呆気にとられる大ベテランの快作!

イエジー・スコリモフスキ『11ミニッツ』 

 

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老いて益々盛んというか、作品が全く老成するどころか、若返っているのでは?というスコリモフスキの新作。

 

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ロマン・ポランスキの名声と比べるとなぜか日本では今ひとつ知られていないスコリモフスキ。

 

またしてもたったの80分くらいの映画なのですが、恐ろしく濃厚な作品です。

最初は1つ1つのエピソードがものすごく断片的で一体何の話なのかがほとんどわかりません。

 

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 敢えていうと、映画監督リチャードと女優アーニャの枕営業が話しの中心といえば中心。

 

女優の枕営業、ホットドッグを売っているオッさん、絵を描いている男、質屋を襲撃したら店長は自殺、出産寸前の女性ととベットで弱っている男を救出する救急隊員たち、何かをバイクで運んでいる若者などなど。

 

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ホットドッグを食べる修道女たち。 

 

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そのホットドッグを売ったおじさん。刑務所を出所したばかりらしい。

 

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何かを届けたバイクのお兄ちゃん。

 

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ポルノ映画を見ている2人。

 

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強盗未遂のあんちゃん。

 

登場人物にはほとんど名前すらなく、主役らしき人物は特にいません。

このほとんど無関係とも思われるそれぞれの話しがどう関係していくのかが不明のまんま、映画は進むのですが、だんだんある事に気がつきます。

ほぼ同じ時間にこれらの出来事が起こっている事を。

それは「午後5時から何分遅れている」というセリフとか、着陸態勢に入っている旅客機が何度も別な角度で出てくるんです。

そこで不可解なタイトル、『11分』という意味がわかってきます。

要するに、たったの11分間の出来事を描いている映画だったんですね。

しかも、それぞれのお話しは、そんなに離れた場所ではない事に気づきます。

それをいろんな人物の主観から見せ、時間は何度も行きつ戻りつしながらも、しかし、確実に時間は冷酷に経過していく。という事だったんですね。

 

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犬を連れている女性。

  

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絵を描いいたおっさん。

 

とにかく、手法のすごさに驚いてしまうのと、1960年代から映画を取り続けている大ベテランであるスコリモフスキがこんな大胆な手法の映画を撮ってしまった事に、驚嘆せざるを得ません。

 

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あれっ、さっきホットドッグ食べていた修道女たちが。この女性はなにを見ているのでしょうか。

 

この映画が最後どうなっていくのかは、実際にご覧になっていただくほかありません。

とにかく呆気にとられてしまうような映画でありました。

 

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低温映画。という新しいジャンルなのではないか。

カルロス・ベルムト『マジカル・ガール』

 

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この冒頭に出てくる2人が誰なのかは見ているとわかります。

 

何やら、日本のアニメへのオマージュがあるスペイン映画だときいて見てみたら、ものすごい映画でありました。

敢えて近いものを提示するのなら、ペドロ・アルトドバルのどこかネジが外れたあの独特のサスペンスなのです。

出てくる登場人物は一見普通ですが、全員どこかに闇を持っていて、それは本編中ではほとんど明らかになりません。

失業している文学の教師(どうも大量の人員整理があったようです)のルイスの娘は、白血病で余命いくばくありません。

 

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そんな彼女が好きなのは、『魔法少女ユキコ』という日本のアニメなんですね。

  

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魔法少女ユキコです。

 

ルイスはそんな娘のために、ユキコのコスチュームをデザイナーが一点モノで作ったという商品を買ってあげようと、いろいろと金策に走るのですが、失業中ですから、お金がありません(治療費も相当かかっているでしょう)。

 

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思い詰めて宝石強盗すら考えてしまう。

 

追い詰められたルイスは宝石店に強盗しようとした時、空からゲロが降ってきした(笑)。

この奇想天外さには驚きますね。

 

