななめ』の、これまたソニの元恋人役のイ・ソンギョンですね。映画監督で大学教授です。

つまり、教授は学生に手を出した。という、文章にしてしまうとなかなかろくでもない構図になっております(笑)。

教授には、奥さんも子供もいます。

しかも、ヘウォンは同じゼミ生のジェホンと現在付き合っていて、なかなかです。

これまで見てきたホン・サンスの作品では珍しく、韓国社会の経済的な格差がほのめかされます。

ヘウォンは前述したように、明らかに家族が裕福です。

が、それを話している学生と生徒とて、貧乏であるはずはないのですが。

なぜか、日記のどの日にも、同じ古本屋さんが。

f:id:mclean_chance:20160511234856j:image

こういう繰り返しがもう名人芸になってきてますよね。

もう、ホン・サンス小津安二郎のレベルになりつつあるかもしれませんね。

居酒屋や喫茶店などでおしゃべりをするシーンが必ず出てくるところもとても小津映画っぽいです。

たまたま古本屋カフェ(?)で知り合った男がマーティン・スコシージと仕事をしているとかは、ぶっ飛んでいるというか、ギャグっぽいですが、こういう遊び心がありますね。

私個人が一番グッときたのは、年上の不倫のエピソードですね。

2度目の南漢山城を訪れるシーンです。

f:id:mclean_chance:20160511234058j:image

ちなみに、こんな場所です。
なんと、世界遺産


ホン・サンスの映画は、恋愛が結構出てくる割にはあんまりエロくなかったのですが、ここでの場面はちょっとドキッとします。

女優さんがいいですねえ。

坂上二郎さんみたいなおじさんが、この城址で2回登場するのもツボ。

ラストはヤラレタ!!

f:id:mclean_chance:20160511234136j:image

f:id:mclean_chance:20160511234212j:image