逃避行映画の原点!
ニコラス・レイ『夜の人々』
ニコラス・レイ衝撃の初監督作品。
一般的には、『理由なき反抗』や『大砂塵』で知られてますけども、彼の真骨頂はそれ以前の作品にあります。
ですので、日本では彼の真価がなかなか伝わらず、一部の映画ファンの間にしか評価されていないのは、とても残念な事です。
それにしても、1940年代の映画として考えても、ものすごく、ドライでカットが素早いですね。
ジョン・ヒューストン『マルタの鷹』やラウォール・ウォルシュ『白熱』という、これまた時代の制約を遥かに超えた同じ頃の傑作と同じ気配を感じます。
田舎を舞台にしながら、まるでフィルム・ノワールのようなシャープさが漂います。
脱獄に成功したボウイ。
それだけで只事ではありませんね。
若者の暴走。を描いた作品はたくさんありますけども、その元祖はまさにこの作品でありまして、『俺たちに明日はない』は、リメイクと言ってよいでしょうね。
彼なくしてヌーヴェルヴァーグも日活アクションもアメリカン・ニューシネマもなかったと言ってよい。
終身刑の3人が刑務所を脱獄。
主人公のボウイ(ファーリィ・グレンジャー)は、16歳の頃に友人に誘われて金庫破りに参加してしまい、その際に殺人を犯してしまい、終身刑となりました。
脱獄のリーダー。
しかし、彼は新聞を読んで、少年犯罪に特赦がある事を知り、何とか弁護士を雇うこと金を稼いで特赦を受けようと、脱獄をします。
そして、手っ取り稼ぐためにテクサス州フォートワースの郊外の小さな街の銀行強盗を。
という段取りをあっという間に20分もかからずに済ませてしまうこの手際のよさ。
現在の映画はここに時間がかかりすぎているのかもしれません。
『七人の侍』のように、前段階をものすごくジックリと固めた事で大傑作になった例もありますが、むしろ例外なのでしょう。
それにしても、主人公のファーリ・グレンジャーの線の細さが、「いかにも悪い事やりそうな青年像」から遠く、観客を裏切っているところが素晴らしいですね。
どこにでもいそうな少年が、とても破綻した考えで行動しているのが、何ともリアルです。
手際よく銀行を襲撃するための計画を立てるシーンも実に小気味よいです。
とても1948年に制作された映画とは思えないですね。
ホントに車を走らせて、走っている車からの景色を見せるという、ハリウッドのキッチリとした構図で見せようとする手法ではなく、カメラが揺れたりブレたりする生々しさを取り込もうとしているんですね。
ワザとグレンジャーの顔のアップをピンボケのままにしたりと、かなり挑発的な事を所々で行ってますね。
こういう手法は今では当たり前ですが、レイがやった事をヌーヴェルヴァーグの作家たちがより過激に継承した事で世界的に広まったんですね。
銀行強盗は呆気なく成功したんですが、アシがつかないような買い換えた車で調子に乗ってスピードを出しすぎて事故を起こしてしまい、グレンジャーは大ケガをしてしまいます。
そこに警察が来てしまい、強盗がバレてしまいそうなので、やむなく警官を拳銃で撃って逃走。
潜伏先の家の女の子、キーチに一目惚れしたグレンジャーは、当初の弁護士を雇う目的も、警官を撃った拳銃が彼のものであった事から最早特赦はムリとなり、逃亡となってしまいます。
ボウイとキーチ。
コレにキーチも同行してしまうという逃避行が始まります。
唐突に結婚をし、車を買って山奥のモーテルに泊まります。
たったの25ドルで結婚式を挙げてしまう。
犯行までのタイトさと逃走の呑気さをうまく対比させていますね。
しかし、そんなところに銀行強盗を行った仲間がもう一度銀行強盗をしようとやってきまして。。
という内容なのですが、転げ落ちるように、しかし素っ気ないくらいに淡々とその顛末を描いていくニコラス・レイの演出は並外れています。
すでに大スターであったハンフリー・ボガードが彼の才能に惚れ込んで、『孤独な場所で』などの主演作品を撮っております。
残念な事に、レイは、アルコール依存症がひどく、その全盛期はとても短かったので、それほどたくさんの映画を撮ることができず、晩年は大学で映画の撮り方を教えていました。
しかし、その門下生から、ジム・ジャームッシュなどの優秀な監督が生まれた事は特筆すべきでしょう。
本作が日本で公開されたのは、なんと、1988年。
すでにニコラス・レイは亡くなっていました。
ハンフリー・ボガード主演の傑作『孤独な場所で』の公開は更に遅く、1996年です。