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おでこから血を流した女性とそのゲロを浴びた男という、前代未聞の絵(笑)。

 

ルイス・ブニュエルペドロ・アルモドバルを生んだだけのことはあって、そんな発想はないですよ。

そして、お話しはそんなゲロを吐いてしまった女性、バルバラのお話しになります。

彼女はどうやら精神疾患があるようで、夫の精神科医からキチンとクスリを飲むように言われているのですが、なかなか守れません。

 

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ある日、アルコールとクスリを一緒に飲んで気分が悪くなりまして、思わず、窓から嘔吐してしまいます。

それが、先ほどのゲロを浴びてしまったルイスだったわけです(笑)。

タランティーノでもそんなことは考えついてないというか。

お詫びにバルバラはシャワーに入っている間に衣服を選択してあげたのですが。。という所までにしておきましょうか。

と発想の独自さが、やっぱり、スペインの映画監督のある意味伝統であります。

あと、とても不思議なのが、初めから終わりまで、ほとんど画面から伝わってくる温度感がまったく変わらないんです。

 

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スタンリー・キューブリックのかの独特な無機質な画面作りは、冷たさという温度を感じるわけですけども、暖かくも冷たくもないし、匂いも音もあんまりないんです。

終始無機質で、どの登場人物も一応に低温です。

 

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バルバラがなんでこんなになっているのかはいえねえいえねえ。

 

この後、物語はクライム・サスペンスになっていくのですが、ハラハラもドキドキもしないのに、眠くなったり、退屈しないで見ることができるという、とても不思議な感覚なんですよね。

 

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えっ、終わり?みたいなスッと抜けていくような循環構造を持った終わり方も、もう完成させた作家だなあ。という気がします。

コレを書いていてフト思い出すのが、あだち充です。

彼の作品も若い頃からとても完成されていて、少年誌には見られない独特の間合いと省略の美意識に満ちた、常に余裕のある作風なのですが、後半がかなりスポ根になりながらも、暑苦しくなっていかず、甲子園を一切描かずに優勝した事実のみを最終回にスッと示して終わるという、ああいうものと近いものを感じました。

とは言え、本作は高校野球ではなくてサスペンスなのですが(笑)、本作もコワイ所、エゲツない所を敢えて描かない、登場人物の過去を詳しく語らないことが、面白さというか、観客をうまく引っ張っていく術になっているんですね。

不思議な面白さがある作品でした。

 

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記念すべき200本目は、ケン・ローチ!

ケン・ローチ『私はダニエル・ブレイク』

 

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永年のキャリアを持ちながら、それに反比例する日本での知名度の低さはまことに腹立たしい限りですが、ケン・ローチ監督はコレに対して淡々と作品を作り続ける事でしか答えないところがまた彼らしいですね。

彼の作品が今ひとつ知られる事がないのは、故ない事ではありません。

有名な役者は一切出てきませんし、題材はいつもイングランドの労働者階級を扱っていますので、アクションもサスペンスも一切ありません。

逆に言うと、全く売れる要素がないのに、映画製作をこれだけ長い間やり続けていると言うこの事実がかなり驚異的なのですが、ケン・ローチは莫大な利益は上げてはいないでしょうけども、確実にその価値を理解してくれる人々が少なからずいて、そう言う人々からの支援で映画を撮り続ける事が出来ているのでしょうね。

今回も、ダニエル・ブレイクという、ニューキャッスルで大工を長年やってきた、頑固なオヤジが主人公のお話しです。

このダニエルは、心臓発作を仕事中に起こしてしまい、医者から仕事は控えるように言われてしまいます。

しかし、役所の調査によって、「勤務可能」という審判が出てしまい、手当てが役所から貰えないことになってしまいました。

 

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大工仕事一筋だったダニエルは、「インターネットを使え」の役所の言い分に悉く苦しめられる。

 

