手塚治虫オマージュが込められた室町時代のロッキーホラーショー!

湯浅政明『犬王』

 

 

なんなのだ、この大傑作は!


とにかく浴びるように映画館で見るべし!

 

スマホで見るなど論外です。


「浴びる」事でまずは全身を感動させ、然る後にディテールを確認するためにサントラやDVDで隅々までチェックする。


コレが本作を見るための作法であり、それ以外はないのです!


さて。


犬王ですが、実は実在の人物なのですね。


能楽の祖とされる、観阿弥世阿弥が活躍した、室町時代初期に活躍した、天才猿楽師なのですが、じつは彼の演目は全て散逸してしまったため、どのような演舞をしていたのか、実はまったくわかりません。

 


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足利義満はアニメ『一休さん』とはエラく風貌が違います。

 

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義満の寵愛を受ける、世阿弥

 


要するに、どういう人物だったのか、よくわからない人なんです。


コレを大胆にロックオペラとして作り上げたのが本作なのです。


室町時代の京都を舞台とした、『ロッキーホラーショー』なのですよ、コレは!


そして、本作には、もう1人の主人公がおりまして、それが琵琶法師の友魚(ともな)です。


なので、タイトルとしては、『犬王と友魚』でもよいのですが(実際、そういう内容です)、敢えてそうしていないんだと思います。


ご覧になった方はすぐに気がついたと思いますが、犬王のモデルは手塚治虫の『どろろ』です。

 

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失われた身体を取り戻すために戦う百鬼丸は、『ベルセルク』のガッツにも影響を与えました。


どろろの主人公、百鬼丸は、戦国時代の父親の野望実現のために、肉体のほとんどを悪霊に奪われてしまったという設定になっており、義手や義足をつけて、悪霊たちを倒す事にもとの身体を一つずつ取り戻していくお話しになっていますが、犬王もまた、天下一の猿楽師となるために、悪魔と契約をし、息子の肉体を与えてしまいました。


その結果、まるで怪物のような存在として生まれてしまうのです。


百鬼丸の基本設定と全く同じですね。


しかし、全く違うのは、犬王は踊りの奥義を身につける事によって、身体がもとに戻っていくというところなんです。


つまり、異形の肉体を持った猿楽師。という設定を大胆に作り出しているんです。

 

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犬王には始めは脚すらまともな長さがありませんでした。


コレに対してもう一方の主人公、友魚は、あの平家が滅亡し、安徳天皇三種の神器が海に沈んだ壇ノ浦で生活している、いわば、漁民兼トレジャーハンターの一族の子です。


しかし、とある人物から失われた三種の神器の1つ、草薙剣の捜索を命じられ、言われるがままに父と協力して見つけるのですが(案外簡単に見つかるんですけども・笑)、その剣の持つ霊力によって父親は死んでしまい、友魚は失明してしまいます。


こうして、友魚は琵琶法師として生きていく事となり、諸国を放浪しながら、師匠の谷一とともに平家物語を歌うようになり、やがて、京都までやってきます。


谷一は、京都の琵琶法師の座である、「覚一座」に所属しており、友魚もこの座の一員として認められて、友一(ともいち)と名乗るようになります。

 

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友魚はやがて、斬新な平家物語を歌う、ほとんどロックスターへと変貌していきます。

 

この、友魚が何度か名前が変わっていくの事がお話しの重要な伏線になっていますが、ネタバレになりますので深くは立ち入りません(煩わしいので、友魚で統一します)。


怪物として生まれたため、父からも彼の座の一員からも疎んぜられていた、犬王は、持ち前の並外れたバイタリティで無手勝流に踊りを身につけていくのですが、やがて、勝手に犬王の猿楽を踊るようになります。

 

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犬王の奇抜な演舞は本作の見せ場です!


その内容な奇しくも平家物語なのでした。


この主人公の二人には、平家側についた武士たちの無念の霊たちを見る事ができ、2人の音楽や踊りは、この霊たちを成仏させるために行うものなんですね。

 

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しかし、その踊りや音楽が完全に70年代のハードロックであり、犬王の動き、マイケル・ジャクソンだったり、チェコスロヴァキアの体操選手のヴェラ・チャフラフスカ、ひいては、日本でも長年上演されている、ピーター・パンであったり(文献には、犬王は天女の舞が得意であったとあり、そこから拡大解釈した演出ではないかと思います)、もう破天荒の極みなのですね(笑)。


従来の芸能を打ち破る二人の天才の爆発が、このお話の最大の見どころであり、湯浅政明の見事な演出、そして、大友良英の驚くほどの王道ロックな音楽、そして、犬王を演じるアヴちゃんと友魚を演じる森山未來の歌の素晴らしさにとにかく圧倒されっぱなしです!

 

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アヴちゃんという稀有な存在なくして、本作は成立しなかったでしょう!

 


一見、破天荒な設定のお話なのですが、時代考証は驚くほど精緻に行われていて、絵や美術の素晴らしさにはとにかく驚きます。

 

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室町の庶民の描き方の丁寧さには驚きます!

 


この世界観に一切手抜きのないところに、犬王や友魚の飛躍が荒唐無稽とならない秘訣があるのでしょう。


この二人の評判はやがて足利義満の知るところとなり、このお話はやがて、「政治と芸能」という、古くて新しい問題に向かっていきます。


本作が大変な傑作に高められるのは、やはり、この問題に正面から挑んでいるからであり、それは、今日の日本に於いても抜き難い問題である事を私たちに、犬王と友魚を通じて突きつけられているからですね。

 


この2人の対照的な生き様は、手塚治虫の傑作『火の鳥 鳳凰編』にも通じるものを私は感じました。

 

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茜丸と我王の対象的な生き方を通じて、「表現とは何か?」を描き切った『火の鳥鳳凰編』。

 


一方は名のみ残り、もう一方は名すら残らない。という、この残酷さ。


100分にも満たない長さでこの物語を描ききったのは、見事だと思います。

 

 

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2人の友情は永遠破滅です!