ダニエルには、精神を患っている妻がいて、介護をし続けていたんですが、亡くなってしまいます。

しかし、その大変な生活が祟ったのか、その後、仕事中に心臓発作を起こしてしまったんですね。

ダニエルは役所に不服を言うのですが、役所はとにかく手続き通りやりなさい。ネットから申請してください。の一点張り。

仕事柄、インターネットの必要性が全くなかったことから、もうしていいのかわからないことを訴えても一切助けず。

と、そんな時、子供連れの若い女性が手当てをもらえない事に抗議しているではありませんか。

 

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道に迷って時間に間に合わなかった事を訴えても、役所は一切きいてくれない。。

 

ダニエルはこの女性、ケイティと2人の子供を不憫に思い、いろいろと助けるようになります。

 

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ダニエルとケイティたちとの交流が素晴らしい。

 

この作品では、一貫して役所のひとたちの対応がダニエルやケイティたちの窮状に応えず、むしろ、彼や彼女の生活を苦しめる方向にしか導かない事ですね。

 

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医者は仕事はムリと言ってるのだが。。

 

心臓が悪いのに、失業手当ての申請を受けるために一定時間就職活動をし続けないといけないという、ほとんど不条理な状況にダニエルは陥ってしまうんです。

なんというか、イングランドの福祉の仕組みの冷酷さが浮き彫りになってくるんですね。

まだ公開されたばかりの作品なので、ネタバレはこの辺にしておきまして、なぜ、こんな何の変哲もない人たちを登場人物に選ぶのか。が、ここまででもわかってくるのではないでしょうか。

ケン・ローチ監督は、イングランドのシングルマザーや病気によって働けなくなった人々への行政サービスの不具合となぜ、彼ら彼女らが貧困状態から抜け出せないのかを見事なまでに明らかにしているのですが、コレは、誰にでも起こりうる事であるわけですから、どうしても主人公たちは、スター感が漂っていては、説得力がありません。

有名な役者が一切出てこないのは、この問題に共感をもってもらうためのケン・ローチの演出なんですね。

その辺がネオ・リアリズモなんかが考えるリアリティともまた違います。

それにしても、こういう余りにも身近な問題をコレだけ丁寧に扱って、なおかつ、劇映画としてちゃんと面白くみせてしまうローチ監督の手腕には相変わらず脱帽です。

彼が映画を作り続ける根底には、社会の不合理への怒りを持ち続けているからなのでしょうけども、それ以上に感じるのは、名もなき庶民たちへの温かい眼差しが本作でも横溢している事でしょうね。

一見、ニューキャッスルは冷たい街のようですが、ダニエルの隣に住んでいるアフリカ系の青年など、ダニエルたちを助けてくれる人たちが少なからず出てきます。

こういう善良な人たちの良心を描いているところが、ケン・ローチの素晴らしさだと思います。

ラストシーンはサラッとしてますが、見終わった後にズシンと来る重さが見事でしたね。

もっと多くの人に彼の映画を見てもらいたいものです。

ちなみに、本作はカンヌ映画祭パルムドールを受賞しました。

 

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打ちのめされましたね。。

エドワード・ヤン『牯嶺街少年殺人事件 A Brighter Summer Day』

 

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私はコレをVHSで見たんですが、残念な事に画面が不鮮明で、夜の場面が多い映画なので、夜のシーンが悲劇的なまでによく見えず、作品の価値が半分以下になっていて、余り楽しめませんでした。

しかし、ヤンが亡くなってから、作品のデジタルリマスタリング作業が進み、2017年に本当に久しぶりに劇場上映される事となり、それを見る事が出来たんです。

 

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こういうシーンがホントに多く、VHSでは真っ暗になってしまうんです。。

 

それによって、とてもわかりづらかったストーリーがかなりわかりやすくなり、登場人物の判別がなかり容易になりました。

本作は、まず、主人公が建国中学校(台北に実在する中学校です)の夜学部に通っているため、夜のシーンが多いんで、わかりにくい場面が多い。

 

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デジタル リマスタリングでこんなによるのシーンが鮮明になりました!

 

また、登場人物が大変多く(作中で、「小公園」のリーダーであるハニーが『戦争と平和』に感銘を受けたというセリフが出てきますが、そこまででないせよ、ホントに多いです)、コレがかなりキャメラが引いた絵で大半を見せるので、顔が判別しづらい(小さいテレビで見てしまうとかなりキツいです)。

 

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「小公園」のリーダー、ハニーと小明のは鯖の再開シーンなのに、こんなに遠くから撮るんです。

 

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ちょっと悲しげで利発そうなハニーの登場シーンがもっと多かったらなあ

 

複雑な人間関係や、少年たちの抗争での敵対関係がわからないと、ストーリーを追うのが結構ツラい作品なのですが、ブラウン管テレビでVHSで見てしまうと、かなりわかりづらいです。

私もVHSを見た段階でこの話の構図を理解するのがホントに大変でした(笑)。

とは言え、本作が上記の理由でわかりづらいのは、実は、デジタルリマスター版でも完全に解消されるわけではないです。

というか、エドワード・ヤン監督は、このお話の全体像が、4時間も見ているうちに、ディテールがドンドン失われていく事自体、いいのだ。とすら考えているフシがありますよね。

本作は、シンプルに言ってしまうと、1960年に実際に起こった建国中学校夜学部を退学になった少年が、同じ夜学部に通っていた女子生徒を刺殺してしまうまでの顛末を描いているわけですが、それに、4時間というかなりの時間をかけているんですね。

 

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ホンモノの建国中学校。

 

しかも、決して、親切でわかりやすい語り口ではありません。

彼は、本作を単なる「少年殺人事件」として描きたくなかった事が、本作をこれほどの長編にしてしまったんですけども、中京内戦が共産党勝利に終わり、蒋介石率いる国民党は、台湾に逃げてしまい、これを「中華民国」としたという、激動の歴史を丸ごと描こうとしたんですね。

しかし、ヤン監督は同時に、それをすべて隅々まで描くことなどできないし、理解などできないんだ。という事を描いています。

エドワード・ヤン監督は、一貫した演出哲学があって、それは、どの登場人物にもある一定の距離感を保ち続け、決して、内面に入り込んでいくような事をしないんです。

本作でも、室内撮影に特に顕著ですが、ある部屋を撮影するとには、ほとんどキャメラがその隣の部屋から覗くように置かれていて、人物たちに決して寄っていきません。

 

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本作の典型的なショット。隣の部屋から撮っていて、右側が襖がしまっていて、全体が見えないように撮ってますね。

 

「小公園」(建国中学校夜学部の生徒はこちらに所属します)と、敵対する「215」という不良少年グループの抗争が、次第にエスカレートし、とうとう日本刀を振り回しての凄絶な殺し合いにまで発展しますが、これすら、キャメラは寄っていかず、闇夜の中で何が起こっているのか、敢えてハッキリと写そうとはしません。

 

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ハニーが敵対グループ「215」のリーダー、山東に殺されてしまったことが抗争を激化させる。

 

また、主人公の張小四(友人や家族は更縮めて「スー」と呼びます)の父親が、数日間不可解な拘束と取り調べを受けるのですが、コレもなんの説明もしない。

ただ、1960年当時の台湾社会が、とても不安定で不穏な空気に包まれていた事は、わかるんですね。

 

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主人公張震(小四)と小明

 

ある程度、台湾の歴史を知っていると、台湾が日清戦争によって、日本の領土となり、1945年まで日本領であったこと(だから、日本刀が出てくるわけです)、国民党の敗北によって、中国大陸から、膨大な中国人が逃げてきて、その人たちが「外省人」と呼ばれ、それ以前から台湾に住み続ける「内省人」と対立関係が生まれていた事は知っていますが、それをヤン監督は、仄めかすように描いています。

 

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転校生の小馬の部屋。父親が軍人なので、裕福である。何かやんちゃをしてしまい、夜学部に入ってきたのです。

 

主人公の張一家は、上海から逃げてきた外省人でして、台湾政府内に友人がいる事を頼りに、要するにコネを頼りとするのですが、コレがうまくいかなくて、経済的にも社会的にも明らかに困っています。

 

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小四の父親が仕事が次第に苦境になっていく姿が痛々しい。

 

小四少年もその事を薄々感じ取りながら生きているんですが、彼も不良少年グループの世界にも、明らかにコネによってのさばっている現実を目の当たりにします。

この不条理への怒りが、やがて殺人という悲劇に結実してしまうのですが、この小四の心の動きにヤン監督はむしろ距離をとって入り込んでいきません。

監督は何かわかったかのような同情を登場人物たちにするのではなく、彼もまた、この悲劇を理解しようとしており、その事を観客にも求めているのでしょう。

 

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 このシーンは辛いですね。。

 

安易な同情と紋切り型な図式化は、複雑な台湾社会への理解を狭めてしまう事を警告するように、暗くて、人物の判別も難しくなるほどのキャメラアングルで敢えて撮ったのだと思います。

それにしても、4時間にも及ぶ作品であるのにもかかわらず、ダレることもなく見せてしまうエドワード・ヤンの演出力の高さには、驚かざるを得ません。

ゆっくりと、そして、確実に零落していく中国大陸から移住してきた、インテリ家族(かなり頭の良さそうな小四が昼学部の入学試験が良くないので、夜学部に入ってしまうという不可解な出来事から、ゆっくりと悲劇に向かって転げ落ちていくのです)の悲劇を、複雑なと台湾社会が重層的に絡み合いながら、静かに語られる、強く打ちのめされる名作。

 

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全国のお父さんを100%号泣させたであろう、大傑作!

原恵一クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』

 

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いきなり、太陽の塔

 

オープニング曲のトースティングがなかなか素晴らしいんですけども、コレもまた天才原恵一の名を世に知らしめた名作です!

 

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春日部にこんなトンデモな施設ができてます(笑)。

冒頭に怪獣が大阪万博ソ連館を破壊するシーンが素晴らしい(笑)!!

「20世紀博」。なるイベントが春日部で行われ、野原一家だけでなく、町中の大人がこのイベントの虜になっていきます。

 

しかし、しんちゃんたち子供には、昭和へのノスタルジーなどある筈がなく、なんだかおかしいなあ。と思っているんですね。

そうこうしていると、アナログ盤が流行りだしたり(コレは現在、実際に起こってある現象ですが・笑)、街に旧車が走っていたりと、モーレツな昭和ノスタルジーに街全体が支配されていくんですね。

 

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しかし、コレは、「Yesterday Once More」が用意周到に行なっている陰謀だったのです。

この謎の組織のリーダーのケンの世界観はこうです。

 

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コレがラスボスのケンとチャコ。なぜか安アパートに住んでます。

 

「高度経済成長期の日本はとても希望があって輝かしかった。21世紀という未来がとても素晴らしいものに感じられた。しかし、実際の21世紀はなんとつまらないものなのだろう。であるならば、そんなものは消し去って、もう一度高度経済成長の日本に戻してしまおう」

というものです。

なんだか、『エヴァンゲリオン』の碇ゲンドウみたいな事言ってますけども、なんというか、結構オトナたちの痛いところを突いてくるんですけども、コレ、子供にはなんのこっちゃわからんでしょうね(笑)。

子供にとっては、あらゆるものがsomething newなのであって、ノスタルジなど感じる事などないわけですから。

しかも、オトナたちは、ほとんど脳みそレベルで乗っ取られてきているようで、しんちゃんは、この異常さにだんだんと気づいて来るんですね。

ミサエが家事を一切しなくなり、ヒロシが会社に行かなくなるんです。

なんと、ひまわりの面倒をしんちゃんが見るという、異常な事態です。

しかし、おかしいのは野原一家だけではなく、春日部市全体のオトナがおかしくなってしまっているのです!

しかも、春日部だけでなく、どうやら、全国規模でこういう現象が起きているらしい。

なんちゅうか、かなり本格的なディストピアSFをしてるわけなんです。

ちょっと唖然とします。。

 

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しんちゃんたちのオトナごっこのシーン。『ダウンタウン物語』ですよね。

 

オトナのいなくなった春日部では、子供たちによる『マッドマックス』というか、『北斗の拳』というか、その子供版、すなわち、アラン・パーカーダウンタウン物語』が展開するんですが、そこで、あの秘密結社は子供たちを「お父さん、お母さんに会えるよ」と言って、車で連れて行ってしまいます。

しかし、しんちゃんたちはコレを怪しんで、車(コレがオート三輪なのです)に乗りませんでした。

翌日、秘密結社は「子供狩り」を始めるのですが。。

というところまでにしておきましょうか。

この映画、前半はとにかくしんちゃんたちが『マッドマックス 怒りのデスロード』や『ブルースブラザーズ』並みの大活躍をするのですが、後半はヒロシのお話しになっていくんですが、コレが一切言えませんな(笑)。

 

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『ブルースブラザーズ』顔負けのカーアクション。

 

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こんな風に運転してます(笑)。

 

ここからがこの映画の真骨頂というか、原恵一の世界ですね。

コレは、一貫した彼の描きたい世界であり、多分、子供映画だと思ってイヤイヤながらきてしまったお父さんたちは涙無くして見る事が出来ないでしょうね。

 

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何のシーンかは言えませんが本編屈指の名作シーン! 

 

マルセル・プルーストが生涯をかけて書いた大作『忘れられた時を求めて』では、有名なマドレーヌを食べた時の味から、主人公の「私」が過去を思い出すのですが、この作品は「におい」です。

さあ、野原一家は、秘密結社の野望を打ち砕く事が出来るのでしょうか?

それは見てのお楽しみでございます!

子供にとっての「今」が果たして大切にされているだろうか?という監督のメッセージは、むしろ、現在切実な問題になっているような気がしてならない、大傑作。

 

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東映が日活アクションを撮った感じでしょうかね。

中島貞夫現代やくざ 血桜三兄弟

 

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冒頭のレアグルーヴ感満点のサントラ(なんと山下毅雄のさっきです)から、やくざ映画と思えないノリです。

まだ、あの『仁義なき戦い』が作られる前のやくざ映画は、まだまだ過渡期というか手探り状態だったのだと思いますけども、コレもその中の一本と考えてよいでしょう。

渡瀬恒彦がエラく生き生きとしていて、ギラギラ感よりも、青春映画っぽいのが面白いですね。

戦後直後の混乱から高度経済成長期にかけてのヤクザ社会の形成を描く事が、いわゆる「実録もの」の定番の内容ですけども、これは完全にタイトル通りの現代、すなわち、1970年代のやくざを描いているんですね。

 

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大阪から岐阜へやってきた小池朝雄が地元のヤクザにイヤガラセを始める。

 

なので、ヤクザたちのギラギラとした異様な熱量は、本作にはあまり感じないんですね。

そのかわりに、生活感がものすごく伝わってきます。

 

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一升瓶持って公園でクダを巻いているのが昭和です。

 

私の家の近くに住んでいる、若いおにいさんが実はヤクザの若いモンなんです。というくらいの感覚なんですね。

で、このリアリティは、渡瀬恒彦だからこそ出てくるんですね。

全体的に漂う、藤田敏八作品のようなアンニュイがなぜか東映の絵で展開するのか、とても不思議です。

菅原文太が大卒で伊吹吾郎の兄貴といのも、すごくおかしいです(実際の菅原文太早稲田大学卒業してるんですけど)。

 

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設定にムリがあるこの兄弟。

 

最後の殴り込みは、ジョン・ウーを彷彿させるなかなか凄絶なもので、火炎瓶を使っているあたりが大卒を感じさせます(?)。

任侠路線がだんだんマンネリ化してきたため、現代のヤクザを描こうとして試行錯誤しているのがとてもよくわかる作品。

 

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地獄の黙示録を超えました!

富田克也バンコクナイツ』

 

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映画制作集団、空族(くぞく。と読みます)による3時間を超える大作。

Bangkok, Shit....!」

まさか冒頭が、『地獄の黙示録』のパロディから始まるとは(チョイチョイ、パロディが入ります。ワルキューレの騎行も流れますから・笑)。

 

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タニヤ通りの娼婦の日常を淡々と描きながら、東南アジアの歴史を浮かびあがらせていく手腕には脱帽!

 

随分前の「ミツバチの叫びとささやき」で『地獄の黙示録』愛を書きましたが、本作は、その深さ、大きさにおいて、遥かに超えたと断言してよいです。

地獄の黙示録』は大好きですが、やっぱりアタマの中で考えている、アメリカ側の言い分でしかない事を思い知らされましたね。

とはいえ、サフィーン大好きキルゴアと狂人カーツは映画史上な残るキャラクターですけども(笑)。

基本は、バンコクに実在する、日本人ばかりが利用する歓楽街、タニヤ通りを舞台としますが、主人公である、インラック(お店のNo. 1)の故郷イサーン(字幕が秀逸ですな)、果ては、ラオスにまで撮影が及ぶという、今村昌平『神々の深き欲望』すら超える過酷な撮影がうかがえます。

 

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2人の主人公、元自衛隊員でカンボジアPKOに参加した経験ある、オザワとお店のNo.1のインラック。

 

空族の前作『サウダーヂ』はほとんど山梨県から動かないわけですから、このスケール感がすでに日本離れしてしまっています。

バカなことばかりが考えている日本人男性。

それぞれに苦悩を抱えるタイの娼婦たち。

東南アジアの植民地の歴史。

とりわけ、インドシナ戦争ヴェトナム戦争がタイにすら繁栄と暗い影を落としているという現実。

文章にしてしまうと、エラく重苦しいテーマを重苦しく描くのではなく、どこかトホホで笑えてしまうタッチで描いているという凄さ。

 

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よくわからんビジネスにオザワを巻き込もうとする日本人たち。

 

もう1人の主人公、オザワ(元自衛官)の彷徨う姿は、そのまんま『地獄の黙示録』のウィラードのようでもあり(オザワは、カーツ大佐の王国ではなくて、ラオスを経由して、ヴェトナムのディエンビエンフーまで、行き着くんです)、最後は『タクシードライバー』のトラヴィスすら感じさせます。

 

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唐突に出てくるラッパー集団(笑)。 

 

全体としては、3時間もの時間をかけて何も起こってはいないし、何かが変わったわけでもないという(そういう予兆は感じるのですが、それは表立っては見えてこないんです)、そこもまたすごいところで、普通はオザワの自分探しの話し、インラックの家族の話し、キンジョウさんたちのおバカな日本人の話し、タニヤの売春婦の話し。と、焦点を絞り込んで語るはずだと思うのですが、本作はそれを敢えて全部放り込んで、グダグダにかき回して、あまりキレイに整理しないで私たちの前に見せてくるんですね。

 

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占い師のような人なのでしょうか、人生相談を受けるインラック。

 

そのことによって生み出される、異様なカオス感が見事で、時にグダグダすぎやしないか?とすら感じてしまうほどリアルですね。

そんなに簡単に現実が変わるわけないですから。

完全にフィクションのはずなのに、まるでドキュメンタリーでも見ているような生々しさすら感じてしまった大傑作。

ちなみに、空族作品は、一切DVDになりませんので、劇場で見るしかありません!ご注意を!!